終わる物語*1
先生は稲荷寿司を作っている場合じゃないので、妖精達には悪いんだけれど連れて帰らせてもらった。
ということで改めて、先生の家。和室。僕が淹れた緑茶と、先生が用意してくれたおせんべ、そしておせんべの香りにつられていつの間にかやってきていた魔王を添えて、僕らは早速話し始める。
「それで、大丈夫じゃない、っていうのは」
「うん……一旦全部、白紙にしたいんだが」
……うん。
「なんか踏ん切りがつかなくてどうしようかなあって思っている」
うん。そっか。うん……。
「それ、つまり白紙の状態からまた新しく別の話を書くかもしれない、っていうことだよね。間に合うの?」
「そ、そうだな。まだ大丈夫だ。まだ大丈夫。僕の最高速度は1日2万5千文字だが、まあ流石に最高速度で走り続けることはできないから、まあ、ちょっと手を抜いて1日1万3千文字を書き続けたとして、それでまだ締め切りまでは10日ある。つまりまだなんとかなる」
「そっか。最低速度は?」
「3千文字だ……」
「成程。それ、大丈夫って言わないと思う」
成程、大丈夫じゃなかった。先生はまるで大丈夫じゃありませんでした!なんてこった!
「うーん、どうしたもんかなあ……」
先生は悩みながら、座椅子に体重を預けてぐったりし始める。
「どうも、どうもなあ、僕自身がイマイチ納得できていない、というか……うーん」
先生はぐったりした上に唸りつつ、もぞもぞうにうにしている。お悩みのようだ。
「あの、先生?」
そんな悩める先生に対して僕ができることはそんなに多くない。今みたいにお茶を淹れることが1つ。そして……。
「僕で良ければ、あひるさんになりますが」
つまり、話をひたすら聞くだけの役。先生が僕にやってくれたやつであり、僕が先生にやっていたやつであるけれど……この役を買って出ること。これが、僕が先生にできることの1つなんだよ。
「……うむ、そうだなあ」
先生はやっと、座椅子に預けていた体重を半分ぐらい取り戻しつつ、ちら、と僕を見て、また唸って……えいや、とばかり、背中を座椅子の背から離した。
「これを、君に話すのはなんとなく変な気もするんだが……すまんがトーゴ。ちょっとばっかり、付き合ってくれるかい?」
「勿論!」
僕はなんとなく嬉しくなりつつ、先生の向かい側に座る。魔王は何故か先生の横にちょこんと座って、いつの間にか持ってきた魔王用の湯飲みにお茶を注ぎ始めている。この家では最初の1杯以降のお茶汲みは大体セルフサービスとなっております。魔王もそれに倣っているらしい。
「よし。えーと、じゃあ、実は、だな……」
先生もお茶を一口飲んで、そして……迷うように、言った。
「……結末を、あんまり書きたくないのだ」
「……結末、を?」
「ああ。僕はだな、『今日も絵に描いた餅が美味い』の結末をあんまり書きたくないらしい」
どういうことだろう。僕が聞いていると、先生はまた一口、お茶を飲んで……隣に丁度良くあった魔王の頭をふに、ふに、と撫でながら話し出す。
「物語が物語であるために、物語は完結しなければならない。だが……これは、なんとなく完結させたくなくってだな。要は……」
先生は僕と目を合わさないようにしているのか、湯飲みとおせんべあたりをじっと見ながら、零すように言った。
「僕はどうやら、君の物語に『終わり』を設けたくないらしいんだ」
「……成程」
なんとなく、すとん、と先生の言いたいことが分かった、と思う。
……この話は先生が、僕に幸せな世界をプレゼントしたくて書いてくれたものだ。だからそこに終わりを設けたくない、ということ、なんだと思う。
幸せに終わりが無い方がいい。それは、僕も思う。のだけれど……。
「……それはそれとして、原稿は書かないといけないよ、先生」
「そうなんだよなあー!その通り!実にその通りだトーゴ!」
先生は今度こそ座椅子にでろろん、と凭れて、そのまま『あああああ』と呻きながらずるずる滑り落ちていった。そうして先生は机の下へずるずると滑り込んでいって、そのまま机を挟んで向かい側に居た僕の隣へずるずると先生の膝がやってきた。大分滑り落ちてきたね、先生。
「いや、僕だってな、分かってはいるんだ。君は君で、僕が書いているものはフィクションだ。僕が勝手に生み出した、僕のための、僕のものだ。君とは関係ない。そりゃ分かってるんだぜ?だけどなあ……」
先生はそう嘆いて、そして……何故かずりずりと机の下、畳の上を進んで、僕が座っている方へと出てくる。
「君の幸福を願いながら書いていたもんだから、すっかり僕の心はそういう風になっちまってるんだ!厄介なことに!」
「ままならないねえ、先生」
「その通り!ままならない!人の心ってものは自分のもんですらままならない!」
ついに先生の頭までちゃんと机の下から出てきたので、よしよし、と撫でてみる。いつも撫でられてばかりだから、偶には僕が撫でてやろう。
先生の髪はこの森の誰のとも違う。ちょっと癖毛で、サラサラっていうよりはふわふわした手触りだ。リアンの髪は癖毛だけれど、もっとするするした滑らかなかんじだから……ええと、リアンの髪とフェニックスの胸毛のかんじが合わさったような手触り。そんなかんじ。
「おお、トーゴを撫でる僕が、まさか撫でられる日が来るとはなあ」
「うん」
そういう日が来たんですよ、という気持ちで、先生の頭をもさ、もさ、と撫でる。ついでに魔王も尻尾を伸ばして、まおん、まおん、と撫でた。
先生はしばらく僕らに撫でられっぱなしていたのだけれど、あんまり撫でていると先生が寝てしまいそうだったので僕の方から途中でやめた。この人は寝ていないで原稿を書かなきゃいけないので!
