8話:天使捕獲作戦*7
「お帰りなさい。……予想以上のお土産ね」
「うん。ただいま」
森に帰ったら、クロアさんがびっくりしていた。うん、まあ、そうだろうとは思ってたよ。
「とりあえず、おつかいのもの。パンとケーキとクッキーと茶葉とナイフ。綺麗な小石とガラスの欠片」
僕はそれらを机の上に並べて見せる。するとクロアさんはガラスの欠片を手に取って、にこにこと笑った。
「ありがとう。いいお土産だわ。……ふふ、これを見るだけで、あなたがどこで天使さんを見つけてきたのか、大体分かるもの。素敵ね」
クロアさんはそう言って、大切そうにガラスの欠片をまた机の上に置いた。
「あと妖精」
「えっ?」
僕はそこに、妖精を出す。袋を開けると、中から出てきた妖精達が次々と飛び出して、机の上に整列した。はい、お土産です。
「……まさか妖精が来るとは思ってなかったわ」
クロアさんは机の上に並んだ妖精の1匹を指先でつついて、くすくす笑った。
「この森、大分賑やかになるわね?」
「うん。天使が2人と妖精がたくさん増えるから」
妖精はクロアさんのことが気に入ったらしくて、早速動き出している。クロアさんの指先や髪の毛の先で遊んではきゃらきゃら笑っていた。……それでも、リアンやアンジェとの遊び方よりは大分遠慮がちだ。お気に入りのぬいぐるみに触る時と、綺麗なビスクドールに触る時くらいの差がある。リアンとアンジェは天使だけれど、クロアさんは妖精の国の女王様なのかもしれない。
「ふふ、ありがとう。素敵なお土産だわ!」
クロアさんは指先でつついていた妖精をそっと放すと、楽しそうにくすくす笑ってそう言った。
「ちなみにこの妖精さん達、どこに住むのかしら?」
「花畑がいいかなって思ってる。クロアさんの家の近所になるけれど」
「あら、素敵。それならいつでも妖精付きの風景が楽しめるってことね」
それでいい?と妖精に聞いてみると、妖精達は綺麗に整列して、何度も頷いてみせてくれた。うん、なんか畏まられている気がする。
「……この妖精さん達はあなたのこと、敬愛してやまない、っていうかんじね」
「うん。なんでだろうか……」
僕としては、リアンやアンジェにするみたいに遊び道具にしてもらって構わないんだけれど、妖精達は僕の指の先にそっと触ったり、髪の先や服の裾にそっと触ったりするだけだ。その度にきらきら輝くような笑顔を浮かべられてしまうので、僕は何も言えない。
「まあ……よく忘れちまうけどよ、お前、精霊なんだよなあ」
うん。
「やっぱり妖精としても精霊にお声がけ頂けるのは別格なんじゃねえの?」
そうなんだろうか。そう言われてもちょっと困る。
けれど、僕らの会話を聞いていたアンジェが、妖精の内の1匹と何か話して……そして、もじもじしてはにかみながら、言ってくれた。
「その、いだいなる精霊さまにお会いできて、お家へのご招待まで頂いて、光栄です、って……」
……そっか。うん。まあ、喜んでくれるなら、何よりなんだけれど、うーん。
やっぱり僕、人間、やめてしまったんだなあ……。
それから僕は、セレス兄妹のための家を簡単に整備した。
とは言っても、お客さんがすぐに泊まれるように整備はしてあったので……大きな仕事はベッドを1つ移動させるだけだったけれど。しかもそれ、僕の仕事というよりは、ラオクレスの仕事になってしまったけれど。
……ラオクレスがベッドを1部屋に2つ運んでくれたので、セレス兄妹はこれで2人で眠れるだろう。久しぶりに再会できた兄妹だ。多分同じ部屋で寝たいだろうし、もし部屋を分けたくなったら、またラオクレスにお願いすることになるけれど、まあ、その時はその時。
それから僕は、花瓶を1つ、描いた。
コマツグミの卵みたいな色の焼き物で、ころんとした形をしているものだ。金で装飾が少し入っているだけの、シンプルな奴。
それを2人の家に置いて、更にそこに花を活ける。花はクロアさんが選んでくれた。これで妖精が遊びに来ても大丈夫。
「じゃあ、そろそろご飯にしようか」
「お、おう……」
そうして2人の家の整備も終わったので、早速、夕食。
……ちなみに夕食はクロアさんが用意してくれる。いつもお世話になってます。2人分増えて、クロアさんもますます大変だ。うーん、ご飯を作れる召喚獣とかを出した方がいいだろうか?
