20話:龍の寝床*4
その日、僕達は森を発った。
向かう先はアージェント家だ。
今回のことにアージェントさんが関わっているという確たる証拠は無いけれど、話を聞いてみるくらいはしてみてもいいんじゃないか、というのが僕らの出した結論だった。
……というよりは、それ以外にとっかかりが思いつかなかった。
このまま放っておいたらレッドガルド領が大変なことになるのは分かっているし、かといって、王家とアージェント家が何かしているものをこっちだけでどうこうできる訳でもないし……というか、どこで何が起きているのか、少しでも正確に把握しなきゃいけないから。うん。もし、アージェント家が堰き止めてる訳じゃなくて、いきなり霊脈が2本枯れてしまったとかだったら、その時は一緒に解決しなきゃいけないし……。
ということで、僕とフェイ、それから秘書のクロアさんと護衛のラオクレス、という4人で再び、アージェント家を訪ねることになった。
アージェントさんは、僕らの来訪に驚いたように見えた。なんというか、まあ、僕らもまさかここに来ることになるとは思ってなかったよ。
「……それで、今日は何の用かね?」
アージェントさんは流石に、にこやかに友好的に、という訳にはいかなかった。こちらの突然の来訪を訝しんでいるようでもあったし、何より、『利にならない相手』を相手にしている顔をしている。
「まどろっこしい話は抜きにして申し上げますね。ええと、うちに不利益になること、しましたよね?」
……そしてフェイがズバリと言ってしまうと、アージェントさんは流石に不愉快そうな顔をした。
「何を言う。儂が君達に嫌がらせか何かした、とでも言いたいのか?儂がそんなことをする狭量に見えるのかね?大体……」
「ええ。天下のアージェント家が三流じみた嫌がらせをするなんて思っちゃいませんよ。ただ、超一流のアージェント家だからこそ、うちに繋がる霊脈を堰き止めることはありえると思っています」
そしてフェイが更にズバリと言ってしまうと、アージェントさんは静かに口を噤んだ。
「……王家が一枚噛んでるんだろうな、とも思っています。目的は、霊脈の魔力を使って行う、ある大規模な魔術だ。如何ですか?」
フェイが静かに問いかけると、アージェントさんは……少し目を細めて、何かを考え始めた。
何と答えようか迷っている、っていうかんじだ。言い逃れしようか、開き直ろうか、といったところなのかな。
黙ってしまったアージェントさんを前に、僕は……ちょっと、つついてみることにした。彼がちょっとでも喋りやすいように。
「あの、アージェントさん。あなたは、僕らに恨みがあってそういうことをしたわけではないんじゃないですか?」
僕がそう言うと、途端、アージェントさんは驚いたような、凄く困ったような、狼狽えたような……そういう顔をした。うん。予想外だ、みたいな顔、かもしれない。
「でも、何か事情があって、霊脈を堰き止めることにしたんですよね?」
僕がそう聞いてみると……アージェントさんは、深々とため息を吐いた。
「……そうだな。君達に嫌がらせする気は無い。恨みも無いとも。誘いを断られた程度で嫌がらせをするほど狭量なつもりは無い」
そして、ようやく、喋ってくれた。
「だが、王家の打診を断ってまで君達を慮ってやる義理も無いというだけの話だ」
「勘違いしてもらっては困るので先に言っておくが、これは悪意でもなんでもない。君達に危害が及ぶのは、儂の意図ではないとも。ただ、王家はレッドガルド領への被害は特に問題が無いと判断した。そして儂は、『何の繋がりも無い』領地を庇ってやる訳にはいかないのでな」
……実質、アージェントさんからの自白、っていうことになるんだろう。実際、アージェントさんは開き直ったように堂々と、椅子の背凭れに凭れて腕組みをしている。
「分かるな?君達は儂と『何の繋がりも無い』のだ。これは君達が選んだ道だぞ。愚かだと思われようが儂は君達の決断を尊重するが、その報いは当然、受けてもらわなければならない」
アージェントさんは高圧的にそう言って……。
「あー、まあ、そうですよね」
それを見たフェイは、ぽりぽり、と頬を掻く。
