晩秋のぽかぽか
土曜日の夕方。午前中で終わった学校の帰りに今日も森へ行ってみたら、なんだか体がぽかぽか温かかった。
「……風は冷たいんだけれどな」
季節は秋。もうすぐ冬。そういう時期だから、森ももう、冬ごもりの準備をしているところ。昼過ぎのこの時間でももう、太陽の位置が低い。ほんのもうあと2時間もしたらすっかり夕暮れて暗くなってしまうような、そういう季節。
……なのになんだか温かいのはなんでだろう。北風がひゅる、と吹く中でも、なんだかぽかぽかいい気持ち。
ちょっと意識を集中させてみると……原因は、すぐにわかった。
「先生!」
「おや、トーゴ。よく来たなあ。中々のナイスタイミングだ!」
先生の家に向かうと、先生は庭でにこにこウキウキしていた。……そして。
「見たまえ。向こうでは消防法の都合でやりたくても中々できなかったやつだぞ」
庭の真ん中では、落ち葉や小枝がぱちぱち燃えていた。成程、落ち葉焚き……。確かに、住宅地の真ん中では中々できない奴だね。
「そっか、先生が焚火をしていたから温かかったんだ」
「……ん?」
「空気はひんやりしてちょっと寒いくらいなはずなのに、なんだかぽかぽかしていい気持ちで……そうかあ、焚火ってこういうかんじなんだよね」
「お、おーい、トーゴ。どうしたんだい、もしかして君、アレかい?森かな?」
僕が納得していたら、先生が僕の目の前で手を、ふり、ふり、とやり始める。……ああ、ええと、うん。僕は森だけれど僕は上空桐吾で、トーゴ。大丈夫、大丈夫……。
「ごめんなさい。ちょっと、焚火が気持ち良くて……」
「成程なあ、森からしてみると、自分の中で行われている焚火っていうのはお灸みたいなものなのか……」
先生が何やら納得している。先生はまだ、僕が森っていうのに慣れていない、らしい。……それが少し、嬉しくもあるんだ。先生以外の人達からしてみると、まあ、僕は森の精霊様な訳だけれど、先生からしてみると僕は相変わらずただの『トーゴ』だから。それはなんとなく、嬉しい。
「うーん……お灸、やったことないから分からないけれど、でも、この焚火はすごく気持ちいい。ぽかぽかして、心が温かくなるようなかんじなんだよ」
「そうか。なら今度、お灸もやってみるか。実は僕もやったことが無いものでね。折角だから一度、一緒にお灸体験と洒落こもうじゃないか」
先生は早速、新しくて楽しいことを思いついてウキウキ宇貫になっている。僕もちょっと、楽しみだ。『お灸を据える』っていう慣用句があるし、実際、僕、両親からお灸を据えられたことが何度もあるわけなんだけれど、言葉そのままの意味で『お灸を据えられる』を体験したことは無いので。
新しい体験はいつだって楽しいものだ。特に、大好きな人と一緒だったら、余計に。
「まあ、セルフかつ大喜びでお灸を据えられる予定の僕らの話はさておき……今はこっちだな」
僕がお灸に思いを馳せていたところ、先生はゴミ拾いとかに使うような長いトングで落ち葉をカサカサ突っついて……その中から、アルミホイルに包まれたものを取り出した。
「焼き芋?」
「うむ。その通り!」
先生は軍手を嵌めた手でゆっくりとアルミホイルを剥いていって……そして、その中から、ほわり、と湯気を立てるさつまいもが現れる。
「よし、焼けてる、焼けてる。……っとと、結構熱いな、これ」
先生は『あちあち』とやりながらも器用にさつまいもを2つに割って、それを紙に包んで熱くないようにしてから、僕に渡してくれた。(ちなみにこの紙は障子紙の切れ端だ。ほら、先生の家の障子はしょっちゅう、鳥につつかれて穴だらけになるから張替が頻繁なんだよ。)
「熱いから気を付けるんだぞ」
「うん。ありがとう」
さつまいもはほっくりと焼けていて、それでいて少し透明がかって如何にもねっとりと甘そうな断面を見せている。これは美味しい焼き芋だ。見るだけで分かるよ。
ほわほわ、と湯気が立ち上るさつまいもを、そっと、火傷しないように、ちび、と齧ってみる。……わあ。
「美味しいねえ」
まろやかに甘くてほこほこあったかい焼き芋の、美味しいことと言ったら!
