13話:開かれた門に回れ右*4
改めて、手紙を見る。
差出人は『フィーダ・プラータ・アージェント』さん。アージェント家というのは、フェイの解説通り、この国で王様一家の次に大きなお家らしい。レッドガルド家よりもずっと力のある家だ、ということだけれど……全然実感が無い。なんだろう、レッドガルド家よりもずっと力がある、って。どういうことだろう。大きな森を持ってるってことだろうか。
……そして、そういう大きな力を持った家から、『お抱え絵師になりませんか』というお誘いが来た、というのが今回の手紙の内容だ。『レッドガルド家を辞めてうちに来ませんか』という、すごくストレートな言い方で、僕としてはなんというか、こう……すごい自信だなあ、と、思うしかない。
なんだろう、全然、自分のことだっていう実感が無いというか……。
「……とりあえずこれ、すごい人が僕にすごい待遇を申し出ている、っていう話?」
「あー、まあ、そういう話、だなあ……」
横から手紙を覗いていたフェイは、複雑そうな顔で頷いた。
「アージェント家かあ。お前も随分、出世したよなあ……」
「そういうものなんだろうか」
「おう。そういうもんだぜ。アージェント家に知られてるってことは、それだけで価値のあることだしな。要は、お前はこの世界の隅っこで絵を描いている奴じゃなくて、世界の真ん中に近いところで絵を描いている奴、って認められたってことだ」
……そう言われても、ちょっと困る。ええと、世界の隅っこ、好きなんだけれど。
「あー……お前が望むなら、アージェント家に」
「行かないよ」
フェイは、僕が誘いに乗るって思っているらしいのだけれど、僕としては、特に話に惹かれるものがないので、話を受ける気は無い。
だって、レッドガルド家のお抱え絵師を辞めるのは嫌だし。僕はこの森を気に入っているし。大体、この森の精霊になってしまったし……。
「ねえ、フェイ。これ、どうやってお断りすればいいだろうか」
なので僕の目下の悩みは、この話をどうやって断ればいいか、っていう、それだけなんだ。
「……いや、ちょっと待て、トウゴ。これはな?俺への義理とか、そういうの一切合切置いておいて、真剣に考えるべきところだぞ」
「そう言われても、僕、この人知らないし」
「ならこれから知ればいいさ。……な、トウゴ。これ、すごくでけえ話なんだ。アージェント家がお前をお抱え絵師に、って望んでるなら、それはとんでもなく高い評価を受けてるってことだぜ?」
「うーん……」
そう、言われても……。
……いや、フェイの言う通り、『これから知っていけばいい』んだろう。相手のことがよく分からないなら、相手のことを知った上で、それから考えて、断るべきだ。
でも、なんというか……。
「フェイは、僕がアージェント家に行った方がいいと、思う?」
「……俺がどう思おうが、お前が決めることだぜ、これは」
……フェイの元気が無いから、やっぱり僕は、手紙の誘いに気が向かない。
それから僕はなんとか、手紙の返事を捻りだした。
紺色の便箋に白いインクで書くいつものスタイルで、『よく分からないことだらけなので詳しいお話を聞かせてもらいたい』というような内容を書いた。監修は、クロアさん。
「そうね。この文章なら、嫌味に思われることは無いでしょう。アージェント家だって『不思議な画廊』のことは耳に入っているでしょうし、『人の世界のことはよく分からない』みたいな男の子が困って手紙を出してきたなら、決して無碍にはしないはずだわ」
「え、これ、そういう文章なの?」
まさか、僕が自分から『人間じゃありません』みたいなことを書いている、っていうことは無いよね?
