終わる物語*3
翌日。
僕は一日、美術の予備校に行って、鉛筆デッサンの添削をしてもらった。『これだけの枚数、一体いつ描いてるんだ……?』と講師の先生に不思議がられたのだけれど、まあ、こっちと向こうと、2つの世界でひたすら描いているので……。
それから翌日。
美術部で春休みが終わってしまうことを惜しむパーティ。ちょっとしたお菓子や飲み物を持ち寄って楽しむ会。こういうの、初めてだからなんだか新鮮で楽しかった。僕は妖精洋菓子店のクッキー詰め合わせ缶を持っていったのだけれど、中々好評だった。
そして翌日。
……学校は始業式。新しいクラスに入って、重垣さんと同じクラスになったのでお互いに『今年もよろしくね!』ってやって、諸々配布物や提出物のやりとりをして……そして解散してすぐ、僕は先生の家へ向かった。
門を抜けて、森の中。澄んだ春の空気を胸いっぱいに吸い込んで、なんだかうきうきいい気分。
「おっ。トウゴ!来てたのか!」
深呼吸していたら、馬の向こうからフェイが手を振ってくれる。僕も手を振り返して、馬を掻き分けつつフェイのところへ。
「今来たところ。フェイも?」
「おう!いい天気だから散歩しようと思ってさあ。……あと、ルギュロスに意見聞きてえことがあってよー……」
フェイは『若干不服!』みたいな顔をしつつ、そう言った。……ルギュロスさん、何だかんだフェイのいい友達になってしまったなあ。本人は否定するんだろうけれど、ルギュロスさんもフェイと話すの、楽しいみたいだし。
「ねえフェイ。最近先生、見てる?」
「ウヌキ先生?見てねえ……つーか、俺、ここ3日くらいは森、来てなかったからさ。聞くならラオクレスあたりの方がいいんじゃねえかなあ」
成程。ラオクレスなら森の警備もしているし、学校にも顔を出すから先生の顔を見る可能性は高い!
ということでフェイと別れて、早速ラオクレスのところへ。
ラオクレスは騎士団の詰め所に居たので、そこへ挨拶に入る。丁度、マーセンさんと何か談笑していたラオクレスは僕を見つけると、軽く手を挙げて『こっちこっち』というように手招きしてくれた。ありがたく近寄らせてもらって、マーセンさんが引いてくれた椅子に座らせてもらう。
「どうした、詰め所に来るのは珍しいな」
「そうかな。時々来ている気がするけれど……」
主に、石膏像のデッサンをしたい時に。……あ、でも、そういう時はラオクレスじゃない騎士を描いていることが多いので、ここでラオクレスと話すのはちょっと珍しいかもしれない。いや、だって、ラオクレスは普段からあちこちで描かせてもらっているから、その、僕のスケッチブック、ラオクレスだらけなんだよ……。
「俺に用か?」
「うん。昨日あたり先生を見ていたら、近況を教えてほしいな、と思って」
早速ラオクレスに聞いてみると、ラオクレスは少し首を傾げて、答えてくれた。
「見ていないが。……家に籠っているようだぞ」
「よし。ちゃんと働いてる!」
ひとまず僕が見ていない間も先生はしっかり原稿に取り組んでいたらしいのでよし。ちょっと安心した。
「逆に少々心配だが。ウヌキはきちんと食事は摂る方か?違うだろう?」
「うん。僕みたいなタイプだよ」
そしてラオクレスはちょっと心配している。……まあ、そうだね。確かにそうだった。先生、原稿に全ての力を注いでしまうと、食べることもお風呂も睡眠も忘れてしまう人なので……。
ということで僕は騎士達に何故か一通り撫でられてから、妖精洋菓子店へ。折角だから先生への差し入れ、何か買っていこう。ええと、具体的にはエネルギーが高そうなやつ……。
「あら、トウゴ!いらっしゃい!」
「こんにちは、カーネリアちゃん」
妖精洋菓子店ではカーネリアちゃんが店番をしていた。勿論、小さな女の子が1人で店番をしているけれど危険は無い。何故なら、骨の騎士団と森の騎士が1人、ちゃんと警備に入っているから!