特に今日は、昼食を食べずにここへ来たから、空腹も相まってすごく美味しい。冷えた体にあったかい焼き芋。ああ、これは幸せの味だ!
「うむ。美味いなあ。味もだが、雰囲気も美味い。こう、落ち葉で焼いた芋っていうのは、独自の風情があるもんだなあ」
「そうだね。うーん、とても絵になる。描きたい」
両手で紙越しに焼き芋を抱えて、焚火の庭を眺める。
先生の家の庭は庭木がいくらかあって、広葉樹はもうすっかり紅葉している。そんな木々が落とす影は長くて、秋の終わりのころを感じさせてくれた。
……そうかあ、季節を表現するのって、何も、赤く色づいた葉っぱや、それを集めてやる焚火だけじゃないんだなあ。低い位置の太陽の光も、長めの影も、先生の眼鏡を曇らせる焼き芋の湯気も、全てが季節の表現。成程、勉強になります。
「僕も少々書きたくなってくるね。いやはや、僕も君の御同輩、という訳だ」
先生は湯気に曇ったレンズの奥で嬉しそうに目を細めて、また焼き芋に齧りつく。……猫舌のくせにそういうことをするから、『あづい!』と叫んではふはふやりながら口の中の焼き芋を冷ますことになるんだけれどね。まあ、こういう先生も、秋の風物詩、ということで……。
「ああ、美味しかった……」
「うむ、景色も相まって最高のおやつだったな……」
先生にとってはおやつ、僕にとっては昼食の焼き芋を食べ終えたところで、僕らはのんびり縁側の上。
いつの間にかぽてぽてやってきた魔王が僕と先生の間にぽってり収まって、いつの間にかお茶を淹れ始めている。まおーん、と差し出された湯呑は僕専用のやつ。……先生の家にはね、僕の湯呑と、僕の茶碗と、僕の箸がおいてあるんだよ。こういうのってなんだかちょっと恥ずかしくて、でも嬉しいよね。ここに居場所を貰ってる、っていうことだから。
「おお、こういう日には茶が美味い」
「そうだね」
お茶はほうじ茶。秋の色。香ばしい風味も、焚火を前に味わうとまたなんとも趣深い……っていうかんじだ。
魔王もまったりのんびり尻尾を振りつつ、まおーん、とご機嫌だ。魔王は焚火がちらちら明るく燃えているのが気に入ったのかな。
「……だが、まだ終わりじゃないんだぜ、トーゴ。ついでに魔王も、まあ、折角だ。食べていくといい」
そんな中、先生はよっこいしょ、と立ち上がって、また軍手を手に嵌めて、長いトングを手にして、トングをカチカチ鳴らしつつ焚火へ近づいて行って……ころん、と、何かを取り出した。
「これは……ええと、何?」
包みは丸い。ころんとしていて……ええと、じゃがいもにしては大きいような気がする。けれど、こういう丸っこいものって、何だろう。
……不思議に思って、先生がアルミホイルをカサカサやるのを眺めていると。
「これはな……ほら。たまねぎだよ、トーゴ!」
なんと、アルミホイルの中からはたまねぎが顔を出した!
たまねぎは皮ごと焼かれたらしくて、茶色い皮が見えている。けれどしっかり焼かれたせいか、皮は焦げていて、焦げていなくてもシナシナだ。
「いやー、一度やってみたかったんだ!焚火で焼いたたまねぎ!こう、塩を多めに振りかけて皮ごと焼いてみると美味いと聞いたことがあったんだよ!……ということで、まあ、これはまるかじりって訳にはいかんな。よし、取り皿とスプーンが必要だ」
「僕、取ってくるよ」
「おお、頼むぜトーゴ。ついでに僕は他の奴も出しておこう」
先生がまたトング片手に焚火をつつき始めたので、僕は台所へ。取り皿やスプーンを適当に棚から出したら、それを手にまた縁側へ。
魔王が『まおん!』と嬉しそうに手と尻尾を差し出してきたので取り皿とスプーンを渡してみたところ、魔王は器用に焼きたまねぎを取り分けてくれた。
「……魔王は中々に器用だなあ」
「うん。そうなんだよ」
魔王は案外絵が上手かったりもするし。結構器用な、気のいい生き物なんだ。
……そんな気のいい魔王が分けてくれた焼きたまねぎは、確かにまるかじりが難しそうな形状をしていた。つまり、とろん、と蕩けて柔らかい。
折角だから、スプーンですくって頂いてみる。……すると、たまねぎの甘いこと甘いこと!
