10話:甘い罠と罠破り*5
ど、どうしよう。困った。裸婦画。裸婦画か。ええと、裸婦……描いたことも、見たことも、無い、なあ……。
「如何でしょう?今、王都では丁度、裸婦画が流行していましてね。やはり女の体というものは何にも勝る芸術ですから。特にクロアのような女なら、さぞかし素晴らしい芸術になるでしょう」
……えっ。
「え?あ、あの、裸婦画、って……く、クロアさんの?」
「ええ。クロアを描いてください」
ちら、とクロアさんを見てみると、クロアさんは動じた様子もなくにっこりと微笑んでいる。そのクロアさんの、ドレスに包まれた完璧な躰の、ドレスの下を、想像してしまって……。
……うわ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
顔に血が上っている感覚がある。顔が熱い。こんなの、僕が何を考えてしまったか丸分かりじゃないか。どうしよう。いやらしい奴だって思われてしまう。でも、絶対に赤くなっている顔をどうすることもできなくて、僕はただ、困るばっかりだ。せめて顔を見られないように俯いていることしかできない。
「ふふ、可愛い坊やね」
坊や、なんて言われてしまって恥ずかしいばかりなんだけれど、けれど、どうしようもない……。
「ええと……娘さんの裸婦画を描け、っていうのは、その、どうなんですか?お父上としては」
僕が困っている間に、フェイが僕の聞きたいことを聞いてくれた。本当に頼りになる。ありがとう。
「父親としては不適だ、と思われますか?」
すると、フェーンさんは……薄く笑いながら、そう言ってフェイを見る。挑戦的だ。
「いや、まあ……うーん」
フェイはその視線にちょっと笑って誤魔化すような、そんな顔をして……。
「……いや、そうですね。思います」
それから、思い直したように真剣な顔でそう言った。……こっちも挑戦的だ。
するとフェーンさんは……笑いだす。
「はっはっは。中々、見どころのある青年だ。遠慮のない物言いも、その裏に見える強い正義感も、実に素晴らしい」
シェールさんはそう言って……それから、苦笑しながら続けた。
「クロアは一応、養女ということになってはいます。しかし、それは彼女を保護するための名目に過ぎないのですよ」
「というと?」
「まあ、そこはお察しいただきたい」
にっこり笑って、話は終了。……え、どういうこと?
「あー、成程ね……。おいトウゴ。どうするよ」
どうするって言われても、今一つ、事情が分からないのだけれど……。
……うーんと。
「……あの、クロアさんはそれでいいんですか?」
分からないんだから、本人に聞くことにした。
「ええ。勿論」
……けれど、あっさり返事をされてしまった。
こうなると、なんというか……悩んでいる僕が馬鹿みたいだ。
「……フェイ、いいだろうか」
「ん?まあ、そりゃ、お前がいいなら引き受けりゃいいと思うぜ。クロアさんはいいって言ってるんだしよ」
フェイはさっきのシェーレさんとのやりとりに思うところがあるらしいのだけれど、まあ、結局はクロアさんの意思が大切だ、という方針らしい。
うん。なら、決まりだ。
「じゃあ、その、お引き受けします。自信は無いけれど……」
僕はこの話を引き受けることにした。
それから僕らは少しの間、パーティ会場に戻って、そこでフェイはそれとなくいろんな人に声を掛けられては躱して、ついでに僕がまた体調不良になって……なんとか、パーティを切り抜けた。
……そして。
「ではクロアをよろしくお願いします」
僕らは、クロアさんを預かることになった。
「あ、あの、本当にいいんですか?」
「ええ。本人も望んでいることですし、是非」
一応、と思って確認してみたけれど、シェーレさんもクロアさん本人も、至ってにこにこしているだけだ。うーん、いいんだろうか。
「あの、依頼の絵に、何かご指定は?画材とか、大きさとか、画風とか……」
「なに。全部お任せしますよ。あなたの思う最高の裸婦画をお願いします」
それは困る。せめて何か指定があればと思ったのだけれど……うーん、これだと本当にどうしようもない。頑張るしかないか……。
「では、依頼の品を楽しみにしておりますよ」
そうしてシェーレさんが去っていってしまってから、後には僕らとクロアさんだけが取り残された。
