ちょっと春が早い森
最近、というか、ここ3日ほど。
僕は……その、うかれぽんち、という奴です。
「トウゴー!まーたあんた、花咲かせてるでしょ!」
「えっ!?あっ!ごめん!」
今もうきうきぽやぽやした気分になってしまって、ふと見たら僕の足元には花がぽんぽん咲いていた。ライラがそれを見つけて注意してくれる。
……うう、そうなんだよ。ここ3日ほど、僕ずっとこんな調子なんだ。というのも……ええと、その、恐れ多くも、合格、したので。そう。第一志望に。無事に、合格、して……。
「トウゴ!こら!戻ってきなさい!気持ちはわかるけど!気持ちは分かるけど、またあんた森の外まで春にしちゃう気!?」
あっ、あっ、いけない!いけない!思い出すと浮かれて、また花が咲いちゃう!
……うん。そうなんだよ。僕、夢が1つ叶ったのがとてもとても嬉しくて、ついつい、森中に花を咲かせてしまっているんだよ。
合格発表当日は、特に酷かった。
駄目だったらすぐ森に駆け込んで鳥に埋もれようと思って、僕は先生の家の『門』の傍でスマートフォンを構えて、発表を待ってた。
それで、発表がウェブ上に出て、何度もアクセス集中によって弾き出されてしまって、それでも何度も何度も確認しようと頑張っていたら、唐突に、受験番号の並びが表示されて……それで、僕の番号が、あった。
夢かと思って、何度も確認した。けれど何度確認しても番号は合ってて、どうやら夢じゃないらしい、っていうことが分かった。
なので……なので、僕、もう、すっかり現実味が無いまま両親や学校、予備校への連絡を入れて、それから少しぼんやりして、現実味がふつふつと湧いてきたところで『門』の中に飛び込んで……そこで、のんびり日向ぼっこしていた鳥のふわふわの胸毛に飛び込んで埋もれて、嬉しさを爆発させちゃったんだよ!
今思い出すと、本当に何をやってるんだ僕は、っていうかんじで……うん、あの、ええと、森中、ソレイラ中にぽんぽん花を咲かせてしまった。にょきにょき芽も芽吹かせてしまったし、もう、森中が『春!』っていう具合になってしまった。
そんな調子だから、森の皆は僕の合否を僕から伝える前に知っちゃったんだよ。ああ、本当に、僕は何をやっているんだろう……。
その時はライラが真っ先に駆けつけてきて『おめでとう!でもあんたそろそろ止めないと森が完全に春になっちゃうわよ!』って止めてくれたので、大事には至らずに済んだ。
勿論、その後処理は大変だったけれど。その、ちょっと地面から顔を出しちゃった芽をもう一回引っ込めたり、咲いちゃった花をそっと蕾に戻したりするの、とても大変だったけれど。
まあ、僕のうかれぽんち初日はそんな調子で……諸々の手続きを終えたり、あちこちに連絡を入れたりしている内に、嬉しいのがどんどん実感できるようになってしまったし、更に、森のみんなが僕のことお祝いしてくれて、それでまた、嬉しくなってしまって……そうして僕、すっかり『うかれぽんち』だ。
ちなみに『うかれぽんち』っていうのは先生がよく言ってる。うかれてぽやぽやして、ちょっと馬鹿になってる時の様子、らしい。なんとなく丸みのある言葉で、好きだよ。うかれぽんち。ライラが『なんか嬉しくてポヤポヤしてるあんたにぴったりの言葉よね、うかれぽんち、って……』と言っていたことについては、遺憾のい、だけれど。
……さて。そういう訳で僕は、すっかりうかれぽんちなのだけれど、そのせいで処理が大変だ。今も、花がぽんぽん咲いてしまって、さて、これをどうしようかな、と考えているところで……。
「おやっ、トーゴ!庭の桜が咲いたからもしや、と思って来てみたが、やっぱり君、来てたんだな!」
と思っていたら、先生が先生の家の方からやってきた。その手に大きめの籠を持って、魔王と一緒にのんびりと。
「あっ先生……ごめんなさい。また桜、咲かせちゃった……」
ちなみに先生の庭の桜が咲くのはこれで3回目だ。僕がうかれぽんちなばっかりに。本当にごめんなさい。
「いやいや、別に構わないよ!君はそれくらい喜んだって許されるし、そうでなくとも、少々早めの花見を楽しめるからね、オツなもんだよ」
先生はそう言って僕の頭を撫でてくれる。ああ、それが嬉しくて、申し訳なくて、何とも言えない気持ちだ!