「トーゴ!僕はこれが大いに気に入ったぞ!」
「僕も気に入った!」
魔王も気に入ったのか、焼きたまねぎを一匙すくっては口に運んで、まおーん!と喜びの声を上げている。如何にもご機嫌なかんじに、尻尾もゆったりゆらゆら。
「これはこの、塩味がいいね。たまねぎの甘さと混ざりあって優しい味わいだ。なんとも丁度いい」
「これ、スープにしても美味しそうだね」
「うむ。今度やってみるか。幸いにして、この森に居ると焚く落ち葉にはまるで困らん事だし、秋の間にもう2、3回やってみてもいいかもしれない」
先生はすっかり焚火と焼きたまねぎが気に入ったようで、そんなことを言いつつふんふんと鼻歌を歌い出す始末だ。……ちなみに、先生の鼻歌は、童謡の『たきび』。焚火だ焚火だ落ち葉焚き……。
「よし。この勢いでどんどん開けていこうか」
焼きたまねぎを味わった僕らは、続いてどんどんアルミホイルの包みを開けていく。僕も軍手を描いて出して、開けるののお手伝い。
「これは里芋だ。焼き芋と言うからにはやはり、さつまいもだけではなく他の芋も焼いてみるべきかと思ってね」
先生はそんなことを言いつつ、アルミホイルの中からほっこり蒸し焼きになった里芋を取り出した。こういう風に加熱した里芋って、皮がするんと剥けてちょっと楽しいね。
さて、そんな里芋の味は……。
「お醤油がよく合うね」
「うむ。安定のおいしさだな」
ちょっぴり残る土の香りと、ねっとりとした食感。それに芋の甘みがじんわり広がって、そこにお醤油の旨味と香りがふわんと乗っかる。うーん、これも中々美味しいね。
「そしてこっちも芋だ。オーソドックスにじゃがいもだな。あとこっちは芋は芋でも長芋だ」
「長芋も焼いたんだね、先生」
「ああ。案外、長芋ってのは火を通すとホクホクで美味いのさ」
続いて長芋の蒸し焼きも食べてみる。長芋ってあんまりイメージが無い食材だったけれど、こうして蒸し焼きになっていると、本当にホクホクして、アッサリとして、それでいてでんぷん質の美味しさがあって……僕、これ、とても好きかもしれない。
「あと、こっちはキャッサバ」
そして更に芋が続く。……ここまで続くと、僕、気づいてしまうんだけれどね。
「……先生、『芋の詰め合わせ』でも書いたの?」
「おお、ご明察だ、トーゴ。実にその通り。……そうしたらまあ、この通りコンニャクイモとかまで出てきちまったもんで、しょうがない、僕は近い内にこんにゃくを作ることになるだろう……」
……どうやら先生、今回の焼き芋をやるにあたって、『芋の詰め合わせ』の描写をしちゃったらしい。それでキャッサバ芋も、コンニャクイモも、生まれてしまったのか……。僕、コンニャクイモの実物なんて初めて見たよ。
ちなみに、後日、先生は本当にこんにゃくを作ったのだけれど、そのこんにゃくがレネにどうも不人気だった。レネからしてみると、こんにゃく、なんだか怖いらしいよ。うーん、異文化……。
さて。そうして一通り色々な芋も食べてみたところで。
「ところでトーゴ。こういうトングを手にしていると、ついついカチカチさせちゃわないかい?」
「……うーん、あまりトングを手にしたことが無いので、なんとも」
「そうかあ……僕はパン屋さんに入るとついつい、やってしまう。パンを威嚇したいわけじゃないんだが、どうも、僕の手はトングを持ってしまうとカチカチやってしまうらしくてね……」
僕らはそんな話をしつつ、沈んでいく夕陽を眺めつつ……焚火の前で、最後の焼きものをしている。
アルミホイルにくるんだ丸いものがいくつもころころと焚火の横に転がっていて、今、じんわりじんわり、それが焼けているところなんだけれど……。
「あっ!またウヌキ先生、面白そうなことしてるじゃない!」
そこにひょっこり、ライラがやってきた。僕は何となく、ライラが来るような気がしていたから『やっぱり来たな』っていうかんじだ。
「ああ、ライラ。よく来たね。君も食べていくかい?」
そして先生もライラが来ることをなんとなく分かっていたみたいだ。今、焚火の傍にあるアルミホイルの包みは僕らの人数分より多いわけだし。
「えーと、これは何?」
ライラは焚火と、その横の包みを見て首を傾げているのだけれど……。