……うーん。
「と、とりあえず今日はもう遅いから、一泊して、それから出発、ってことで……いいか?クロアさん」
「ええ。私はあなた達に従いますわ」
クロアさんはこういうことに慣れているのかな。唐突な話だったと思うんだけれど、慌てた様子も無いし、落ち着いている。むしろ、僕らの方が慌てているくらいだ。
「……ま、宿にはもう1部屋余ってたもんな。丁度いいか。んじゃ、1泊してから出発!決定!」
けれどこちらはフェイが頑張ってくれるから助かる。これ、僕とラオクレスだけだったらオロオロしているだけだったかもしれない……。
そうして僕らは宿に帰ってきた。宿の寝室は4部屋あるから、余っていた1つをクロアさんに割り当てる。
……そして。
「……早速か」
「うん」
僕は、早速クロアさんを描かせてもらっていた。
「描かなきゃ勿体ない」
とりあえず、今日はクロアさんも疲れているだろうから簡単なクロッキーだけにしておく。でも、それでも描かないっていう選択肢は、無いよ。うん。
そうしてクロアさんを見て数分間、僕は夢のようなひと時を過ごした。
描いていてすごく楽しい。ラオクレスの時も楽しかったけれど、クロアさんはまたそれとは違う楽しさだ。
やっぱり女性の体って、男のそれとは違うんだな、と思う。骨とか。
……面白いことに、クロアさんを描いていると、ラオクレスの体がよく分かる、というか。こう、クロアさんの曲線ぶりを見ていると、ラオクレスが如何に直線だったかが分かる、というか……。
うん、クロアさんを思う存分描いたら、またラオクレスを描かせてもらいたい。或いは、2人並べて描きたい。
「おい」
そんな時、ラオクレスが僕に話しかけてきた。
「気が済んだら、寝る前に俺の部屋に来い」
「んじゃあ俺ももう寝るわ。おやすみ。お前もあんまり夜更かしするんじゃねえぞー」
「え?あ、うん」
ラオクレスとフェイはそう言って、多分、それぞれ寝室の方へと行ってしまった。僕の背中の方でドアが開いて閉じる音がしたから、もう2人とも寝室に入ったんだろう。
……何か用事でもあるんだろうか。うーん。
ええと……ラオクレスが話があるっていうことなら、早めに行かないとまずいだろう。彼は早く寝たいはずだ。明日はアリコーンの操縦があるわけだし。
「あの、クロアさん。とりあえず今日はここまでということで……」
ということで、今日はここで切り上げることにした。うん、大丈夫だ。時間はまだたくさんある。2か月もあるんだから、今日焦らなくてもいい。
するとクロアさんはくすくす笑って言った。
「あら、服は脱がなくていいのかしら」
……うー。
「あの……それはまだいいです。服の上から体の形が掴めてからにしたい」
「そう?実物を見た方が上達が早いんじゃない?」
「ううん。その、ある程度は構造や特徴が分かってからにしたいんです。その方が速く描けるから」
僕がそう言うと、クロアさんは少し不思議そうな顔をした。うーん、やっぱり彼女、ヌードデッサンのモデルさんとか、慣れてるんだろうか。だとしたら却って失礼かもしれないけれど、でも、やっぱり気になるから。
「……あんまり長い間、あなたを、その、そういう格好で居させたくないから。だから、速く描けるように少し練習してからにします」
クロアさんは笑って、寝室に入っていった。また『かわいい坊やね』と言われてしまったけれど、うん、もうそれでいいよ。どうせ僕はかわいい坊やだよ。
それから僕は画材を片付けながらクロアさんを寝室に見送って、一応、明日以降のために鉛筆を削って、それからラオクレスの部屋に行くことにした。
……すると。
「よっ、トウゴ。結構早かったな」
何故か、フェイが居た。
「……どうしたの?」
「俺が呼んだ。話しておきたいことがあったからな」
「おう。そういうことだ。……あ、ちなみにクロアさんはここ、俺の部屋だと思ってるからそのつもりでな。さっき、それぞれ逆の部屋に入ってみせたから。その後でラオクレスに窓伝いにこっち来てもらって、そんで今、ラオクレスの部屋では俺の召喚獣達がドタバタ遊んでる」
……ええと、それ、どういうことだろう。
「要は、クロアさんを警戒してるってこった」
「えっ」
……えっ?