「インターリアさんも、こんにちは。お加減はいかがですか?」
「ああ、トウゴ殿。具合は大分いい。順調すぎて不安になるくらいだ。もっと悪阻が酷くなるかと思っていたんだが……」
インターリアさんは少し出てきたお腹を撫でながら、うーん、と唸っている。……インターリアさん、悪阻が軽いタイプらしいよ。僕としては森の子達のお産は経過も含めて全て安産であってほしいので、これは嬉しいことだ。
「トウゴ、今日は何がご入用かしら?またクッキーの缶かしら!」
「あ、今日はね、先生のところに差し入れに行こうと思って。……えーと、なのでクリームたっぷりで高エネルギーなやつをお願いします」
「こうえねるぎー?……ええと、とりあえずクリームたっぷりのケーキにするわ!ちょっと待っててね!」
注文すると、カーネリアちゃんはてきぱきと動いて、ケーキ用の紙箱に苺のショートケーキを2つと、レーズンバターサンドを2つ、そして妖精マドレーヌを2つ、詰めてくれた。
「ウヌキ先生のところへ行くの?」
「うん。そう。先生、何も食べていない気がするので……」
「まあ!それは大変だわ!……あっ、だったら、カフェのクロアさんに相談してみてほしいの!苺のミルクプリンが新発売なの!カフェのメニューだけれど、包んでもらえるかもしれないわ!」
カーネリアちゃんは『ミルクも卵も栄養たっぷりなんだわ!』と胸を張っている。異世界の栄養学を着々と身に着けているようだ……。
カーネリアちゃんのお勧めどおり、妖精カフェへ行ってみた。
するとなんと、テーブルの1つでフェイとルギュロスさん、そしてラージュ姫が何か議論しているところだった!どうやらフェイ、ルギュロスさんを捕まえて、真っ直ぐカフェへ来たらしい。ラージュ姫はきっと、公務の隙間にここへ来て息抜き中なんだろうなあ。
けらけら笑うフェイとくすくす笑うラージュ姫と、その2人に『だからどうしてそうなる!くそ、やはりここソレイラは意味が分からん!』と怒っているんだか楽しんでいるんだか微妙なラインのルギュロスさん。……何の話なのか、後で聞いてみよう。
「あら、トウゴ君。どうしたの?ルギュロス君にちょっかいかけに来たのかしら?それともルスター?」
「いや、どっちでもないです」
そして店員クロアさんがにっこりおすすめしてくれた2つはお断りする。よく見たら隅っこの方にルスターさん、来てた。妖精の遊び場にされているけれど、美味しいおやつを食べながらちょっと口元が緩んでいる……。
「ええと、苺のミルクプリン、余ってたら分けてほしいんだ」
「あら。ウヌキ先生に差し入れ?」
「その通りです」
クロアさん、察しがいいなあ。まあ、僕がケーキの箱を持ってうろうろしていたら、大体の目的は分かるのかもしれない……。
「そういうことなら分けてあげる。グラスは後で返して頂戴ね」
「うん。倍にして返します」
「こら、増やそうとしないの!」
クロアさんにちょこん、とおでこを小突かれてくすくす笑い合って、そこへ妖精達が気を利かせてミルクプリンが入ったグラスを持ってきてくれたので、それもケーキの箱に詰めて……よし。
「じゃあ先生のところ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。ウヌキ先生に『ちゃんと食べなさいね』って伝えて頂戴ね」
クロアさん、先生に対してもちょっとお母さんっぽいなあ、なんて思いつつ、はーいと返事をして僕は先生のところへ向かうことにした。
「せんせーい」
ということで僕は先生の家。玄関の扉を叩いてみたのだけれど返事が無かったので、庭に回る。
先生の家の庭の陽だまりで寛いでいた鳥をちょっと退かして、庭に面したガラス戸をからから開けて、その向こうの障子を、すす、とちょっとずらして、そっと、部屋の様子を見てみると……。
