22話:龍の寝床*6
龍、といったら、精密な絵は似合わないと思う。
勢いのある水墨画みたいな奴がいい。
僕はそう思って、まず、筆と墨を描いた。黒の水彩絵の具で描いた墨汁は、いい具合に出来上がって木の実の殻に溜まった。
別の殻に泉の水を汲んできて、薄墨も作る。ガラスみたいな木の実の殻を水晶の結晶の間にうまく置いて、準備完了。早速、僕は絵を描き始める。
「……おーい、トウゴー?」
「うん、もうちょっと待ってね」
勢いのある絵って、難しい。何を描くか頭の中でしっかり決めて、その通りに腕を勢いよく動かしていく、というかんじなのだろうけれど……一筆一筆が大きくて、それでいて、やり直しのきかないものだ。緊張する。
……でも、緊張しながら描く龍っていうのも何となく違う気がするから、何も考えずに描くことにした。
龍の頭は空を見上げて、角は逞しくて、髭が長く伸びてたなびく。
鱗の一枚一枚にこだわるよりも、体の動きの勢いを大事にしたい。細かな表現は薄墨で描く。途中で筆を洗いたくて、1つ、木の実の中身を飲んだ。うん。甘くておいしい。
空になった木の実の殻にまた水を汲んで、そこで筆を洗ったりしながら、龍を描き進めていく。
龍は、雨を降らす生き物だ。龍神、というと、大体は雨とか水とかを司っている。……龍って、日本では神様っていうような扱いをされることが多いか。すごく神秘的な生き物だ。
僕が描くのは、白黒の龍だ。いや、水墨画だから、どうやっても白黒になるんだけれど。
……龍の鱗は真っ白。影は薄墨。角は透き通っているようなかんじ。
どんどん描き進めていって、ざくざくと、大胆に、でも雑にはならないように描いていく。僕の思う『龍』は、画面上にどんどん出来上がっていく。
そして最後はやっぱり、目だろう。
画竜点睛を『描く』。濃い墨で、龍の目玉を描き入れた。
ぶるり、と絵が震えた。
……そして龍が、体を伸ばす。
する、と絵の中から抜け出てきた龍は、大きく伸びをするように伸び上がって、するする空へと飛んでいく。うん。龍は翼が無くても空を飛ぶ生き物なんだ。
龍は上空、洞窟の天井の穴へと向かって行って、そこでくるり、と一回転すると、今度は下降してきて……戻ってきた。
緩くとぐろを巻くように、水晶の小島の上、木を抱くような姿勢で体をくるりと一周させる。木の根元で絵を描いていた僕も一緒に、龍に抱き込まれてしまった。
龍は僕に顔を寄せて、じっと僕を見る。
静かで穏やかな目を覗き込みながら、僕は、生まれたばかりの龍の頭をそっと撫でてみた。
くるくる、と、喉を鳴らすような声を上げて、龍は目を細める。それがなんだか嬉しくて、僕は続けて龍を撫で続けた。
……けれど、そうしている間にどんどん眠くなってくる。
駄目だ。寝てしまう前に、お願いだけしておかなければ。
「……あの、雨を降らせてほしいんだけれど」
僕が龍にそう言うと、龍は静かに穏やかに、じっと僕を見つめる。
「ここの泉の水を、この辺り一帯に、降らせてほしいんだ。霊脈が堰き止められちゃってるから……」
龍はきっと、僕より賢いんだろう。僕の言葉を聞いた龍は、『分かっている』とでも言いたげな顔でそっと頷くと、器用にも髭を伸ばして、髭で僕の頭を撫で始めた。……あ、駄目だ。落ち着いたら眠くなってしまう。眠くなってしまうんだけれど、撫でられている内に、落ち着いてきてしまう……。
しとしとと雨が降っている。
雨音に気づいた僕は、ぼんやり目を開けて……周りを見る。
僕の頭上にあるのは、水晶の実をつける金と銅の木だ。翡翠やエメラルドみたいな葉が雨に濡れて、時々雫を垂らしている。
ああ、ここ、水晶の島か。
そう思って体を起こそうとして……起きられない。
あれ、と思うけれど、まるで金縛りにあったみたいに起きられなかった。
