12話:甘い罠と罠破り*7
その日から、森っぽいことをし始めた。
ただ、森っぽいことって一体どういうことかが自分で言った割によく分かっていなかったので……とりあえず、クロアさんと一緒に森を散策することにした。
「とりあえず、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
クロアさんは、森の中を歩くのには不慣れだったらしいので、ちょっと馬にお願いして彼女を乗せてもらった。
馬の方はすごく乗り気な馬が何頭か居たから、その何頭かが交代でクロアさんを運ぶことになった。……ちなみに他の何頭かは、僕とラオクレスを運ぶ。
……この馬達は殊更に女性が好きなやつららしくて、僕やラオクレスを乗せるのはちょっと渋っていた。うん。いや、乗せてくれたからいいけれど。
「ええと……これはどこへ向かっているのかしら?」
「さあ……とりあえず馬達に『おすすめの場所へお願いします』って言ってあるから」
けれどこの馬達、僕らを乗せることはともかく、クロアさんを運んで、クロアさんを森の中でも殊更綺麗な場所へ連れていくことについてはものすごく乗り気らしいので……まあ、おまかせ散歩コースだ。
そうして馬にのんびり揺られながら、僕らは森の様子を楽しむ。
「こっちの方、あんまり来たことなかったなあ」
「あら……でも、あなた、森に住んでいるんでしょう?」
「うん。でも、普段はあの家の周りしか移動しないから。でも、もっと早く、散歩に出ればよかった」
僕が知っている森は、案外狭い。
僕がこの世界に来た時に居た場所から今の家まで。今の家から巨大な鳥の巣まで。それから、家からフェイの家まで。この3つの区画しか、僕はこの森を知らない。
なので、案外新鮮な気持ちで森を眺めることができた。
「こっちの方、結構花が咲いてるんだ……」
「そうね。綺麗だわ」
今まで見たことが無い花が咲いているのを見て、やっぱりこの森って広いんだなあ、と思う。
「あ、ちょうちょ」
「え?……ああ、本当だわ。でも不思議。真っ黒な蝶なのね」
「お前の目の色……より黒いか」
「うん。僕の目よりも黒いかも。カラスアゲハ……じゃないな。なんだろうこれ」
それから、蝶も見つけた。カラスアゲハかな、と思ったけれど、どうにも違う。黒いレース細工みたいな蝶だから、多分これは、異世界のちょうちょだ。
あ、そういえばこの森で生きている蝶を見つけたのは初めてだ。死骸は見つけて絵の具にさせてもらってるけれど。
「ラオクレスの色は……あ、その花、目の色に似てる。ひよこ色だ」
「……俺の目はひよこ色か?」
「うん。クロアさんの目は……うん。上だ」
『ひよこ色』にちょっと不服そうな顔をしたラオクレスだったけれど、僕が上を指さすと、上を見た。クロアさんもつられるように上を見て……そこで、太陽の光に透けながら風にさらさら揺れる、涼やかな木の葉を見つける。
「翠だ」
「……そう、ね」
クロアさんは上を見て、それからにっこり微笑む。
「私の目、綺麗だって思ってくれてるのね」
「うん。勿論。あなたは全部綺麗だけれど、やっぱり目が殊更いいと思う」
鮮やかな翠はクロアさんの中でアクセントカラーになっていて、中々格好いい。僕は髪も目も日本人色だから、アクセントも何も無いんだけれど……だからこそ、クロアさんの色合いが綺麗に見えるのかもしれない。
「あ、木の実だ。ちょっと止まって」
それから少ししたところで、僕は木に木の実が生っているのを見つけた。
……この木の実には、見覚えがある。
「はじめての赤だ」
「……なんだ、それは」
「うん。僕がこの森で初めて使った、赤い色はこの木の実の汁だったんだ」
そう。この木の実は、僕が絵に描いた餅を実体化させてすぐの……ミニトマトを実体化させたときに使った木の実だ。そっか。多分、鳥か何かがこの木の実を落としていったんだな。
「ちょっと食べてみようかな……あ、これ、毒だろうか」
「……分からないなら食うんじゃない」
念のため、食べる前にラオクレスに聞いてみたら止められてしまった。
