8話:甘い罠と罠破り*3
なんだか夢見心地というか、そんな気分だった。あまりにも素敵なものを見てしまったからか、何となくぼんやりして、熱っぽいような、そんな感覚になる。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
「うん……」
でも、今日の僕の仕事は、フェイの言い訳になることだ。フェイが困ったら体調不良になって、フェイを退席させるために僕はここに居る。しっかりしろ。
「大丈夫。いつでも体調不良になれるよ」
「お、おう。気合入ってるなあ……」
フェイは僕を見てなんだか気の抜けた笑顔を浮かべる。
「……ま、気楽にいこうぜ。とりあえず俺は、早目に国王陛下か王子殿下あたりにご挨拶して、そうしたら後は、失礼にならない程度にパーティに居りゃ、それでいいんだからさ」
「うん」
分かった。まずは偉い人。それから、できるだけ時間を稼いで、それから退散。そういうことならそういう風に協力しよう。
ラオクレスは『従者』という扱いなので、壁際で待っていてもらう。
そしてフェイは、何気なく部屋の中央の方へ歩いて行った。その間も僕と話しながら。
誰かが近づいてきたら少し大きめに笑い声を上げて、僕との話に熱中しているふりをして躱していた。ちなみにその時に話してたのは、『好きな卵料理について』。フェイはオムレツ。僕は出汁巻き。
……そうして部屋の真ん中の方へやってくると。
「おや。貴殿はレッドガルド家の……」
ふと、落ち着いてどっしりとした声が、掛けられる。
途端にフェイは僕との話をやめて、ぴしり、と姿勢を正した。
「はい。フェイ・ブラード・レッドガルドです。……本日はお招きいただきありがとうございます、殿下」
殿下、ということは……。
「まあ、そう改まるな。堅苦しい会ではないのでな」
そう言って薄く笑みを浮かべるこの人が、王子様、なのだろう。
少し、周囲の声が遠くなった。多分、フェイが王子様と話し始めたから、皆がこっちに注目してるんだと思う。聞き耳を立てて、フェイの話を聞こうとしている。そんな気配がした。
その中心で、フェイと王子様が向かい合う。
……年齢は、王子様の方が上に見える。けれど身長はフェイの方が高い。王子様はそんなに大柄じゃない。けれど、豪奢な服を威厳たっぷりに纏っている姿は……まあ、王子様っぽい、というかんじだ。
「そうだ。レッドガルド家というと、報せに不備があった家だな。……すまなかったな。報せが届いたのは前々日だと聞いている。急なことで驚いただろう」
王子様はそう言って、如何にも『申し訳ないことをした』というような顔をする。……本当に思っているかは怪しい。
「ええ。驚きましたね。しかし、その驚きは喜びですよ。急に嬉しい報せが舞い込んだのですから、喜ばない訳がない」
フェイは失礼にならない程度の砕け方で、そう言って笑う。なんというか、上手いなあ。
「そうかそうか。それならばよい。どうだ、パーティは楽しんでいるか?」
「はい。勿論」
「不備があれば何でも言うといい。皆に楽しんでもらうことがこの会の目的だからな。父上もそれをお望みだ」
王子様はそう言って、堂々と笑う。その笑顔には一点の曇りもない。
「そうですね。なら、楽しませて頂きます。……ただ、父や兄ならまだしも、どうして自分のような者が呼ばれたのかと、少し緊張していましてね」
……けれど、フェイがそう言った途端、王子様は少し、緊張した顔をした。
「果たして、私のような者がこのような場にお招き頂いてよかったのでしょうか?」
「うむ……勿論だ。そうだな、この会は、普段はあまり会うことのできぬ諸侯との顔合わせの機会でもある。いつもいつも同じ顔触ればかり揃うのでは芸がない。そう、私が父上に進言したのだ」
フェイは笑顔のままだけれど、視線は少し、鋭い。『御託はいいからさっさと本題に入れよ』とか心の中で言ってそうだ。