「そうね。そういう文章だわ。ちょっと世間知らずで浮世離れしていて、ふわふわしたかんじの文章ね。……あなたらしくて私は好きよ」
そう言ってクロアさんはにっこりと、魅力的な笑顔を浮かべてくれる。
うん、まあ、色々と思うところはあるけれど、気にしないことにしよう……。
手紙を出してから、僕はそわそわして落ち着かなかったし、僕以上にフェイがそわそわして落ち着いていなかった。
「……フェイ、大丈夫?」
「え?お、おう。大丈夫だぜ?」
「管狐に潜られてるけど……」
「へっ!?……うわっ、本当だっ!おいおい、お前ら、俺はトウゴじゃねえんだから、服の中にまで入ってくるんじゃねえって!あー!こらこらこら!出ろ!くすぐるな!」
……管狐に潜り込まれるまで気づかないなんて、やっぱりフェイはぼんやりしているらしい。
駄目だよ、と言いながら、僕は管狐をフェイの服の中から引きずり出した。ずるずる、と出てきながら、管狐は満足気だ。うん、普段入れない隙間に潜り込めてよかったね。
「……ねえ、フェイ」
「ん?なんだ?」
僕は引きずり出した管狐を膝に抱えながら、フェイに聞いてみる。
「やっぱり、僕はアージェント家に行った方がいいんだろうか」
「……それも、お前が決めることだから。俺達は何も言えねえよ」
フェイはそう言って、すごく曇った表情を浮かべる。
……フェイは僕よりもこの世界のことを知っていて、僕よりも知識があって、僕よりも人と接するのが上手だ。
だから、フェイにしか見えていないものもあるんだろうし、フェイだけが感じているものもあるんだろう。
……僕はそれを知りたいと思う。知った上で、判断したい、と。
「フェイが何か思っていることがあるなら、僕はそれも含めて判断したい」
そう、僕は言ってみる。……けれどフェイは、苦笑いしながら僕の頭をわしわし撫でて、言うのだ。
「なら、アージェント家で話を聞いた後に、な。先に俺から話すんじゃ、こう、不公平だろ。アージェント家に先入観持たねえ方がいいだろうしさ」
……フェイの言葉の意図をなんとなく掴んでしまって、僕はますます困る。
けれど……うん。フェイの言う通りだ。一度、ちゃんとアージェント家の人と話してから、それから決めよう。
僕が出した手紙の返事は、翌々日に飛んできた。
金箔の箔押しの封筒に、銀色のキラキラした封蝋で封印。お金が掛かっていそうな封筒を開けてみたら、『ならアージェント家に来い』というような内容が書いてあった。
「やっぱりお家に行くことになってしまった」
「そりゃそうだ。『お前が森に来い』なんて言える相手じゃねえし」
そうなのか。それ、『森林浴はいかがですか』でも駄目だろうか。いや、駄目なんだろうな。うん。
「……フェイも一緒に来る?」
「いやあ……悪ぃけどよ、今回は俺はやめとくわ。話がややこしくなっちまう」
そっか。……アージェント家は『レッドガルド家を辞めて来い』って言ってる訳だから、確かに、そこにフェイが居たらまずいか。
「じゃあ、ラオクレスに付いてきてもらう」
「おう。そうしろ。……あと可能なら、クロアさんにも付いてってもらえ」
えっ。
「秘書とかそういうかんじでいいだろ。クロアさんならそういう役も演じられそうだし」
「え、あの、なんでクロアさん?」
クロアさんはどちらかというと今、外出しない方がいい身なんじゃないだろうか。
そう思ってフェイに聞くと……。
「お前がヤバくなった時、それが武力で解決できるならラオクレスでいい。でも、武力で解決できねえ問題は俺か、俺にできないならクロアさんだ」
フェイは、真剣な顔で、そう言った。
「……分かった。クロアさんにもお願いしてみる」
「おう!そうしてもらえ!な!」
フェイは真剣な顔を一転させて、笑顔で僕の背中をぱしぱし叩いてくれたけれど……うーん。
すごく、不安になってきた。
「どう?似合うかしら」
「うん。すごく綺麗だ」
それから僕らは、アージェント家にお邪魔するための準備を始めた。
まずはクロアさん。……僕の『秘書』ということにして、付いてきてもらう。だから格好もそれらしく揃えた。
黒いレースで飾った膝丈のドレスに、白いジャケット。どちらもタイトなデザインで、それに合わせてクロアさんは髪もきっちりまとめることにしたらしい。……なんとなく、秘書っぽい。
「……まあ、いざとなったら、多少は私が時間稼ぎしてあげる。アージェント家の奴なんて魅了したら後が面倒そうだけれど、緊急事態になったらそうも言っていられないわ」
……それ、僕はすごく心配だ。
「俺はこんな格好だが、実際に戦うとなったら間違いなく時間稼ぎも満足にできないだろうな。アージェント家の護衛が俺以下とは思えん」
ラオクレスには、格好良く鎧姿になってもらう。護衛っぽい。
……けれど、やっぱり、心配だ。
「俺はいざとなったらアリコーンを出してお前を連れて逃げる。いいな?」
「僕は鳳凰に頼めるから、クロアさんを運んでほしいんだけれど……」
「あら。私よりトウゴ君が優先よ。私はいくらでも逃げ延びてやるから、あなたが先に逃げて頂戴ね」
……うーん。
すごく、心配だ!
