天使は寂しがりなので
天使のおやつでリアンが素直になってしまってから、5日。
森は今日も平和で……今日も、何かあるみたいです。
「トウゴおにいちゃーん!見てー!見てー!」
……ほら、今も、アンジェがたくさんの妖精達と一緒に、何かを持ってぱたぱたと走ってきている……。
「あのね、天使のおやつの『かいりょうばん』なのよ」
アンジェが持ってきたのは、天使のおやつ、改良版。……つまり、リアンが天使になっちゃったアレを改良したもの、ということなんだけれど……つまり、変身おやつの天使バージョン、っていうことだよね?
と、思ったら。
「あんていして、なかみまで、天使……だって!」
「あっ、そっちの方で改良したんだね……」
……どうやら、見た目だけじゃなくて中身まで天使にしちゃう効果を高めて改良してしまったらしい。うーん、妖精達のこの技術、すごい。
「それでね、今ね、じっけんちゅう、なの」
「成程ね……ん?実験中?」
なんだかちょっと不思議な言葉が聞こえたぞ、と思ったら……なんと。
「こちらが天使になったウヌキせんせいです!」
「どうも。天使になった僕だぜ、トーゴ」
……後ろから、先生が出てきた。
「見ろ、トーゴ。僕は何時でもこういう役回りらしいぞ」
せ、先生が……先生が、天使に、なってる!
大きな羽が2対、背中でぱたぱたしていて、先生は中途半端に宙に浮かんでいて、そして何故か服が、古代ギリシア風にただ白い布を体に巻き付けたみたいな具合になっていて、そして、その頭にあるのは相変わらず蛍光管だ!
「あの、アンジェ。これは中身も天使になってるんだろうか?」
「ううん……ウヌキせんせいにはね、じょうずに魔法がかからない、って……」
「どうやらそういう訳らしいぜ。おかげで僕は何故かこんな半裸……いや、4分の1裸ぐらいの謎の恰好になっているし、羽も生えているし、自分の意思とは特に関係なく浮いているが、中身はそのままという訳だ」
先生は両腕を『やれやれ』っていう具合に掲げつつ、相変わらず中途半端に宙に浮いている。あ、姿勢を変えて寝ころぶような格好になっても浮かんだままだ。不思議だなあ……。
「ところでどうして僕は浮いてるんだろうなあ。浮足立ってる、ってことかい?」
「ああ、成程、ウキウキ宇貫……」
……確かに、中身も天使になってる、というか……先生の中身が、天使の材料になってる、っていうかんじだ!
結局、先生の天使化はそれから15分くらいで終わった。元々、効果の時間を30分ぐらいに短縮していたらしいので、大体時間ぴったりだそうだ。そこについては特に何も問題が無さそうだね。
「まあ、こういうわけで、僕は被検体としてちょっと駄目なタイプだったらしいね、という話だ」
「成程……」
……ただ、逆に言うと、先生で実験を行ってみたところ、効果時間以外の部分は何も検証できなかった、ということらしいので……。
「あの、トウゴおにいちゃん……」
「……うん、分かった。協力するよ」
しょうがないので、僕も被検体になることにしました。まあ、技術の発展のための協力は惜しみたくないので……。
……ただ。
「あの、先生」
「ん?なんだい、トーゴ」
実験に協力する上で、これがとても大切なことなのだけれど……。
「……僕が変なことしようとしてたら、止めてくれる?」
……リアンで効果を見ているので。リアンがああいう風に甘えん坊天使になっているのはなんだか可愛らしかったけれど、僕がああなってしまうのは、その、あまりにも恥ずかしいので!
「ん?変なこと……まあ、よっぽど変なことをしようとしていたら流石に止めるとも。うん」
「あと、あんまり人に見られないようにしてほしい。特にライラ」
「う、うん……?ライラは駄目なのかい?」
「絶対に揶揄ってくるし……その、なんか特に見られたくないんだよ……」
それから人払いもお願いして、よし、これで準備万端だ。
「じゃあ、トウゴおにいちゃん、おねがいします!」
アンジェから天使のおやつを受け取る。……見た目はマシュマロ。いや、メレンゲクッキー?そういうかんじ。白くて軽やかで、ちょっと不思議なかんじのおやつ。
「ええと……じゃあ、いきます」
僕はアンジェから受け取ったそれを、意を決して……食べた!