「いや、そういうことなら納得しました。王家が主導で何かやったってことならアージェント家にはどうしようもありませんよね。いやあ、今日はどうもすみません。わざわざ押しかけてきて」
そして、席を立つ。僕も席を立つ。
……それを見てアージェントさんは、またしても狼狽えた。
「……いいのか?魔術を止めろ、とでも言うのかと思ったが」
うん、まあ、そうだろうなあ、と思いつつ……僕もフェイも、もう椅子には座らず、答える。
「ははは。流石にそこまで厚かましくはなれませんよ。身の程は弁えてます。原因の確証が持てたってだけで十分です」
「お邪魔しました」
「ま、待て!」
僕らが退室しようとすると、アージェントさんは声を掛けてきた。うん、やっぱりこの人、悪い人じゃないんじゃないだろうか……。
「ならどうする。このまま霊脈が枯れるのを待つのか?」
「いや、まあ……なんとかしますよ。なんとか。そしてそれはあなたには頼らない。それだけの事です。……それとも、頼んだらどうにかしてくださるんでしょうかね?」
フェイがちょっと睨んだら、アージェントさんが、ちょっと怯んだ。
けれどアージェントさんは1つ咳払いをすると、椅子に座り直して……それから、言った。
「……1つ、聞かせてもらおうか。この話をどこから手に入れた?それを教えてくれるなら、少しばかり融通を利かせないでもないが」
「分かると思うが、霊脈を使うような大規模な魔術を行うなど、外部に情報を漏らす訳にはいかない」
「ええ。そうでしょうね」
フェイは顔色1つ変えずにそう答える。まるで、『何もかも全部知っています』とでも言うかのように。
「情報の取り扱いには厳戒態勢を敷いていた。それが漏れたということは……その穴は埋める必要がある。そしてその穴の情報は貴重だというわけだ」
一方、アージェントさんは少し焦っているようにも見えた。まさか、『妖精から情報が漏れた』なんて思ってもいないんだろう。多分、自分達の味方の中にスパイが居るとか、どこからか情報を盗まれたとか、そういうことを考えているんじゃないかな。
ましてや、これは王家も一緒になってやっていることらしい。なら、アージェント家だけの問題にはできない。王家に被害が出るのは、アージェントさんとしても嫌なんだろう。
「さて、商談といこうじゃないか。君達は情報の穴を教えてくれればいい。それで儂は、今後レッドガルド家にある程度、融通を利かせてやれるぞ。霊脈が枯れたら作物も育たんだろう。食料が足りなくなるなら、我が領から格安で卸してやってもいい。或いは……」
「いや、申し訳ありません。アージェント様にご納得いただけるような情報なんて、俺達、持っていやしませんよ。今回のだって、半分くらいは憶測で」
フェイがアージェントさんの言葉を遮るようにそう言うと、アージェントさんはじろり、とフェイを睨んで、言った。
「ほう。半分は憶測、と。……なら、残り半分は?」
アージェントさんの視線を受けて、フェイは……へらり、と笑った。
「そうですね。レッドガルド領当主と相談してから、ということで。相談次第ではまたこちらに『商談』に伺わせて頂くかもしれません。いや、でもこっちで何とかできるようならそうします。お手間は掛けさせたくないですから」
そうして、僕らはアージェント領で一泊した後、帰ることにした。
アージェントさんは、僕らに弱味を1つ握られた形、になるのかな。……うーん、でもこれ、アージェントさんが勝手にそう思っているだけで、僕らとしては、ただ妖精の話を聞いただけなんだけれど……いいんだろうか、これ。
「よーし。これでとりあえず、アージェント家とはある程度対等に渡り合えるようになったな!」
けれど、フェイはとりあえず、喜んでいた。……フェイは飄々としていたように見えて、結構緊張していたらしい。アージェント家を出てちょっと歩いて、町外れに来てレッドドラゴンに乗ろうとして、そこで初めて手足が震えはじめて、レッドドラゴンに乗るのにちょっと時間が掛かっていた。
……うん。僕、フェイがこういう人間っぽい人で良かったと思ってるよ。
「さーてと、後はできるだけこっちに有利に条件を整えて……後はなるべくデカくハッタリかませるようにしねえとなあ……クロアさん、助けてくれるか?」