「ねえ、クロアさん。これ、毒だろうか。多分、鳥が食べる実だから毒ではないと思うんですけれど」
「え?いえ、毒ではないけれど……」
クロアさんは唐突に聞かれて驚いたようだったけれど、そう答えてくれた。
「……でも、あまり美味しくはないわよ?」
そして続いた言葉に……僕は、驚いた。
「食べたこと、あるんですか」
だって、クロアさんは、なんとなく、こう……森の木の実を食べる人には、見えない。
綺麗にカットされた果物……いや、綺麗にカットされた『フルーツ』を銀のフォークで食べているような、そういう人に見える。うん。そういうイメージだ。
だから、『あまり美味しくはない』木の実を食べたことがあるらしい、ということにとても驚いた。
「ええと……小さい頃に、ね」
僕が驚いていると、クロアさんも少し驚いたような、戸惑ったような、そんな調子で答えてくれた。
……どうしたんだろう。
クロアさんの様子は少し気になるけれど、とりあえず、木の実が気になる。
「ええと、じゃあ、毒ではないんだ」
「そうね。毒ではないわ。でも、美味しくは……」
「いただきます」
クロアさんがびっくりしていたけれど、僕は木の実を食べてみた。
……すると、じわっと酸っぱくて、甘みはほとんど無くて、そして、水っぽい。あと渋い。そういう味がした。
成程、確かに、美味しくはない。
「……その顔を見る限り、美味くはないんだな」
「うん……」
ちょっと口がきゅっとなるような、そういう味だ。うん。美味しくはない。
「美味しくはないんだから、食べなくてもよかったんじゃないかしら……」
クロアさんはそう言って、僕をちょっと心配しつつ不思議そうにしている。
「うん、美味しくないものを食べるのも、多分、心の餌だから……」
けれどこれも、僕にとっては大切なことだから。
「心の、餌?」
「無駄なことって、こう、必要なんだって。心に。……そう、先生に教わったんです」
この木の実を食べることは間違いなく無駄なことだし、やらなくていいことだった。それは間違いないけれど、それでもきっと、こういうことが、僕の心の餌になるから。
木の葉が太陽に透けて綺麗な色なのも、花がひよこ色なのも、蝶が飛んでるのも、美味しくない木の実を食べて美味しくないって思うことも。
多分、必要なことなんだ。不要なことは全部無くて、全部、僕の心の餌になるから。
「この実、持って帰ろう」
僕は早速、木になっていた実を幾つか取って、鞄に入れる。……偽の武器として作った鞄だけれど、こういう時にちゃんと役に立つから中々いいね。
「え?た、食べるの?」
「あの、食べるんじゃなくて、絵の具にしたくて」
僕が木の実を集め始めたのを見て、クロアさんはちょっと焦ったみたいだったけれど、でも、用途は別だ。
この実、折角の絵の具第一号だから、記念に絵の具にしておきたい。木の実自体の色も、木の実の汁の色も。
「……あなた、もっとちゃんとした綺麗な赤の絵の具、持っていたじゃない」
うん。クロアさんの言い分は分かる。僕が持ってる赤い絵の具……ええと、例えば花の色だとか、僕の血の色だとか、そういうのも沢山ある。この実を潰して出てくる赤よりも、ずっと鮮やかな赤を、僕は幾らでも絵の具の形で持っている。
……けれど、それでも欲しくなってしまうんだ。
「まあ、無駄だけれど。無駄だけれど、これも心の餌だから必要ってことで……」
「……お前の絵の具はそうやって増えていくんだな」
「うん」
微妙な色の違いが魅力的なのもそうだけれど、多分、それ以上に絵の具を増やしていくことは、僕にとっては『無駄なこと』だから『必要』なんだと思う。
「……無駄なのに、必要、なの?」
クロアさんは不可解そうにしているけれど、その不可解の裏にはなんとなく、困惑とか、そういうものも見えた。
なので僕は、先生の心の餌論をちょっと布教してみることにする。
「なくしていい無駄と、なくしちゃ駄目な無駄があって……空を見上げて綺麗だって思うことや、食べたことのない物を見て味が気になることや、特に用事もなく散歩することや……そういう無駄は、なくしちゃいけない無駄で、そういう無駄を食べて、僕らの心は生きているんだって、教わったんです」
