雨の日、風邪の日*1
「ライラ、ライラ!」
「なーによ、うるさいわねえ……」
フェイ達を置いてけぼりにしつつライラの家へ飛んでいったら、気だるげなライラが出迎えてくれた。で、出迎えなくていいよ!
「寝てて!出迎えなくていいよ!」
慌てて、ライラを押して寝室の方へと追いやる。するとライラは『げっ』みたいな顔をした。
「……あー、そっか。あんた、森の住民の体調も分かっちゃうの?」
「全員細かくは分からないけれど……ライラのは分かったよ。風邪?」
「まあ、多分ね」
慌てて魔法画で毛織のショールを描いて出してライラの肩に被せる。ライラは『いい色ね……』と、ちょっと複雑そうな顔をしていた。いや、そんな顔しないで。
「なんでまた、風邪なんて引いちゃったんだよ」
「……その」
ライラをショールでくるくる巻きつつ聞いてみたら、珍しく、ライラはちょっと口籠った。口籠っている間にライラを寝室に入れて、彼女のベッドに座らせる。
「……絶対に。絶対に、馬鹿にしないでよね?」
「うん」
ベッドの縁に座ったライラは、熱のせいかちょっと赤い顔で僕を睨むように見上げてきつつ……話してくれた。
「……春の雨が降るソレイラが、綺麗だったのよ」
……うん。
「だから、外で描いてたの」
うんうん。
「それで……濡れたままでいたら、風邪引いたのよ!馬鹿みたいでしょ!?ほら、笑いたきゃ笑いなさいよ!」
「そっか。綺麗だったならしょうがないね。それは描かねば」
「馬鹿にしないでとは言ったけど深々と共感しろとは言ってないわよ!?」
えっ。そんなことを言われてもなあ。綺麗な景色があったら何を差し置いても描きたくなっちゃうものだし、しょうがないと思うけれど……。しょうがなくないんだろうか。しょうがなくないのか。そっか……。
「……まあ、あんたが馬鹿なのはさて置き」
「遺憾の意」
「遺憾の意でも不満のふでも好きに出してなさい。……ま、私の風邪はたかが風邪だから。寝てれば治るわ。そんなに慌てて押し掛けてこなくったってさ」
ライラは手をヒラヒラ振りつつそう、何でもないように言うのだけれど……。
「……それでも、風邪の時はちょっと辛いんじゃないかな。ルギュロスさんもなんだか力が入らない様子だったし」
「えっ、私の体調ってルギュロスさんにも影響するの!?やだぁ……ちょっと悪いわね」
いや、ルギュロスさんはこの際いいことにしよう。魔力の供給がちょっと足りてないってことだろうから、後で水晶の池の水でも飲ませてあげればいいと思う。
「まあ、とにかく寝てて。ついでに、欲しいものあったら何でも言って」
僕はライラをライラのベッドに入れる。布団を一旦退かして、ライラの膝を持ってベッドの中へ収めて、ころころライラを転がして、ぱふん、と布団を掛ける。一丁上がり。
「えーと、とりあえず、水?飲み物何か持ってくるよ」
「うん……じゃあ、悪いけど頼むわ」
「それから食事……お粥持ってくる。あ、魔王も要る?」
「あんた魔王のことなんだと思ってんのよ」
うん。魔王はね、ライラにお粥を食べさせるのが大好きな優しい生き物。
「あのねえ、私、ただの風邪よ?そりゃ、多少怠くてちょっと喉痛い、っていうのはあるけどさ、別に、魔王に食べさせてもらわなくても食べられるけど……」
ライラは布団の中でもそもそしながら、ちょっと不満たらしくそう言って、もごもご、と何か言って……それからちょっと考えて、にっ、と笑った。
「ま、偶にはいっか。よーし、もう開き直ったわ!開き直った!魔王も連れてきて!」
「うん。分かった」
「お粥はクロアさん作のがいい!あと、あんたの庭の果物、何でもいいから1つ分けて!……ふふふふふ、もう折角だわ!存分に風邪引きの我儘を楽しんでやるんだから!」
おお、ライラが開き直った。彼女のこの、開き直る力っていうのはすごいなあ、といつも思わされる。格好いいよね、彼女。
