夏の思い出
最近の森は、みーんみんみんみんみん、とか、つくつくぼーし、ちくつくぼーし、とか、まおーんまおーん、とか、キョンキョン、とか、そういう音でいっぱいだ。
……そう。森は暑い夏を迎えています。
「あっぢいなあ……」
「暑い中ありがとうね。はい、どうぞ。よく冷えてるよ」
フェイが家の前の泉に足を突っ込んで涼んでいるところに、僕は冷やした麦茶を持っていく。
この森はそんなに暑さが酷くないのだけれど、レッドガルドの町の方はもっと暑いんだと思うし……ここまで来るのに、フェイは火の精に乗ってくるから、ちょっとぬくぬくするのだろうし……。
「ありがとな!うわー、冷えてる冷えてる!これが嬉しいんだよなあ!」
フェイは僕が渡した麦茶をごくごく飲んで、すぐにコップを空にしてしまった。僕は慌てて、お代わりを注ぐ。……ちなみにこの麦茶、氷でできたピッチャーから注いでいるよ。丁度今、氷を描く練習中なので、氷でできたコップとか、氷でできたお皿とか、そういうものがこの森には増えています。まあ、増えても溶けちゃうのが氷のいいところだよね。
「それにしても毎日暑いよなあ……トウゴは大丈夫か?」
「うん。日本の夏に比べると大分涼しいので」
この世界では、気温が30度になることがほとんど無い。それに、夕方になるとかなり涼しくなるんだよ。だから寝る時にはとってもいいかんじ。気温が35度を超えるような世界に居た僕としては、『なんて過ごしやすいんだろう!』という気持ちでいっぱい。
……でも。
「僕はいいんだけれど……先生が、溶けてる」
先生は、僕よりずっと、暑いのが苦手な人なので。多分、今日も和室で溶けてる。でろん、となって「トーゴ、僕はもう駄目だ。暑い。煮える。溶ける」とか言いながらぐでぐでしてるんじゃないかな。
……いや、先生の場合、本当に涼しくしたい時には『突如として、和室の気温が下がった!』とか書いて涼しくやるんだろうから、今、てろてろしてるのは多分、そういう趣味なんだと思うんだけれどね。
「それに、子供達も元気に遊んでるけれど熱中症がちょっと心配」
「ああー、外遊びにはちょっと辛い時期だよなあ」
うん。なので最近は、日差しの強い日の子供達は室内で本を読んだり絵を描いたりして過ごしている。学校で年下の子達に色々教えてあげたりもしてるから、まあ、季節に応じた過ごし方ができている、んだろうけれどね。
「……ま、そういう訳だ、トウゴ!」
けれど、フェイはなんだか嬉しそうに顔を上げて、にやっ、と笑って、言った。
「水遊び、行こうぜ!」
……ということで、数日後。
僕らは揃って、琥珀の池にやってきました。折角だから知り合いのところに遊びに行くついでに、水遊びもさせてもらおうね、ということで。
「コハクリスさーん!久しぶりね!元気だったかしら?」
カーネリアちゃんがパタパタ、と駆けていって、早速、コハクリスに挨拶している。琥珀のコカトリス……略してコハクリスは、カーネリアちゃんを見つけると、てててて、と走って迎えに来てくれた。
「……きゃあ!待って待って!つっつかないで!くすぐったいわ!くすぐったいわ!」
コハクリスはカーネリアちゃんのことが大のお気に入りみたいで、カーネリアちゃんの脚にふわふわすりすりくっついたり、つんつん軽くつついてみたり、ちょっかいをかけている。
「ケルピーも、水の妖精さんもお久しぶり。元気?」
そして、そんなコハクリスの後ろには、ぷるぷる鳴いているケルピーと、そのケルピーの背中に乗っかっている小さな水の妖精が居る。仲直りしたらしい彼らは、3人でこの池に住んでいるらしい。
「あら、こんにちは!お久しぶりね!ねえ、見て!このお池の周りのお花、とっても綺麗に咲いてくれたの!」
……そして、ものすごく人柄が変わったというか、悪いものが落ちたというか、そういう様相の水の妖精は、にこにこもじもじしながらお花の自慢をしてくれた。彼女はここでお花を育ててるんだっけ。
「こんにちは。おげんきですか!」
……そして、そこにアンジェがにこにこやってくると。
「あっ、あっ、よ、妖精の女王様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
水の妖精はもじもじして真っ赤になりながら、アンジェにぺこり、とお辞儀した。そういえばアンジェは妖精の女王様なんだった……。
「あのね、わたしたち、今日はね、ここに水あそびにきたの。いい?」
「も、勿論!女王様にお越しいただけて、大変光栄ですわ!……あ、でも、ケルピーとコカトリスもいいって言ってくれるかしら」
アンジェが遊泳の許可を得ようとしたら、水の妖精はちょっとおろおろ、として……でも、すぐにケルピーがぷるるん、と尻尾で水の妖精とアンジェを撫で始めたし、コハクリスがぱたぱた飛んでやってきてアンジェの腕の中に潜り込んだので、全員の許可が貰えたっていうことだろう。
皆、どうもありがとう!早速、涼ませてもらいます!