夕食を食べる人数が増えたので、とても賑やかな視界になっている。
フェイとラオクレスとクロアさん、それにリアンとアンジェのセレス兄妹。ついに、食卓に着いている人数が僕含めて6人になってしまった。増えたなあ。そろそろ僕の家だと手狭になってきた。
「……なんか、変なかんじだ」
そして、ご飯を食べながら、リアンがふと、そう言った。
「あら、お口に合わなかったかしら」
「い、いや!すごく美味いよ!けど、その……なんか」
リアンは気まずげに、ぼそぼそと呟く。
「……あの、俺達、ここに居ていいの?」
「うん。居てもらわなきゃ困る」
けれど僕としては当然、居てもらわないと困る。折角捕まえてきた天使だ。描き終わるまでは空に帰してあげない所存だ。
「明日1日は休憩の日にしよう。いっぱい休んでほしい。明後日からは君達にモデルさんをやってもらうからよろしく」
「え、ええと、それ以外は?」
……それ以外?
「その、掃除とか洗濯とか。農作業とか、そういうの……」
「ええ……特に無いなあ」
「な、なんでだよ……」
いや、なんでって言われても。逆に、なんでモデルさんに掃除とか洗濯とかさせなきゃならないのかっていう、そういうかんじなんだけれど……。
「あ、あんた俺達のことなんだと思ってるんだ?奴隷だぞ?俺もアンジェも、あんたが買った奴隷だぞ?」
「うん、天使」
「天使天使って言うけどよお……」
うん。天使だ。早く描きたい。でも2人とも小さいんだし、あんまり無理はさせられない。明日は2人の休日だ。
「ふふふ、しょうがないわ。諦めなさい、坊や。トウゴ君に連れてこられたらこういうかんじよ。しょうがないの」
クロアさんがくすくす笑いながら、リアンの頭を撫でる。……年上のお姉さんに撫でられたら、天使も黙るしかない。困惑しながらもリアンはとりあえず、納得することにしたらしい。
「……どうしてもということなら、依頼の絵が描けた後なら幾らか仕事を教えるが」
「そうね、怪我をしないようなお手伝いならしてもらってもいいかしら」
「でもなー、子供の仕事は元気に育つことだぜ。あんまり働くことばっか考えるなよな」
うん。2人とも、天使で子供だ。一番はやっぱり、健康で居てくれること、だと思う。
……健康な方が、描き甲斐があっていい。
その日はその後、セレス兄妹をゆっくりお風呂に入れて温めて、清潔な寝間着を着せて、2人の家に運び込んでベッドの中に入れた。
もうアンジェはうつらうつらしていたので、ベッドの中に入れてみたらあっという間に寝付いてしまった。真白い布団と毛布の中に埋もれて寝ている姿は、雲の切れ端をベッドにして寝ている天使の姿に見える。これも描きたい。
「……なあ」
「うん」
「本当に、いいのかよ。こんなの、なんか……」
「いいんだよ。君が勝ち取ったものなんだから」
リアンは落ち着かなげにベッドの上でもぞもぞしていたけれど、僕がそう言うと、びっくりしたような顔をする。
「君の美しさは君のものだし、そこに表情を付けるのは君だ。君に表情が付いて、動きが付いて、感情もついて……それで、僕には君が魅力的に見えた。描きたいって思った。それは君が勝ち取った僕からの評価だ」
……急に与えられてしまった評価に戸惑う気持ちは分かる。僕もそうだった。
「けど、そんなこと、今まで誰も」
「うん。だから巡り合えて運がよかった。お互いにね」
けれど、まあ、僕は彼を評価してしまっているので。それだけで、彼がここに居ていい理由は生まれてしまっているので……後はのんびり、それを分かってもらうしかない。
「じゃあ、お休み。明後日からはモデル、やってもらうからよろしくね」
「お、おう……」
僕が扉を閉めると、リアンはぼんやりしたままベッドの上に座っていたのだけれど、やがてアンジェの方を見て、ほっとした顔をして……それから気合を入れるように勢いよくベッドに潜った。うん。おやすみなさい。
次の日、僕はひたすら妖精を描いていた。
彼らはひらひら飛び回っているけれど、お願いしたらちゃんと花の上に止まってポーズをとってくれるので、そこをさっとスケッチさせてもらう。
それからまた水彩絵の具を出してはさっと着色していく。うん、これが中々、楽しい。
妖精の恰好は大体人間と同じだから、描き方としては大体人間と同じだ。骨格も肉の付き方も、人間をそのまま小さくしたようなかんじに見える。
けれど、何せ、綺麗だ。妖精はきらきらしていて、すごく綺麗だ。だから、そのきらきらする光の色合いを着色で上手く表現したい。……けれど、このきらきら煌めくかんじは、もしかすると、水彩よりも油彩の方が上手く表現できるかもしれない……。
お昼頃になると、リアンとアンジェが森で遊び始めた。リアンはまだぎこちない様子だけれど、アンジェは幼いからか、早速森に馴染み始めている。
木の皮が変わった形になっているのを見つけたり、花を眺めて喜んだり、草原で走り回って寝転んだり。色々とやってははしゃぎ回っていた。
「楽しそうだなあ。うん、なんか俺、安心したぜ」
