10話:開かれた門に回れ右*1
「……ってことで、夜の森の絵が1枚と、昼の森の絵が1枚、それから天使の絵が2枚。あと騎士の絵を1枚だってさ」
「ちょっと多くないかな、それは」
フェイが依頼を持ってきてくれたのだけれど、急に増えてしまった。どうしよう。
「あらあら、随分急に増えたわね。どうしたのかしら」
「それがさあ、サフィールさんのところに客が来て、玄関ホールの絵を見て珍しがったんだとさ。こういう画風は珍しいな、って」
そういえば水彩は少し珍しいんだっけ。うーん、そうか。
「そこでサフィールさんが絵を自慢して、それから絵師に取り次ぐならレッドガルド家にお願いしろ、って紹介したらしくってさ」
「……それで一気に5枚?」
「そ。ちなみに客は3人な。1人が森の絵2枚に天使1枚の人。後は天使と騎士を1枚ずつだって」
うわあ……な、なんというか、どうしよう。困ったな。まさかこうなるとは思ってなかった。
「で、どうする?とりあえず人数が人数だったから、話だけ聞いて後は家の客間で泊まってってもらうことにしてあるけどよ」
ええと……ええと、どうしよう。
どうしよう!
……ずっと困っている訳にもいかないので、レッドガルド家に移動した。急ぐのでレッドドラゴンに乗せられて、そのまま超特急。うーん、速い。鳳凰も十分速く飛ぶんだけれど、やっぱりドラゴンの方が速いなあ。
「……緊張してきた」
「そっかぁ。お前、結構緊張する性質なんだな」
うん。多分。
「ま、気楽にいけよ。な?」
うん……それができれば苦労しないんだけれど。
それから僕はレッドガルド家の応接間でフェイとラオクレスと並んで座って、その向かい側にお客さん達が並んで座っているのを緊張しながら見ていた。
1人は恰幅の良いおじさんだ。僕を見てにこにこしている。もう1人はサフィールさんより少し年上くらいの男性。彼も興味深そうに僕を見ている。そして最後はおばあさん。嬉しそうに僕を見ている。
……見られているのって、やっぱり、緊張する。すごく。
「彼がうちの絵師です。トウゴ・ウエソラ。まだ若いですが、腕はいいですよ」
フェイからそういう紹介をされて、僕はぺこりとお辞儀する。するとお客さん達3人も会釈してくれた。
「……しかしまあ、こいつ、仕事をとるようになってからまだ日が浅くて。一度に5枚も描けるかっていうのは俺も心配してるんです」
フェイは僕が一番心配していることをさらりと言ってくれた。そしてその言葉に、お客さん達も『そうだろうなあ』みたいな顔で頷く。
「……で、トウゴ。どうだ?5枚、描けそう?」
「ええと、時間があれば、なんとか」
けれど幸いにも、今回の依頼は全部、描いたことがあるモチーフだ。天使を捕まえに行ったり石膏像を買いに行ったりしなくても大丈夫。特に、森の絵なんて、僕にとっては自分の手を描くようなものだから、そこは安心。
「あら、本当!?私、3枚も注文してしまっているけれどいいのかしら?ああ、勿論、急ぎではないの。半年ぐらいで出来上がれば十分だわ」
「はい。それなら何とかなると思います」
僕が答えると、お婆さんは嬉しそうに僕の手を握ってくれた。うん。半年ももらえるなら、十分すぎるくらいだ。なんなら3週間でも十分なくらい。これは水彩画の特権。
「うちももうすぐ子供が生まれるんだ。そこでサフィールのところにあるような天使の絵を一枚、うちにも描いてほしくて」
「大丈夫です。モデルはまだ居るので描けます」
今回は天使を捕まえ終わったところからスタートだ。何なら、サフィールさんの家の依頼の後にも天使を描いているし、慣れてきたから大丈夫だと思う。
僕が答えると、男性も僕の手を握ってにっこり笑った。
「お守りに一枚、我が家を守る騎士の絵を頂きたくて。いや、うちは商売をしているものですからあんまり物々しいのも良くないが、あなたの描く絵は柔らかくて暖かい。そういう絵なら見えるところに飾っておいてもお客様にも失礼にならないだろうと思いまして」