天使のおやつは軽やかで甘くって、とても美味しかった。美味しいものを食べた時特有の満足感があって、なんだかふわふわ、幸せでいい気分。
幸せで、なんだかとろんとしてきて、それで……なんだか、目の前でわくわくそわそわしている先生を見ていたら、堪らなくなってきてしまう。
「トーゴ。今、どんなかんじだい?」
「こういうかんじ……」
なんだかどうしようもなくって、僕は早速、先生をきゅっ、と抱きしめてしまう。抱きしめてみると、なんとなく満足。
「おお。甘えん坊だな、トーゴ」
「うん」
いつの間にか僕の羽は森の羽じゃなくて白くてふわふわの天使の羽になっていたし、頭の上には輪っかが浮いているみたいなのだけれど、今はとにかく、先生だ。
先生にぎゅっとくっついて、薄い胸板の中で心臓が動いている音を聞いて、先生の手が僕の頭の上にぽすんと乗っかってゆるゆる撫で始めてくれたのを存分に味わって……ああ、なんだか無性に幸せ!
「君、手触りがいいなあ。よしよし」
先生が僕の頭と羽を撫でながらそう言ってくれるので、なんとなく嬉しい。というか、誇らしい。
「よしよし、よい子だねんねしな……うおわっ!?トーゴ!君、またこれかい!?」
先生は何故か僕を寝かしつけにかかっていたらしいのだけれど、僕はなんだかまた堪らなくなってきてしまって、木の蔓を生やして、それで先生を僕ごと抱きしめてしまった。それから、隣に居たアンジェも。アンジェはとびきり柔らかい手触りの蔦でくるん、とやる。アンジェはきゃあ、と声を上げて笑うものだから、それが愛おしくて、柔らかい葉っぱを伸ばして頬をつついてみたり。ああ、森の子達がこんなに可愛らしいものだから、つい!
「……巣ごもりの時みたいになってるなあ、トーゴ」
「うん……」
先生にそんなことを言われて、ああ、確かにそうかも、なんて思いつつ、なんとなく楽しい気分のまま、森の中に居る皆を抱きしめにかかる。ちょっと蔓を伸ばせば皆を抱きしめられるから、僕、森で良かったなあ。
……ということでなんとなく幸せな気持ちで、とろん、とさせてもらう。先生の胸に体重を預けて、なんだか眠くなってきて……あっ、僕、先生に寝かしつけられてしまっている、と気づいた時にはもう遅い。僕はそのまま昼寝してしまっていたのだけれど……。
「お、おーい、トーゴ。そろそろ起きた方がいいぞ」
先生にゆさゆさ揺すられて、起きる。なんだか幸せな気分で、とろん、と目を開けて……。
「あ、トウゴ。そろそろこれ、放してくれる……?」
……蔓でくるくる巻かれたライラが、何とも言えない顔でそこに居た。
「ご、ごめんね!すぐに放すから!」
僕は慌ててライラに絡めてしまった蔓を外していく。ああああ、よりによって!よりによって、一番僕を揶揄う人を捕まえてしまった!ああ、なんてこった!
「いや、不用意にあんたに近づいた私も悪かったわ……。なんか遠巻きに見てたらさ、ウヌキ先生に抱き着いたまま寝てる天使が見えたもんだから、描かなきゃ、と思っちゃって……」
ライラはそう言うと『やれやれ』みたいな具合に手を広げる。その仕草がちょっと先生っぽいなあ。
「画材出した途端、さっきのアレよ。あんたの蔓ってもしかして、画材に反応して伸びてくるの?」
「……否定できない」
……まあ、うん。画材が出てきたら、ついつい反応しちゃう、っていうのは、僕の反応としては実にそれらしい、というか……うう、それにしたって、わざわざ自分でライラを連れてきちゃうなんて!
「というわけだ。すまない、トーゴ。僕がライラに気づいた時には既にライラに気づかれていて、しかも僕は君のベッドになる栄誉に与っていたものだから動けず、そしてライラに去ってもらおうにも、君が捕まえてしまったものだから……」
「いや、先生は悪くない。悪くないよ……」
悪いのは僕です。ううう、まさか自分で自分の首を絞めるとはなあ。ほら、うっかりライラを抱きしめて捕まえちゃったものだから、ライラが今も、妙ににんまりした顔で僕を見ている……。
「……天使になって皆に蔦巻きつけちゃうあんたってさ」
……うん。
「いじらしいっていうか、可愛いっていうか……こう、なんか、いいわね」
ほら!ほら!こうやってライラは僕のこと揶揄うんだ!知ってたよ!