「うん。僕もだ」
フェイと一緒に2人を見ながら、僕はどういう構図で絵を描くか考え始める。
遊び回っている2人はこれだけでも十分に天使らしいのだけれど、依頼の絵は『人間を祝福する天使の絵』だ。2人の天使には人間を祝福してもらわないと困る。
それに、これは玄関ホールに飾る絵、らしい。ということは、ある程度見栄えのする絵じゃなきゃいけない、と思う。色々な色を使って思い切り華やかにいくか、色数を絞って落ち着いた絵にするか。
うーん……迷いどころだ。色味は構図次第、ということになるかもしれない。となると、どうやって2人の天使に人間を祝福してもらうかを考えないといけない。
サフィールさんの家の赤ちゃんが無事に生まれてくるように祈る絵だし、赤ちゃんの生誕を祝う絵になってほしいし。
……うーん。
「ちょっと人間を祝福してみてほしいんだけれど」
「はあ?」
休日のところ申し訳ないのだけれど、リアンに聞いてみた。
「……祝福って、なんだよ」
「……祝福って、なんだろう……」
聞いた僕が言うのも何だけれど、祝福って、なんだろう。
隣に居たフェイに聞いてみる。
「ねえ、祝福って、なんだろうか……」
「は?えーと……うーん、あ、そうだ。えっとだな。祝福ってのは……人間に対して、幸せになーれ、ってやるやつ、だと思うぜ?うん」
そっか。それでいいのか。了解。
「……いや、ちょっと待て。俺の説明、ヘタだな?『幸せになーれ』って、そりゃないよな!?」
「ううん。それでいいと思う」
フェイの気持ちは何となく分かる。まあ、天使の祝福って、本当ならそこに不思議な力が働いたりするのだろう。けれど、それ抜きにしたら後に残るのはきっと、『幸せになーれ』だけだと思う。だからこそ名前が『祝福』なんだろうし。だからフェイは間違ってない、と思う。多分。
……けれど、それを聞いたリアンは困ってしまったらしい。
「はあ?そんなこと言われたって、んなこと思ったことねえし……」
そんなことをぼそぼそと言いつつ、何やら考えて、それから思い当たったように言った。
「大体さあ、スリなんてやってるガキが誰かに『幸せになーれ』なんて思う訳ないだろ!」
……そう言われてしまうと、そうか、としか言いようがない。
リアンは、お父さんが借金を作り続けて、アンジェが売られてしまって、アンジェを買い戻す為に1人でずっとスリなんてしていて……そんな日々の中で、誰かを祝福する気持ちになんて、なれるはずがない。
彼が今までどうやって生きてきたのかなんて僕はほとんど知らないけれど、今までの人生の全てがそんな調子だったなら、確かに、リアンは……。
「……けど、今は、ちょっと思ってる」
リアンはそう言って、顔を上げて、青空を切り取ってきたみたいな目で僕を見た。
「あんた達は幸せになっていいよ。うん。そうしてくれよ」
咄嗟に何も言えずに居たら、リアンは焦ったように言葉を継ぎ足していく。
「ほ、ほら、あんた達はアンジェを助けてくれたし。俺もクソ親父から離れられて清々したし。あと、飯、美味かったし。ベッドふわふわだし。おかげでアンジェ、ぐっすり寝てたみたいだし、今も楽しそうだしさ……」
アンジェの方を見ると、彼女は花畑で妖精と一緒に踊っていた。くるくる回って、尻餅をついて、それからけらけら笑い声を上げる。そしてリアンや僕と目が合うと、はにかんだような笑顔を浮かべて、小さく手を振るのだ。
それを見てリアンはちょっと嬉しそうに笑う。僕の鞄から袋をスった時からは考えられないような表情だ。
「……あんた達がなんでこうしてくれるのか、まだよく分からねーけど……これも俺が勝ち取ったもんだって言ってくれたのもやっぱり意味分かんねーけど、でも、嬉しかった」
リアンはアンジェの方を向いたまま、そう言った。
「だからその分は、返してやってもいい。俺にもアンジェにも、あんた達が欲しいものなんて出せそうにねえけど、だから、その……『幸せになーれ』って思うくらいは、してやっても、いいよ」
耳の端を赤くしながらそっぽを向いてそう言うリアンを見ていて、ふと、先生の事を思い出した。
僕も先生から色々なものをもらった。それが今の僕を形作ってる。
どうして先生が僕に色々なものをくれるのかは分からなかったし、今だって、全部の理由が分かる訳じゃない。けれど……うん。同じだ。リアンと、同じ。
受け取った分を返したいと思う。それこそ『幸せになーれ』だ。
そっか。人の幸せを願える人って、幸せを受け取った人だけなんだ。祝福できる人って、祝福された人なんだ。
……つまり、僕が描くべき天使は、『人を祝福する天使』であって……『人に祝福される天使』なんだろう。
考えていたら、段々と頭の中に絵の構図が浮かんできた。
それは、幸せそうな顔をした天使だ。
今まで人間のせいで辛い思いをしてきて、人間を警戒していて……だけど幸せになって、そして、初めて人を幸せにしたくなった天使の、そういう顔。
……うん。これ、描きたい。




