2話:天使捕獲作戦*1
その日の内に、僕はレッドガルド家へ連れていかれた。話は早い方がいいだろ、っていうことで。
「ど、どうしよう。どうしよう。緊張してきた」
「ん?別に大丈夫だぜ、そんなに緊張しなくても。来てる客人ってのオースカイア領の領主さんの息子さんだ。いい人だぜ」
「いい人だから緊張するんだよ」
「そ、そういうもんかぁ?……ま、気楽にいけよ。相手はお前の絵、気に入ってるんだからさ。大丈夫大丈夫」
全然大丈夫じゃない。緊張する。だって、僕の絵を気に入ってくれた人が居るって、それは、それは……すごいことだ。
ましてや、僕のことを知らなくて、僕の絵だけを見て気に入ってくれたなら、それって、本当にすごいことで……いいんだろうか?
「……そういや、クロアさんの時のやつを除けば、最初の他所からの依頼だなあ、これ」
「うん……」
クロアさんの時のは、交換条件だったからまだそんなに困らなかったし緊張もしなかった。クロアさんを描きたいと思っていたら、緊張している暇も無かったというか。
でも、今回は違う。向こうが僕の絵を欲しがっていて、それに僕が値段をつける、のか。うわあ……だ、駄目だ、緊張してきた。
「お前、精霊になっても変わんねえなあ……」
「うるさい」
「ははは。ま、お前らしくていいんじゃねえの?うん。いっそ『緊張してます』って素直に言っちまったほうがいいかもな」
他人事だと思って……。
緊張している間にも鳳凰は飛んでくれたので、僕はレッドガルド家に着いてしまった。
そしてそのまま、庭の方へ連れていかれる。確かに今日は爽やかな涼しさの日だ。庭でお茶を飲むのに丁度いいだろう。
……そんなことを考えていたら、僕はもう、レッドガルド家に混じってお茶を飲んでいる、見慣れない人の前に連れてこられていた。
「サフィールさん。こちら、さっきの話の絵師です」
フェイはそう言って、見慣れない人に僕を示して見せる。
「上空桐吾です。あの、はじめまして」
他に言うことも思いつかないから、僕はとりあえずそれだけ言って、お辞儀することにした。……いや、だって、他に何を言えばいいんだよ。
「君がトウゴ君か!お噂はかねがね!」
けれど、そんな僕に近づいてきたその人は笑顔で僕の手を取ると、ぎゅっと握って、それから自己紹介してくれた。
「私はサフィール・キュア・オースカイア。オースカイア領の長子だ。レッドガルド家とは親しくさせて頂いているよ」
……フェイの言っていた通り、『いい人』だ。うん。いい人。ちょっと、フェイのお兄さんに似てるところがある。柔らかい物腰とか、それでいてしっかりして堂々としているところとか。
「先程、君の絵を見せてもらったよ。玄関のユニコーンとペガサスの絵に始まって、応接室の森の絵も、レッドガルド家の肖像画も、それからフェイ君の部屋の泉の絵と、『餅』なるものの絵もね。うん、『餅』というものは、あれは……なんだ?フェイ君は『夢の絵だ』と言っていたが、抽象画かな?」
……説明が難しいぞ、これ。
『餅』の説明を少ししたら、サフィールさんはフェイの解釈が変だってことに気づいたらしい。大笑いしていた。うん。僕もちょっと笑ってしまう。
こうしてちょっと和やかになったところで、サフィールさんはにこにこ笑って、言う。
「君の絵は餅の絵も含めて全て、柔らかくて暖かいな。だから、これを描いた人はきっとそういう人なんだろうと思っていたが……どうやら本当にその通りだったようだ」
どうしよう。褒められているのは分かるんだけれど、だからこそ、どうしていいか分からない。これ、どういう反応をするのが正解なんだろうか。
「あ、ありがとうございます……」
だからとりあえず、お礼を言っておく。困ったらお礼を言えば大体なんとかなるって先生が言ってた。