……真剣な顔でノートパソコンをカタカタやっている先生が居た。とても集中しているらしくて、こちらには気づいていない。
こうして集中している時の先生は、いつもと雰囲気が違う。それは多分、集中している時に顔が変わるんじゃなくて、僕と接している時に顔が変わっているからだ。先生は僕と接する時、『先生』で在ろうとしてくれているから。だから、『先生』ではなくて『宇貫護』の顔が、今の顔なんじゃないかな。
そうして僕は存分に、『宇貫護』を観察させてもらう。
少し伏せられた瞼は瞬きを時々すっぽかしながら、じっとパソコンのディスプレイを見ている。カタカタ、と指が動いてキーボードを打っていたと思ったらぴたりと止まって、目が少し動いて、それからまた、カタカタ。
……こうして集中しているところにお邪魔してしまうのは申し訳ないなあ、という気持ちになってきた。先生の仕事の邪魔はしたくない。だって、これは先生にとって、ものすごく大切なことだから。先生が大事にしているものは僕だって大事にしたいんだ。
と、思っていたら。
キョンキョンキョン、と鳥が鳴く。おや、と思って振り返ると……。
鳥が。僕および障子に向かって、突進してくるところだった。
「いやー、驚いた驚いた。鳥さんが急にアタックしてきたもんだから……」
「ごめん、先生。仕事の邪魔をしてしまって……」
ということで、先生の仕事は中断されてしまった。そりゃあ、部屋の障子を突き破って鳥のくちばしがズボッと出てきたら、いくら集中してたって流石に驚くよ!
「いや、トーゴは何も悪くないさ。ついでに鳥さんは……鳥さんは、まあ、ちょいと悪いが。だが鳥さんにそれを言ってもしょうがないしなあ……」
君、ちゃんと謝りなさい、と鳥に向かって言ってみるのだけれど、鳥はまるで気にした素振りも無く、障子をつんつんやってばりばり穴を開けている。もっと謝ること増やしてどうするんだ、君は!
「……ま、僕は気にしていないよ。むしろ休憩するタイミングを逃していたからね。丁度良かった」
そうして先生は笑って、僕を部屋に上げてくれた。鳥にはもうしばらく障子で遊んでいてもらうことにした。鳥が帰ったら貼り替え作業をしよう……。
それから僕は早速、先生に持ってきた差し入れのお菓子を広げる。先生は『おお!深夜か未明かに食べたお茶漬けとビーフジャーキー以来の食べ物だな!』と言っていたので、やっぱり持ってきてよかった!
先生が早速ミルクプリンを食べて『ああー美味いー!』と歓声を上げる傍ら、僕は台所を借りてお湯を沸かす。ケーキだったら紅茶かな。急須ではなくティーポットを出して、茶葉の缶も戸棚から引っ張り出す。
そうして僕がお茶を淹れて持ってくると、先生はプリンを食べ終えてにこにこしているところだった。よかったね、先生……。
「いやー、助かったぜ、トーゴ。どうやら僕は空腹だったらしい」
「ね。人間、気づかない内にお腹が空いててびっくりするよね」
「そうだなあ。びっくりした。びっくりするほどプリン、美味かったしなあ……」
ねー、と頷き合って、さて。お茶も用意できたことだし、僕もおやつにさせてもらおうかな。先生も早速、ショートケーキに手を出し始めていることだし。
僕と先生は存分におやつを堪能して、一息。
「先生、原稿の進み具合はどうですか」
「うむ。まあ、いいかんじだ。……なんというか、不思議なもんでなあ。書いてるとやっぱり、元気になってくる」
うんうん。分かる分かる。僕もちょっと悩んだり困ったりしている時に絵を描くと、それはそれで気持ちがすっきりしてくること、よくある。
「やっぱり創作物っていうのは、救いだなあ」
先生は紅茶を一口飲んで息を吐きつつ、息と一緒に吐き出すみたいにそう言った。
「どんなことがあったって、創作物の材料にしちまえば乗り越えられる。辛いことも悲しいことも、僕の文章のための経験の1つだと思えばそう悪くないように思えてくる。だから、僕は書いているわけだが」