「そして、将来有望な若者達を集め、これからの王国を支えるに相応しい者達を発見するということも、今回の目的でな……」
王子様は少し迷うようにそう言って……それから、フェイの、少し挑戦的な明るい視線を受けて、覚悟を決めたらしい。
「どうやら貴殿は、伝説のレッドドラゴンを召喚獣にしたそうだな。一目見てみたいのだが」
早速、本題に入ってきた。
フェイは少し、迷ったらしい。でも、にっこり笑顔で頷いた。
「ええ。構いませんよ。勿論、差し上げることはできませんが」
そして少しおどけて冗談のように鋭いことを言って……胸に付けたブローチの石を、こん、と軽く叩いた。
途端、レッドドラゴンが現れる。
会場がざわめいた。
シャンデリアよりも眩しく輝くような瞳。炎よりも赤い鱗。その逞しい体躯も、広げられた翼も、何もかもが『レッドドラゴン』のもの。
……レッドドラゴンは出てくると、悠々とその場を小さく旋回した。会場の天井すれすれを飛んで、そして、フェイの傍へ帰ってくる。
きゅ、というような鳴き声を上げて、レッドドラゴンはフェイに擦りついた。如何にも、『自分はこいつによく懐いています』とアピールするみたいに。
「……素晴らしい」
それを見た王子様は、半ば呆然としたようにレッドドラゴンを見つめて……一歩、近づいた。
途端。ぎゃう、と、レッドドラゴンが剣呑な声を上げた。
レッドドラゴンが牙を剥く。そして、王子様を睨みつけた。……この様子に、会場はまた少し、ざわめいた。
「おっと。こらこら。興奮するなって」
それを見てフェイは、少し嬉しそうにレッドドラゴンの頭を撫でた。
「いや、すみません。こいつ、ちょっと人見知りなんです」
フェイはそう言いながら、レッドドラゴンを抱き込むようにした。……するとレッドドラゴンはフェイの首筋に頭を乗せて、すっかり『人見知りする子』のふりを始める。賢い。
「そ、そうか。成程、確かにこのような場は不慣れだろうな……」
「ええ。何せ、こんなに大きなパーティにお招きいただくのはこれが初めてですし……ほら、もう戻っていいぞ。ありがとな」
フェイはさりげなく、レッドドラゴンを宝石の中へ帰してしまった。レッドドラゴンは一度、会場をぎろりと睨みつけてからフェイの宝石へ帰っていく。
「ふむ、そうか……うむ」
……それを見て、王子様は少し考え込むと……言った。
「レッドドラゴンを実際に手懐けるその手腕。そして、伝説のみに名を遺す魔獣をどこからか手に入れてきたその豪運。或いは血筋か。……ふむ、貴殿が善良かつ熱意に溢れる者だからこそ、レッドドラゴンも心を開いたのだろう」
「ははは。そのように買いかぶられては困ります。ただ、たまたま……幸運で、かつ、気が合っただけです」
フェイは笑って答える。少し冗談めかしながら、それでも、嘘は吐かねえぞ、みたいな。そういう意思を感じる。
それを聞いて、王子様はゆったりと頷いて……言った。
「ほう。中々面白い。そうだな……貴殿のような者が、我が妹である第3王女ラージュの夫となってくれれば、安心できるのだが」
……うわあ。ジオレン家の人が聞いたらすごく悔しがりそうだ。
でも、フェイとしてはきっと、嬉しくないんだと……あ、いや、どうなんだろう。
フェイはやっぱり、お姫様と結ばれるのに憧れがあったりするんだろうか。それとも、やっぱりレッドドラゴンを利用されるみたいで、嫌なのかな。
どうしよう。僕、フェイの気持ちをあんまり聞いていない。
……けれど。
「ははは。お戯れを。いけませんよ。私のような者にそんなことを仰っては。本気にしてしまいそうになる」
フェイはそう言って、明るく笑った。……いや、笑い飛ばした。
「私ではつり合いませんが、是非、王女様に相応しい、素晴らしい男が現れることをお祈りしております。そして、王女様のご結婚のパーティにもお呼びいただけることも。……勿論、参列の席の端でいいので!」
フェイは元気よくそう言い切った。
……つまり、『俺にその気はねえぞ』ってこと、なのか。いいのかな、それ。