「そして何より、こういうことができるからな」
それから先生は僕の頭から手を離して、大事な宝物を見せるように、そっと、籠を見せてくれた。
……そこには、ころん、とした、薄緑の可愛らしい形のものが、たくさん。
「見たまえ。フキノトウだ」
どうやら、やっぱりこの森、春になっちゃってるらしい。
「へー、なにこれ、可愛いわね」
ライラはフキノトウの形が気に入ったらしくて、籠から1つ拾い上げて眺めている。
分かるわかる。フキノトウって、ちょっぴり可愛らしいよね。薄緑の、薄布を何枚も纏ったような姿。ころんとして丸っこいフォルム。そしてほわりと漂う春の香り……。僕、フキノトウ大好きだよ。先生の家の庭で一緒に採った記憶があるから、余計に好きなのかもしれないけれど。
「ふふふ、可愛いだろう、そうだろう。だがフキノトウは苦み走った、一丁前の山菜なのさ」
「えっ、苦いの?これ」
「ああ。苦い。ものすごく苦い。これを1つ食べた魔王が、去年、『まおーん!』と悲鳴を上げたくらいには苦い」
先生、魔王の『まおーん!』のところは魔王の真似をして臨場感たっぷりに言ってくれた。その横で魔王が『まおーん?』と首を傾げている。今の、君の真似だよ。ちょっと似てたと思うけれど。
「それに……ほら!トーゴ!さてはこれも君の仕事だな?」
そして先生はにこにこと満面の笑みを浮かべながら、僕とライラの後ろ……家の前の泉のあたりへ向かって行って、そしてそこににょっきり生えていた植物を、採集し始めた。
「ほら!見たまえ!セリだ!根っこまで立派だなあ。これはきっと美味いぞ!」
なんと、僕、うっかりセリまで生やしてしまったらしい!ああ、この森にセリが生えるには、あともう2週間くらいは早いと思うんだけれど!僕、本当にうかれぽんち!
「いやあ、嬉しいな。僕はセリが好きでね。こんなに瑞々しくて香りのいいセリは中々見ないぞ!」
……でも、先生が嬉しそうだから、その、ちょっとだけ、うかれぽんちも許される気がする。ああ、僕ってつくづく、自分に甘い……。うう。
「でもウヌキ先生なら、書けばそういうセリも出せるんじゃないの?」
「そうなんだけれどね。だが、こうやって森の中を歩き回って採集する、っていうのは、書いてワードローブに出現させた奴を拾う、っていうのとまったく違うのさ」
「あー、それはなんか、分かるかも」
先生の言葉にライラが大いに納得している。そうだよね。先生は『かえし』も書いて出さずに自分で作っていた。こういう風に、手に入れたり作ったり、っていう過程も楽しいものだから、それらを経験してみたいな、と思う気持ちはよく分かるよ。
「さて、じゃあ僕はちょっと、山菜採取に出てみるとするかな。折角トーゴが生やしてくれたことだし……」
先生はセリを籠の中に入れると、ウキウキと、森の中を歩いていく。僕とライラは顔を見合わせてから、どちらからともなく、先生を追いかけ始めた。
多分、ライラは単純に先生の奇行が気になっていて、僕は自分のうかれぽんちの後始末を先生が手伝ってくれそうだから、一緒に居たい。
……僕、他には一体、何を生やしちゃったんだろうなあ。
「おっ。ここにはハコベが生えている。ははは、可愛い花まで咲いているじゃないか!」
続いて、先生がラオクレスの家の傍、手押しポンプの傍で見つけたのは、ハコベ。ハート形の小さな葉っぱと、小さな小さな白い花が特徴の植物だ。これ、本来は2月中に咲くものじゃないんだけれど……!