「ええ。勿論。フェイ君は私の雇い主の雇い主だもの」
フェイがレッドドラゴンの上からアリコーンの上のクロアさんに尋ねると、クロアさんはにっこり笑って答えた。
「こういう時こそ密偵の腕の見せ所よね。どうせ近々、アージェントは『どこから情報が漏れたのか』を探り出すでしょう。そうなったらボロが出るわ。そこを探っていれば自然と、相手の弱味が増えていく、という訳よね」
「……楽しそうだな」
「ええ。私、森暮らしも好きだけれど、多分、密偵の仕事もそれなりに好きなのよ。……特に、気に入った人達の役に立てる仕事なら、ね」
「成程な。それなら納得がいく」
アリコーンに2人乗りしているラオクレスとクロアさんは、互いに小さく笑い合った。楽しそうだ。なんというか、プロ同士の会話、というかんじがする。
「じゃあ、俺はこの後、親父と兄貴と相談だな。あとはクロアさんにもちょっと話、聞いてもらって……あ、トウゴ。お前、泊まってくか?」
「セレス兄妹を森で留守番させてしまっているから……」
「あー……じゃあ火の精寄越して2人にもうちに来てもらおう。うん。悪いけど、俺、今はお前らが近くに居た方が安心できるんだよなあ……」
フェイはそう言いつつ、やっぱりちょっと余裕のない表情をしている。
……そうだよね。自分の領地の危機だ。余裕を持っていろって言う方が無理だろう。
「あーくそ!トウゴのこの、のほほん、とした顔見てると落ち着くんだよなあ!」
「なんだよ、それ……」
なんだか納得のいかないことを言われてしまったけれど……まあ、いいか。僕を見てると落ち着くっていうなら、好きなだけ見てればいいよ。お役に立てるなら光栄ですよ。
それから僕らは、フェイの家に居ることになった。
……相談は、フェイとフェイのお兄さんとお父さん、そしてクロアさんの4名で行われている。こういう時、クロアさんはすごく頼りになる。ずっと貴族の間を暗躍していたみたいだし、今回もお世話になるんだろう。
「……大変なことになったなあ」
「そうだな」
僕はラオクレスと一緒に、レッドガルド家の中庭に居る。
中庭では、リアンとアンジェが遊んでいる。花が沢山あるから、見ていて飽きないんだろう。どうやらアンジェにくっついてきた妖精も何匹か居るみたいで、その妖精達は色とりどりの花を見て喜んでいる。平和だ。ここだけは。
「こういう時、クロアは役に立つが俺はさっぱりだな」
そんな中、ラオクレスは小さくため息を吐いた。……彼もこういうこと、思うんだなあ。
「せめて魔術に明るければ、何か別の方法で解決策を思いついたりするのかもしれないが」
そしてラオクレスは難しい顔で俯いた。
「……魔術で解決できるの?」
「解決できるかは分からないが、霊脈は魔力の流れだ。魔術に明るければ、分かることも多いだろう」
そっか。そういうものか。
……だとすると、僕も『さっぱり』だ。この世界の魔法のことが、未だによく分かっていない。
「あの、じゃあ、ちょっと調べてみようか」
少し悩んだけれど、結局、僕は立ち上がる。
中庭でのんびりしているだけだと、どうにも落ち着かない。フェイ達が悩んでいる時に、僕がのんびりしているっていうのは、なんか、嫌だ。
「何を調べる?」
「ええと、レッドガルド家の書庫、見ていいって言われてるんだ。だからそこを見て、霊脈って何なのか、もう少し詳しく調べてみようと思って」
レッドガルド家の書庫は、壁の全てが背の高い本棚で埋め尽くされていて、部屋はそれほど広くなくて、ちょっと圧迫感があって……落ち着く。僕、狭いところは割と好きだ。
「トウゴおにいちゃん。どうぞ」
「ありがとう、アンジェ。……あ、妖精さんと鸞も」
僕が本棚と本棚の隙間にすっぽり埋もれるみたいにして本を読んでいると、そこにアンジェと妖精がやって来て、本を数冊、積んでくれた。全部、霊脈について書かれた本、らしい。本を運ぶのはアンジェだけれど、高いところの本をとってくるのは彼女の鸞だし、本を選ぶのは妖精だ。……役割分担って素晴らしい。
「……何か見つかったか?」
「うーん……ちょっと、霊脈に詳しくなってきた」
リアンが僕の本を覗き込んでくるので、今読んでいるところを指で示してあげた。