「よっしゃー!泳ぐぞー!」
一番行動が速かったのはフェイだった。ばっ、と服を脱ぐと、もうその下に水着を着ていたらしく、そのまま池に向かって走っていって……池に飛び込んだ!
「ぷは、うわー、涼しいなあ、ここ!」
少しして水面に顔を出したフェイは、それはもう満面の笑みを水飛沫と太陽の光とできらきら輝かせた。
「私も!私も行くわー!」
続いてカーネリアちゃんもワンピースを脱いだら、その下はまたワンピース……かと思いきや、そういう形の水着。すぐ池に向かって走っていく。
「あ、待てって、カーネリア!」
「カーネリアおねえちゃーん!まってー!」
続いてリアンとアンジェも水着になって、カーネリアちゃんを追いかけていく。そして3人分、ぽしゃ、ぽしゃ、と水飛沫が上がると、少しして、子供達のきゃらきゃらした笑い声が響いた。いいなあ。涼しくて楽しそう。
僕が『着替えはこちら』のテントを2つ描いて出しておいたら、その内、ライラとクロアさんも水着に着替えたらしい。
……ライラは藍色の、タンクトップにショートパンツ、みたいな水着なんだけれど、その、肩も脚も出てるから、見ている僕としてはなんとなく落ち着かない。
「私も混ぜてー!」
けれどもライラは僕なんか気にせずにバシャバシャと池に入りに行って、子供達とフェイと一緒に遊び始めた。池の周りはきゃあきゃあと楽し気な歓声でいっぱいになる。
「あらあら。楽しそうね。私も混ざろうかしら」
クロアさんは黒のパレオ姿で、ぽん、とパラソルを開いた。子供達が遊ぶ横、池のごく浅いところの丁度いい琥珀に腰かけて、そこにパラソルを上手い具合に固定して、何とも優雅に涼んでいる。
「くれぐれも気を付けて遊べ」
そしてラオクレスも、着替えて出てきた。彼の水着は……ええと、腰巻。そんなかんじ。うーん、実に石膏像……。
……そうして、池が賑やかになる。なので僕は当然、それを描く。描きたくなっちゃった。陽の光にきらきらする水飛沫の表現も、皆の楽しそうな表情も、とても描き甲斐があるモチーフだから!
僕の横では先生がやっぱり、何かメモしているらしくて手帳にボールペンを走らせていた。まあ、水遊びの描写とかに役立ててください。
……と、そういう風に過ごしていたら。
「よし、僕もちょいと涼んでこようかな……若者達のように元気よく、という訳にはいかないが」
先生がボールペンと手帳を置いて、よっこいしょ、と立ち上がった。どうやら、作業は一段落、といったところらしい。それに先生、暑がりだから。早く涼みたかったんだろうなあ。
「トーゴはどうする?」
「……僕もちょっと行ってこようかな」
そして折角なので、僕も先生について行くことにした。よし、涼むぞ!