「あああ、恥ずかしい……」
「……トーゴ。君、これ、恥ずかしいのかい?」
「うん……僕が浮かれてしまった証拠のようなものなので……」
僕はすっかりうかれぽんちなので。ああ、でも、こうして先生と一緒に見て回って、よかった。自分がどんなに恥ずかしい奴かが分かって、ちょっと浮かれ具合が落ち着いてきたから……。
「そ、そうか。君、これを見ると恥ずかしいのかい。そうかい……まあ、それでも容赦なく僕はこれを食べちゃうぞ!」
先生は僕を横目に、実に楽しそうににこにこしながらハコベを摘んで、籠に入れていく。
「えっ、これ、食べられるの?見たかんじ、ただの雑草に見えるけど……」
「ああ。食べられるとも。僕やトーゴの国では、春の七草といって、まあ、1月7日に食べる草が7種類あるんだが。その中の1つがコレだよ」
うん。分かるよ。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。これの『ハコベラ』がこのハコベなんだよね。先生に前教えてもらったから、僕は知ってる。……でも実は、食べたことは無い。どんな味がするんだろう。
「ねえ、ウヌキ先生。これ、食べるのよね?なら、私もご一緒していいかしら?」
僕がちょっと気になっていたら、なんと、ライラがそう言い始めた!
「あっ、僕も!」
慌てて僕も立候補すると、先生は嬉しそうに笑ってくれた。
「勿論だ!共に『雑草を食べる会』として楽しく活動しようではないか!」
……うん。よし!今日の僕らは、『雑草を食べる会』だ!僕のうかれぽんちの分の処理なわけだけれど……でも、楽しんでやっていこうと思うよ。
次に僕らは、ソレイラへ向かった。
というのも、森の中は最悪、多少の春っぽさがあっても動物達が『ああ、またあの精霊が浮かれてる……』って呆れるだけだからいいんだけれど、その、ソレイラまで春になってしまうと、ソレイラの人達に迷惑が掛かるから。収穫や種まきの時期だって変わってしまうだろうし、何より、彼らを戸惑わせてしまう。
僕は可愛いソレイラの民を困らせたくないから、一応、様子は見ておきたかった。うう、最初の一回以来、ソレイラにまでは浮かれ成分がいかないように気を付けていたんだけれど……。
「……うん。トウゴ。あんた、これ駄目なんじゃないの?」
「あああああああああ……」
ソレイラの、ほとんどの場所は、大丈夫だったんだよ。一回出してしまった芽も引っ込めておいたし、春めいてしまった分はちゃんと戻したつもりだった。
でも、でも……たんぽぽ畑が、満開だ!
「おや、しかし、ここのたんぽぽは年中咲く品種じゃなかったかい?」
「それにしたって、ここまで満開なのは珍しいのよねえ……」
「ああ、成程。確かに、一面みっしりギッシリとたんぽぽ色の大地、というのは珍しいなあ。はっはっは」
ここのたんぽぽはちょっと特殊な品種なわけで、その分、年中咲くし、魔力の伝達に役立ってくれているから特にそれで困ったことも無かったんだけれど……それだけに、このたんぽぽが『ちょっと特殊』っていうのはソレイラの人達も知っているんだ。
だからか、ソレイラの人達、ぎっしり満開のたんぽぽを見て『あらあら、精霊様は今日もご機嫌なのねえ』なんて笑い合っているんだよ!ああああああ!あああああああ!
「ちょ、ちょっと、トウゴ。あんた大丈夫?」
「恥ずかしい……穴があったら埋まりたい……」
「埋まらずに入るだけにしときなさいよ」
ライラがぽんぽんと肩を叩いてはげましてくれるんだけれど、ああ、あああああ……僕、僕、これだから、これだから……。
「まあ、これだけ満開ならちょいと食べちゃってもいいだろうね!」
僕があまりの恥ずかしさに丸くなっていたら、先生がそんなことを言いだしたので僕も顔を上げることになる。……そして顔を上げたところで、丸くなった僕をスケッチしていたらしいライラを見つけてしまった。描かないで!もう!