王子様が少しショックを受けたような顔をしているけれど、フェイはあっけらかんとして、無邪気に笑っている。うん、悪意は無い。そういう顔だ。
「王女様はお美しい方だと伺っていますよ。だから、そうですね……やはり、殿下のような、或いは伝説の勇者のような、そういった男が相応しい!」
「そ、そうか……う、うむ。そうだな。伝説の、勇者のような……しかし、貴殿も」
「ああ、そうそう!伝説の勇者といえば、階下の壁画はとても素晴らしかった!こいつが中々、壁の前から離れたがらなかったくらいで……」
……その時、フェイはそう言いつつ、僕のことを肘でつついた。
あ。うん。
「おや?そちらは……」
僕の話が出たからか、王子様は僕へと視線を移した。
……王子様は僕に興味を示したふりをしながら、多分、僕が何なのかを探っている。
レッドドラゴンを手に入れるためにフェイを手に入れたい王子様は、フェイを手に入れるために僕をどうにかしようと考えているのかもしれない。
……要は、あんまり気持ちのいい視線じゃない。こういう視線は嫌いだ。
「ああ。うちの絵師であり、私の親友です。こいつが中々面白い奴でして……まあ、勉強のために一度、王城の様子を見学させようと思いましてね」
フェイはそう言って僕を王子様に見せるように、僕の横に半歩身を引いて……。
……そこで僕は、失礼にならないようにお辞儀しながら、ちょっと俯いて、フェイの服の裾を引っ張る。
「ん?どうした?」
フェイは少し身を屈めて、僕に耳を寄せた。……なので僕は、声を潜めて、それでいて王子様にも何となく聞こえるくらいの声で、言う。
「その、ちょっと、具合が悪くなってきて……」
そう言いながら、僕は自分で自分に言い聞かせる。僕は体調不良。僕は体調不良。僕は体調不良。
「おいおい、大丈夫か?」
「うん……」
頷きながら、体調不良っぽく振舞う。ちょっと体の重心がおかしくて、ちょっと手が冷えていて、ちょっと血の気が悪い。そういうかんじだ。
「……ちょっと顔色、悪いな。そっか。なら……」
フェイはさっと僕の顔を覗き込む。勿論、僕の顔色は多分、別に悪くない。けれど、前髪で隠れた顔の顔色が本当に悪いかなんて、王子様には分からない。
「大変申し訳ありません。連れの体調が優れないようでして……!」
フェイは綺麗な所作で頭を下げる。『失礼を承知で』という意思がひしひしと伝わってくるお辞儀だった。僕もそれに倣ってお辞儀する。
……すると、流石に王子様も、これ以上僕らを引き留めておく口実を失ってしまったらしかった。
「ふむ。それはいけない。休憩室を使うといい」
「ありがとうございます、殿下」
「うむ。是非、また話を聞かせに来てくれ」
王子様はちょっと惜しそうにしつつも、少なくとも表面上はにっこり笑って僕らを見送ってくれた。
……そうして僕らは無事、会場を脱出することができた。
会場を出て隣の部屋が休憩室だった。
僕はそこのソファに座らせてもらって、水を貰って少し飲んで、それからフェイに付き添われてしばらく休む、ということになった。
……これでよかったのかな。とりあえず、王子様の前からは逃げられたけれど……僕が居なくても何とかなったんじゃないだろうか。フェイは喋るのが上手だし。
大体、あそこで逃げるみたいにして出てきてしまってよかったんだろうか。フェイやレッドガルド家の評判が悪くならないといいんだけれど。
「よーし。よくやったぞ、トウゴ」
「そうかな」
フェイは僕の隣に座りながら、小さな声でそう言って、にやりと笑う。
「これで後はパーティの終わりギリギリまで時間潰して、それから適当に戻って適当な奴と喋っときゃいい。ってことで、ここでのんびりしていこうぜ」
フェイはそう言って笑うけれど……僕は少し、心配になる。
「……あの、さっきの、結構失礼だったよね?後で怒られないだろうか」