……いや、実は僕、日ごろから龍の湖にお邪魔して足だけ水に浸けさせてもらったり、馬の洗濯がてら水浴びしたり、してるんだけれどね。
「涼しいなあ、トーゴ」
「うん。中々いいね」
……ということで、僕と先生は2人揃って、池の縁に腰かけて、脚を水に浸けて涼んでいる。
サンダルを脱いで、半ズボン型の水着はそのまま、ふくらはぎの半分くらいまで水に浸けてひんやり。上半身はなんとなく脱ぐのが億劫で、日除けに着てきた薄手のフード付きローブを羽織ったまま。先生も似たようなかんじで、白い麻のシャツを上に着っぱなし。ただ、先生の頭の上には何故かつばの広い麦藁帽子。……それ、似合うね。先生。
「平和だなあ、トーゴ」
「うん。実に平和だ……」
子供達が池の浅いところでぱしゃぱしゃやったり、フェイとライラが泳いで競争したり、ラオクレスがライフセーバーさんみたいに池のほとりに立っていたり、クロアさんがコハクリスとケルピーに大人気だったり。いい眺めだなあ。
そんな様子をのんびり眺めつつ、時々、爪先で水を蹴って遊んでみる。僕の足が掬い上げた水が飛んでいって、池の水面にぶつかって弾けて、波紋が広がってきらきらする。……こういう様子を何とはなしに眺めていると、のんびり落ち着いた気分になってくるね。
……と思っていたのだけれど、落ち着いてばかりもいられないらしい。
「トウゴー!お前もこっち来いよー!」
ばっしゃん。
……フェイが僕に、水を浴びせてきたんだよ!
ということで僕、フェイの両手一杯分ぐらいの水を被って、ちょっぴり濡れてしまった。あああ。
「あら、トウゴもウヌキ先生も、泳がないの?」
そこにライラもさぷさぷ寄ってきて、首を傾げる。
「ははは。僕みたいな年寄りはまあ、こうしているのが一番ってことで……」
それに先生は笑ってそう答えるのだけれど……うん。
「それに、ほら、水に濡れちゃうと着替えが後で面倒だしな?」
「火の精貸してやるからよー、泳がねえ?折角だし」
「泳ぐと体力を消耗してしまうので……」
「ここまで来ておいてそれは今更じゃない?」
まあ、そうかもしれないけれど。……でも、僕としても、その、ちょっと……うん。
「……っていうかさあ、トウゴもウヌキ先生もそうだけど!あんた達、暑くないの?」
「まあ、日本の夏と比べると大分涼しいので……」
「それにしても、よ!なんであんた達は!水場に来てまで!そんなに着込んでるのよ!」
「あああああ、ライラ、ライラ。よくない。そういうのはよくないぞ!」
僕らがもごもご言っていたら、ライラがぐいぐいぐい、と先生のシャツを引っ張り始めた!先生は『いやん!ライラさんのえっち!』とばかりに身を縮めている。
「ほら、トウゴも!」
「あっあっ、駄目、駄目だよ!脱がせないでってば!」
かと思ったら、次は僕の方に来た!駄目!駄目!脱がさないで!脱ぐなら自分で脱ぐから!
「……もしかして、あんた、泳げない?な、なら無理にとは言わないけどさ……」
「いや、そんなことはない……。得意では、ないけれど……」
しかもカナヅチの不名誉を頂きかけてしまった!いや、そこで変に『気づいてしまった』みたいな顔をして退かないで!僕が本当にカナヅチみたいじゃないか!
