5話:天使捕獲作戦*4
「な……なにすんだよ!離せ!」
ラオクレスは天使を肩に担ぎあげてしまったので、天使は地上に下りられない。うん、ラオクレスの身長と筋肉から逃げられるわけがない。
「これでいいのか」
「うん!ありがとう!ありがとう!」
僕はラオクレスにお礼を言って、それから、見事に足止めの役を果たしてくれた管狐にもお礼を言って、ポケットの中に帰した。
「くそ、なんなんだよ、お前ら!」
天使は相変わらずの暴れっぷりだけれど、ラオクレスはびくともしない。まあ、普通に考えて、石膏像に勝てる子供なんて居るわけがない。
「おい、不用意に覗き込むな」
天使の顔を見ようと覗き込んだら、天使には威嚇されるし、ラオクレスには慌てて引き離されてしまった。
「……押さえておくが、下手に触ると噛まれるぞ」
「うん」
それからラオクレスは、肩に担いだ天使を抱え込むようにして両手両足を押さえてくれた。がっしりと。なので僕は安心して天使の顔を覗き込む。
「な、なんだよ!憲兵に突き出してえならそうしろよ!」
男の子の顔を覗き込む。泥とか煤とか垢とかで汚れているけれど、多分、綺麗に洗ったら綺麗な顔立ちだ。髪の毛の色はよく分からない。汚れ過ぎだ、この子。
攻撃的に歪められた表情はちょっと怖いけれど、でも、何か心をざわつかせるというか、こう……惹かれるものがある。
それから、何より……その顔でぎらぎら輝いてる、青い目!
攻撃的で、明らかに僕を警戒していて、それで、すごく綺麗な空色だ。
……うん。すごくいい。
この、人間を警戒するかんじが、すごく天使っぽい!
「な、何笑ってんだよ……」
「嬉しくて、つい」
天使はそろそろ怯え始めた。うん、ごめんね。びっくりしただろう。いきなり人間に捕まえられてしまったんだから。
ということで、僕は早速、天使をスカウトし始める。
「セレス、で合ってる?」
名前を呼ぶと、天使はびくり、と身を縮こまらせた。……あ、余計に怖がらせてしまっただろうか。うん、確かに、昼前ぐらいにスリに失敗した相手に夕方掴まって、名前を呼ばれたら怖いかもしれない。でも僕らは怪しいものじゃないよ。
「あの、セレス。僕、君を雇いたいんだけれど」
「……は?」
けれど、怯えは一気に、ぽかん、に変わってしまった。そんなに変なことを言っているつもりはないんだけれどな。
「僕、絵描きをやってる。まだ駆け出しだけれど。それで、君を描きたくなってしまって」
「……わ、訳分かんねえ。お前、金持ってそうじゃん。そこの店でもっと綺麗なの買えばいいだろ」
「君より綺麗なのが居なかったんだ」
本当のことを言うと、セレスはぎょっとしたような顔をした後、なんとも……怯えなのか、照れなのか、よく分からない顔をした。
「お給料はちゃんと出すよ。1か月くらい……いや、2週間でもいい。ちょっとうちに来て描かれてくれれば、その間の衣食住も全部保証する。それとは別にお給料を出す。どうだろうか」
セレスはその天使みたいな長くて濃い睫毛を瞬かせて、困惑したような顔をしていた。
「は……?な、なんで?」
「いや、描きたくなっちゃったから……」
「……小汚えガキを描く趣味なのかよ」
「ええと、申し訳ないけれど君には綺麗に洗われてもらう。洗ったら絶対に天使だ」
「て、てん……」
天使、と言われて、セレスは何とも言えない居心地の悪そうな顔をしてもじもじしている。うーん、実に天使。
セレスの予想以上の天使ぶりに僕が満足していると、横からフェイが僕をつついてきた。
「……トウゴぉ。あのな、一応……一応、先に聞かなきゃならねえこと、他にもあると思うんだよなあ」
「え?衣装の希望?」
「待てって。その前だ。その前。……こいつの親が居たら、そっちに話を通さねえといけねえだろ?な?」
あ。そうだった。
もしこの子に『保護者』が居たなら、そっちにも話を通さなきゃいけないんだ。うん。キッズモデルを使う時に親の了承を得ないといけないのは分かる。
「ええと、じゃあ、セレス。君の親御さんは……」
……けれど、そう言った途端、セレスはまた緊張した表情を見せた。
これは……。
「……親父は、金さえ払えば、俺のこと売ると思うぜ」
……うわ。そ、それは……ええと……。
と、とりあえず、好都合!