「焼きリンゴさ!」
先生は胸を張って、元気にそう答えた。手の中でトングをカチカチやりつつ。
「成程ね。このいい香りはリンゴとお砂糖とバターとシナモンの焼ける香りだったわけだ。道理で美味しそうな訳よねえ……」
ということで、ライラも無事、焚火を囲む会に入会する運びとなりました。会員は僕と先生と魔王、あとライラ。この4名。
「まあ、丁度いい所だったよ、ライラ。もうそろそろできあがるかな、というところだったからね。……それにしても、君は毎度毎度、いいタイミングで来るなあ!」
「へへへ、なんだかいい匂いがしたからさ。だから今回も美味しいものが貰えるだろうなー、って思って来たのよ!」
ああ、そうか。ライラの家って先生の家の風下の方だって言ってたっけ。月見蕎麦の時もライラに見つかってたもんなあ、先生。
「まあ、そういうことなら大歓迎さ!是非賑やかに食べていってくれたまえ!……ということで、早速食べていこうじゃないか!」
にこにこ嬉しそうな先生がホイルの包みを持って帰ってくるのを僕がお皿の上に乗せて、それを魔王がつるんと飲み込んで、アルミホイルだけ食べてしまう。……魔王は火傷しないらしいからこういうこともできちゃうんだね。
「わあ……美味しそう!」
そうしてホイルの外に出されたリンゴは、それはそれは美味しそうに焼けていた。
リンゴの実はとろりと蕩けるように柔らかく焼けていた。これだけで上等なお菓子みたいだよ。
更にそこに、蕩けたバターと砂糖がリンゴの果汁と合わさってちょっと焦げていて、それがまた美味しそうな香りをふわふわ漂わせるものだから、もうたまらない。
「よし!では熱い内に頂こうか!実食!」
「いただきます!」
「やったー!いただきまーす!」
僕らの歓声に魔王の『まおーん!』も合わさって、それから僕ら、揃って焼きリンゴをつつき始める。
焼きリンゴは案の定熱くて熱くて、猫舌の僕や先生にはちょっと辛かったのだけれど……そんな熱々のリンゴをちょっとずつつついて、はふはふやりながら食べて、その甘酸っぱさに思わず笑顔になって……そうしている内に、陽が沈む。
「あーあ、秋ってかんじね」
僕や先生より先に焼きリンゴを食べ終わったライラが、すっかり暗くなった空を見上げて笑う。
秋の夜の風はすっかり冷たくて、少し強く風が吹くと少し震えてしまうくらい。
けれど、焼きリンゴが温かくて、ぱちぱちしている焚火が温かくて、皆でくっついて並んで座っているからか、また温かい。
「秋だねえ」
「秋だなあ。うーむ、中々よい。秋は夕暮れ、焚火のいとつきづきし……」
もうそろそろ月も綺麗に見える頃だ。なんとなくしんみりしながら、僕らは空や焚火をぼんやり眺めて……。
「さて、子供達よ」
そんな中、先生が唐突に……長い竹串を、取り出した。
「折角の焚火だ。……焼くよな?僕は焼くが」
先生の両手の指の間に挟まれた竹串、合計8本。それらの先に、マシュマロが刺さっている……!
「おーい、皆で何やってんだよー!なんか楽しそうじゃねえか!俺も混ぜてくれー!」
「フェイー!一緒にマシュマロ焼こう!美味しいよー!」
「フェイ様!フェイ様!ちょっと!これやってみて!楽しいから!マシュマロって焼くと膨らむのよ!あと、唐突に燃えるのよこれ!絶対にフェイ様好きな奴よこれ!」
……そうして僕らはマシュマロを焼きつつ、段々人数が増えつつ……秋の夜長を楽しむことにした。
ちなみに、フェイはマシュマロ焼くのが下手だった。ちょっとせっかちだから、すぐ着火させて焦がしちゃうんだよ。
同じく、フェイの後にやってきたルギュロスさんもマシュマロ焼くの、下手だった。彼もせっかちさんらしい。
でも、着火したマシュマロを見てけらけら笑うフェイと、ちょっと悔しそうだったり、同じくマシュマロに着火しちゃったフェイを見て馬鹿にするルギュロスさんは楽しそうだったので、まあ、結果オーライ。
そして一番マシュマロを焼くのが上手なのは、ラオクレスだった。ラオクレスがちまちまとマシュマロを焼いては子供達や妖精に配っている様子、正に、森の守護石膏像……。
……と、そんなあったかい秋の夕暮れのことでした。