今読んでいる本は、妖精チョイスの本だ。タイトルは『土地に根付く魔術の研究』。その中から霊脈に関するところを選んで読んでいるところだ。
『霊脈とは、土地に流れる魔力の流れのことを指す。霊脈上の地中には高品質の魔石や魔鉱が多く見られ、また、地表には魔獣が生息しやすい。魔獣以外の生物においても、霊脈の魔力の恩恵を受け、よく育つ』
大体はリアンやフェイから聞いた説明と同じだ。魔力の流れる川が、霊脈。
『土地に伝わる魔術の多くは、その土地に走る霊脈から魔力を得て行われている。また、古い結界や儀式の魔術では、効率的に霊脈から魔力を得る仕組みが備わっていた』
……あ、そっか。もしかして、森の結界がちょっと弱っていたのって、霊脈に影響されたから、なのかもしれない。
『霊脈は他にも地脈、霊線、龍脈などと呼ばれることもある(龍とは古代の生物であると考えられているが、その実態についてはドラゴンのことであるという説、大蛇であるという説など、諸説ある)』
そっか。色々な呼び方があるのか。……龍脈、っていうのはなんだか面白い。注釈もなんだか面白いな。そっか。この世界では『龍』はあんまり有名じゃないのか。確かに、ドラゴンっていうとフェイのレッドドラゴンみたいな方を想像するよね。なんとなく。
それからも本を読んだ。何冊も何冊も、読んだ。
僕も読んだし、ラオクレスも読んだ。リアンも読んだ。アンジェは本を見つけてきては僕らに分配する係。
……けれど、読んでも読んでも、似たような情報が多い。というか、新しい情報が少ない。
霊脈は魔力が流れる川みたいなもので、魔力が多い土地では魔石とかが多くて、魔術で霊脈の魔力をもらうことができて、霊脈にはいくつか別名がある……。そういうかんじだ。
「……何も解決に結びつかない」
「……そうだな」
僕もラオクレスも、少し疲れて本を閉じた。
霊脈のことが分かっても、対策にしにくい。うん。
僕らがしょんぼりしていると、同じように本を閉じたリアンが、いらいらしたように言いだした。
「なー、魔力がねえなら、他所から盗んでくれば?」
流石、元スリ。発想がすごい。
「駄目だよ。そんなことしたら、盗まれた人が困る」
「いいじゃねえかよ。だって、こっちだって盗まれたんだ!なら盗み返したっていいだろ!」
うーん……その理屈は分からないでもないのだけれど、でも、やっぱり良くないと思う。
今回の場合、盗む相手が王都かアージェント領ならいいのだけれど、そこから魔力を盗んでくるってどう考えても難しいし、そもそも、魔力って盗めるものなんだろうか……?
「……盗まれて困るぐらいなら、こっちだって盗めばいいじゃねえかよ。金とか食いものと一緒だ。限られた金や食い物を、金持ちばっかり持ってやがる。なら、俺達がそれを盗むしかねえんだよ。そうやって、生きて……」
リアンは色々、思うところがあるんだろう。少し熱の入った調子で話して、でも、途中で尻すぼみになって、言葉は消えてしまった。
それから少しして、リアンはぽつり、と、言った。
「……皆、幸せになれればいいのにな」
「……うん。そうだね」
寂しそうに、悔しそうに、でもリアンはそう言ってくれるから、僕は嬉しく思う。
「霊脈のことは分かんねえけどさ。そういうの置いといても、ほら、その、誰も腹が減ったり困ったりしないようになればいいよな。金持ちは金持ちでもいいから、俺みたいな奴にも、飯が届けばいいな、って、思う」
「……うん」
リアンの言っていることを実現するのは、難しいのかもしれない。限られたものを均等に分け合うなんてことは無理な話で、どこかを平等にしたらどこかが不平等になって……。
「あーあ。だったらさ、いっそ、全員が金持ちになれればいいよな。俺も金持ちで、トウゴも金持ちで、王様も金持ちで、っていう、そういう……そうは、ならねえんだろうけれどさ」
リアンは笑って、そう夢物語を語る。
そうだね。全員がお金持ちって、楽しいかもしれない。
限られたものを分け合うんじゃなくて、皆がお金持ちで、お金も食料も限られていなくて、沢山あって……。
……いや、ちょっと待て。
限られたもの?
限られたもの、なんだろうか?
霊脈って……絶対量が決まっているもの、なんだろうか?
霊脈を増産することって、できないんだろうか?