「なら早速君の家に行こう!」
何だか込み入った家庭の事情がありそうだけれど、今は前向きに行こう。天使を捕まえられる。天使を捕まえられる。うん。
「ま、待てよ」
……そう思っていたら、セレスが声をかけてきた。
「その、さっきの話がまだだ!給料の話!」
あ、そうだった。うん。確かに親御さんの同意は必要だけれど、何より大切なのは本人の意思だ。そこにお給料が関わってくるんだったら、お給料の話もちゃんとしないといけない。
「い、幾ら出すんだよ」
「うーん……」
けれど、お給料の話は、苦手だ。何せ、クロアさんのお給料は払い方が『家1軒、内装付き』だったし。
「トウゴ。少し下がってろ。ここは俺が話つけてやるよ」
僕が困っていたら、フェイがにやりと笑って前へ出て……セレスの前で腰を落とした。
そして。
「幾ら欲しい?」
……すごい聞き方をした。流石、貴族。
「……金貨50枚」
そしてセレスも即答した。ええと、流石、天使……?
「ふーん。成程な」
フェイはちょっと考えるような素振りを見せると……それから、またセレスに聞く。
「もし、絵のモデルになるなら金貨50枚やるよ、って言ったら、お前、来る?」
「行く」
なんとも勇ましい天使だ。……ちょっと悲壮なかんじもするけれど。
「へえ。金が要る事情があるんだな?」
……これにはセレスは答えなかった。そして、ほとんどそれが答えだ。
「……まあ、いいや。とりあえずお前は金貨50枚、な。で、お前の親父さんは幾ら欲しい?」
「分からない。借金も幾らあるんだか。奴隷にされない程度の額、あちこちから借りてるし……」
「お。借金かぁ。それも、全部集まったら奴隷にされるくらいの。そいつはいいなあ」
フェイはにやりと笑って……それから、ちょっと真剣な顔で聞いた。
「お前、お前の親父さん、好きか?」
「あいつなんて、死ねばいい」
……その時のセレスの目は、多分、僕は一生忘れられない。
「よーし。ってことは……うーん」
フェイは何かを思いついて、それから思い直したように頭を掻いて気まずげな顔をした。
「……トウゴぉ、ちょっと相談なんだけどよお」
「うん」
「こいつを合法的に捕まえる手段がある。こいつの親の借金を肩代わりしちまえば、その分でこいつの身柄を貰うことはできる」
「えっ」
……詳しく聞いてみたら、要は、『借金が返済できなくなった人』も奴隷になる対象らしい。そして、その人が奴隷になる選択をするなら、その人が養っている人も同じように奴隷になる、ということらしい。
つまり、この世界風に言うと、生活保護の対象になる、みたいなかんじなのかな。この辺りの感覚は今一つ、まだ分からないのだけれど。
「借金のカタに子供を1人奴隷として寄越せ、ってのは、十分通ると思うぜ。お前は金持ってるし、或いは俺の名義で買い取るなら身分の保証もあるし、文句は出ねえだろ」
成程。子供の保護のため、っていうかんじだろうか。
「セレスの親父さんだって、『借金を早く返済しろ』って詰めよれば、流石に奴隷になる選択するだろうしな」
「逆に、どうして今までその選択をしていないんだろう」
「奴隷の身分だと主人が認める時しか飲酒できないし、賭け事にも行けなくなるからじゃねえかな。その理由でズルズル奴隷にならずに生きてる奴、結構いるみたいだぜ」
……成程。うん。なんとなく分かったし、この世界の奴隷制度って、悪くない。
「じゃあそうしよう」
「待て待て。いいか?それをやっちまうってことはつまり、こいつの親父の借金を全額払うってことだぞ?」
うん。お金には困ってない。やろう。その為なら宝石100個ぐらい描くよ。
「……交渉次第では、借金の何分の一かの金額を親父さんに払って、それと引き換えにセレスを貰ってくることもできるかもしれねえ」
「うーん……でも、そうする意味が僕にはあんまりない」
「まあ金のこと考えなくていいならそうなんだけどよお……でもよ、お前にとっちゃ、その方が間違いなく身軽だと思うぜ。奴隷になりたくねえ奴を奴隷にするってのは、まあ、正しい行いではあるんだが……要らねえ恨みも買うだろうし。どうする?」