「ふふ。そういうわけで、君に一目会ってみたくてね。フェイ君に無理を言って、君を連れてきてもらってしまった。すまなかったね」
「いえ、その……僕も、お会いできて光栄です」
しどろもどろではあったけれど、多分、言うべきことは言えた。うん。……餅の説明よりもこっちの方が難しい。うん。
それから僕は、持ってきた絵を何枚か、サフィールさんに見せることになった。
「サフィール。君の家には昼間の森の絵は合わない気がするな。たしか壁紙が空色だろう?少なくとも君の部屋と応接間は」
「よく覚えているなあ、ローゼスは……そうだな、確かに、この色合いだと少し浮くかもしれない」
……フェイのお兄さんと似ているな、と思っていたけれど、どうやら本当に、フェイのお兄さんと仲良しのようだ。齢も近いみたいだし、雰囲気も似ているし、納得。
「ふむ……なら、この絵を頂いてもいいかな」
「はい。どうぞ」
そうしてサフィールさんが選んだのは、夜の森の馬達の絵だ。薄青くぼんやりとした月明かりの下、寝付けない馬達が泉で水遊びしているところの絵。全体的に青っぽく仕上げるように心掛けた絵だから、空色の壁紙の部屋にも似合うと思う。多分。
「それから、もう1つお願いがあるんだが」
「は、はい」
サフィールさんは夜の森の馬の絵を大切にしまって、それからまた僕に言った。
「これとは別に、絵を1枚、依頼したい」
来た。
元々依頼があるっていう話だったから、分かってはいた。けれどやっぱり、切り出されると緊張する。
……緊張しながら、サフィールさんの話を聞いていると……彼はにっこりと、嬉しそうに笑って、ちょっと照れたように言った。
「天使の絵だ。……生まれてくる私の子供への祝福のために、柔らかくて暖かい、天使の絵を描いてほしい」
「……お子さん?」
「ああ。実は、もうじき私の子が生まれる予定なんだ」
サフィールさんはそう言って、照れ臭そうに笑った。
そっか。お子さんが。……それはきっと、素晴らしいことだ。
「おめでとうございます」
「ああ。ありがとう。ただ、まあ、私の妻はお腹が重くなってからあまり出歩けなくなってしまったからね。退屈している。元々彼女は絵が好きだから、何か絵を買って帰ってやろうかと思っていたんだが、まさかこんないい絵に出会えるとはね」
サフィールさんの顔を見ていると、ああ、仲がいいんだなあ、と思う。奥さんとも、多分、生まれてくる子とも。
「ふふ、嬉しそうだな、サフィール。結婚した時もそうだったが」
「ああ。嬉しいとも!……お前も妻を娶れば分かるぞ」
フェイのお兄さんとサフィールさんは大体同じくらいの齢なのかな。サフィールさんは結婚して、もうお子さんもできるみたいだけれど。まあ、ペースは人それぞれ。
「ということで、どうだろう。お願いできるだろうか」
……さて。問題はここからだ。
依頼は、天使の絵。生まれてくるお子さんと、奥さんのために描く絵、っていうことだけれど……。
「ええと、どういう天使をご希望でしょうか」
天使って、色々居るよね。男性でも女性でもない大人の背中に鳥の羽が生えてるやつとか。全裸の子供に羽が生えていてラッパを吹いているやつとか。腕が3本以上あるとか。なんか、色々。
「どういう、というと……うーん、そうだな、お任せしよう」
……う。一番苦手なやつを言われてしまった。
ということは、多分……この世界の『天使』って、そんなに種類が多くない、んだろうか。
「絵の大きさや画材のご希望はありますか?」
「うーん、そうだな。フェイ君の部屋の餅の絵くらいの大きさがいい。少し大きめに頼もう」
……あの餅の絵はちょっと、自分でもどうしてあのサイズで描いたのか分からない程度には大きめの画用紙で描いてしまった。本当に、なんでフェイがあの絵を飾ろうと持って帰ったのかは謎だ。