ああ、もし次があったとしても、その時は、その時こそ、ライラに見つからないようにしよう!
「それにしても、あんたの天使化、ほとんど巣ごもりの時と一緒よね」
「あ、うん……」
それから、結果の考察。アンジェも解放して、先生とアンジェと僕とライラ、4人で相談中。
「成程なあ。トーゴは素直になると、人を抱きしめたくなっちゃうのか。もしかして君、撫でられるより撫でたいタイプかい?」
「そうなのかもしれない……」
……僕、よく森の皆に撫でられているけれど、本当は撫でたいタイプなのかも。うーん、知らない自分の一面が見えてきてしまった。
「ところでさ。天使は素直になっちゃう、ってことだったけれど、ところでそれって大丈夫なの?トウゴがやろうと思ったら、ウヌキ先生を攫って森の奥深くに閉じ込めて延々と撫で続ける、とかできちゃうわけでしょ?」
「いや、流石に僕はそんなことは……しないとも言えないのが怖いなあ、このお菓子……」
それから、ライラの懸念についても考えなきゃいけない。……先生をこっそり攫っちゃいたい、って、僕が全く思わないとは限らないし。大好きなあまり、森のどこかに連れ去ってしまう可能性だってあるわけだし……そもそも、僕に限った話じゃなくて、これって理性で抑え込んでいるものを開放しちゃう、危ない代物なんじゃないだろうか。
「あのね、それはだいじょうぶ、だって。天使さまはやさしいから、ひどいことはしないのよ」
けれども、アンジェがにこにこそう言うし、妖精達は『そうなんです!すごいでしょう!』みたいな顔で自慢げにしているので……まあ、多分、その辺りは大丈夫なんだろうなあ、と思う。
思えば、僕だってアンジェを抱きしめるのには殊更柔らかい蔓で、とか、つっつくんなら柔らかい葉っぱで、とか、そういう調整はしていたしなあ。一応、人を気遣う心はちゃんと残るみたいだ。
それなら一応、安心……かな?
「……まあ、そういう訳なんだが、トーゴ。多分、僕と君とだと、あまりにも実験の母数が足りてないぞ、これは」
「うん」
多分、この森で最も偏った2人が被検体になってしまった。これでは実験結果に偏りが出ている気がする。少なくとも先生のはまるで参考にならない結果だったろうしなあ。
「……じゃあ」
「……うむ」
ということで、僕と先生は、揃ってライラを見つめる。
「な、何よ」
「いや、丁度いいところに被検体が居るなあ、と思って……」
「えっ」
ライラが表情を引き攣らせているけれど、僕が天使になっちゃってるところ、見ただろ。だったらライラも見せてくれたっていいと思うんだけれど。
「ライラおねえちゃん、ごきょうりょく、よろしくおねがいします!」
しかもアンジェがにこにこしながら天使のおやつをライラに差し出したら、そりゃあ、ライラだって折れざるを得ないんだよ。
「しょうがないなあ……あ、ウヌキ先生」
「うん?なんだい?」
ライラは天使のおやつを片手に持ちながらちょっとじっとりした目で僕を見てから、そっと、先生に視線を戻した。
「……私が変なことしようとしてたら、止めてくれる?」
「……正直、あまり自信は無いし実績もまるきり無いのだが、最善は尽くすと約束しよう」
それに先生は神妙な顔で頷いて、それを見たライラはため息交じりに天使のおやつを口に入れた。
……そして。
「……トーゴ。大丈夫かい?」
「う、うん……落ち着かないけど、大丈夫……」
今。僕は、ライラに背中側から抱き着かれつつ、そのまま絵を描いています。それをライラが僕の肩越しにじっと覗き込んでいるんだよ。ライラはライラで、僕の背中を台にしながら絵を描いている。……ちなみに、モチーフは先生。先生の10分クロッキーが始まっています。
「モデルにされてしまったので僕は動けない……ああ、すまない、ライラ。最善を尽くせていない気がする」
「ウヌキ先生!動かないで!」
「あああ……本人に怒られちゃしょうがないな。僕は考えるのを止めた……」
先生がなんとなく遠い目をしながら座っているのを、僕は頑張って描く。先生に集中して、先生に集中して……背中にしっとり乗っかってる重みとか柔らかさとか体温とか、僕の耳の傍でライラが動く様子とか、そういうのに意識を持って行かれないようにしながら、先生に集中して、先生に集中……。
……でも、10分クロッキーって、10分で終わっちゃうので。
そして天使のおやつは、効果時間が30分あるので。
「ああ、やっぱりあんたの絵ってすごくいいわね……10分だけでもなんとなく個性って出るわ」
僕は、天使のライラとお互いのクロッキーの感想を言い合うことになった。のだけれど……。
「これ、水彩着色とかにしたらもっと見ごたえあるんだろうなあ。いいなあ、見たいなあ。ほら、あんたの絵ってさ、繊細で透明で、すごくいいのよね。デッサンの狂いがものすごく少なくて、でもちゃんとデフォルメするところはしてあって……」
……天使なライラは、ものすごく、僕の絵を褒めてくる!落ち着かない!