「ということでトーゴ!ちょいとたんぽぽ、貰うぜ!やってみたかった奴があるんだ!」
「え、あ、うん、いいけど……え?食べるの?」
先生があまりにウキウキのウキウキ宇貫なものだから、僕は恥ずかしいのもちょっと吹き飛んでしまったような気分だ。
「たんぽぽって、まあ、葉っぱは食べるわよね。サラダに入れるし、あと、根っこをハーブティーにするんじゃなかった?」
「ああ、たんぽぽコーヒーだね?うむ、あれはあれでオツな味だが……あれ、苦いのでね。僕はそんなに好きじゃないのさ。ただ、葉っぱは中々悪くない。まあ、今日、用事があるのは花の方だが」
先生はウキウキと、たんぽぽの花を摘んでいく。たんぽぽの花はキク科の植物特有の爽やかな香りがあって、それとは別に、なんだかふんわり、花の香りもする。春めいた香りだなあ。
「花、何にするの?」
「まあ、それは後でのお楽しみ、ということにしようか。じゃあ、トーゴ、ライラ!君達も手伝ってくれたまえ!花の部分だけ、ガンガン摘んでいってくれると助かるね!」
たんぽぽの花が何になるのかは気になるけれど、今は先生の言葉に従う。
僕とライラはそれぞれ、先生から籠を受け取って(先生、籠の中に籠を入れていたらしいよ。或いはそういう風に、急いで書いたのかもね)、たんぽぽの花を摘み始める。
「……トウゴ、一体何をしている?」
そこへラオクレスが来て、不思議そうに僕らを見ていた。まあ、たんぽぽの花だけ摘んでいると、不思議だよね。茎は残してしまうから、花冠にできるわけでもないし……。
「ああ、増えてしまった分の処理か。まあ、あまり気にするな。無理のない範囲でやればいい」
そして僕が説明する前にラオクレスはそう言って頷いて、少し気遣うように優しく笑ってから、去っていった。……いや、あの。
あの!恥ずかしさ、ぶり返させないでほしい!
たんぽぽをたっぷり摘んだ僕らは、それからソレイラの畑の様子を見に行った。ほら、畑に影響があるのが一番まずいので。
「ああ、トウゴさん!どうされました?」
「ええと、畑に異常はないかな、と、見に来ました」
僕らが畑を見ていたら、早速、農夫の人が話しかけてきてくれたので、早速、聞いてみる。ああ、どうか、何もありませんように!
「異常、ですか?ああ、それなら、蒔いた種が早速芽吹いて、おや、随分早いな、と思ったら翌日、引っ込んでいた、というくらいしか……」
……うん。よし。異常なし。よし。よしってことにする。させて。ごめんなさい!
「……いや、まあ、そういう夢を見ちまった、っていう話なんですよ!ええ、なんだろうなあ、最近、ちょっと夢見が妙にふわふわしていて……ああ、なので、本当にこの畑には何も異常はありませんよ!大丈夫です!」
え、あ、夢の話か。ああ、よかった。『大丈夫です!』って笑いかけてもらって、少し安心した。ああ、僕、ソレイラでまで芽吹いちゃったかと思った。危ない、危ない……。
それから、僕らは畑の脇へ案内してもらった。というのも、『ソレイラは作物の育ちが早くて助かりますが、雑草の伸びも早いのがちょいと大変ですね。まあ、何故か畑の中にはほとんど雑草が生えないんですが……』と教えてもらったので。
そういう訳で畑の脇を見てみると……そこには、元気に春の雑草が生い茂っていた。あああああ……。
「おやおや、ギシギシだ!立派だなあ!」
「あー、もう大きな株になってるわ。これ、こうなると引っこ抜くのが結構大変よね」
その中でも特に立派な雑草は、ギシギシだ。
葉っぱが大きくて、それが何枚も生えて大きな株になるものだから、目立つ。ああ、春先のこの時期に、こんなに立派なギシギシが生えちゃうなんて!