「画材はこの絵と同じもので。……あまり見ないものだが、柔らかくていいな。これは」
画材は水彩。うん。やっぱりこの世界だと水彩画って珍しいのかな。
「……分かりました。大きさはやや大きめ、画材は水彩。それで、天使の絵、ですね」
まあ、うん。とりあえず、『全てお任せ』にはならなかったから、それはよかった。
「お引き受けします」
自信はあまり無い。けれど、ここで断るのもなんだか気が引ける。それに……まあ、ちょっと、挑戦してみたくなってしまったんだ。
「それから、空色の壁紙に合うような色合いにしますね」
「おや、それはありがたい」
……こうして僕は、初めて、僕じゃなくて僕の絵を見て依頼してくれた人の依頼を受けた。
……さて、困った。
「天使って、何……?」
「え!?お前、天使を知らずに天使の絵の依頼、受けたのかよ!」
「うーん……僕が知ってる天使とこの世界の天使が同じかどうか、自信がない」
僕の世界の天使は、こう……色々あるから。
「えーっと……まあ、天使っつーと、アレだな。背中に羽が生えてて頭に輪っかが浮いてる、人間みてえな生き物」
生き物なんだ。
「大体は人間を警戒するらしいけどよ。気に入った人間が居ると、その人間に祝福をもたらしてくれるらしいよな。会ったことねえけど。あ、俺、天使より先に精霊に会っちまったのか……」
うん。僕、精霊。
「まあ……うん、お前の前で言っても説得力ねえけどよ、天使は中々出会えないもんだし、祝福をくれるらしいしで縁起がいい。だから紋章に天使の羽が入ってる家は結構あるし、お祝い事に使うもののモチーフにされてたりするんだよな。ほら、アクセサリーとかに多いぜ。お守りにもなるから、ってさ」
あ、そういうかんじなんだ。うん。やっぱり僕の思っていた天使とは色々違う気がする。
「ま、そういうわけで、形状としては羽と輪っか付きの人間!大抵は美女か美少女か美少年の恰好だな。時々、美青年のこともあるけどよー」
「ええと、赤ちゃんみたいなのは?」
「赤んぼ?うーん……見たことねえなあ、そういう天使の絵は……」
そっか。全裸の幼児が羽でラッパっていうのは、この世界の天使としては変なんだな。うん。
「まあ、クロアさんあたり、モデルにさせてもらえばいいんじゃねえの?」
「うーん……彼女、天使っぽくはないから」
人間を誘惑する天使って、どうなんだろう。小悪魔とか妖精とかの方が、何となくクロアさんっぽい。
「じゃあ、カーネリアちゃん?」
「あの子の色合いだと、多分、空色の壁紙には合わないから……それから、彼女の姿が残るようなもの、やめておいた方がいいと思う。一応、インターリアさんと一緒にジオレン家を出奔中なんだし」
カーネリアちゃんは確かに天使っぽいけれど、でも、どちらかというと妖精っぽい。そして、彼女の色合いはオレンジ色っぽいから、どうにも、空色の壁紙には合わせにくい。
「えーと、じゃあ、丸っきり想像で描くってのは?」
……考えてみる。
馬とか鳥なら、ある程度できる。ドラゴンもアリコーンも、鳳凰も管狐もできた。
だから、人間も、完全な想像だけで、描くことが……。
「……僕、それ、人間だとできないみたいだ」
できない。うん。駄目だ。どうにも、想像ができなかった。
「そ、そっか。なんかできそうな気がしたけどなあ」
「うん……」
どうしてかは分からない。けれど、どうやら僕は、人間をまるきり想像だけで描くっていうのは、どうにも苦手らしい。『できない』って僕の頭の中……いや、もっと別の何かが、言っている気がする。うん。
しばらく悩んでいたら、フェイは事も無げに言った。
「じゃあ、新しい奴隷、探すか?見ながらなら描けるだろ?」
……うん。
「天使を捕まえてくるよりは人間買ってきた方が楽だろ?な?」
それ、すごくいいと思う。