そう。僕らは無駄を食べて生きている。僕らの心は大食いだから、だから先生は特に意味もなく散歩に行ったし、買えばいいのにわざわざ庭でミニトマトや枝豆を育てていたし、むしろ寝ている場合じゃないのにソファでごろごろ寝ていたし……何の得にもならないはずなのに僕を家に入れてくれた。
そして僕も、食べなくていい木の実を食べているし、必要のない絵の具を作ろうとしているし、絵を描いてる。
「ご飯の絵を描いてもお腹は膨れないけれど、心は満腹になるんです。だから僕は、絵を描いてる。無駄なことだけれど、絵を描いてるんです。それが僕の心の餌だから」
「……そう、なの」
クロアさんはまた、困惑したような、そんな顔をしたように見えた。
けれど少し後にはにっこり笑って、僕をちょっとつついた。
「素敵な考え方だわ。そういう先生がいらっしゃったから、あなたみたいな素敵な男の子ができあがったのね」
「……うん。いろんなもの、先生から教わったんです」
「羨ましいわ。素敵な先生に出会えて」
うん。僕は先生に会えて、色々教えてもらえて、よかった。色んな考え方、気に入ってるから。
クロアさんも、この考え方が気にいってくれると嬉しい。いやでも、彼女はもしかしたら、心がそんなに大食いじゃないのかもしれない。
無駄を食べなくても生きていける心も存在するんだろうし……うん。そういう人も、沢山見てきたから。だから、うーん……。
……もしかして、クロアさんには無駄が必要無いんだろうか。
そうして悩みながら10分くらい馬に揺られた頃。僕らはやっと、馬達おすすめの場所へ到着した。
……そこは、綺麗な花畑だった。
「すごい」
クロアさんより先に、僕が喜んだ。うん。だって、色々な色の花が咲いている。真っ白のものあれば、黄色もオレンジも、ピンクも紫もある。中には薄い青の花もあって、ああ、ここを見つけられていれば巨大な鳥に抱卵させられなくても青色の絵の具ができたな、なんて思う。
いや、あの卵の殻の青はこの花の青とは違うから、やっぱり抱卵してきて正解だったわけだけれど……。
「こんな綺麗な場所、教えてくれてありがとう」
僕はこの綺麗な花畑を見られたのが嬉しくて、早速、馬達を撫でる。……こいつら、男はそんなに好きじゃないらしいんだけれど、撫でられるのは嫌いじゃないらしい。ゆったり尻尾を振りながら、僕に撫でられてちょっと気持ちよさそうにしている。
「クロアさん。ここ、気に入ってもらえただろうか」
「……え?ええ。とても綺麗な場所ね」
クロアさんは少しぼーっとしていたように見えたけれど、すぐ、にっこり微笑んでそう言った。
「……具合が悪いのか」
「いえ、そうじゃないの。そうじゃ、ないんだけれど……」
それを見てラオクレスが聞くと、クロアさんはなんというか、戸惑ったような、困ったような、そういう顔をして……それから、それらを隠すようにまたにっこり笑った。
……それを見て、僕はつい、聞いてしまった。
「あの、もしかしてクロアさんの心は小食ですか?」
「小食……?」
「その……あまり、無駄なことが必要じゃない人も居るから。あなたもそうかと思って」
空を見上げなくても、花を見つめなくても、生きていける人は沢山居る。例えば、僕の両親はそういう人だったと思う。
だから……クロアさんもそうだとしたら、多分、クロアさんに花畑は必要無い。この森に居ること自体が彼女には『無駄なこと』で……。
「だとしたら、別に空も花も必要無いのに、そういうあなたを連れ回して無理をさせているんじゃないかと思って」
僕がそう、言うと。
「そんなことないわ!」
クロアさんは、今まで見たことが無い顔でそう言った。
……クロアさんもこういう顔、するんだ。
少し必死な、困ったような、焦るような。そういう顔だ。
余裕があって、完璧に整っている、そういう顔ばかり見ていたから……すごく意外だった。
「どんな人でも、必要なことよ。そう思うわ。花を見て美しいと思うことは、どんな人にも、私にも、必要なことで……」
クロアさんはそう言って、なんだか、クロアさん自身もそんな自分を意外に思っているような、そんな様子で黙ってしまって……。
