17話:龍の寝床*1
それから僕は、依頼の絵をひたすら描き進めていった。
その間にも画廊の絵は売れたし、買う目的じゃない人が多く来るようになったし、とりわけ子供がよく来るようになったし、妖精は飴だけじゃなくてクッキーも焼いて配るようになったみたいだし……季節が移り替わった。
「すっかり寒くなったね」
「そうだな」
この世界にも一応、季節があるらしい。今は冬、っていうことなんだろう。……ということは、この世界に来た頃が春で、クロアさんが来た頃が夏だった?確かにあの頃は水浴びするのに丁度いい季節だったけれど……ええと、この世界って、夏は穏やかなんだな。うだるような暑さじゃなかった。
僕は寒いのは割と好きなのだけれど暑いのは苦手だから、この世界、最高かもしれない。
「依頼はどうだ」
「うん。大分進んだ。前から来てた奴はこれで全部終わり」
僕と話しながら、ラオクレスは薪を割っている。暖炉にくべる薪を作るためだ。……寒いから、暖炉を作った。ぱちぱちと薪がはぜる音や揺らめく火はなんだかそれだけで暖かくて、見ていてとても落ち着くので気に入っている。
「そうか。新しい依頼は来ているのか」
「うーん……大分減った。今持ってる依頼は4件くらい」
一気に20件来た時が異常だったのか、或いは評判が落ち着いたのか、僕への絵の依頼はあれ以来、少なくなった。
……もしかしたらアージェントさんが裏で何かやってるのかな、と思わないでもないけれど、まあ、確証も無いことだし。
「……アージェントの仕業か?」
「いや、そうとも言えないんじゃないかな。そもそも、一気に20件も来たのがおかしかったんだよ」
ちなみに今、僕はラオクレスを描いている。
薪に向かって斧を振り下ろす時の筋肉の緊張感や、次の薪を切り株の上に乗せる時に屈めた背中の丸みなんかは、ここでしか見られないものだ。動き続けるラオクレスを見ながら、その断片断片をひたすらスケッチしていく。楽しい。
「……そこに居て冷えないのか」
「うん。寒いのは割と好きなんだ」
僕が答えると、薪が割れるパコン、という小気味いい音が響く。あ、木の断面の色合いって結構明るいんだな。薪割りするラオクレスも見どころたっぷりだけれど、薪というか、木の勉強にもなる。楽しい。
「楽しそうだな」
「うん。楽しい」
それらを描きながら、次に描くのはどういう絵にしようかな、と考える。依頼の絵は何故か、森の絵が多い。天使の絵や妖精の絵、果物の絵や花の絵なんかが混ざることも多いのだけれど。
でもやっぱり、画廊に飾る絵も描きたいから、それはまた別で描いたりしている。最近は寒いから、暖炉の絵を描くことが多い。火が燃えている暖炉の絵とか、暖炉の前の絨毯の上に寝そべる天使の絵、とか、暖炉の前の揺り椅子で眠る美女の絵、とか、暖炉の前で剣の手入れをする騎士の絵、とか。……モデルが居るって素晴らしい。
次に描く絵は冬っぽい奴がいい。霜が降りた木の葉っぱとか。雪が降ったらそれを描きたい。
そう思いつつ、ふと、空を見上げると……。
「降ってきた」
「雪か?」
僕が手を出して待っていると、それはゆっくりと落ちてきて、僕の掌の上にぽす、と乗った。
「妖精だ」
それは雪じゃなくて、妖精だった。
「……妖精が降ってきたのか?」
「うん」
妖精が降ってきた。妖精は僕の手の中でぐったりしている。……大変だ!