成程。借金の肩代わりをすればセレスが合法的に貰える。セレスのお父さんにも真っ当に奴隷として働いてもらうことになる。その分で衣食住の保証が貰える。
……けれど、それはつまり、僕がこれからセレスの面倒を見るっていうことになるし、セレスのお父さんはお酒とギャンブルをやりたいから奴隷になりたくないんだろうし、そこで2人を奴隷の身分にしてしまうと、まあ、フェイの言うところの『身軽じゃない』ことになるんだろう。
うーん……。
「……君、お父さんから離れたい?」
「当然」
セレス本人に聞いてみたら、そんな答えがあっさり返ってきた。
そうか。……なら、話は単純だ。
「そっか。じゃあ悪いんだけれど、僕、君のお父さんの借金全額肩代わりして、君と君のお父さん、奴隷にさせてもらう。それで……ええと、一時的に僕の奴隷になってくれる?」
「すぐ解放する。絵が描きおわったら……ええと、2か月くらいで解放するよ。そこで金貨50枚も支払う。それまでの間は、衣食住は保証する。森暮らしになるから少し不便かもしれないけれど、できるだけ、不便させないようにするから」
できるだけ、条件の説明をちゃんとする。そうでなかったら不公平だと思うから。
「その後王都に戻ってきたいなら、ちゃんと送る。王都以外の場所で暮らすなら、その支援もできる。……もし、ずっと森に居てくれたら嬉しいけれど、でも、別に強制はしない。君がしたいようにできるように手伝う。どうだろうか」
そう聞くと、セレスは……困ったような、戸惑っているような、そんな顔をした。
「な、なんなんだよ、あんた、さっきから……なんでそんなに俺に構うんだよ。俺なんか、さっき見つけただけのガキだろ?大体、スリじゃねーか。構う必要なんて、どこに……」
……うーん。
確かにそう言われてしまうとそうだ。
モデルさんを見つけて嬉しくなった気持ちはあるのだけれど、それ以上に……ええと、なんだろう。モデルをやってもらって、はいさよなら、というのは余りにも不誠実な気がするし、僕だって自分を大人だとは思っていないけれど、この子の事を『子供』とは言える年齢だと思うし、子供はできる限り幸せであってほしいし、特に、親から離れたい子供が居たら手助けしたい気持ちがあるし……。
……何より、僕は、この力強くて綺麗な目をした天使のことを、モデルとして、それから1人の子供として、評価しているから。
「僕が、凄くお世話になってる人が居るんだ。食事を分けてもらったり、色々教えてもらったり、その人の家で過ごさせてもらったり……居場所を貰って、すごく嬉しかった。その人がどうして僕にそうしてくれたかっていうと、僕を『評価』していたからだって」
「同類だって。見ていて面白いって。あと、僕が描くものが好きだって『評価』してくれた」
僕は、評価されて、居場所を貰った。
お情けじゃなくて、驕りでもなくて、確かな理由だって言われて、居場所を貰った。評価に対する正当な報酬として、僕は、先生に居場所を貰った。
それが全くお情けじゃなかったとは思わないけれど、けれど、僕は確かに、あそこに居られて、本当によかったって思っているから。
……どこにも居場所が無いことがどういうことなのか、知っているから。
「僕も君を評価してる。君はモデルとして素晴らしいし、あと、その目がすごくいい。だから、手助けしたい。それじゃあ、駄目かな」
今度は僕の番だ。
僕だって、誰かを『評価』したい。
それからしばらく、セレスは黙っていた。俯いて、じっとして……だから僕もじっと待っていた。
その内、ラオクレスの腕の力がそっと緩んだ。それでもセレスが逃げ出すようなことは無くて、僕らはじっと待って……。
「……その、借金のカタに俺も親父も奴隷にするなら、あんまり足元見られないようにしろよ?あのクソ親父、あんたがカモに見えたらゴネるだろうから」
そう、アドバイスをくれた。
「……ええと、つまり、いいの?僕のモデルになってくれる?」
そう確認してみたら、セレスは精一杯僕を睨みつけて、言った。
「金、くれるんならな?勿論、借金とは別に、ちゃんと俺に金貨50枚払え。それが条件だ!」
……なんとも勇ましい返事に、僕は嬉しくなる。
この勇ましさ!本当に天使だ!