……心配だったけれど、心配していてもしょうがない。翌日、僕らはアージェント領へと向かって出発した。
アージェント領は、レッドガルド領から王都を挟んで反対側、という位置にある。……というか、王都の向こう側はしばらくずっとアージェント領らしい。物凄く大きな土地持ち、ということなんだろう。
僕らは王都の隅っこで一泊して(僕はクロアさんが捕まってしまうのではないかと気が気じゃなかった)、それから次の日の朝早くに出発して、更にアージェント領に着いた後、アージェント領の町で二泊する。
……どうしてこんな風に時間をかけるのかというと、僕らがアリコーンや鳳凰で飛ぶなんて、知られたくないからだ。
ドラゴンやアリコーンや鳳凰ならアージェント領まで2日で来れるけれど、他の移動手段……例えば、普通の馬車とかそういうので移動しようと思ったら、到底、2日じゃ間に合わない。
だから出発を1日ずらして、更にアージェント領でもちょっと時間を置いて、移動手段を誤魔化そう、という魂胆だ。
「落ち着かない」
「大丈夫よ。相手はあなたを欲しがっている相手だもの。手酷くはされないわ」
「お断りしたいだけだったんだから、直接会わない方がよかったかもしれない……」
フェイやクロアさんやラオクレスの反応を見る限り、アージェント家に行く時は相当気を引き締めていくべきなんだと思う。まさか監禁されたりするわけじゃないとは思うけれど、それでも、気を付けるに越したことは無い。
……どうしよう。緊張してきた。
「……まあ、お話が終わったら、アージェント領の町を見学していきましょう?描きたい風景、見つかるかもしれないわよ?」
「うん……」
でも、緊張しているだけじゃどうしようもない。今はクロアさんが言ってくれた通り、話が終わった後の楽しみを考えて落ち着こう。うん……。
あんまりよく眠れない夜を2回越えて、僕はようやく、アージェント家のお屋敷の前に立っていた。
「あの、上空桐吾です。フィーダ・プラータ・アージェント様からお手紙を頂きました」
アージェント家のお屋敷の前には立派な門があって、その門の脇にはまた立派な恰好の騎士の人が居た。なのでその人に手紙を見せると、どうやら既に話は通っていたらしい。彼は僕らを案内してくれた。
……そうして緊張しながら応接室で待っていると。
「君がトウゴ・ウエソラか」
やがて、応接室に1人の男性が入ってくる。
……髪も髭も銀色のおじいさんだ。彼は銀で装飾された黒檀の杖をつきながら、応接室に入ってきた。
そして、僕の前に立ったその人は、僕へ手を差し伸べながら、言った。
「儂がフィーダ・プラータ・アージェント。アージェント家の現当主だ。よろしく頼むぞ、トウゴ・ウエソラ君」
……僕はものすごく緊張しながら、その手を握って、とりあえず『お目にかかれて光栄です』とだけ言った。
……アージェントさんの後ろには、護衛の人が何人も居る。その人達はこの部屋の壁沿いに並んでぴしりと控えた。こわい。
「さて。では早速、商談といこうかな」
アージェントさんはそう言って僕らの向かいのソファに座りながら笑うけれど、僕は……なんか、なんだか、全然そういう気分になれない!
とんでもない人の前に来てしまった。そういう気がする!