「なんか、あんたやウヌキ先生にしてはちょっと珍しいわよね」
それからライラはふと、そんなことを言って首を傾げた。……珍しい、とは。
「ほら、ありとあらゆる経験が絵の役に立つ、って言ってたあんたがこうまで泳ぎたがらないの、不思議だな、って思ってさ」
……あ、言われてみれば、確かにそうだ。
うん……いや、本当に、そう、思ってるよ。あらゆる経験は僕らの糧になる。それを元にして僕らはものを創るから……だから、あらゆる経験は無駄にはならない。うん。その通り。
なん、だけれど……うーん。プールの授業にはちょっと、いい思い出が無くて……。多分、先生もそう、なんだと思うけれどさ。
「ね、見てみなさいよ。綺麗よ、水の中」
でも、ライラがそう言って笑うから。今度は優しく、僕の手をくいくい引っ張るから。
「……うん。分かった。やっぱり行ってみる」
ちょっと抵抗があったんだけれど、フード付きのローブ(これ、僕の世界で言うところのパーカーかもしれない)を脱いで、池の岸に放り投げる。夏の日差しが肌に当たって、ああ、あったかいなあ、と思う。もうちょっとこのままで居ると『熱い!』っていう感覚になってくるんだろうけれど。
脱いじゃったら、さっさと水に入るに限る。僕はしゃがんで水の中に肩まで浸かると、そのまましゃぷしゃぷ水を掻き分けつつ深い方へ進んで……ちゃぷん、と、水の中に潜ってみた。
水の中は、綺麗だった。ライラの言った通りだ。
琥珀の池の水は、どこまでもどこまでも透き通って見える。水を掻く度、視界一杯に広がる泡が煌めいて、池の底には水面を通して落ちた光がゆらゆら揺れて……ああ、これは本当に、見たら描きたくなるやつだ!
息継ぎができなくなって、しゃぷ、と水面に顔を出す。途端、濡れた髪が額に貼り付いて、なんだかちょっと重苦しいようなかんじ。ああ、懐かしいなあ、こういう感覚。
「ね?綺麗でしょ」
そこに泳いで近づいてきたライラが、にんまり笑う。
「うん。すごく綺麗だった……」
これは、上着を脱ぎたくないとか、そういうことを言っている場合ではなかった。見て描かなきゃいけない奴だった!ああ、ライラが誘ってくれて、本当によかった……!
「おっ、!トウゴも来たか!よしよし、泳ごうぜ!折角だし!」
そこにフェイも近づいてきて、僕ら3人、しばらく泳ぎ回る。……学校のプールみたいにレーンがあるわけでもないから、泳ぐコースは自由自在。こういう泳ぎ方、初めてだ。
「僕の羽って水中で泳ぐ時にも使えるみたいだ。ほら」
「ええっ……あ、ほんとだ。羽で水掻いてるわね……うわー、変な眺め」
ついでに、クロールでも平泳ぎでもない変な泳ぎ方をしてみる。水の中で羽をぱたぱたやってみたら、なんと、水の中を飛ぶように泳げてしまった!これは便利だ!
「……ちょっと、クラゲみたいね。ほら、あんたの世界で見せてもらったやつ。あんたの羽、水の中で見ると白く透き通って、ふわふわして、本当にああいうかんじ」
「ライラは……ウニっぽくは、ないなあ」
「そりゃそうでしょ。何言ってんのあんた」
ライラはそう言って笑うと、また水の中にざぶん、と入っていく。僕も後を追いかけて潜ってみた。ライラはウニじゃないなら何に見えるかな、と。
水の中は静かだ。ごぽり、と泡が上っていく音が聞こえるばっかりで、水の上の音は遠い。それがどこか、現実離れしたような感覚にさせてくれる。
そんな静かな世界の中、ライラのポニーテールがふわり、と広がって水の中に靡く。のびやかな手足の、白い肌の上に水面を透かした光が落ちて、ゆらゆら揺れて見える。
透き通って青い水の中、ライラが随分と綺麗に見えて……これは確かに、ウニじゃないなあ、と思う。
……人魚、って、こういうかんじだろうか。いや、ライラには脚があるけどさ。
それから水中のフェイも観察してみた。フェイはあんまり潜らずに水面のあたりをバシャバシャ泳ぐ。水中からそれを見ていると、フェイが水を掻く度に細かい泡がいっぱい生まれて、それがきらきら光るんだ。
勢いが良くて、のびやかで、きらきら光る様子が、空を飛ぶドラゴンみたいにも見える。フェイにはこういう光とかダイナミックな動きとかがよく似合うなあ。うーん、描きたい。
「……フェイ様、やっぱりドラゴンっぽいわね。なんか、水の中から見上げてみてたら、空飛ぶドラゴンっぽかったわ」
「あ、僕もそう思った」
ついでに、ライラも同じことを考えたらしくて、なんだか嬉しくなる。僕ら絵描き同士、気が合いますね。
そこで一旦、休憩。ラオクレスがピピーッ、と笛を吹いて(どうやら先生が出したらしいよ、このホイッスル……)僕らはそれを合図に、池から上がる。
……水の外に出た途端、なんだか体が重くなる。水の中で忘れていた体重が体にのしかかってくるような、疲労が体にじんわり広がっているような。プールの授業の後の、あのかんじ!