「よし、これも美味しく頂こう」
「えっ、これも食べられるの!?」
「ふふふ、食べられるか、ではない。食べるか、なんだよ」
ライラの驚きに先生は神妙な顔をして何やら頷いて見せる。
「雑草という草は無い、というのはかの昭和天皇のお言葉だが、正にその通りだな。雑草という草があるのではなく、あらゆる草を十把一絡げにして『雑草』としてしまう人間があるだけなのだ」
うん。すごくよく分かる。
僕、先生に色々な植物の名前を教えてもらって、そのおかげで、色々な植物を一つ一つ認識できるようになった。名前を知って、存在を知って、認識するって、そういうことだ。
「色の名前を知らない人にとって、桃色も桜色も全部『ピンク』なのと一緒、だよね?」
「その通り!そして……それらの草が『食べ物』となるか『雑草』となるかも、その人の認識によって変わり得る!」
先生は嬉しそうにそう言って、丁寧に、ギシギシの株の真ん中、一番新しく出てきている新芽の部分を摘み取っていく。
「雑草っていうのはいいね。時にただの、取るに足りない草でしかなく、時に邪魔もので、時に食料で、時に僕らの心を慰めてくれる美しい植物だ。物事には多様な面が存在するのだと、思い出すことができる」
そう言ってどんどんギシギシを採取していく先生の横顔は、なんだか思慮深くて、優しくて、そして、とても知的に見える。ああ、先生って、やっぱり『先生』っていう呼び名に相応しいんだよ。
「まあ……そう考えると、こういうのも余計に楽しいかもね。私は単に、宝探しみたいで楽しくって好きだけどさ」
ライラもにまっと笑うと、先生に続いてギシギシの芽を摘みにかかる。なら、僕も後れを取るわけにはいかない。僕も早速後に続く。
……僕はね。こういう風に、大好きな人達と一緒に何かをするっていうこと自体が、楽しくて大好きだよ。それに、大好きな人達の新しい面も、見られることがあるから、余計に。
「あー、忘れてたわ。この草、粘っこいのよね……」
「あっ、この草、粘っこい……」
……僕とライラはギシギシの芽を摘んで2人ほとんど同時に声を上げて、それから、顔を見合わせて笑う。
ね?ほら、楽しい!
……さて。
そうして僕らは色々な草を取って帰ってきた。
「よしよし、フキノトウにセリ、ハコベ、たんぽぽの花がたっぷりに、ギシギシの新しい芽!カラスノエンドウの新しいところも取ってきたし、実に大収穫だった!」
採集の成果を台所に並べて、僕らは大いに満足する。
若い植物の様々な緑も、たんぽぽの華やかな黄色も、実に春らしくて素敵だ。これをこれから食べちゃう、っていうのも、わくわくする。……ちょっとだけ、恥ずかしくもあるけれどね。うん。でも、そこは感覚を切り離して、割り切っていこう。
「それにしても、驚いたな。虫が全然居ない」
そして先生は、採取してきた草を眺めて首を傾げる。まあ、そうだよね。普通、こういう風に雑草として道端にあったものを集めると、虫も結構、集まってしまうのかも。
「ああ、小さきものはこの森の真ん中の方では生きていけないから……」
「えっ何だいそれ」
「私も聞いたことないわよそれ」
あ、うん。話したこと、無かったかもしれない。……ええとね、この森の中心部、精霊の力の濃い場所って、あまり力の無い生き物が入ってきてしまうと、その、フェイの『魔力酔い』の酷いのになって、死んでしまうんだ。
だから、魔力の少ない生き物……そういう小さな虫とか、ただのウサギやリスや鹿や小鳥なんかは、僕らの家がある方まで来られなくて、まあ、つまり、僕らが森の中心部へ向かう道中で、慌てて籠からまろび出て逃げていきました。
森の端っこの方やソレイラではそういう虫もある程度生きていけるみたいだから、そっちの方で元気に生きていて欲しい。
僕らは早速、調理を始めた。
先生曰く、『こういう風に採ってきた植物は洗って虫を落とすのが一番大変なんだが、今回はそれが無いからなあ……』とのことだった。まあ、この森の生き物は、端っこの方に住んでいる虫達にしたって、皆賢くて優しいからね。どんなもんだい!っていう気分だ。
「先生。フキノトウは蕗味噌?」
「そうだなあ、ライラがフキノトウ初挑戦らしいから、てんぷらも作ってみようと思う。たんぽぽの花も添えてみよう。ああ、あと、折角だ。鶏むね肉があるから、とり天も添えるとしようか」
僕は先生に聞きながら、作業を進めていく。ライラは勝手が分からないながらも、料理は僕なんかよりずっとやってるから、先生に出された指示をどんどんこなしていく。
そうして、フキノトウを刻んだまな板が灰汁で茶色くなるのを見て『すごいわね』『この灰汁、何かに使えないかな、って毎年思う』なんて話したり、ギシギシを湯がいた後のお湯を見て『ちょっと粘るわね』『面白いね』なんて話したりして、着々と準備を進めていく。
そうしている内に魔王がまおんまおんとやってきて、金柑の実を沢山運んできてくれた。ああ、これは比較的冬の果物だから、なんだか見ていて落ち着く……。
「おやおや。金柑が届いたなら、これは甘露煮にするか。丁度、たんぽぽも煮ているところだったし……どれ、お砂糖を計量せねば」
先生は魔王を撫でてやりながら金柑を眺めてにこにこする。一方たんぽぽは、鍋の中で、砂糖と一緒に煮込まれているところだ。ええと、たんぽぽのシロップ、らしいよ。味が気になってるし、これをレネに食べさせたらきっと『ふりゃ!』って光るだろうな、って気になってる!
