森の白百合*1
「……という話だったんだよ。あの、ねえ、笑わないで。笑わないでったら」
「いっそのこと笑った方が親切かと思ったけど、嫌だったか?ごめんな」
「いや、やっぱり笑ってくれてありがとう、フェイ。流石は僕の親友だ」
……僕はフェイとライラに、ヴィオロンさんとロダン商会と諸々の話をした。その結果、2人は見事に笑い転げて、今、レッドガルド邸の中庭には明るい笑い声が満ちています。
その笑い声を聞きつけたらしいローゼスさんが窓から顔を覗かせて『何か面白いことがあったのかい?』と目をきらきらさせていた。あの、面白くないです。大丈夫。大丈夫なので。
「成程ねー……そっかぁ、あの時のお客さん、あんたに一目惚れしちゃった結果、ああなってたのねぇ……っぷふ、ふふ、ふふふふ……」
「い、いや、まだその、そういう意味で好意を抱いたって決まったわけじゃない!ヴィオロンさんが『怪しい奴について探りを入れている』っていうだけかもしれないし!」
「だとしたら相当な役者だわ。ふふ、ああいう風にそわそわもじもじしつつ、小ぶりな花束を持ってる人が『怪しい奴を探ってる』っていうんなら、ね!」
「……本当にあの人の目って節穴だよね」
ライラは実際に妖精カフェへやってきたらしいヴィオロンさんを思い出して楽しんでいるらしいのだけれど……あっ、そういえばヴィオロンさん、妖精カフェに行ったということは、妖精おやつ券(いたずらたんぽぽマーク付き)を利用したっていうことだろうか。どんな悪戯をされたんだろうか……。
「ま、しょうがないかも。私も初めてあんたを見た時、女の子かと思ったもん。あんた、綺麗だからさあ」
僕がヴィオロンさんが受けたであろう悪戯に思いを馳せていると、ライラがくすくす笑ってそう言った。……うう。
「……ちょっと複雑な気分だ」
「そう?褒めてるつもりだけど」
「僕は男なので……」
不満のふ、ですよ、という気持ちを込めてライラを見つめ返すと、ライラはちょっと肩を竦めてみせた。
「そりゃ、私だって分かってるけどさ。うん。今は普通に男に見えるわよ。大丈夫。……まあ、それでも半分はふわふわ坊やよね」
「それも嫌だなあ……」
女の子は嫌だけれど、ふわふわ坊やもなんかなあ。……うう、僕がもっと逞しかったら。もっと逞しかったら……!
「……わ、私はあんたが半分でもふわふわ坊やでよかったって思うけど」
「……なんで?」
「その……なんかいいのよ」
そ、そう?そうなのか……うーん、いや、でもなあ……ふわふわ坊やはなあ……。
「しっかし、どうしたらいいんだろうなあ、これ……」
「あの、『ロダン商会なんていうものはソレイラにありません』って正直に返答しちゃ駄目なんだろうか」
本当に正直に回答するならば、『サクラ・ロダンは僕です』っていうところまで説明すべきなのかもしれない。けれどそうすると、クロアさんのお父様の方のことまで言わなきゃいけなくなるだろう。じゃあどこまで正直に言うか、って考えたらやっぱり、『サクラ・ロダンは居ません』って言うのが一番いい気がする。
……けれど、フェイはどうやら、別の考えを持っているらしかった。
「ちゃんと種明かしした方がいいかなあ……うーん、ヴィオロンの奴のことは俺も気に入らねえとこ、沢山あるけどよー、それでも、存在しないご令嬢に心を焦がして彷徨い歩くことになるのはなあ、流石に可哀相だしなあ……」
……まあ、確かに。
ソレイラには居ませんよ、なんて言った後で、ヴィオロンさんが存在しないサクラ・ロダンを探し求めることになったら、その、とても大変だ!
と、思っていたら。
「じゃあ、ちゃんと振ってあげればいいんじゃない?その方が踏ん切りがつくでしょ?思い出も壊さずに済むし」
ライラがそんなことを言い出した。振る……振る!?
「え、振る、って……僕が?」
その技術、僕にあるだろうか、いや、クロアさんの演技指導があればいけるかな、なんて思いつつ、そう聞いてみたら……。
「いや、サクラ・ロダンちゃんが」
ライラは、そう言った。
……ねえ。
ねえ、ライラ。あの、そのにこにこした顔は……あの、ちょっと待って。
僕、また、ドレスを着ることになる……?