それから僕らは王都中を回って、あちこちの金貸しを訪ねて歩いて、セレスのお父さんの借金を買い集めた。
奴隷屋さんでモデルさんを買うために用意しておいたお金がここで役に立ってしまった。うん。
……そうして夜になる前に、なんとか、ほとんどの借金を買い集めることができた。
「……あんた達もよくやるよな」
「だろ?こいつはこういう奴なんだ。お前、こいつのモデルになったら大変だぞー?」
借金集めにはセレスが相当頑張ってくれた。この子、裏通りや金貸しの事情には詳しいみたいだ。クロアさんみたい。
……いや、多分これ、クロアさんが居たらもっと速かったんだろうな……。
「ごめんください」
ということで、僕らはセレスの家に向かった。
裏通りの狭い路地の向こうにある、あまり大きくない、古びた家だ。ちょっと傾いてる。あと、多分、屋根が雨漏りしてる。
「んだようるせえなあ……」
そしてドアをノックしていたところ、人が出てきて僕らを見てぎょっとした顔をした。まあ、僕と貴族と石膏像が立ってたら、驚くか。
「だ、誰だよ」
「はじめまして。上空桐吾です。レッドガルド領の領主様の家のお抱え絵師をしています」
『森の精霊です』よりはずっとまともな肩書きを名乗って、僕はセレスのお父さんらしい人に挨拶した。するとセレスのお父さんは胡散臭そうに僕らを見回す。
「……絵描きが何の用だよ」
「ええと、息子さんを描きたいんです」
セレスのお父さんは、僕らの後ろに居るセレスをちらりと見て、それから何か、僕を値踏みするかのように見る。
「へえ。で?」
……『で?』と言われてしまうとなんとも困る。けれど確かにそうだ。『描きたい』だけじゃ、僕の主張は伝わらない。
「そこで、息子さんを頂きに来ました」
なのでちゃんと主張した。フェイが『その言い方はどうなんだ……?』ってぼやいていたけれど、しょうがない。貰えるものなら貰いたい。
「そりゃ駄目だ。セレスを連れていかれちゃあ困る」
けれどセレスのお父さんはそう言ってにやりと笑った。
「俺のたった1人の肉親だからなぁ?そりゃ、簡単に連れていかせるわけにはいかねえんだよ。愛する息子をどうして連れて行かせられる?」
そう、セレスのお父さんが言った瞬間、セレスが低く呟く。『何がたった1人の肉親、だ』と。
……何か、訳ありなんだろうな、とは思う。けれど、この場で込み入った事情を聞き出すのは躊躇われる。
だから……僕は、さっきのセレスの言葉を思い出す。
『足元見られないようにしろよ』と。
「そうだなあ、愛する息子を貸し出せって言うんなら、ちゃんと誠意ってもんを見せてもらわねえとな?出すものによっちゃ、俺だって考えるぜ?」
「……そうですか。ならこれで」
僕は、セレスのお父さんを睨んだ。精一杯。それから、数少ない先生の口論(仕事の人と揉めてしてたやつ)を思い出しながら、言う。
「あなたの借金は全部、僕が買ったんだ。見ろよ。あなたのサインだ。見覚えが無いとは言わせない。僕は確かに温厚に見えるだろうが、呑気な絵描きだと思って舐めた口を利いてもらっちゃ、困る」
セレスのお父さんがサインした借金の証文を突き付けて、それからもう片方の手で、セレスを引き寄せた。
「あなたにも息子さんにも、奴隷になってもらう。その上で、彼は僕がもらっていく。文句が言えるなら言ってみろ。権利は僕の方にあるんだからな」
……先生。
先生は口喧嘩を僕に見せたことを恥ずかしがっていたけれど、あなたの口喧嘩、今、役に立ってます。