「ウヌキせんせーい!スイハンキが歌ってるけど、これ、どうしたらいいのー!?」
「ああ、優しく蓋を開けて、中のごはんを混ぜておいてやってくれ!そこの出っ張りを押すと開くから!」
「先生、塩もみしたきゅうり、もう合わせていい?」
「是非頼むぜ、トーゴ!」
話しながら料理するのって、楽しいね。これはちょっと、発見だったなあ……。
……と、まあ、順調に作業は進んで、僕らは遂に、食卓を囲むことになった。
「ということで、えー、ハコベの味噌汁。セリとサバ味噌缶の和え物。ギシギシときゅうりの酢の物風、フキノトウとたんぽぽの天ぷら、Withとり天、そして蕗味噌の焼きおにぎりだ!」
湯気を上げて並んでいるのは、どれも春の雑草だ。でも、ちゃんと料理して、こうして食卓に並ぶと、立派な食材に見える。不思議だ……。
美味しそうな料理を前に、早速、魔王が『まおおおおん!』といただきますの挨拶をして、器用にお箸を使って食べ始めた。
それに倣って、僕らも食べてみると……なんとも不思議な味わいだった。
「うわ、フキノトウってあんな可愛い見た目なのに、苦いのね!?」
「そうなのだ。山椒は小粒でもピリリと辛く、フキノトウはキュートなのにとってもビターなのさ」
ライラはフキノトウの味が衝撃的だったらしくて、てんぷらを口に入れて驚いている。フキノトウ初体験のライラの表情がなんだか新鮮だったから、僕は早速、それを描いた。満足。
「ギシギシって酸っぱいんだね」
「ああ。ぬめりがあることもあって、こう、ただ和え物にするだけで酢の物っぽいテイストになるのが中々面白いだろ?僕は割とこいつを気に入ってるんだ」
僕はギシギシの食感と味わい初体験。新しいものに触れるって、とっても貴重な経験だから、文字通り噛みしめて、大切にしたい。
「わー、泉のところに生えてた草よね、これ。こんなに美味しいなら私、根こそぎ持ってっちゃおうかしら。どうせトウゴがにょきにょき生やしちゃうんだろうし」
「は、生やさないよ!」
ライラはすぐこうやって僕を揶揄う!……でも、セリを気に入ったのは本当みたいだ。口元が綻んで、如何にも『美味しい!』っていう表情。いいね。描きたい。描いた。よし。
「たんぽぽはてんぷらにすると苦みがあまりきつくないなあ。そう考えると、フキノトウの苦みの強さがよく分かる……おっ、とり天も美味く揚がったな」
「このオミソシル、普通に普通のスープねえ……え?これ、雑草だったわよね?」
「ああ、やっぱり僕にとっての春って、先生の蕗味噌の味だなあ……」
僕らは各自、感想を零しながらどんどん食べ進めて、そしていつの間にか、すっかり完食してしまっていた。ごちそうさまでした。
「はー、ウヌキ先生がまた奇行に走ってる、って思ったけど、ほんと、全然馬鹿にできないわねえ、雑草って……」
ライラは雑草の味わいに満足したみたいで、にこにこしてる。僕もなんだか楽しかったし美味しかったし、にこにこ。
「おやおや!何やら終わりの雰囲気だが、まだ僕らの雑草会は終わりじゃないぜ!なんと、デザートはたんぽぽシロップと金柑の甘露煮を添えたバニラアイス!最高だな!」
そこへ先生が、陽だまり色のシロップが掛かったアイスを持ってやってきた。アイスの脇にはよく煮えた金柑の実がとろり、と光っている。ああ、美味しそう!