「……お守りになるかは分かりませんが、そういう騎士の絵も多分、描けると思います。騎士もモデルは居るので」
天使も居るけど騎士も居る。モデルが沢山いる森でよかった。お守りになる絵、っていうのは難しい気がするけれど、でも、精一杯やってみよう。
この『騎士の絵』が一番難しいかもしれない。何と言っても、お守りになるラオクレスなんて描いたことが無い。……まあ、ラオクレス自体は何度も何度も何度も何度も描かせてもらってるから、多分、大丈夫、だと思う。うん。
これも承諾したら、恰幅の良い男性は愛想の良い笑顔でお礼を言いつつ、僕の手を握ってぶんぶん振った。
それからお客さん達に、発注表を書いてもらうことにした。
描くものや絵の大きさ、色合いの要望、納品の期限……そういったものを書類にしてもらっておかないと、5つともごちゃごちゃになりそうだったから。
「……本当に5枚とも引き受けるのか?」
「え、うん……」
お客さん達に発注表を記入してもらっている間、ラオクレスが僕にこっそり聞いてくる。
「何かまずかったかな」
「いや、お前がいいなら構わないが……5枚は負担ではないのか」
「うん。だって僕、1週間で天使の絵、4枚ぐらい描いてる」
つまり、好き勝手描いていいなら、2週間ぐらいあると5枚ぐらいは描けることになる。依頼の絵でも、4週間くらいあれば5枚いけるんじゃないかな。うん。特に問題はない。
「……そういえばそうだったな」
「うん」
これが、嫌いなことを5つやれ、っていう依頼だったら辛かったと思う。けれど、絵を描くことなら楽しいし、苦にはならない。……唯一ちょっと心配なのは、僕がこうやって絵を仕事にしていく内に、絵を描くことが嫌になってしまうことなのだけれど……その時はその時で考えよう。とりあえず、今は楽しい。それでオーケー。
やがて、お客さん達は発注表を書き終わった。……みんなのんびり屋さんらしい。結構長めに期限を設けてくれているから、こちらとしても気が楽だ。
こうして僕は5枚分の絵の依頼を受けて、それを持って帰って、早速それらを描き始めることにした。
その日の内に、天使の絵を描き始めた。最近はずっと天使の絵を描いていたから、丁度いい。そのままの勢いで2枚、下描きを終えてしまう。
1枚はサフィールさんのお友達の男性のための絵だ。つまり、生まれてくる赤ちゃんのための絵。だからまた、幸せそうな天使の絵を描く。ただ、今度は賑やかな画面にしてほしい、っていう要望があったので、天使が居る場所はベッドの巣じゃなくて花畑だ。
色とりどりの花に囲まれながら花の冠を編む天使2人。その花冠は、生まれてくる赤ちゃんのためのもの。こういう形で、生まれてくる赤ちゃんへの祝福にしたい。……ちなみに花冠の作り方指導はクロアさん。お世話になります。
それからもう1枚の天使の絵は、森の中の天使の絵、ということだったので、緑たっぷりの画面の中、高い木の枝に座ってにこにこしている天使の絵を描いた。
こちらの依頼主はお婆さんだ。あのお婆さん、森が好きなんだそうだ。昔はお家の傍に森があって、そこでよく遊んでいたらしい。今は開発によって森が切り開かれてしまったけれど、と、お婆さんは話してくれた。
……こうして2枚の天使の絵が描けたので、そのままお婆さんからの依頼の森の絵を2枚、描いていく。
昼の森は鮮やかな翠。夜の森は落ち着いた色で。
夜の森は……月光を集めた竹の周りに集まってくる妖精と馬の絵でもいいかな、と思ったのだけれど、多分、お婆さんが想定する『森』には竹が含まれないだろうな、と思ったのでそれはやめておくことにした。
代わりに、夜の森の絵は普通の木々の間を妖精がふわふわ光りながら飛び交う様子を描くことにした。うん、蛍っぽい。