「まあ、そういうわけだ。どうにも気持ちの踏ん切りがつかなくってね」
ということで、先生はもう一度、改めて僕の向かいの座椅子に座り直した。何故か律儀に、また机の下から向こう側へ戻っていった。普通にぐるっと机の周りを回って戻ればいいのにそうしないところが先生のいいところなんだよ。
「こういう相談を君自身にするっていうのも本当に変な話だが……」
「まあ、それはそれ、これはこれ、ということで」
僕としても、僕がモデルになっている話についての相談を受けているのはなんだか不思議な気分なんだけれど、まあ、それでも僕が適任だっていう自負があるよ。なんといっても先生との付き合いが長いので!
「じゃあ、僕以外の人を主人公にすればいいんじゃないだろうか。ひとまず名前を書きかえるところから始めて……」
「いやあ、そうは言ってもなあ。これ、そもそもが鳥さん目線での話なんだが、これ、どうにも……ううー、頭が切り替えられそうにないのだ」
そっか。まあそうだっていうならしょうがない。切り替えられない気持ちを切り替えろって言うのが如何に酷なことかは分かってるから言わない。
「ままならんなあ」
先生はぼやきつつ、隣の魔王をふにふに撫で始めた。魔王はおせんべをぱりぱりやりつつ、先生に撫でられてご機嫌だ。まおーん、とのんびりした声で鳴く魔王を見ていると僕らまでリラックスした気持ちになってくるなあ。行き詰っている時には魔王が居るといいのかもしれない。
「なら『まだまだ続くよ』っていう形の終わり方にすればいいんじゃないだろうか」
「そうだよなあ……そうするのが一番いいよなあ、うーむ……」
うん。僕は至極妥当なことを言っていると思う。……でも、それでも先生はなんだか悩んでいるようだし、気持ちの整理がつかないみたいだ。
……それだけ僕のことを大切に思ってくれている、っていうことなので、その、僕としてはちょっと嬉しいような気もする。いや、先生が困っているのに嬉しくなってしまうのはよくないって、分かってはいるんだけれどさ。
「いいアイデアがまるで浮かんでこない……ううう」
「お疲れ様です」
アイデアが出ないっていう問題については、僕はあんまり力になれない。先生が出せないアイデアはあんまり僕にも出せないだろうし、僕にしか出せないアイデアがあったとしても、それってほとんど、小説向きじゃないんだろうし。
ということで、僕は専ら、また座椅子からずりずりしてやってきた先生の膝を撫でる作業に勤しむことになった。いや、今度はずりずり具合がさっきよりも弱めだったから、僕が座っている側に出てきたのが先生の膝までだったんだよ。なのでまあ、頭を撫でられないなら膝頭でも撫でておこうかな、と。右膝が僕の担当。左は魔王の担当。
「……いっそのこと、別の話を一本書く方が楽かもしれんなあ」
そうして僕らに膝を撫でられている先生は、ふと、そうぼやいた。
「そう?」
僕としては、既に書いてある話を改稿する方が楽なんじゃないかと思うんだけれど。特に、期限が差し迫った状況においては。
「ああ。思い入れがあるものには、いくらでも情熱を注げる。注がないと気が済まない。ってことは、あんまり思い入れが無いものの方が作業は早いんだ」
そういうものか。成程なあ……まあ、うん。それってつまり、先生は僕に対してとても思い入れがあるっていうことなので、またちょっと嬉しくなってしまう。
「適当に書いた話を1本焼き直して、文庫本1冊サイズにまで伸ばせば……」
ということで、僕らが特に意味も無く先生の膝を撫でる中、先生は足の指を握ったり開いたり、むにむに動かしながら悩みに悩んだ。本当に『今日も絵に描いた餅が美味い』以外のものを書く方が早いのかどうかは僕には分からないから、僕としては先生がこうして真剣に悩んでいるのを見守るしかない。
「……ねえ、先生」
でも、多分……先生がここで悩んでいるっていうことは、きっと、こういうことだとも、思うんだよ。
「僕、見てみたいな。『今日も絵に描いた餅が美味い』の、終わり」
先生は、物語を完結させたいし、完結させたくない。
きっとそこで矛盾しているからこそ、今、先生は迷っている。
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