「アンジェに見てもらってくる!」
僕は妖精をそっと手に包んで、アンジェの所へ急いだ。彼女は妖精の言葉が分かるようだから。
リアンとアンジェのセレス兄妹は、彼らの家の中に居た。……結局2人は、冬を越すまではここに居てくれることになっている。とりあえずは。うん。
ここは暖炉の火は暖かいし、最近導入したばかりの『お湯が出るシャワー』もいい具合らしい。冬を越すには悪くないとの評価を貰っている。
……暖かくて居心地がいいからか、この家には妖精が結構住み着いている。まあ、冬場は外も寒いだろうし。2人がいいならいいんじゃないだろうか。
「遠くから来たんだって」
アンジェは妖精の言葉を聞いて、僕に教えてくれた。
「それで、つかれちゃったみたい」
「そっか」
どうやら妖精は、疲れちゃっただけ、だったみたいだ。今、妖精は温めたミルクを小さな小さなカップで飲みながら、他の妖精達が焼いた小さなクッキーを齧って、アンジェのハンカチに包まって……ぬくぬくにこにこしている。温まったら元気になってきたらしい。よかった。
「……ここはいいところですね、って」
「どうもありがとう。もしよければ、君もこの森に住む?」
妖精はここが気に入ったらしい。僕が聞いてみると、妖精は表情を明るくして何度もうなずいた。更に、僕の指先をぎゅっと抱きしめるようにして、何か言っている。
「精霊様のおうちに住む許可をじきじきにいただけて、たいへん光栄です、って」
どうやらこれは妖精なりの握手とか、そういうものらしい。体格差があるから、こうなっちゃうのか。うん。
それから、新入りの妖精を見に来た他の妖精達は早速、新入りと仲良くなり始めた。妖精達が打ち解けた様子で飛び回っているのを見ると、これ綺麗だなあ、と思う。妖精はきらきらしていてとても綺麗だ。
「……最近、多いよなあ」
妖精を眺めながら妖精作のクッキーを食べていたリアンが、ふと零した。
「妖精。他所から来る奴ら」
「そうなの?」
僕は飛び回っている妖精をちょっと観察してみた。……あ、確かに。見慣れない顔が数匹混じっている。そっか。彼らも新入りか。
「なんか、元の住処が居心地悪くて、霊脈に沿ってこっち来たんだってよ」
「……れいみゃく」
なんだろう、れいみゃくって。
「……知らねえの?」
「うん……霊脈って、何?」
「魔力が流れる、川……?ええと、そういうやつ」
あ、そっか。うん。後でフェイに聞いてみよう。
「とりあえず、居心地が悪いところから引っ越して来たのかな、この妖精達」
「らしいぜ。アンジェがそう言ってた」
そっか。もしかして冬は妖精達の引っ越しシーズンなのかもしれない。
「あのね。この子のお友達は、この森より手前の、青いお屋根のおうちのお庭に住むことにしたって、言ってる」
……青いお屋根のお家。ここより手前。うーん、どこだろうか。
「……そのおうちね?入ってすぐのところに、天使の絵があるんだって。その絵が、アンジェとおにいちゃんに、そっくりなんだって!」
あっ、サフィールさんの家か!確かに屋根が青かった!
「そっか。じゃあ、アンジェとリアンを見て驚いただろうね」
「うん。おどろいた、って言ってる。この子は都会派なんだけれど、でもこっちの森に来てよかった、っても言ってる。……その、天使に会えてうれしい、って……」
アンジェははにかんで縮こまりながら、妖精を指先でつついて戯れている。この妖精は都会派で、天使のファン。成程。
多分、都会派はサフィールさんの家の庭に住んで、自然派はこっちの方に来た、っていうかんじなんだろうな。……妖精の引っ越し事情も色々あるらしい。
そう考えながら妖精作のクッキーを1つ貰う。素朴な味のクッキーは、食べると元気が出る味だ。うん。美味しい。何が入ってるんだろうか、これ。とにかく、このクッキーには僕の心の中にちょっと居場所を作っておきたい。
美味しいよ、と伝えたら、妖精達が喜んでいた。言葉にするって大事だ。特に、褒める時は。
引っ越し妖精はさて置き、僕はセレス兄妹と妖精の家でおやつをご馳走になった後、また、描き始める。……いや、描く前に、書く。
手紙だ。絵が描けたよ、というお知らせを届けなきゃいけない。