ということで早速、僕らはシロップとアイスを、口に運んで……。
「……ふむ」
「……なるほどねえ」
「……あ、こういう味なんだね」
僕ら皆、ちょっと考えて……。
「これ、妖精さん達が集めてくる花の蜜と方向が被ってるわ」
「うん」
それでいて、多分、妖精達の花の蜜の方が、雑味が少なくて花の香りがほんのり強い分、美味しい。
ま、まあ、これはこれで、たんぽぽの香りがする、さっぱりした蜂蜜、若干の苦みと共に……みたいなかんじで、悪くないんだよ。本当に。
「金柑は安定の美味さだなあ。よくやってくれたぞ、魔王!」
先生は金柑の甘露煮がすっかりお気に召したらしくて、魔王を撫でている。魔王はちびちびとアイスを掬って食べていたのだけれど、今は撫でられて嬉しいらしくて、まおーん、とのびのび伸びている。それを見て僕もライラも先生も、何となく一緒にのびのび。まおんまおん。
すっかり食べ終わって、片付けも終わって、僕らは食後のほうじ茶を飲みながら畳の上でくつろぐ。先生の家って、ついついこうやって寛いじゃうんだよ。不思議なことに、そういう雰囲気が漂っている、というか……。
「さて、トーゴにライラに、そして魔王も。どうだったかな。こういう春の食卓も、悪くないだろう?」
そんな中、先生がそう聞いてくるものだから、僕もライラも頷いた。魔王もふにゅふにゅ頷いて、まおーん、と鳴いている。
「ま、こういうのもいいわね。特にセリ、よかったわ!」
「僕はやっぱり蕗味噌が好きだな。あと、ギシギシの味がなんだか意外で、面白かった」
僕らが感想を述べると、先生は『それは何より!』と笑ってくれた。
「ま、トーゴ。君は春を呼んじゃってちょっぴり恥ずかしかったみたいだが、こうやって美味しく食べてしまえば、そう悪いもんでもないように思えてくるだろう?」
ついでにそう言ってもくれるから、僕、なんだか恥ずかしい気分になりつつも頷く。こうやって処理できたのもよかったし、それに、落ち込み方がちょっと減ったのは確かだから。本当に僕、先生に沢山助けられてる。
「そういう訳で、多少は浮かれたっていいと思うぜ、トーゴ。僕だって、君のお祝いをしたいんだ」
先生はそう言って、僕の頭をもそもそ撫でる。……僕、本当にすっかり、撫でられ慣れてしまったなあ。
「うん、ありがとう、先生。でもソレイラの人達を困らせるようなことはしないように、頑張る」
まあ、ひとまず、今後の目標はあんまりうかれぽんちにならず、芽吹きの季節や成長の季節を早めないこと、ということで……。
「……そう、ねえ。あのさ、トウゴ。あんた、やっぱり多少ははしゃいでいいと思うわよ」
「え?」
けれどライラもそう言うものだから、僕、ちょっと驚いてしまう。先生は僕に甘いからそういうことを言っても不自然じゃないけれど、その、ライラがそういうことを言うとちょっと、びっくりする、というか……。
「私、セリ、気に入ったし。ソレイラの人達だって、別にそんなに困ってなさそうだったし」
……うん。
「あと、浮かれてる時のあんたって、こう、幸せいっぱい!ってかんじで……如何にも春っぽくて……」
僕が何とも言えない気分になっていると、ライラは、じと、と僕を見て、言った。
「なんか、いいのよ」
ええと、じゃあ、今後は、その、調整しながら浮かれます、っていうことで。
うん。またセリとか色々生えたら、ちょっと付き合ってもらって、ごはんを食べて収める、ということで……。
……なんだか恥ずかしいのだけれど、ええと、もうあと1週間くらいは、僕、ちょっとだけ、うかれぽんち、かもしれない……。
そんな、春先の出来事でした。