僕が動かない体に悪戦苦闘していると、僕のお腹の上で寝ていた管狐と、僕の首筋のあたりに首を凭れさせて寝ていた鳳凰が起きた。
こんこん、きゅるる、とそれぞれが鳴くのを聞いて、そこで初めて、僕は自分に毛布が掛けてあるのに気づいた。自分の下の水晶の結晶が上手く削り取られて、ベッドみたいになっていることにも。
……昼寝している間に誰かが掛けてくれたのかな。それから、水晶を削ってベッドにしてくれた?うーん……。
な、何か嫌な予感がする……。
僕がぼんやり寝転がっていると、木の上からふわふわするする、真白い体が下りてくる。
真っ白な鱗を持つ龍は木の根元、僕の傍までやってくると、少し驚いたように僕の顔を覗き込んだ。
それから龍は、ふと顔を上げて、僕の頭上、木の枝に実っている木の実を見つめた。……すると、木の実はふわり、と枝を離れて、ふわふわゆっくり落ちてきて……鳳凰の羽の中にすぽん、と納まった。
鳳凰は落ちてきた実をころりと転がして水晶の結晶の間に収めると、くちばしで木の実をつついて、殻に穴を開ける。
穴が開いた木の実は、また、ふわふわ浮き上がる。……これ、龍の力なんだろうか?サイコキネシス?いや、龍が使うんだから、サイコキネシス、じゃなくて、神通力、って言いたい気がする。
「あの、君は……」
僕が龍に話しかけようとした矢先、僕の体が勝手に動く。リクライニングベッドに乗せられてたみたいに、勝手に上体が起きる。……新感覚だ。
上体を斜め45度ぐらいまで起き上がらせた僕の腰のあたりに、ちょっと大きくなった管狐が潜り込んでクッションになってくれる。その途端、僕の体を勝手に動かす力が消えて、僕はまた、体を動かせなくなる。
ちょっと大きくなった管狐は、僕が凭れ掛かっても大丈夫なくらい丈夫だ。潰してしまう心配も無いから、僕は安心して管狐に体重を預けた。
「……これ、君がやってるの?」
僕が聞くと、龍はゆっくり瞬きをする。『そうだ』と言っているように見えた。
まあ、龍なんだからこれくらいするよな、と思っていると、さっきふわふわ浮いた木の実が、またふわふわやってきて、僕の口元にそっとあてがわれた。
そのまま、木の実はそっと傾いて、僕の口の中に甘い果汁を流し込んでいく。飲めってことだろうな、ということは分かったので、僕は大人しくそれを飲み込んだ。
木の実の果汁は、やっぱり美味しい。甘酸っぱくて、とろりと濃厚で、後味はさっぱりで……そして、元気が出る味だ。
木の実を1つ、飲み終わると、指先が動かせるようになった。
あれ、と思っていると、龍は2つ目の木の実を木からもぐ。(勿論、神通力で。)
それにまた鳳凰が穴を開けて、龍がそれを僕の口まで運んでくれて、僕は中身を飲んで……。
「……あの、そろそろお腹がたぷたぷしてきたんだけれど」
結局、10個分ぐらい、飲んだ。お腹がたぷたぷする。先生の家で謎のお茶の消費に貢献した時ぐらいたぷたぷだ。
けれど、元気が出る木の実の効果は抜群で、僕はなんとか、自力で起き上がれるぐらいにはなっていた。……まだ全然、体に力が入らないけれど。でも、とりあえず、管狐をクッションにしなくても起きていられるし、這いずるみたいにすれば移動もできる。
流石に、いつまでも介護老人みたいにされてるのは申し訳ないので、次からは自力で木の実の中身、飲むことにしよう。
とりあえず、僕は木の幹に凭れて座っていることにした。その横に鳳凰が寄り添うようにしてくれて、反対側には龍が居てくれている。管狐は元の大きさに戻って、ちゃっかり僕の膝の上だ。あったかい。
「……鳳凰。ちょっと悪いんだけれど、ラオクレスに僕が起きたこと、伝えてきてくれるかな」
そこで僕は、鳳凰にそうお願いする。すると鳳凰は、きゅるる、と鳴いてから僕に頭突きするみたいに頬ずりして、その後飛び立っていった。