「ライラは相変わらず、木炭の描画がすごく上手いと思う。木炭でグレートーンを出すのって結構難しいはずなんだけれど、最近、とみに上手くなってきている気がする……」
なので負けじと僕も褒める。頑張るぞ。負けないぞ。
「ああ!それね、あんたのを参考にしたのよ。……ふふ、ほら、あんたが言ってたじゃない。絵のよびこう?だっけ?そこで、他の人の絵を見て自分の絵に取り入れていくと成長できていいね、って。だから私もそれ、やってみたのよ。あんたの絵ってグレーの幅が広くて、すごく勉強になるからさ」
……うう、負けてきた。負けてきた気がする。僕は元々、言葉の数があまり無いっていうか、その場その場で適切な言葉をすぐに喋るのが苦手なんだよ。ああ、ぼくにも先生の10分の1でも、言葉を見つけて喋る能力があれば!
「ふふ……トウゴ、あんたいい匂いするわね。森の匂いだわ」
……それに加えて、ライラが僕の肩口にすりすりやってくるものだから、落ち着かない!横に並んでお互いの絵を見ながら感想を言っているんだけれど、その分、妙にライラが近くて落ち着かない!羽がふわふわぱたぱた嬉しそうに動くんだけれど、それがまた僕に触ってくすぐったくて、落ち着かない!
「……あら?なんか食べ頃の果物とか花とかの匂いになったわね……え?あんたって匂い、変わるの?まあ、森ってそんなもんか。うーん、匂いまで描けたらいいんだけどなあ」
ああ!
落ち着かない!落ち着かない!
……そうして、30分経った。僕はライラに対して完全なる敗北を喫した。いや、勝ち負けなんて無いんだろうけれど、僕の気分はそういう気分です。
「……止めてって言ったじゃないのよ」
「すまない、ライラ。その君が『動かないで!』って言うもんだから、僕としても、君をトーゴから剥がすのは難しかった……」
それから、天使のおやつの効果が切れたライラがじっとりした目で先生を見つめることになってしまった。でも、自分が悪いっていう自覚があるらしくて、何とも気まずそうにしてる。
「あー……ごめんね、トウゴ。重かったでしょ。なんで私はあんたに凭れてたんだか……」
「いや、重くは、なかったよ。大丈夫。気にしないで」
ライラは何とも申し訳なさそうにしているけれど、僕は気にしてないよ。気にしないことにしたよ。ただ、柔らかくてあったかくて、なんだか落ち着かなかっただけだよ。平気、平気……。
「……天使になるとさ、妙に人にくっつきたくなる効果とか、あるの?」
「天使はさびしがりだって妖精さんが言ってるよ」
「あ、そう……やっぱり?そうだと思ったのよ……」
ライラもなんだかもごもご言っているけれど、まあ、お互い、痛み分けということで……。
「……まあ、私もなんか変なことになっちゃったけどさ。これ、折角ならもっと面白いことに使うべきだと思わない?」
さて。そうして気を取り直したらしいライラが、にやりと笑ってそんなことを言う。
「あんたが天使になったって、いつもの精霊様なだけだし、私が天使になったって面白くもないけどさ。……もっと、普段あまりにも天使からかけ離れてるような人こそ、これを使ったら面白いんじゃないかしら」
うん。天使から、かけ離れてるような人が……。
「ラオクレスとか」
「あとクロアさんね。……ラオクレスは石膏像だし、クロアさんは天使っていうか小悪魔でしょ、あれ」
ああ、分かる分かる。クロアさんは小悪魔。そしてラオクレスは……天使、というイメージがびっくりするほど湧かない。ラオクレスは天使じゃなくて戦士だし騎士なので……。
「あの2人が天使になっちゃったらどうなるのかしらね……ふふふふ」
……まあ、うん。
僕もライラもやったので、今度はその2人にご協力いただこうかな。うん。折角だし……。
「ということで、ご協力お願いします」