「そう思うならとりあえず、見てみたらどうだ」
ラオクレスがクロアさんをちょっと押して、花畑の方へ動かした。
「突然、こんな環境になって戸惑いもあるだろうが……必要だと思うなら、無駄とやらを食っておけばいい」
クロアさんはラオクレスを見て、それから目の前の花畑を見て……それから、ちょっと、笑みを浮かべた。
あっ、と、思った。
その時のクロアさんの笑顔が、一瞬のそれが……すごく、綺麗に見えた。
「どうかしら?」
「……器用ですね」
「ふふ、ありがとう。あなたは……あなたも器用ね」
それからクロアさんは、花冠を編んだ。僕はそれを見て、絵に描くことにした。
スケッチブックと鉛筆と、携帯用の水彩セットは持っていたから、ざっと、ラフに描いてみた。
……滲む水彩の色合いが、こういう花畑にはぴったりだ。そこで花冠を編むクロアさんにも、ぴったり。
クロアさんの表情はまだちょっと違和感がある。見られていることを意識しているからかな。それともやっぱり、無駄があまり必要ない人で、こういうことをする意味がないのかも。
でも……さっきの一瞬の表情がすごくよかったから。だから、まだもうちょっと、クロアさんを連れ回す日は続きそうだ。
「……じゃあ、これはあなた達にあげるわね」
クロアさんはできあがった小さめの花冠を、一角獣の角に引っ掛けてあげていた。すると馬達は随分喜んで、クロアさんにすりすりと擦り寄っていた。うん、よかったね。
……ちなみに、僕も絵を描きおわってから花冠を編んで一角獣にあげてみたのだけれど、それには『はいはいどうも』みたいな顔をした。態度が、露骨。
その日はそのまま花畑でのんびり過ごして、家に帰った。
「……どう?私、森っぽくなったかしら」
帰り道、クロアさんはちょっと冗談を言うみたいにそう言ってきた。
「うん。一瞬だけ。森っぽい……ん?森っぽい……というか、なんか、すごく素敵な表情だったんです」
なので正直にそう答えると……クロアさんは、少し驚いたような顔をした。
……けれどその後にはまた綺麗な笑みを浮かべて、『それならよかった』と言うのだ。
うーん……彼女のことがよく分からない。
でも、とりあえず……角に花冠を引っ掛けた一角獣達がご機嫌で歩くのを見ながら角を撫でるその手が、行きの道よりも更に優しくなったように見えるので、まあ、多分、これはこれで……『必要な無駄』だったんじゃないかな、と思うことにした。
それから、数日間。クロアさんをあちこちに連れ回した。
花畑の次は、やたらと大きな木の下の、小さな洞窟みたいなところ。その中に光る苔やキノコがあって、中々綺麗だった。クロアさんにも珍しかったらしくて、ちょっと興味深そうに見ていた。
洞窟の次は蔦のカーテン。大きな木から柔らかい蔦が沢山下がっている場所があって、まるでカーテンみたいだった。蔦でできたカーテンの覆いの中でお弁当を食べて、手慰みに蔦を三つ編みにしてきた。特に意味はない。
その次は泉。……うん。泉。家の前の。一角獣が『いい場所です!』みたいに自信満々に案内してくれたけれど、それ、僕が造った奴で……まあいいか。丁度晴れて少し暑いくらいの日だったから、水遊びをしたら中々気持ちよかった。
泉では、水浴びついでに馬の洗濯もやってしまった。僕が馬を洗っていると、クロアさんも手伝ってくれた。一部の一角獣がそれはそれは喜んでいた。うん、よかったね。
そうして数日してみると、クロアさんは……少し、表情が変わった。
やっぱり森に慣れてきたのかな。森っぽくなった、のかどうかは分からないけれど、とりあえず、自然な表情で居ることが多くなった、と思う。
「表情、変わってきましたね」
僕は今日の分のデッサンをさせてもらってから、そう、言ってみた。するとクロアさんははにかんだような、困惑したような顔をする。
「……私、そんなに表情が変わったかしら」
「ええと……うん。多分」
僕はスケッチブックをクロアさんに見せる。1冊目から。
……もうクロアさんだけで1冊埋まってしまったスケッチブックを捲って見せて、それから、2冊目も見せる。