……鳳凰が飛んで行ってから少しすると、鳳凰が帰ってきた。
そして鳳凰が帰ってきてから更にもう少しすると、アリコーンに乗ったラオクレスが飛んできた。
「トウゴ!」
「ラオクレス。おはよう」
僕が小さく手を振ると、ラオクレスはほっとしたような顔をして……それから、意を決したように、小島の方へ飛んでくる。
小島に着陸したアリコーンを、龍はじっと見つめている。ついでに、ラオクレスのこともじっと見つめる。
龍の視線を受けて、ラオクレスは少し緊張したようにじっとしていたけれど……やがて、龍は1つ頷くと、ふい、と首を動かして、眠るように目を閉じてしまった。
それを見て、ラオクレスはほっとしたような表情を浮かべると、改めて、僕に近づいてきた。
「……具合は」
「ええと、体に力が入らないけれど、これでもさっきよりは随分回復したんだ」
「そうか」
ラオクレスは僕の前に指を一本出してきた。
「握ってみろ。全力でいい」
……まあ、僕が全力を出したところでラオクレスの指が折れるとは思えないので、全力でぎゅっと握りにいく。……けれど、案の定、自分が思っているよりもずっと力が入らなくて、ラオクレスには何とも言えない顔をされた。
「成程な。随分と力が入らないらしい」
「うん。なんかふにゃふにゃする」
だろうな、と言ってため息を吐くラオクレスを見て……僕は、聞かなきゃいけないことを聞く。
「僕、何日寝てた?」
僕が聞くと、ラオクレスは……何とも言えない顔をして、言った。
「1か月だ」
……アウト!
「……最長記録を更新してしまった」
「そうだな」
「あ、あの、ごめん。その……」
何て言っていいのか分からなくて言葉を探していたら、ラオクレスは苦笑いを浮かべてくれた。
「気にするな。お前がこういう生き物だということはもう諦めがついている」
……諦められてしまった。うん。なんだか、すごく申し訳ない。
「まあ……お前はずっと寝ていたが、悪いことばかりではなかった」
「……そう?」
「ああ。レッドガルド領の霊脈が復活したらしい」
「本当に?」
「ああ。……そこの龍から聞いていないのか」
聞いてないよ。
……ちょっと龍を見てみたら、龍は片目だけ開けて僕を見て、それからくるくる喉を鳴らすみたいな声で笑って、また目を閉じてしまった。……く、食えないやつだ。いや、龍っぽくていいと思うけれど……。
「龍が泉の水を雨にして降らせたらしいな。見事にレッドガルド領のみをすぽりと覆うように雨が降って、雨が降り注いだ端から土地が潤い始めたらしい。今はまだ、レッドガルド領の土地に魔力が染み渡った程度らしいが、いずれ、染み込み切らない魔力が霊脈を形作って、ここが源泉になる日もそう遠くないだろう、と。……妖精とアンジェからの伝聞だが」
そっか。……なら、よかった。
とりあえず、この辺りに住んでいる妖精達も、馬も鳥も、皆魔力不足で死んでしまうっていうことはなさそうだ。そして多分、フェイ達が困ることもないんじゃないかな。うん。よかった。本当に。
ありがとうね、と龍にお礼を言うと、龍はまたくるくる鳴いて、機嫌がよさそうな顔をする。うーん、ちょっと小憎たらしい。巨大なコマツグミにちょっと似てる。あいつより可愛げが無くて、その分綺麗で荘厳なかんじがあるけれど。
……そんな僕の様子を見ていたラオクレスが、ふと、にやりと笑って言った。
「……見事なものだったな。龍が雨を降らせていた様子は絵画のようだった。陽が差しているのに雨が降り注いで……クロアが『金銀の糸が降り注いでいるみたい』と言っていた。雨が降る大地に、光がまた煙るようで……」
「それ、見たかった!」
僕が心の底からそう言うと、ラオクレスは如何にも楽しそうに笑った。
「文句があるなら寝ていた自分に言え」