「おねがいします!」
……そうして僕とアンジェが、ラオクレスとクロアさんに天使のおやつの実験協力を依頼することになった。僕らの後ろでは、すっかり野次馬するつもりのライラと先生がにこにこしている。
「……天使になる菓子、か……俺が食って何か楽しいのか、それは」
「あのね、いろんな人で、じっけんしたいんだって。妖精さん、次はしっぱいしないぞ、ってやる気なの」
ラオクレスはちょっと複雑そうな顔をしているのだけれど、僕とアンジェが並んでお願いして、ついでにその横で妖精達がきらきらした目をしていたら、断ることもできなかったらしい。ちょっと良心につけこんでしまったような気がして、申し訳ないな。
「まあ……そういうことなら、引き受けるが」
ラオクレスはなんだか渋い顔をしながら、天使のおやつを手に取る。……天使になる自分自身が想像できていない顔だなあ、これは。
「それで、私も?」
「そうそう。クロアさんにもやってもらいたくてさ」
クロアさんの方は、僕らの後ろからひょっこり出てきたライラが説得にかかる。
「クロアさん、薬への耐性が結構あるって聞いたから。妖精達のおやつも効果時間が変わるかもしれないでしょ?」
「まあ、そういうことなら引き受けるわ。……ふふ、もしライラにくっついちゃったらごめんなさいね?」
「クロアさんにならくっつかれたって役得でしかないわよ」
そうしてクロアさんの方も説得完了。クロアさんの細い指が天使のおやつをつまんで持っていく。
……そして、尚も躊躇うラオクレスの横で、クロアさんが、ぱく、と天使のおやつを口に入れた。それを見てラオクレスも観念したように、もく、と天使のおやつを口に入れる。
そうして、僕らがどきどきしながら2人を見守っていると……。
……ふるん、と小さく震えながら、天使の羽が伸びてきた。ついでに、2人の頭の上に輪っかが浮かんで……そして。
「……ラオクレスの羽、でっかいわね」
何故か。何故か、ラオクレスの羽は……随分と大きかった!
「こういうところにも個性が出るのか……」
「心なしか輪っかもごつごつしてるわよね、ラオクレスのやつ」
僕らは早速、ラオクレスの観察。ラオクレスは僕らをちょっとぼんやり見ながら、手を握ったり開いたり。……ずっと黙っているのは、もしかすると言葉を忘れちゃってるのかもしれない。リアンも最初、天使になっちゃった時は喋らなかったし。ということは多分、ラオクレスはこの手の魔法が掛かりやすいタイプなんだろうなあ。
「クロアさんのは……わあ、綺麗な羽ね。羽根の一枚一枚が長くて柔らかくて、すごく手触りがいいわあ」
「クロアさんの羽、とってもきれい!わあ、すごい、すごい!」
一方、クロアさんの方は羽がとっても綺麗だ。形がちょっとスリムでスマートなかんじだし、とにかく柔らかくて繊細な作りをしている。真っ白じゃなくて、真珠色の光沢があって、それがまたなんとも綺麗なんだよ。
「クロアさんの輪っかは細くて繊細なかんじだ」
そして輪っかも、繊細なかんじ。金細工のティアラみたいにも見えて、ああ、クロアさんってこういうイメージだよなあ、と思う。中々やるなあ、天使のおやつ。
「あら、ありがとう。ふふ。もしかしたら、清らかな心が足りない分、私の輪は細いのかもしれないけれど」
「それを言ったらラオクレスは清らかな心がごつごつしていることになってしまうよ、クロアさん」
クロアさんは喋るみたいだった。ラオクレスはまだ何も喋ってくれない。僕も確か、あんまり喋っていなかったような気がするし、ライラは喋ってたし……うーん、この辺りも個人差がありそうな気がする。
僕らが興味深く2人の天使を観察させてもらっていたところ。
「わっ」
突然、ラオクレスが動いた。そして……ひょい、と。僕を持ち上げて、ぎゅ、と抱きかかえてしまった!