……依頼を受けてから15日くらいで、4枚の絵が描き上がってしまった。
今回は森の絵を一度描き上げてからなんとなく納得がいかなくてもう1枚描き直したり、天使の絵も構図を考えるために何枚かラフスケッチしてから下描きに臨んだりしていたのだけれど、それでも15日でなんとかなってしまった。うーん、びっくりだ。
最後に残ったのは、騎士の絵だ。これはもう、構図も決まっている。イメージはばっちりだ。
「……本当に俺でいいのか」
「うん。ラオクレス以上の騎士は居ない」
ラオクレスは絵のモデルになることに少し抵抗というか、遠慮があったらしい。けれど、僕は騎士像を描くならやっぱり彼を描きたい。
鎧兜に剣と盾をしっかり身に着けた彼は、最高に格好いい。元々の石膏像ぶりがますます凛々しくて、絵に描いたらさぞかし勇ましいだろうと思う。
……けれど今回の依頼は、『柔らかい騎士像』だ。お守りになりつつ、威嚇はしない。そういう絵にしたいので……ラオクレスには、兜を外してもらった。
盾をつけた腕で兜を抱えて、もう片方の手は剣の柄におく。そしてラオクレスにはこちらをじっと見てもらいつつ、ちょっと、笑ってもらった。
風の中、兜を外してじっとこちらを見つつ険しくはない表情を浮かべている騎士。
……威嚇しないお守りとしては、いい具合じゃないだろうか。すぐに戦うわけではないけれど、必要とあらばいつでも戦える騎士の絵だ。
あとは、絵の描き方を少し工夫する。滲みやぼかしを多くして、あまりはっきり光は描かずに、ぼんやり仕上げる。そうすると、柔らかい雰囲気になって、モチーフの勇ましさや剣呑さが和らぐような気がする。
全体的に煙るように滲んだ色は背景と溶け合って、なんとなく現実味の無い画面になる。それがまた、ラオクレスを『人間っぽくない』様子に見せている。戦いの神様とかが居たら多分、こういうかんじだ。
……こうして僕は、20日くらいで依頼の絵を全部描き終わってしまった。
「よし。さっそく届けに行こう」
「待て。あまり早く行かない方がいい」
描き上がった絵を届けるために、早速『レッドガルド家へお越しください』の手紙を書こうとしていたら、ラオクレスに止められてしまった。
「もう少し待たせておけ。2月くらいは待たせてもいい」
「……早い方がいいんじゃないだろうか」
「お前がこの速度で描けると知れたら、後々厄介なことになるだろう」
……厄介なこと?そういうもんだろうか。うーん。
「せめてあと1月待て。それから絵を届けても、文句は1つも出ないだろう」
ラオクレスがそう言うなら、そうしようか。僕としてはできるだけ早く祝福やお守りを届けたいところなんだけれど……ラオクレスの言うことも、分からないわけではないし。その辺りの感覚は、僕よりも絶対にラオクレスの方がしっかりしてるだろうし……。
暇になってしまった1か月の間、僕は絵を描いた。うん。当然。
……ただ、絵を描く以外にも、ちょっとは働いた。ええと、森のメンテナンス。
僕が一度魔力切れになって倒れてしまったから、森の結界がちょっと不安定になっているんじゃないかと心配になって、もう一度遺跡に行って結界を修理してきた。
ただ、ちょっと心配しすぎだったような気もする。結界は至って普通で、僕が修理しようと魔力を注いだら、ますます元気な結界になってしまった。うーん、やりすぎたかもしれない。
それから、森の生き物の管理もメンテナンスの内だ。
僕の頭の中に森があるから森の中の様子は全部分かるのだけれど、やっぱり、実際に会ってみた方がいいと思った。なので、森中を回って、森に住んでいる生き物に挨拶して回った。
兎とか鹿とか、鳥とか。蛇とかネズミとか。そういう森の生き物達は、僕を見ても逃げたりしなかった。ちょっと興味深げに寄ってきて匂いを嗅いだり、僕の手の中に潜り込んできたり、近づいてきて擦り寄ったりと、そういうフレンドリーな対応をしてくれた。どうやら彼らは僕がこの森の精霊だって分かっているらしい。賢い。