これが意外と大変だ。同じ文面を何枚も書くことになるし、それをフェイにお願いして配達してもらわないといけないし。
……なんでって、僕、住所不定らしいので。
森の中に住んでいるけれど、そこって住所に含めていいのか、微妙らしい。住所の割り振りがされていない、というか、下手に配達員さんが森に入ると中で道に迷うから、とか……。
……なので、僕宛の手紙はレッドガルド家に届くし、僕から出す手紙はレッドガルド家から出してもらっている。うん。申し訳ない。
僕もどこかに家を買うか何かさせてもらって、そこから手紙を出せるようにした方がいいんだろうか。或いは、配達員さんを介さないで手紙を届ける?……いや、流石にそれは非現実的か。鳳凰が居るとはいえ、国中を飛び回って手紙を出すには手が足りないし。
……ということで、僕はひたすら手紙を書いては封筒に入れていたのだけれど、それを隣で見ていたリアンが、ふと、言った。
「……なあ。俺、手伝うこと、ある?」
どうしたんだろう、と思ってリアンを見てみると、彼はもじもじしながら手紙の束をつついた。
「ほ、ほら。俺、奴隷だし。なのに働いてねえしさ、その……何か、やること、あったらやろうと思って……」
ああ、そういうことか。うん、成程。
多分、リアンは『何もしなくていいよ』っていうのが落ち着かないんだろう。常に働いていたんだろうし、働いていないと怒られたりしていたのかもしれないし。それを急に、『何もしなくていいよ』って言われても、落ち着かないだろう。うん。
「……でも、俺、よく考えたら字、ヘタクソだし……手伝えること、ねえや」
更にリアンはそう言ってしょんぼりするので、なんというか、僕としてはとても申し訳ない。
手紙を代筆してもらうわけにはいかない。リアンの字が下手とかそれ以前に、なんとなく、自分の手紙を自分で書かないのってよくない気がするから。
でも、薪割りとかは手が足りてる。ラオクレスが全部やってくれているから。
食事作りは実はもう、手伝ってもらっている。クロアさんと一緒にアンジェと妖精達が台所に居るのを何度も見ている。……うん。妖精が調理、できるらしい。クッキーも焼いてるし。結構すごいな、妖精。
「あー……配達とかなら、できるかな」
「森からフェイの家までも、結構かかるよ?」
「それくらいなら歩ける……いや、その鳥が飛んでった方が速いよな」
僕の隣の椅子の背もたれに止まっていた鳳凰を見て、リアンはまた、肩を落とした。
それからリアンはきょろきょろと辺りを見回して、何か仕事が無いかを探していたらしいんだけれど……。
「……ごめん。俺、何もできない」
そう言って、リアンは口をへの字にした。
「スろうとしたのに怒られねえし、こんなに、その、アンジェにもよくしてもらって、毎日飯もらって、あったかいベッドで寝かせてもらえて、風呂にも毎日入れてもらえてるのに……あれだけの金、かけさせておいて、俺、何も返せない」
……リアンもこういうこと、言うんだなあ。
もっと図太くて器用な印象だったんだけれど、案外、彼はそうでもなかったらしい。
ずっと思ってたのかな。それとも、最近、そう思うようになった?……そういえば最近は天使の絵ばっかり描くわけにもいかなくなったから、彼らをモデルにする頻度は減ったけれど。
……多分、ここで彼にかけるべき言葉は『気にしなくていいんだよ』なんだろう。
リアンは働かなくてもいいっていう状況に慣れるべきなんじゃないかな。本来、子供は働くものじゃなくて、遊んで、育って、学ぶものなんだと思う。
けれど今のリアンにそれを言っても、彼の気は済まないだろう。慣れるにしたって、もっとゆっくり慣れなきゃいけないんだ。
リアンがそういう生き物なら、僕はきっと、彼に仕事を何か任せるべきなんだろう。効率が悪いとか、そういうのは全部抜きにして。
……どういう仕事がいいかな。
まさか、本当に手紙の配達を頼むわけにはいかない。森の中のことならある程度僕も把握できるけれど、それでも、リアン1人でフェイの家まで行かせるのはあんまりにも危ない気がする。大体、時間がとんでもなくかかると思う。森の中って歩きやすくはないし。
なら、リアンに何か、召喚獣を出す?