「はあ、楽しいわね!こういう風に泳ぐの、久しぶり!」
「俺も、ガキの頃に避暑地で泳いだ時以来かもなあ……あ、いや、学園で泳ぐ授業、あったかあ。でもありゃ、遊びじゃなくて訓練だったしなあ」
ライラとフェイはまだ疲れ知らずみたいで、濡れた髪を掻き上げつつ、にこにこ。僕はちょっとくったり。うう、体力がもっとほしい。
「さあ皆。泳いだら体力を消耗するでしょう?たくさん食べて頂戴ね」
そして、クロアさんが皆を呼んでくれる。見ると……いつの間にか、バーベキューグリルみたいなものが出ていて、そこでトウモロコシやお肉が焼かれていた!あっ、もしかしてあれ、先生の仕業だろうか!先生は何時の間にやらトウモロコシをひっくり返しつつ醤油を塗って、すっかりトウモロコシ屋さんの様相だ。
きゃあ、と子供達が真っ先に駆けていって、その後を僕とフェイとライラが追いかけて、更に後ろからラオクレスがやってくる。醤油の焦げるいい香りって、どうしてこうも食欲をそそるんだろうなあ。
「はい、リアン。お仕事よ。これ、凍らせてくれるかしら?」
「ん。任せとけ。……はい、クロアさん。これでいいか?」
「ばっちり。ありがとうね、リアン。さあ、皆、リアンが冷やしてくれたジュースもあるわよ!」
「いいねえ!こういう日には冷たいもんが美味いよなあ!」
そうして僕らは、冷えたジュースで乾杯しながら、ちょっとしたバーベキュー、となった。
……妙にトウモロコシが美味しかったよ。なんだろう。先生の魔法かな。
それから僕らは、池のほとりで美味しいご飯を食べつつ、のんびり話した。『この間、魔王がどこから知ったのか流しそうめんをやっていた』とか『ルギュロスが暑い日にも頑なに長袖を着る』とか『鳥の触り心地が変わった気がする。夏毛になったりしているんだろうか』とか。
そうしてしばらくして、ご飯を食べ終わって、子供達はまた元気に池に飛び込んでいって……。
「あ、いつの間に」
ふと見たら、池に鳥が浮かんでいた。キョキョン、と鳴きつつ、ぷかぷか水に浮かんでご満悦。よく見るとその背中に魔王が乗っかっている。魔王は鳥をボート代わりにゆらゆら揺られて、まおーん、とこちらもご満悦。
「……なあ、トーゴ。魔王って水に浮くと思うか?」
「え?……う、うーん、沈むような、浮くような……微妙なかんじだなあ」
ちょっと気になったので、僕とフェイは揃って池に入って、鳥から魔王を貰ってくる。魔王は僕が「おいで」って言うとすぐ、まおーん!と鳴いてとろりん、とやってきた。……暑い日の魔王は何故か、ちょっと手触りが柔らかめになるし、動作もなんだか柔らかめになる。なんでだろう。暑くて溶けてたりするんだろうか。
「さてさて。魔王は果たして浮くかどうか……あ、浮くなあ」
「浮いたねえ」
そして魔王を水の中にちゃぷん、と浸けてみると、魔王は自力で浮かんでぱしゃぱしゃ、と泳ぎ始めた。まおんまおん、とご機嫌な様子だ。
更に。
「なっ……お、おい、魔王!何をしている!離せ!」
魔王は泳いでいって、反対岸に居たラオクレスの腰にくるりん、と巻き付いて、そのまままた、まおんまおん、と水の中へ戻ってくる。
すると……。
「……おお、ラオクレスが浮いてるぜ」
「すごい……脂肪なんてほとんど無くて、骨と筋肉でがっちりしたラオクレスが、浮いてる……」
ラオクレスが、浮いていた。
さながら、魔王が浮き輪のようだ。どうやら魔王はとんでもない浮力を持ち合わせているらしい。
「……何だこれは」
「魔王の浮き輪、かなあ……」
「落ち着かんのだが……」
「ま、まあ、そうしてりゃあラオクレスもちょっとぷかぷかできていいんじゃねえの?こうでもしねえと、ラオクレスは水に沈むだろ?」