「クロアさんを連れてくることになった経緯については俺からラオクレスに話しといた。そんで、お前がクロアさんをモデルにして引き留めてる間に、俺とラオクレスでちょっと話したんだけどよ……」
「あの女は怪しい」
「……ま、そういう見解になった」
いつの間にこの2人はこんなに仲良くなったんだろう。
それからええと……僕が絵を描いている間に結構話が進んでいる気がするんだけれど、どういうことだろうか。
「まず、話ができすぎているな」
「うん。それはそう思う」
出来過ぎだ。あんなに綺麗な人が居て、それで2か月も貸し出してもらえるなんて、あんまりにも出来過ぎた話だとは、思うよ。うん。
「そこで考えられることって、お前に取り入っておいて、お前から俺とレッドドラゴンの話を聞き出そう、ってくらいなんだよなあ」
「あ、そうか……」
うん、それなら、まあ、納得がいく。僕とずっと一緒に居たら、確かに、レッドドラゴンの話の1つや2つは出てくるかもしれない。特に、2か月なんて長い間だったら、尚更。
「……大体、シェーレ家に養女が居るなんて話は聞いたことがねえ。あんな美女なら、絶対にどっかで話題になるだろうけれど、聞いたことがねえ。つまり、ま、最近養女にしたってことなんだろうけどよ、……大方、愛人、ってとこだろうな。あの匂わせ方だと」
「或いは、愛人だと勘違いさせつつ追及は避けたかったか、だな」
うわあ……そ、そういうことだったのか。道理でフェイが複雑そうな顔してたわけだ。そっか、愛人……うーん、それならクロアさんのあの振る舞いにもなんとなく、納得がいくような気がする。
「ただ、そこで俺じゃなくてお前を狙いに行ったところがまたなんともなあ……」
「付け入りやすいと見たか、はたまた、直接目的の相手を狙うのは愚直すぎると見たかだな」
確かに僕は付け入りやすいだろう。うん。自覚はあるよ。
「或いは、トウゴ自身が目的かもな。……いや、あんまりなさそうだけど」
ジオレン家のあれこれについては、慎重に処理したって聞いている。つまり、僕の話が他所に漏れないように、って。……だから、僕が狙われた、というのは考えにくい。僕が狙われる理由があるとすれば、『フェイの親友』だからだ。
「どちらにせよ、何か目的があって近づいてきていることは間違いないだろうな」
「本当なら俺に近づく予定が、トウゴに『一目惚れ』されたからトウゴにしたのかもしれねえし……分かんねえけど」
そうか。うーん……。
……クロアさんはとても綺麗な人だけれど、綺麗な人には綺麗ななりに、色々とあるんだろう。きっと。綺麗な花には棘がある、ともいうし……。
「だから、俺とラオクレスとの話では……まあ、トウゴには悪いけどよ、とりあえず、クロアさんを警戒する、って方針になった」
「うん。それでいいと思う」
僕としては、モデルとしてクロアさんをとても大切に思うけれど……そのクロアさんの目的がよく分からない以上、警戒しておくことは必要、だと思う。うん。絵を描くことと、警戒することはまた別だ。
「……ってことで、トウゴ。これから先、どうする?」
「え、どうする、って……」
クロアさんは、怪しい。スパイかもしれない。そういう話だっていうことは、分かってる。だけど……。
「……描きたい」
やっぱり描きたいんだよ。クロアさん。
「うん!そうだろうと思ったぜ!」
するとフェイは嬉しそうにそう言った。ラオクレスも苦笑しながら、そうだろうな、と呟く。
「ただ、お前をレッドガルド家に置いとくのは、まあ……クロアさんが探りたいのはレッドガルド家のことだろうから、ちょっとな」
うん。それは分かるよ。
「ってことで、ここで2つ、案がある」
フェイはそう言って、指を2本立てた。
「1つは、レッドガルド領の町の外れの方の家を1軒、お前のアトリエってことにする。で、2か月間、お前もクロアさんもそこに閉じ込めておく」
……うん。成程。そうすれば、少なくとも僕以外からは情報が漏れない。家を1軒、ぽんと用意されてしまうのはあまりにも恐縮だけれど。