「パンはパン屋に聞くのが一番!色恋のことは色男!ってことで兄貴ー!楽しそうなことだぞー!」
「よし待ってろフェイ。すぐ休憩にするからね!」
……ということで、専門家の意見を聞きにやってきました。
ローゼスさん、こういうことに慣れているらしいので。彼自身、学校で見事に浮名を流して華麗に世渡りしてきたらしいので。そしてこういうことが好きらしく、今、すごい勢いで書類を片付けているので。
「よし……これで終わり!休憩!ということで早速その楽しい話を聞かせてもらおうか!」
早速、書類を片付け終わって目をきらきらさせつつ身を乗り出してきたローゼスさんを前に、『いや、本当にこの人に相談していいんだろうか……』という一抹の不安を抱きつつも、まあ、色々な人の意見を聞くっていうのは悪いことじゃないな、と思い直して、相談してみた。
この間、裏社会の人が出入りしているらしいパーティに女装して潜入する羽目になったこと。そこでヴィオロンさんと会ってしまって、どうやら気に入られてしまったらしい、ということ。いや、でもまだ、ヴィオロンさん達が召喚獣関連の研究をしている人達を奪われたって気づいて、そういう意味で探りを入れているのかもしれない、ということも、添えて……。
……そうして相談すると、ローゼスさんはふんふんと頷いてしっかり聞いてくれて……答えてくれた。
「成程。それはやはり、ヴィオロンの恋煩いだろうね」
……嫌!
「嫌だ……嫌だ……」
「まあそう落ち込まずに、トウゴ君」
「じゃあローゼスさんも女装して男に好意を抱かれてください」
「うん、やったことあるが……」
あ、あるんだ……。
……お兄さんすごいね、という意思を込めてフェイを見ると、フェイは『兄貴はすげえんだよ』みたいな顔で神妙に頷いていた。いいのかそれで。
「ってことは、そういう場合の解決策もご存じなのかしら?」
「そうだね、一度目は相手の目の前に二度と現れないようにしてやったから解決も何もなかったな」
ちょっと待ってほしい。一度目、っていうことは、二度目があるってことだろうか!
「その時は学園に居た淑女に付きまとう男を穏便に引き剥がすのが目的だったからね。私が女装してそいつを惚れさせて夢中にさせておいてから、ふっと消えてやったのさ。そうすれば相手はずっと女装した僕を探し続ける。すると淑女が被害を被らなくて済むようになる、というわけさ」
「兄貴、そんなことしてたのかよぉ……」
「母上のドレスを借りた時があっただろう?あれだよ、フェイ」
「そんなことに母さんのドレス使うなよぉ……いや、でもまあ、有効利用っちゃ有効利用か……?」
ライラはけらけら笑い転げている。僕はもう、どうしていいのか分からなくなって途方に暮れている!サフィールさんがとんでもない色のパンツを履いている人なら、ローゼスさんはとんでもないことにドレスを着ている人だった!ああ、類は友を呼ぶ!つまり友は大体、類!
「それで二度目だが」
「二度目もあるのね」
「ああ。二度目はね……事故で」
じ、事故。事故か。事故ってどういうことだ。
「一度目のために女装していたら、それを見ていた全く関係のない男子生徒が1人、私に懸想してしまったらしく」
「そんなことってある?」
「あるんだよ、これが」
……ローゼスさん、一体どういう学生生活を送っていたんだろうか。この人が流した浮名は一体どれぐらいなんだろうか……。
「ただ、彼は非常にいい奴だったからね、あまり手酷く振ってやるのも可哀相だということで……『名も知らぬ彼女に容姿が似ている私』が丁度相談を受けていたので、『彼女は私の親戚だ。最近嫁いだばかりだ』と教えてやんわり諦めさせた」
成程。それは有効な手かもしれない。ローゼスさん自身についてはあんまり参考にならない人だけれど、そのスマートなやり方はすごく参考になるなあ。
「そして三度目は」
「三度目まであるの!?」
「ああ、あるんだよ。……三度目はね、これも、不幸な事故で……」
事故?今度も事故?
「馬鹿みたいな話なんだが、レースのカーテンのかかった窓辺に居たら、丁度風が吹き込んでレースのカーテンがベールのようになってしまって」
「ああ、あるある。よくカーネリアちゃんとアンジェがやってるやつね」
そうそう。僕も分かる。その2人がベールごっこをしているのはよく見るし、妖精達も一緒になってやってるのをよく見る。ついでに妖精達がレースのカーテンに絡まってぶら下がって、カーテンが重たげにぶらぶらしているのも、よく見る。
「ついでに私は当時から髪がそれなりに長かったし、まあ、体躯も少々細い方だったからね……」
……想像してみる。
ローゼスさんは綺麗な顔立ちをしているし、どちらかといえば細い方。それに加えて、髪はさらりと艶やかで綺麗な金色だ。
窓から吹き込む風に髪が靡いて、レースのカーテンでふんわりと輪郭がぼやけて見えて……絵に描くなら、光の具合も気にしたいな。室内から見たローゼスさんを逆光で柔らかく描くのも綺麗だろうし、窓の外から描いて、光を乱反射して白く滲む光景を描いてもいいなあ。
どちらにせよ、綺麗だと思う。妖精の国で見た時も思ったけれど、ローゼスさん、ふとした時にすごく綺麗に見えるから……。
……ま、まさか!