うん。そうなんだよ。ラオクレスって脂肪が少なすぎて、水に中々浮かないらしいんだ。ただ、泳げないっていう訳じゃなくて、その素晴らしい筋肉を使って沈む前に水を掻いて前進し続ける、っていう方法を取ることで一応、泳げはするんだけれど……。
……なので、こう、ラオクレスが魔王の浮き輪でぷかぷかしているのは、なんだか珍しくていい眺め。よし、描こう。
僕が岸に上がってふわふわに乾かしてもらいつつ絵を描いていたら、その内、ラオクレスとクロアさんが水泳対決を始めていた。クロアさんはクロアさんで密偵さんだから、水泳の訓練もしていたらしい。すごいなあ、クロアさん……。
クロアさんの泳ぎ方は、まるで魚みたいだ。すごくスマートというか、無駄が少ないというか。クロアさん、こういうところも技巧派っていうかんじだ。
一方のラオクレスはまあ、予想通りのダイナミックな筋肉の動きで大きく大きく水を掻いて、大きな水飛沫を上げながら泳いでいく。ラオクレスは体の大きさと筋肉の圧倒的な力で押し進んでいるかんじがして、これはこれで見ごたえがある。
その間、魔王は子供達を乗せてボート型浮き輪になっていたし、鳥はのんびりぷかぷかしていたのだけれどラオクレスが通った後に水面が大きく波打ってひっくり返ってしまった。ばたばたばた、と藻掻きながらひっくり返った鳥がまた元に戻って、キュン、と不服気な声を上げたのがなんだかちょっと面白かった。君もたまにはこういうことがあっていいんじゃないかな。
……その後、鳥は何を思ったのか、先生を捕まえて自分の背中に乗せると、また水面でぷかぷかし始めた。先生は「お、おお……?これは一体、何の儀式だい?最近の鳥さんは抱卵するだけじゃなくて背中に何か乗っけておくのもマイブームだったりするのかな?」と困惑していたけれど。まあ、鳥のことなので、多分、特に何も考えずにやっていると思うよ……。
そうして大分絵を描いて、ちょっと小腹が空いてきてしまったからアイスクリームを描いて出して、ついでに水の妖精とケルピーとコハクリスにもアイスクリームを差し入れした後。
「はーあ、泳ぎ疲れちゃった。あ、トウゴ、いいもの食べてるじゃない。それ、どうしたの?」
「うん。さっき描いて出した。はい、どうぞ」
ライラがやって来たので、ライラの分のアイスクリームを氷の箱から出してプレゼントした。アイスクリームはたっぷりあるから沢山どうぞ。
「あんた、随分描いたんじゃない?」
「そういうライラもちょこちょこ水から上がって描いてたよね。後で見せて」
「そうね。今見ると紙が濡れちゃいそうだし、帰ってからにしましょ……うわ、また鳥さんがやってるわね」
ライラがアイスクリームの器を庇うようにすると、直後、僕らの方まで水が飛んでくる。鳥がバタバタバタ!とやった結果だ。……当然のように、鳥の背中に乗せられていた先生は容赦なくびしょぬれになってしまった。あああ、先生……。
「……ところでさあ」
先生が眼鏡についてしまった水滴を振って払うのを眺めていたら、ライラがふと、聞いてきた。
「あんた、泳ぐのあんまり好きじゃなかった?」
「え?」
「ほら、水に入りたがらなかったじゃない」
ちょっとだけ僕を心配するように、ライラがそう言う。ライラは努めて『なんていうこともありませんけど』みたいな顔をしてるけれど、もしかすると、さっき僕が嫌がってたのに引っ張っちゃった、って、気にしてるのかも。ライラは優しいから。
……なので、僕はライラの誤解を解かなきゃいけなくて、でも、なんかこう、ちょっと言うのが躊躇われて……うう。
「……笑わない?」
そう聞いてライラの様子を窺ってみると、ライラは真剣な顔で頷いてくれた。
「うん。勿論……あ、いや、駄目。やっぱり約束はできないわ。あんたのことだから突拍子もないこと言いそうだし、そうしたら笑っちゃうかもしれないから」
……真剣な顔で頷いてくれた割に、随分なことを言うなあ!ああもう!