「……わあ」
更に、大きな羽でも包まれて、僕はすっかり埋もれてしまった。
「成程なあ。ラオクレスはトーゴの守護天使だったか……」
「まあ、素直にはなってるし、成功はしてるんだけどねえ……」
ラオクレスは、しっかり僕を腕と羽とで抱き込んで、『誰にも触れさせんぞ』みたいな守護神ぶりを発揮してくれてしまった。ああ、ラオクレスは天使になっても、石膏像……。
「……って、ねえ、ラオクレス。私はトウゴじゃないわよ?」
「ああ、ライラまで……」
かと思っていたら、ラオクレスが腕を伸ばして、ひょい、とライラを捕まえて、ライラも翼の内側に入れてしまう!
「あれ?ラオクレスおじちゃん、どうしたの?……きゃあ」
そうしている内にアンジェもラオクレスに捕まって、ひょいと羽の内側へ入れられてしまう。
「おお、子供達がしまわれていく。これは中々……おっ?おいおいおい、まさか僕までしまっちゃうのかい?あああ……」
……そして先生までもが、ひょい、と羽の内側に入れられてしまった。
僕ら全員、羽の内側にぎゅうぎゅう詰まっているものだから、なんというか、その、あったかい……。
「ああ、ラオクレスが妙に満足気ねえ……」
そして、クロアさんが呆れたように言う通り、ラオクレスは妙に満足気だった。僕らを羽の内側にすっかり隠してしまって、なんだか満足気。……あの、ラオクレス、普段からこういうこと、したいの?本当に?
「ラオクレスったら、本当にトウゴ君にご執心なのねえ。厄介な騎士様だこと」
……けれど、それをクロアさんがころころ笑いながら見ていたら、ラオクレスが、ふと、僕から片腕を離して、ぐっ、と腕を伸ばす。
「あら?」
ラオクレスの腕が、ひょい、とクロアさんを抱き寄せる。クロアさんが目を瞬かせていると……すり、と。僕を、撫でさせていた。
クロアさんに、僕を、撫でさせてる。ラオクレスが。……ええと。
「……ふふ。私、あなたに信頼されてるのねえ」
クロアさんはなんだか随分と嬉しそうに、ラオクレスの腕と羽の中の僕をすりすりなでなでやり始める。ま、待って待って!そんなに撫でないで!恥ずかしいから!恥ずかしいから!
……天使のお菓子を食べたのはラオクレスとクロアさんなはずなのに、どうして僕が恥ずかしい気分になっているんだろうか!なんだか納得がいかない!
それからしばらく、クロアさんはラオクレスの羽の内側で、僕らを順番に撫でたり、ぎゅっとしたりしてにこにこしていた。ラオクレスはその間、草原の上に胡坐で座って腕組みしつつ、大きな羽の内側で僕らがクロアさんにきゅうきゅう抱きしめられているのを見て満足気な顔をしていた。
更に、クロアさんは羽が生えてすっかり身軽になっているらしくて、ふわふわ飛んでラオクレスの肩に留まったり、木の間でひらひら飛んでみたり、天使を楽しんでいるみたいだった。
……ラオクレスの肩に留まって僕らをにこにこ眺めているクロアさんは、逆光具合に見えたからか、なんとも神々しくて、ああ、本当に天使だなあ、というかんじだったので……忘れないうちに描かなきゃなあ。
結局、30分くらいで元の素直じゃない状態になったラオクレスは、自分の行動に愕然としていたけれど、特にアンジェから羽のテントが大好評だったので、『二度とやらん』とも言えずにまごまごしていた。そんなラオクレスを見てクロアさんはころころ笑っていたのだけれど……うーん。
「クロアさんは結局、あんまり素直になっていなかった気がする」
「あら、それはそうよ。だって私、内面に働きかける薬や魔法の類にものすごーく耐性があるから」
ああ、やっぱり。どうやらクロアさん、天使のおやつが効かないみたいだ。ちょっと残念なような気もするなあ。素直なクロアさん、見てみたかった。
「まあ、今回はラオクレスが随分と可愛らしかったから、それで勘弁して頂戴ね」
「おい、クロア」
ラオクレスは僕をぎゅっとやってしまったり、羽の内側に全員収納してしまったりしたのを恥ずかしがっているみたいなんだけれど、僕としても羽のテントの中は中々居心地が良かったから、まあ、ちょっとにこにこしてしまう。