「で、2つ目は……クロアさんを、お前が住んでる森に連れていっちまうっていう案だ」
「ええと……いいの?あそこ、馬達が居るけれど。馬が沢山居るって知られたら、また密猟者の人達が来ない?」
森に行く、と言われて一番心配なのは、馬達のことだ。
馬達は一度、酷い目に遭ってる。2回目は許したくない。もう二度と、彼らには酷い目に遭ってほしくない。
「あー……まあ、別に秘密にしておかなくていいと思うぜ。というか、クロアさんが本当に俺らのことを調べてるなら、あの森にペガサスだのユニコーンだのが沢山居るってことは、知ってるだろうしな」
……そっか。馬狙いの密猟者の人達は、あの森に馬が居るということを知っていたし、多分、馬達の翼や角を売る時にある程度、情報は漏れてるんだろう。
裏の世界のことはよく分からないけれど……馬のことはきっと、その筋の人達が調べれば分かる程度には知れてしまっているんだろう。だから、気にするのも今更だっていうことになる。
「……まあ、その森に住んでいる人間が居る、っていうのは新事実かもしれねえけどな?だから、ペガサスよりもユニコーンよりも、トウゴが生息してることがバレるのが問題かもな」
「だが、俺1人では護衛が不十分かもしれない。森にはユニコーンが居る。多少の牽制にはなるだろう」
「そうだなあ。あれだけのユニコーンが皆してトウゴに懐いてる様子を見せておいたら、流石にトウゴに手は出せねえだろ」
「森の中からだと、誰かに連絡を取るのも難しいはずだ。相手の行動を相当絞れる。証拠を押さえるのも相手を捕らえるのも簡単だ」
……なんというか、すごい会話だ。ここまで話が進んでいいんだろうか。それから、フェイとラオクレスはいつの間にこんなに仲良くなったんだろう。
「で、どうするよ、トウゴ」
「うん。森がいい」
フェイは僕の希望も聞いてくれたけれど、僕の希望は元々森だ。それに加えて、2人の意見を聞いてみてもやっぱり、クロアさんを森に連れていってしまうのがいいと思う。
……それに。
「彼女の目って、綺麗な翠だから」
「……おう?」
「森が、似合うと思って」
背景って、大事なんだよ。
「……ま、トウゴも嬉しいってんなら、森にしようぜ。俺もできるだけ、様子見に行くからよ。うん。いや、トウゴがこの調子で2か月居た時、クロアさんがどうなるのか気になるし」
「案外、この調子で接されたら、クロアも毒気が抜けるかもしれんな……」
……うん。まあ、そういうことで、決まりだ。
僕らは森に帰ることにした。
ラオクレスは窓伝いにフェイの部屋へ帰っていった。今日はこのまま、フェイの部屋で寝るらしい。クロアさん対策だそうだ。
「じゃ、トウゴも早めに寝ろよ」
「うん。描くのが楽しみだから、ちゃんと寝るよ」
僕も僕の部屋に戻ることにする。クロアさんが何を思っていたとしても、彼女が綺麗なことには変わりない。だから、描くのは楽しみだ。
……わくわくしてしまって、寝付けないかもしれない。
「お前、ほんとに絵、描くの好きなんだなあ……」
「うん」
大好きだ。
僕は嬉しく思いながらフェイに挨拶して、自分の部屋に戻ることにした。
そして、翌朝。
僕らは宿を出て、森へ帰る。
「レッドガルド領へ向かうのよね?」
「おう。とりあえず、トウゴのアトリエでしばらく生活してもらうことになるけど、いいか?」
「ええ。構わないわ」
クロアさんはフェイと一緒にレッドドラゴン。僕とラオクレスはアリコーンで飛ぶ。
そして飛んで飛んで、休憩しながらクロアさんと少し雑談したりして、それからまた飛んで……。
僕らは、森に着いた。
「よし!到着だ!」
森の僕の家は、いつも通りだった。馬に囲まれていて、ついでに、竹が伸びてる。
馬達は早速、クロアさんに興味を示して寄ってきた。なんだなんだ新入りか、みたいに。
「……あの、驚いた?」
「ええ、とても……」
馬達に囲まれながら、クロアさんは……『予想外だった』みたいな、そういう顔をした。
うん、ごめん。