「うん」
僕もそうだ。僕も先生と同じく、幸福で最強な生き物なので。
「……でも同時に、楽しいことや嬉しいことを表現できるのだって、創作物の特権さ。スクラップブックかアルバムか、そういうもんを作るみたいに、僕が書いたものには僕の経験が詰まってるわけだ」
頷く僕を見て先生は嬉しそうに頷き返してくれて、それからまたお茶を飲んで……ふう、と息を吐きつつ、満足気に言った。
「本当に、色んなものが、詰まってるなあ。書きながら読み返すと、楽しいんだよ。トーゴ」
「うん」
……本当に先生、楽しそうだなあ、と思う。ウキウキ宇貫、っていうかんじの楽しさじゃなくて、じんわり、しみじみ、楽しそうというか。
この『楽しい』は、例えるならばキャンディの甘さじゃなくてご飯の甘さだし、炎の温かさじゃなくてコートのポケットの中の温かさだ。これは、そういう『楽しい』。当たり前に傍にあって、ふと気づいた時に、『ああ、これ好きだなあ』って思えるような、そういう感覚。
僕らはそういう感覚を拾い上げて集めて眺めるのが大好きな人達なんだ。そういう人って、きっと案外、多いんだと思うけれど。
「僕は、本当に救われた。自分が書き、君が描いたこの『絵に描いた餅』によって、本当に、救われたんだよ、トーゴ」
先生はお茶を飲み干してから、ふとそう言って、じっと僕を見た。
その後に続く言葉が分かっているような気がするから、僕はそっと背筋を伸ばす。それを見て先生はちょっと笑う。
「……なあ、トーゴ。もう君は、僕らが居なくても大丈夫かい?」
思うことはある。沢山。山のように。言いたいことも沢山あるような気がする。僕はきっと、それを上手くは言えないのだけれど。
……けれど、伝えたいことは、そう多くないし、これはちゃんと、頭の中で練習してきたんだ。
「ねえ、先生。これ、見てほしい」
僕は、鞄からクリアファイルを取り出して、その中に入れてあるプリントを見せる。
「僕が提出する、進路希望調査。明日、これ、出してくる」
……第一志望は『東京藝術大学』だ。
ちゃんと保護者のサインもある。明日これを提出して、僕は皆から許可されて、いよいよ自分の進みたい方向へ進み始めることになる。
「……そうかぁ」
先生は感慨深げに進路希望調査を眺めて、ふと、目を瞬かせた。それから手を伸ばして、もさもさ、と僕の頭を撫でる。
ちょっと頭を押し下げられるみたいな、ちょっとだけ乱暴な撫で方。僕は自然と俯かされてしまって、先生の顔が見えなくなる。
「頑張ったな、トーゴ」
そうして聞こえた先生の声は、少しだけ、震えていた。
「……うん。ちょっと自分でもびっくりするくらい、頑張れてる」
僕はしばらく、先生にそのまま撫でられ続けていた。
その内、先生の手はもさ、もさ、とゆっくりになってきて、それから止まってしまったのだけれど、僕の頭の上にずっと手が乗っていた。だから僕はそのまま俯いて、机の上だけ見るようにしながら話を続ける。
「それから、こっちが最近向こうで描いた絵。本物の石膏像をデッサンする練習してるんだけれど、面白いよ。他の人が描いたものを見るのも勉強になる」
鞄からスケッチブックを出して、開いて見せる。予備校の先生に褒められた絵だ。光と影の中間がよく描けてる、全体の形がよく取れてる、って。最近は特に、白でも黒でもないグレーを描き分けることに力を入れてるから、褒められて嬉しかった。
「これは美術部の侵入部員をやりながら描いたやつの写真。油絵も練習してるんだ。すごく楽しい」
それから、油絵の写真。森を描いたんだ。森なら何も見ずに幾らでも描ける。画材の練習をする時にはぴったりなんだ。
「……と、いうわけでね。僕、楽しくやってるよ」
僕は顔を上げて、ちゃんと先生を見る。先生も僕を見ている。少し寂しそうで、それでいて嬉しそうな目が、優しく細められた。