そこにあるのは、クロアさんの絵だ。当然。
けれど……段々、新しいものになるにつれて、雰囲気が変わってくる。
多分、笑顔の整い方が変わってきたんだと思う。パーティ会場で見た時、彼女はすごく整った完璧な笑みを浮かべていたけれど……少しだけ、それが崩れてきた。
その崩れ方がなんというか、完璧じゃなくて、人間の手が入っていないかんじがするというか……うん。多分、森っぽい。いいと思う。
「そ、そう……」
……けれど、クロアさんは『表情が変わった』と言われて、少し動揺したというか、少し困ったような、そういう顔をした、気がする。ついでにクロアさんは自分で自分の頬を触っている。
うーん……でも事実だから、しょうがない。うん。
その日の夜。
僕は、花畑で描いたクロアさんのスケッチを、画用紙にきちんと起こしていた。あの時の一瞬の表情はここ数日で何度か出ていて、僕はそれをちゃんとイメージできるようになったから、あの表情で描きたくなったのだ。
今夜中に下描きを仕上げて、明日、クロアさんの実物を見ながら色を重ねて仕上げていこうと思う。
……そんな時、ドアがノックされた。ラオクレスかな。彼は時々、夜の間に僕の所に来ては調子はどうか、聞いてくる。前日に寝ていなかったりすると、問答無用でベッドに投げられる。ちょっとやめてほしい。
「はーい、どうぞ」
でも、僕が返事をした後、入ってきたのは……クロアさんだった。
「お邪魔するわね」
クロアさんはそう言ってちょっと微笑んで、それから僕の手元を覗き込んだ。
「あら……まだ描いていたの?」
「うん」
返事をしながら、実物が目の前に来てくれたからちょっと見ながら描かせてもらおう、と思って少し加筆した。うん。ありがたい。
「そう。なら、少しお邪魔だったかしら」
「ううん。もうすぐ終わるから大丈夫です」
「なら少し待っていてもいいかしら?」
「どうぞ」
僕がそう言うと、クロアさんは僕のベッドの縁に腰かけて、僕の作業が終わるのをじっと待ち始めた。
……それから下描きが終わって、僕が満足しながら画材を片付け始めると……クロアさんは、言った。
「あのね、トウゴ君」
「はい」
少し改まった様子のクロアさんに合わせて、僕も姿勢を正す。……何だろうか。
「そろそろ、描いてみる気はない?」
「え?」
クロアさんはそう言って……服に手を掛けた。
「依頼の絵」
……う。
「あの……それは、その……」
「私がここに居られるのは2か月だわ。でも、もうすぐ3週間経ってしまう」
……うん。
「私は絵を描くことについて不勉強だけれど……一度、練習しておいた方がいいんじゃない?」
それは……その通りなんだろう。クロアさんの言う通りだ。僕は依頼の裸婦画を描かなきゃいけなくて、なのに、まだ一度も、ヌードデッサンはやったことがない。女性の体の質感も、形も、全部、服の上から見て想像しているだけに過ぎない。
というか、依頼のことはすっかり頭から抜けていて、僕が描きたいものを描くためにクロアさんを森に連れ出していた。
それじゃあ……絵を描くことを仕事にする者、として、あまりにも……。うん。分かっては、いるんだ。反省してる。
けれど、依頼とは別として……裸婦画、は、どうにも、緊張してしまう。
ヌードデッサンは絵描きとして正しい行いだって頭では分かっているのだけれど、どうにも、いけないことをするような気分になってしまう。
……でも。
「ね、思い切ってやってみない?恥ずかしいようなら途中でやめてもいいから」
クロアさんはそう言って、僕の返事も待たずに……そっと、服を脱ぎ始めた。
ぱさり、と、下着が床に落ちる。
それを見ながら、僕は何も考えられないまま……クロアさんが歩いていって、僕のベッドにしどけなく横たわるのを見ていた。
「どうしたの?描かないの?」
……何も身に着けていないクロアさんが完璧な笑みを浮かべるのを見て、僕は、熱が出たみたいに頭がぼんやりして、心臓がどくどく鳴るのを聞いて、思考がぐるぐるして……。
「……描きます!」
半分ヤケになって、鉛筆とスケッチブックを手に取った。
こうしないと、どうにかなってしまいそうだ!