「……まさか兄貴、それで女と見間違われた、ってのか!?」
「その通りだ。馬鹿みたいだろう?」
確かに綺麗だろうけれど!綺麗だろうけれど!
でも、その人も節穴だ!
「で、その時はどうしたんだよ」
「うん。ちょっとしつこくてちょっと高飛車なやつだったが、穏便に済ませる必要があった相手でね。しょうがないから……女装して、会いに行ったさ」
……ライラがじっと、僕を見ている。期待に満ちた目で、僕を見ている。
「それでやんわりと、それでいてきっぱりと、お断りしたよ。ついでに嫌ってもらえるようにちょっと高慢で嫌な女のふりもしたかな。幻を見ている相手には、幻滅してもらうのが一番だからね。下手に嫁いだり死んだりしたことにしてしまうと、幻をより美化して幻によりのめり込むようなことにもなりかねない」
な、成程。僕がやるかどうかはさておき、すごく勉強になる意見だ。
確かに、ヴィオロンさんって、『あの人は人妻ですよ』なんて言っても略奪しようと頑張ってしまうかもしれない……。
「ということで、私から助言するならやはり……もう一度『サクラ・ロダン』嬢とヴィオロン君が会う機会があった方がいいだろうね。幻に執着されるのも、『トウゴ・ウエソラ』に執着されるのも、或いは憎悪を煽ってしまうのも、避けるべきだ」
ローゼスさんの真剣なアドバイスに、思わず頷く。
憎悪を煽ってしまう、というのは……あまり考えたくないけれど、十分にあり得る話だよなあ、と思う。逆恨みされてソレイラに火でも着けられたら嫌だしなあ。
「どのような形であれ、彼の中にある幻を書き換えてやった方がいいだろうね」
「成程……」
幻を書き換える、か。難しいなあ……。
「つまりやっぱりトウゴがもう一回女装してヴィオロンとやらに会うってことよね!?」
「それが一番穏便に済む気はするね。少なくとも、ヴィオロン君のことを考えつつこちらに被害が及ばないように、となるとそれが最適だろう。逆に、ヴィオロン君の今後を一切気にしなくていいというのであれば、このまま二度と姿を見せない、というのが一番だと思うよ」
うう……すごく参考になる。すごく参考になるんだけれど、女装はちょっと恥ずかしい……。
どうしようか、という話をしつつ、一旦森へ帰る。落ち着きたい時には森に居るのが一番。自分の家より何処より寛げる場所。それが森。何と言っても僕の一部だし。
「さて、どうするかなあ……やっぱりトウゴ、お前、女装する?」
「うん……それは最早、しょうがない気がしてきた……」
ヴィオロンさんが延々と、存在しない女の子を探し続けてしまうっていうのは、ちょっと可哀相だ。それに、原因が僕自身だっていうなら猶更嫌だし。それに、もう一回サクラ・ロダンとして会えば、ラオクレスへの不名誉な誤解は解けるだろうし、そう考えたら悪いことばかりでもない……うう。
「しょうがない、一旦、クロアさんにも相談するということで……」
演技指導も実際の女装も、間違いなくクロアさんのお世話にはなるので、僕らはぞろぞろと、妖精カフェの方へ向かう。
……すると。
「おおーい、トーゴー!」
のんびりした朗らかな声が聞こえて来たなあ、と思ったら、先生がカフェの一席で僕らに手を振ってくれていた。
「先生も来てたんだ」
「うむ。馬が人参を買いに来るついでにここまで運んでもらってね。帰りは森の騎士団か妖精達、暇そうな方に助けを求める予定だ」
自力で森の壁を越えられない先生は、こうして森の皆の力を借りて楽しくやっているらしい。なんというか、ちょっと先生らしい。
「それで、トーゴ。浮かない顔して、どうしたんだい?」
「うん……ちょっと嫌なことがあって」
「そうかあ。なら、是非話してみたまえ。言葉にするっていうのは案外、効くもんだ」
先生はお茶のカップ片手にそう言って、どうぞ、と向かいの席を示してくれる。そのご提案は大変ありがたいんだけどね、先生……。
先生が思ってるやつとは、大分、違うと思うよ……。