それから、それから……。
「だから大丈夫だよ。僕、もう1人でも……先生なしでもやっていけるくらい、強くなれたと思う」
僕はちゃんと、そう、答えられた。
物語の終わりというのは、そういうことなんだと思う。
それはある種のお別れで、寂しいもので……けれどきっと逃れられないし、永遠の停滞っていうのは、先生曰くの『死』であるから。
だから、ちゃんとお別れするにあたって、寂しくないように。先生に心配させないように、ちゃんと伝えたかった。『僕の物語は完結しても大丈夫ですよ、寂しくありませんよ』と。
……先生は僕の言葉を聞いて、目を閉じた。けれどその後には、すごく、すごく、嬉しそうな顔をしてくれた。
「……そうだなあ。君は本当に強くなった。両親とも立派にやり合えるみたいだし、1人で家を飛び出したって生きていけるだろう。そしてきっと、今の君の前には用意された道しかないわけではなくて、君自身が君自身の力と責任を通行証にして進む……君だけの道がある」
「うん」
そう。僕自身の力と責任において進む道。それを手にすることができる強さを、僕はこの世界に……先生に貰った。
「もう、君には僕は必要無いな。この世界だってもう必要ないのかもしれない。それぐらい、君はもう、立派に……」
「でもね、先生」
……けれど勿論、言いたいことはこれで終わりじゃない。
ねえ、先生。まだ、終わりじゃ、ないんだよ。
物語は完結する。物語がそこにある以上は完結させなきゃいけないし、別れの無い人生なんて存在しないし……だからこういう区切りは必要なんだ。
僕は大分、強くなれた。楽しくやれてる。だから、この物語……『この世界』とお別れしても、きっと、大丈夫。生きていける。
……でも。
「僕、やっぱり先生に居てほしい。必要ないけれど、きっと無駄、なんだろうけれど……一緒に居られた方が、絶対に楽しいから!」
それはそれとして、僕はまだ、完結後のおまけを楽しんでいたいんだ。願わくば、ずっと、ずっと。
……だって、僕にとってこの世界も先生も、大事な大事な、心の餌であり筆の餌なので!
先生はぽかん、としていた。それから何か考えて……ふ、と、笑う。
「……ははは。そうだな。そういうもんか。よーし!ならば別れの挨拶はナシだ!よし!」
やがて先生は思い切ったようにけらけら笑い出して、ポケットから取り出したメモ帳の一ページを破って、ぐりぐり、と丸めて、ぽいっ、捨てた。投げられた紙屑は、ゴミ箱の縁にぽこんとぶつかって跳ねて、ころ、と畳の上に転がった。
……しょうがないから僕はそっと畳の上を匍匐前進して、そっと紙屑を拾ってゴミ箱に入れて、そしてそっと、匍匐後進で戻ってきた。先生は見てみぬふりをしていた。オーケーオーケー。はい、仕切り直し。
「……まあ、なんだ。よし。そういうことなら、うむ……」
そして、なんとなく締まらないながらも改めて机の向かいに座った僕に、先生は、すっと手を差し出した。
僕へ差し伸べられる手は、僕を救うために差し伸べられているわけじゃない。
「どうぞ、これからもよろしく。トーゴ」
「……こちらこそ!先生!」
『これからもよろしく』のための手を握る。
僕はこの手を取らなくても生きていけるけれど。
でも、どうか。これからもよろしくお願いします。一緒に楽しく生きていくために。ついでに、もしできたら……いつか、僕が先生の手を引っ張って助けられる日が来たら、いいな。
それから先生が『よし!5万文字相当を書き直すことになりそうだ!頑張るぞ!ということでトーゴ。これを編集君によろしく……』と僕にメモ書きを渡してくれた。そこには『3日ほど締め切りを伸ばしてください。ごめん。』と書いてあった。な、なんてこった……。