僕はそんな彼らの絵を直接見て描かせてもらったり、彼らにじゃれつかれたり、僕の代わりにリアンとアンジェが兎まみれになっているのを眺めたり描いたりしながらのんびり過ごす。
……1か月の休暇って、なんというか、ちょっと、新鮮だ。今までとやっていることはほとんど変わっていないのだけれど、なんか、こう、仕事ができたら休暇もできた、というか、メリハリができたというか、うーん……不思議な感覚だ。
そうして依頼を受けてから2か月。
……その日は随分と冷え込んで、ちょっと冬っぽかった。そういえば最近は水浴びが辛い気温になってきている。そっか。この世界も季節があるのか。ということは、雪が降ったりするんだろうか。雪と一緒に宙を飛び交う妖精はさぞかし綺麗だろうし、月明かりの下、雪の積もった地面に蹄の跡をつけて歩く馬はさぞかし綺麗だろうし、雪遊びする天使はさぞかし綺麗だろう。描きたい。
でもその前に、住まいを暖かくすることが先決かな。馬だって寒いだろうから厩をちゃんと作りたいし、鳥小屋や兎小屋なんかも作った方がいいかもしれない。
あと、お風呂。そろそろ王都の宿にあったシャワーを実装しよう。温かいシャワーを浴びて湯船に浸かって、温まってよく寝て健康に過ごしてもらいたい。
……と、そんなことを考えつつ、僕はようやく、『絵が描けました』の手紙を書いていた。
依頼主の3人に向けて書いた手紙は封筒に入れて、その綴じ目に封蝋を垂らす。そして最後に封印を押して、完成。
……手紙を出すとなった時に、クロアさんが『封印くらいはしておきなさいね。舐められるわよ』と教えてくれたので、一応、作った。
封蝋、と聞いて真っ先にイメージするのは生成りの封筒に赤い封蝋がついている様子なのだけれど、赤はフェイの色だからやめておくことにした。
そのことをフェイに相談したら、『じゃあ白にしとけ!』とアドバイスをもらって、ついでに紺色のレターセットをくれた。なので僕はミルク色の封蝋と真白いインクを描いて出して、それで手紙を書いた。紺色の便箋に白いインクが走ると、ちょっと星空っぽい。フェイはお洒落だなあ。
出来上がった手紙は鳳凰に預ける。すると鳳凰はレッドガルド家まで飛んでくれて、レッドガルド家から先はフェイの召喚獣が運んでくれることになっている。
……その内、森から手紙を出すための召喚獣とかも出した方がいいだろうか。
手紙を出して数日で、絵の引き渡しの日が決まった。そして僕は3人のお客さんにそれぞれ絵を渡して、代金を貰ってしまった。
……1枚金貨40枚だ。小さめの絵は金貨20枚だったけれど、大きめのやつは40枚。
今回の5枚の絵で、金貨160枚。
なんというか……いいんだろうか?
「ありがとうね。これでお茶を飲みながら森が見えるし、眠る時には夜の森が隣にあるのね。しかも玄関には天使が居てくれるなんて、とても素敵」
今回、3枚も絵を注文してくれたお婆さんは、そう言ってとても喜んでくれた。喜んでもらえるのは嬉しい。
「ねえ、あなたのこと、私のお友達にも紹介していいかしら?彼女もきっと、あなたの絵を気に入ると思うの」
「え、ええ。それは構いませんけれど……」
「そう?なら、近々私のお友達が依頼をすると思うわ。もしよかったら受けてあげて頂戴ね」
お婆さんはそう言って、僕と握手して帰っていった。……うん。
ええと……まあ、喜ばしいことだ。うん。何というか、現実味が無いけれど。
それから更に数日後。
「おーい!トウゴ!」
森にまた、フェイが来た。レッドドラゴンで。
……そこでフェイは、言った。
「依頼だ!」
フェイが出してくれたのは、発注表の束だ。うん。束。
……どうやら、依頼がすごい数になってしまったらしい。