これ、絶対にわざとだ!ちょっと意地悪だ!普通だったら、彼はこんなに風景の話なんてしないのに!ああでも、寝ていたのは僕だから文句は言えない……。ああ、見たかった……。
「……まあ、しばらくは定期的に雨を降らすのだろうから、その時にまた見ればいい」
「……うん」
その時はちゃんと起こしてね、と龍に言うと、龍はそっぽを向いてしまった。……あ、これ、僕が自力で起きないと、誰も起こしてくれないやつだ……。
その日から、僕はひたすら、リハビリした。
足が動かないのはまあ仕方ないとして、指先が満足に動かないと、絵が描けない。絵が描けないのは嫌だから、リハビリにも力が入る。
……その間、僕は家には帰れなかった。鳳凰が僕を小島の外に連れていってくれなかったからだ。
龍も当然のように、僕を乗せて運んでくれはしなかったし、管狐に乗って水を渡ることはできないし、何より、手足が満足に動かないのに寒中水泳をする気にはなれないので、実質、僕は水晶の小島に閉じ込められっぱなしだったということになる。
……いや、一応、色々と主張はした。特に、その、トイレ。
水晶の島の上で用を足すのは流石に嫌だ、と主張したら、龍が呆れた顔をして、僕のお腹のあたりを尻尾で軽く叩いた。……そうしたら、なんか、こう、消えた。
……うん。出したかったものが、消えてしまった。忽然と。そういう感覚だった。ええと、どこに消えたんだろう。
いや……ええと、これ、深く考えたら怖いやつだろうから、深く考えないことにした。うん。
トイレですらこの有様だったので、当然、食事もそんなかんじだった。
毎日、リアンが食事の入ったバスケットを運んできてくれて、僕はそれを食べて過ごした。
飲み物は泉の水か、木の実の果汁。……僕が木の実を食べてしまうとレッドガルド領に還元しなきゃいけない魔力が僕で消費されてしまうのでよくない気がしたのだけれど、毎食1個ずつは龍が実をもいで、鳳凰が殻を割ってくれてしまうので、申し訳なく思いつつもそれを飲んだ。とても美味しいから、嬉しくはあるんだけれども。
……そうして、僕の目が覚めてから7日くらい。
ようやく龍や鳳凰からお許しが出たので、僕は家に戻ることにした。
久しぶりに家の前へ戻ると、途端に馬達がわらわらと寄ってきた。うーん、動けない。でもあったかい。
「あら、トウゴ君!お帰りなさい!」
「クロアさん。ただいま」
僕が馬に群がられていると、近くに居たらしいクロアさんが笑顔で手を振ってくれた。僕も手を振り返す。
「全く、随分心配したわよ!あなた、1か月も魔力切れだったんだもの!」
「うん。まさかこうなるとは思ってなかった」
多分、木を描いてから更に龍を出したのが良くなかったんだと思う。うん。でもお陰で僕が寝ている間にレッドガルド領が潤ったみたいだから、それはよかった。
「でもまあ、あなたって森の精霊なんだものね。こういうものなのかも、と思うことにしたわ」
「うん……」
僕としてはまだ人間としての自分に未練があるのだけれど、着々と人間じゃなくなってしまっている。うーん。
「とりあえず、フェイ君にも挨拶してらっしゃい。彼、忙しそうだけれどあなたの顔を見たら喜ぶと思うわ」
「え?フェイ、忙しいの?」
やっぱり霊脈が増えたことで忙しくなったんだろうか。
……そう、思っていたら。
「ええ。なんでも……レッドガルド領に2体目のドラゴンが出た、っていうことで、ちょっとした騒ぎになってしまったらしくて」
そ、そうか。龍は雨を降らす時に森を出たのか!それで目撃されてしまったなら……騒ぎになる、よね。
どうしよう。フェイに申し訳ないことをした。ただでさえ大変なところに……。
「あ、大丈夫よ、トウゴ君」
けれど、クロアさんは悪戯っぽく笑いながら、続けた。
「それで騒いで勝手に大変なことになったのは、王家だから」
……えっ?