……まあ、先生はさっきよりもウキウキと、楽しそうに、それでいてじんわりと優しい顔でパソコンをカタカタやり始めたので、僕は帰ることにする。
先生が『書き直す』前の物語がどんなものだったのか。先生がゴミ箱に捨てたものは一体何だったのか、気にはなるけれど……でもまあ、先生がそれを捨ててくれたっていうのなら、僕はそれ以上追及しないことにする。
……けれど、いつか、ずーっと先になってから、聞いてみようかな。いつか。いつかね。
帰り際に鳥が破っていった障子を描いて直して、それから庭を抜けて、よいしょ、と泉の方へ歩き始めて……。
「あ!トウゴー!探してたんだから!」
そこで、ライラに声を掛けられた。
「フェイ様に聞いたら詰め所に行ったって言われて、詰め所でラオクレスに聞いたら妖精カフェだって言われて、でもカフェにあんた居ないし!それで宇貫先生の家に行こうとして、今!」
「ごめん。たらい回しさせてしまって……」
どうやらライラは僕と同じ経路を辿ってきたらしい。ごめん……。
「ま、それはいいのよ。それでね……」
ライラは彼女のポケットから、小瓶を取り出した。
「……見て。ものすごくレネっぽい絵の具が調合できたのよ」
……それは、きらきらと細かな光が閉じ込められた、淡いブルーグレーの魔石絵の具だった!
「……すごい!すごくレネっぽい!」
「ね。レネっぽいでしょ」
「うん!レネだ!」
絵の具を見ているだけで、これをどう使おうか頭の中で色々なアイデアが浮かんでくる。
一番に思いついたのは、不透明な絵の具でぱっきり描いた、ちょっと抽象化したデザインの絵。そういうのにアクセントとして使ったら映えるだろうなあ、と思い浮かぶ。
そして、思い浮かんじゃったら、やりたくなってきてしまって……。
「ということで、これ使ってレネを描きたくなっちゃったから、あんたもどう?」
「是非!」
僕が即答すると、ライラは『だろうと思った!』と言わんばかりの笑顔で頷いて……空に向かって呼びかける。
「よーし!そうと決まれば……鳥さーん!出番よー!」
鳥がバサバサバサ、とやってきて、キョキョン、と鳴いて、ででん、と着地した。そして、満足気に、キョン。
「儀式の魔法はあんたがやってね。私がやるとへばるのよ」
「あ、うん。分かった」
そして僕とライラは鳥の上にもふんと乗っかって、そのままぱたぱたぱたぱた、と高速で羽ばたいてふわふわ浮き始めた鳥に乗って、森の中の祭壇へ向かう。
「あの絵の具、どうやって作ったの?」
「妖精公園に咲いてる大きな白い花、知ってる?あれの中に魔石絵の具を入れて、一晩おいとくのよ。そうすると花の中で月の光の魔力が影響するらしくてこうなるの」
「素晴らしいね」
話している間にすぐ、夜の国への祭壇だ。そこに用意してある月の光の蜜を鳥にたっぷりぺたぺた塗って……よし。早速儀式開始だ!
「とうごー!らいらー!」
「レネー!描かせてー!」
「急でごめん!でも描きたくなっちゃったんだ!描かせてー!」
そうして僕とライラはレネのところへ。レネが飛びついてきたのを僕とライラと2人でぎゅうぎゅうやったら、早速画材を取り出して、描き始める。レネもすっかり慣れたもので、ソファに座ってちょっと澄ました顔で、しっかりモデルさんをやってくれる。
それで、僕らの絵が一段落したら、3人一緒にお喋りを楽しむ。こうやって僕らはのんびり楽しく過ごすんだ。……何の役に立つでもない楽しみなのかもしれないけれど、でも、やった方が楽しいから。
無くても生きていけるものかもしれないけれど、こういう無駄が、僕らには必要なので。
……願わくば、明日も明後日もずっとずっと、こういう楽しい日が続きますように!
ひとまずこれにて本作の定期更新を終了いたします。これ以降の更新は完全に不定期となりますのでご了承ください。
また、本日より新しい連載を始めております。宜しければそちらもよろしくお願いします。