……特に、先生の反応が中々面白かったよ。『まさか僕までしまわれるとは思っていなかったんだが……これは何だ?僕はラオクレスにとって庇護の対象ってことかい?』と遠い目をしながら、僕らと一緒に羽の中でぎゅうぎゅうしていたので。
多分ね、先生。先生はラオクレスにとって庇護の対象って訳じゃなくて……大切な存在、っていうことなんだと思うよ。羽テントの外に出してもらえたクロアさんは武力面での信頼があるから外に出されてたっていうだけなんじゃないかな。
「……ねえ、トウゴ」
そんな中、ふと、ライラが僕をつっついて囁く。なんだろう、と思って耳を貸すと。
「気づいた?クロアさん、ラオクレスの肩に留まってたけどさ」
「あ、うん。気づいたよ」
「……その後は、ラオクレスの背中側に座ってにこにこしてたわよね」
……うん。ええと、まあ、いつものかんじ、だけれど。
「あれ、ものすごく珍しくなかった?」
「え?」
僕が首を傾げると、ライラは、にやっ、と笑って教えてくれた。
「クロアさんって、後ろに人が居るの、ちょっと嫌みたいじゃない?」
「えっ、そうなの?」
「うん。そう。それが、背中合わせにラオクレスに凭れてのんびりにこにこしてたんだからさ……ちょっとは天使になってたのかもね」
な、成程……。つまり、普段から気を張っているクロアさんが素直になっちゃった時、ラオクレスと背中合わせで休んでいるのが一番落ち着く、っていうことなのかもしれない。
そう考えると、なんというか……その、クロアさん、ちょっと可愛らしいなあ、なんて、思ってしまう。いや、僕がクロアさんに可愛がられてしまう頻度が高い中、僕がクロアさんを可愛らしく思うなんて、ちょっと身の程知らずかもしれないけれどさ。
……と、まあ、こういう風にして天使のおやつの実験があちこちで行われた。
フェイに食べさせてみたら案の定、僕を巣に連れて帰ろうとし始めたし、楽しいいたずらを沢山やりたがるいたずら天使になってしまった。でも、ちょっといたずらしても明るい笑顔でにこにこされたら許してしまうのでフェイは得な性分だと思うよ。
それから、レネに食べさせてみたらあんまり変わらなかったのが面白かった。レネは普段から素直、っていうことなのかもしれない。ただ、やっぱりちょっと甘えん坊になってたので、僕とライラが存分にレネにきゅうきゅうくっつかれていた。
レネのついでに魔王にも食べさせてみたのだけれど、こちらはまるで変化なし。ただ、魔王は他の人の様子を見ていて、『これを食べたら人にくっついていいらしい』っていう学習の仕方をしたみたいで……まおーん、まおーん、と鳴きながら、片っ端から森の皆にくっついては撫でられて、満足気だったよ。
あと、鳥。……二回目だけれど、やっぱり全然変わらなかった。そうだね。君は元々素直だね。
ただ、何故か鳥の頭の上に浮かぶ輪っかが二重になっていた。なんでだろうか。それについて鳥がとても自慢げにキョキョンと鳴いていたのが、なんとなく、釈然としないというか……。
……そして。
「私、随分リアンにくっついちゃったわ……ちょっと恥ずかしいわね。私、もうそんなに小さな子じゃないのに!」
カーネリアちゃんが天使のおやつを食べたら、リアンにきゅうきゅうくっつく可愛らしい天使になってた。真っ白じゃなくてクリーム色の羽をぱたぱたさせながらリアンにくっつく姿は、中々可愛らしかったよ。天使ってやっぱり、寂しがりなのかな。天使になると皆、きゅうきゅう人にくっつきたがる……。
「ごめんなさいね、リアン。ちょっとお行儀が悪かったわ……」
「いや、別に……俺だって、くっついてたし……」
……リアンがちょっともじもじしながらも澄まして、それでいてちょっと嬉しそうなのがなんとなく微笑ましい、というか……。
うーん……やっぱり、リアンは天使っぽいなあ。なんとなく。
あ、そうだ。ちなみに天使のおやつを食べさせて一番面白かったのはルギュロスさんだった。
彼、素直になるとね……あ、いや、なんでもない。これは内緒にしなきゃいけないやつだった!
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