「いや、でも馬鹿にはしない、って約束するわ。笑っちゃうかもしれないけど、あんたを馬鹿にはしない。それでどう?」
でもライラはこういうところがちゃんとしているというか、芯が通っているので。まあ、僕もそんなに嫌な思いをせずに、話せる訳なんだけれどさ……。
「……学校の授業で、水泳をやってた時に」
「うん」
ライラが真剣な表情で聞いてくれるのをなんだか申し訳なく思いつつ、僕は『なんていうこともありませんけど』っていう風に頑張って、話す。
「『上空君って細いし綺麗だし、男っぽくないよね』とか女子に言われるのが、なんか嫌だったので……」
……そうして僕が話し終えると、ライラは、きょとん、として……。
ぷみゅ、みたいな、我慢し損なって吹き出しちゃった、みたいな笑いを漏らしたのだった。ああ、有言実行だね、君は!
「成程ね、そっか、あんたとしてはそういうのが嫌だったわけね。成程……」
それから一頻り肩を震わせて一生懸命笑うのを我慢して、ようやくライラが落ち着いた。……笑わないように頑張ってくれたのは嬉しく思うよ。うう。
「うーん、細いのが嫌、っていうのは……えーと、男らしくないから、みたいな?そういう感覚なわけ?」
「まあ、うん……」
ついでに理解を図ろうとしてくれるのも、嫌じゃないんだけれどさ。嫌じゃ、ないんだけれど……なんだか恥ずかしいなあ。ううう。
「ちなみにウヌキ先生も、それ?」
「多分、そうじゃないかな……いや、先生の場合、寄る年波にちょっと抗えない、みたいなところはあると思うけれど」
先生も自称『鶏ガラボディ』だから。多分、ちょっと気にしてるんじゃないかな。僕は先生の『長身痩躯』とでも言うべき体型、格好いいと思うけれど。僕とは違って先生は身長も高いし……。
「うーん……まあ、そう言われると、確かに、ラオクレスの半分ぐらいしかないわよね、あんたといい、ウヌキ先生といい」
う、うう、そういうこと、言う?ちょっと気にしてるんだけどな……。いや、でも流石に、ラオクレスの半分、ってことは……ない、よね……?ああ、自信が無くなってきた!
「でもあんたも……うー、な、なんか変なかんじだけどさ、やっぱり、女の子じゃ、ないわよね……」
僕の自信がへにょへにょ、と萎れてきたところで、ライラは何やら悩み始めた。ちら、と僕を見て、また『うー』みたいな唸り声を上げて……それで。
「前、あんたの絵を描いてて思ったけど。凹凸が全然なくって、ごつごつはしてないけれど、ぷにぷにもしてなくて。それで、すらっとしてて、手がちょっと大きくて……なんか、私とは違う生き物だわ、ってさ、そういう風に、思うのよね……」
……なんだか悩みながら、ライラはそう言って、また、ちら、と僕を見て、何だかむにゅむにゅした顔をする。
「あと、ええと、ほら。ウヌキ先生もそうじゃない?ラオクレスみたいなかんじじゃないけれど、でも、ウヌキ先生もそうよね。男性の体、ってかんじ。ラオクレスは筋肉の勉強になるけれど、ウヌキ先生は男性の骨の勉強になるのよ」
「あっ、それは分かる。がしゃ君達を描くのはそのまま骨の勉強になるけれど、先生を見ていると、そういう骨がどういう風に人体になってるかがよく分かって勉強になる!」
分かる分かる、と僕は頷く。先生は本当にいいモチーフなので!