「ん?まあいいだろ。多少無礼でも、病人がいるって言われた以上、そこに文句はつけられねえ。それによ、向こうだって十分失礼だぜ?レッドドラゴンしか見てねえからな、あいつら」
「レッドガルド家としては、いいの?」
重ねて聞いてみると、フェイは……じんわりと嬉しそうに笑った。
「ん。そこらへんはもう、親父とも兄貴とも、レッドドラゴンとも相談済みだ」
「レッドドラゴンが俺の召喚獣になってくれて、嬉しかった。けど、それだけじゃ済まねえってことも、分かってたさ。俺も、親父も兄貴もな」
……当然のことか。僕よりも、フェイ達の方がずっと、『レッドガルド家のこと』を考えてる。
レッドドラゴンが出てきた時だって、当然、それが何を連れてくるかも分かっていたんだろう。
「伝説にだけ名前が残るドラゴンが居るんだ。戦力として優秀なのは間違いねえし、権威の象徴にしたがる奴だって出てくるだろ」
「うん」
現に、出てきてる。
王子様もそうなんだろうし、ジオレン家の人達も、多分、そうだ。……どうしたって、そういう人は居なくならない。
「……けどよ。やっぱり、『何のために戦力を求められてるのか』が分からねえなら力は貸したくねえし、レッドドラゴンを……レッドガルド家の血の誇りを、どっかの誰かの『権威の象徴』なんかにされたくねえ」
フェイはそう言って、強く拳を握った。それと同時、彼の胸で、炎の色をした宝石がキラリと光る。まるで、中に居るレッドドラゴンが応えるみたいに。
「だから、『どうして力が必要なのか』を言わねえ相手には力は貸さねえし、『権威の象徴』としてレッドドラゴンを狙う連中は全部振ってやるんだ」
「……そっか」
「ついでに、レッドドラゴンが権威でもなんでもないって示すために、近所の買い物に行く時とかにレッドドラゴンに乗ってるし、よく人前でもレッドドラゴンとじゃれてる!」
うん。
……自転車みたいな扱いされてるレッドドラゴンが居たら、あんまりありがたいかんじはしない。確かに。
あと、人にじゃれてるレッドドラゴンが居たら、やっぱりあんまり偉そうなかんじはしない。うん。
「ってことで、ま、レッドドラゴン関係で寄ってきた奴らを振るのは親父も兄貴も了承済みだ。それで多少、レッドガルド家の立場が悪くなったって構いやしねえよ。今更だ、そんなん」
「……あの、レッドガルド家って評判悪いの?」
「悪かねえけど、良くもねえよな。領民から税金搾り取って王城に納めりゃ、王城からの覚えも良くなるんだろうけどよ。そうまでして王に媚びる必要はねえ。そしてありがたいことに、うちは精霊の森がど真ん中にある領地だからな。うちから納める税金が少ないのはそれを理由に認められてる。だから向こうは文句も言えねえし、まあ、こっちも文句言われねえ程度に仕事してりゃ、それでいいってことだ」
要は、レッドガルド家は王城の人達に気に入られようとしていない、っていうことなんだろう。
……王城のこともよく分からないのにこんな風に思うのは良くないとも思うけれど、でも、なんだか、フェイの言葉を聞いて安心した。
「ってことで、トウゴが心配することは無いぜ。全部、俺達が決めた事だからな」
「うん。分かった」
そういうことなら、僕はいくらでも仮病を使う。フェイも、存分に僕を言い訳にしてくれればいい。
「さーてと、それじゃ、ちょっと飲み物貰ってくるかな」
フェイはそう言ってソファから立ち上がると、休憩室に備え付けてあるドリンクサーバーみたいなものから飲み物をとってきた。
ついでに、僕の分も持ってきてくれたらしい。ありがたく、飲み物のグラスを貰う。
「休憩室だけど、水以外も置いてあったぜ。やったな。……ったく、王子殿下と喋ってたら喉乾いちまって……」
フェイがそう言いつつ笑った、その時だった。
……ドアが開いた。
咄嗟に僕らは口を噤む。ついでに僕は、体調不良のふりをして……。
……けれど、その必要はなかった。
ドアを開けて入ってきたのは、王子様じゃなくて、王城の関係者の人でもなくて……さっきの、美術品みたいな女性だった。