うん。まだその方がいいと思う。彼の手伝いをしてくれて、彼と一緒に居てくれる召喚獣を、何か出そう。
それで、彼には召喚獣の世話をしてもらいつつ……。
……世話。
あ。
「ということで、リアンの仕事は馬の世話です」
とりあえず、リアンに任せられる仕事、1つあった。
そう。馬の世話だ。
……この森の馬達は、別に世話をしなくても生きていけるくらい逞しいのだけれど、でも、冬は寒いからか、ぬくぬくしていたい馬は僕が新しく建てた馬小屋に入り浸っている。
となると、小屋の掃除も必要だし、馬は時々お風呂に入れてやると嬉しそうだし……。うん。世話をしてくれる人が居ると、とてもいいと思う。
早速、馬に『集合』と言ってみたら、ぞろぞろとあちこちから馬がやってきた。
そして、僕とリアンを見て、『妹の方は居ないの?』みたいな、実に不服そうな顔をする。悪かったな。男ばっかりで。
「……なあ、こいつら何頭居るの?」
「数えたことないから……」
僕は馬を飼っている訳じゃないから、馬の数なんて数えたことがない。ええと、とりあえず沢山居る。うん。
「数は別に、どうでもいいんだ。ここに来たやつを構ってあげてほしい。撫でたりお風呂に入れたり。あと、怪我してる馬が居たら教えて」
「……それでいいのか?」
「うん。夜になったら馬達、勝手に寝るから。昼の間だけ」
ふうん、と言いつつ、リアンは馬の一頭にそっと近づいて、馬の脇腹を撫でた。
馬は気持ちよさそうに目を細めて、ふらふら尻尾を振っている。リアンを気に入ったらしい。
うん。仲良くなれそうで、何より。
「えーと、じゃあ俺、この馬に乗って手紙の配達とか使いっ走りとか行くよ。そういうのは得意だから」
それからリアンはそう言って、天馬の脇腹を撫でた。……うん。それはいいかもしれない。リアンがおつかいに行ってくれると、とても助かる。
……助かるの、だけれど。
「……ええと、乗れる?」
リアンの身長だと、まだ、馬に乗るの、難しいんじゃないだろうか……。
結論から言うと、難しかった。
年齢も年齢だし、何より小柄なリアンのことだから、ちょっと、馬に乗るのは難しい。
……うーん。
とりあえず、お使いの任務は保留ということにして、リアンには馬の世話だけ頼むことにした。
リアンは早速張り切って、馬小屋の掃除をしてくれている。
……馬達は、自分達のお世話をしてくれる人ができて、なんだかとても嬉しそうだ。
「……成程なあ。それでリアンが、ペガサスとユニコーンの世話してるのか」
「うん」
そして僕は、遊びに来たフェイに近況報告しつつ、リアンの仕事についても報告しておいた。
「ま、確かにお前の所から直接手紙を出せたら便利かもな。受け取るのはうちでもいいけどさ。お前だって、一々家を介して手紙出すの、めんどくせえだろ?」
うん。なんというか、フェイ達の手を煩わせるのは申し訳ない。
「そこらへん、召喚獣でなんとかできねえの?なんかこう、手紙を運ぶやつとか」
……ええと、つまり、伝書鳩?
伝書鳩の召喚獣か。えーと……可能、なんだろうか。
できたらいいな。うん。やってみようかな。伝書鳩。森は交通の便が悪いから、郵便物を行き来させる手段くらいはあってもいいのかもしれない。
僕が召喚鳩について考えていたら、ふと、フェイが漏らした。
「それはともかくとして、リアンの召喚獣は必要かもな」
「寒くなってきたから?」
「……いや、召喚獣ってのは暖を取るためのもんじゃねえっつの。うん……」
僕は管狐と鳳凰と一緒に寝てる。あったかいから。そして多分、フェイも火の精達と一緒に寝てる。絶対あったかいはずだ。
「寒さ対策じゃなくて、ほら。アージェント家対策だよ」
……けれど、問題は寒さよりも深刻かもしれない。
「一応、表立って色々やってくるとは思えねえけどさ、逆に、裏から手を回してくるとか、アージェント家とは無関係な立場を装った奴らに手を出させるとかはあり得るだろ?」
「うん」
つまり、護身用か。……ラオクレスやクロアさんなら、ある程度のことは自力で対処してくれそうだけれど、確かに、セレス兄妹には護衛の召喚獣が欲しいかもしれない。
「……多分、リアンは少し魔法が使えるし、アンジェも妖精と話すくらいだから魔法は使えるんだろ。でも、やっぱり子供だからよお」
「分かった。何か、2人につける召喚獣、出してみる」
強くて、頼もしくて、そしてあったかい召喚獣を考えよう。……護身第一とはいえ、やっぱり冬は寒いから。