「ま、まあ、そういう訳で……そんなに気にすること、ないわよ。その、男っぽくない、ってことは、ないわ」
……ということで、僕が頷いていると、ライラはちょっとツンと澄ましたような顔をしつつ、ちょっと耳の端を赤くしている。
ええと……多分、ライラ、励ましてくれたんだなあ、と思う。半分くらいお世辞じゃないかな、とも。
でも、もう半分がお世辞じゃなくて、ライラが本当に思ったこと、なんだったら……その、ちょっと、嬉しい、というか、ほっとする、というか。
「うん……ええと、ありがとう」
「す、少なくとも絵の勉強して、人間の体の描き分けができる人なら絶対にあんたのこと男っぽくないなんて思わないわよ!」
一生懸命励まそうとしてくれるライラがなんだか、ありがたいような申し訳ないような、くすぐったいような。そんな感覚になりながら、僕は……ふと、ライラを描きたくなってきた。
「ねえ、ライラ。描いていい?」
「はあ?なんでまた……まあ、いいけど。あ、でもその代わり、私はあんたを描くからね!」
「うん。僕で良ければどうぞどうぞ」
あんまりまじまじと見たら申し訳ないような気もするけれど、ライラののびやかな手足とか、丸みのある肩とか、そういうのが、こう、なんか、描きたくなったんだ。いや、別に変な意味じゃなくて、ライラが言ってたことの、女性版、というか。
ライラもクロアさんみたいには凹凸がくっきりした体じゃないんだけれど、でも、やっぱり骨格の丸みとか、手首の華奢さとか、そういうところに僕と差が出てるのが分かる。じっくり観察したら、女性スケルトンに共通した特徴みたいなものが見えてきて、こう……すごく勉強になるんだよ!
「ところでレネって何度描いてもどっちか分かんないんだけど……あんた、分かる?」
「あ、うん。それは僕も分からない……」
……まあ、例外も居るっていうことで。
それから僕らは帰路についた。子供達は水遊びですっかり体力を消耗してしまったらしく、帰り道、鳥の羽毛に埋もれて運ばれている間に眠ってしまったみたいだ。分かる分かる。僕も、プールの後の授業はちょっと眠かった。
「いやー、楽しかったなあ!また皆でどっか出かけようぜ!」
「琥珀の池の様子も見られてよかったよね。次はグリンガルの森に皆で行かない?」
そして僕らは僕らで、早速次の遊びの相談をする。今日も楽しかったけれど、次もまた楽しいって、僕は知っているんだよ。
「ウヌキ先生が焼いてくださったトウモロコシ、とっても美味しかったわね。あれ、お菓子に応用できないかしら……。ねえ、ウヌキ先生?ウヌキ先生の世界には、トウモロコシのお菓子ってあったかしら?」
「うーむ、トウモロコシのお菓子というと、指にはめて遊ぶやつとか、髭面の農家のおじさんが食べてるやつとか、そういう印象が強いが……甘いお菓子ではあまり印象が無いなあ。いや、でもトウモロコシ粉を主食としている地域のお菓子を調べるとそういうものも出てくるかもしれないね。調べるのはトーゴ頼みになるが」
「あれは焼いてそのまま食ったからこそ美味いような気もするが」
大人達3人組はトウモロコシが気に入ったみたいで、トウモロコシ談義を始めている。まあ、美味しいよね、トウモロコシ。僕もすごく久しぶりに食べたし、あんなに美味しいトウモロコシは初めてだった。
何だかんだ、今日、楽しかったなあ。水遊び自体に楽しい印象があんまり無かったんだけれど……今日は、すごく楽しかった。
「ね、トウゴ。帰ったら寝る前にスケッチブック見せてよ」
「うん。ライラのも見せて」
ああ、帰ってからスケッチブックを見返したり見せ合いっこしたりするのも楽しみだなあ。僕のスケッチブック、今日の楽しかった思い出の記録みたいになってるかもしれないし。そういう意味でも、後から見返すのが楽しみなんだよ。
僕のスケッチブックはどんどん増えていくけれど、見返すと『ああ、この時はこういうことがあったなあ』って思い出せるから、絵の上達とかを抜きにしても、ちょっと楽しい。
「夏の間にもう1回くらいは楽しいことしような!」
フェイが楽し気にそう言うのを聞いて、僕はじんわりわくわくしてくる。
……次もまた、スケッチブックが増えるんだろうなあ。わくわく。