「あと、他は?画材……は要らないか。そういう体調じゃないよね」
「う……そうね。あんまり物を見てるとちょっと頭痛がしてきそうだし。やめとくわ。偶には絵もお休みしなきゃね」
ライラは心底悔しそうにそう言った。気持ちはすごく分かる。僕も体調不良で絵が描けない時、そういう気分になるよ。
「……ま、絵を描けない分、他のことして楽しんでやるんだから。ええと、だから……」
それからライラは、ころん、と半分寝返りを打って僕の方を向くと、ちょっと毛布に隠れるみたいにしながらもその藍色の双眸で僕をじっと見つめつつ、言った。
「だから……その、話し相手になってよ。暇潰しに」
ライラの望みを叶えるべく、僕は早速ライラの家を出て準備を始める。まずはクロアさんの家に行って、お粥をお願いする。クロアさん、ライラの体調については今知ったらしくて『まあ』って驚いていたけれど、そうと分かれば早かった。早速、鍋を火にかけ始めてくれたのでこちらはお任せする。
ええと、後は僕の家の庭の果物をいくつか持っていくのと、魔王。魔王を探して連れていこう。
……と思っていたら。
「おおーい、トウゴー!お前、急にどうしたんだよー!」
フェイ達が追い付いてきた。あ、そ、そうだった。僕、彼らを置いてけぼりにしてしまっていたんだった!
「うわ、ごめん……ルギュロスさん、大丈夫?」
ルギュロスさんはフェイに肩を借りて、ぐったりしながら歩いていた。ライラの体調が悪いからか、ルギュロスさんもちょっと具合が悪いらしい。
「お前に心配されるほど落ちぶれてはいないぞ」
そっか。じゃあ心配しない。……けれど、果物を1つ分けてあげることにした。ほら、ルギュロスさんの好きな桃だよ。
森の魔力を存分に吸って育っている果物を食べて、ルギュロスさんはちょっと元気になってきたらしい。ひとまず、ルギュロスさんは大丈夫だろう。
……そして。
「とうごー……」
レネがちょっと頬を膨らませている。僕が置いてけぼりにして飛んできてしまったから、ちょっと悲しかったらしい。
「ごめんね、置いて行っちゃって……」
レネはちょっとご機嫌斜めな様子で、尻尾でごく軽く、ぴたんぴたんと叩いてくる。それがなんだか可愛らしくて、ついついぎゅっとやってしまった。レネは「わにゃー!」とジタバタしていたけれど、その内、尻尾は僕にくるんと巻き付いて、レネの両腕も僕の背中に回されて、「ふりゃ」とご機嫌になってきた。
「とうごー、わにゃーにゃ?ふぃーでゅーゆりゃいふぁすてぃーめ?」
そうしてレネは首を傾げて聞いてくる。ええと……。
『速く飛んでいってしまったのには、何か理由があったのではありませんか?』
あ、よかった。レネが書いて見せてくれたので分かった。ここで僕もスケッチブックに文字を書いて……。
『ライラが風邪を引いたんです』
そう、レネに見せた途端。
「……わにゃー!?」
レネは、大層ショックを受けた様子で、ぱたぱたとライラの家の方へ走っていってしまった。今度は僕が置いてけぼり。
……まあ、心配するよね。僕もそうだったのでレネの気持ちはよく分かる。
……ということで諸々を準備したら、魔王を拾ってライラの家へ。ちなみに魔王は、「魔王ー!」と呼んだら先生の家の縁側からぽてぽて走ってきてくれた。どうやら縁側でお茶を飲みながらおせんべ齧ってたらしい。ついでに縁側で丸くなって日向ぼっこしていた先生を尻尾で撫でていたと後で先生が教えてくれた。……それ、猫と人間の関係が逆ではないだろうか!
「らいらー、らいらー……」
「大丈夫よ。ほんと、大した風邪じゃないし。ったく、可愛いわねえ」
そうして僕がライラの家へまたお邪魔すると、レネがベッドの中のライラの手を握って、心配そうな顔をしていた。
「あ、トウゴ。レネに『ライラは大丈夫』って説明してあげてよ。この子、すごく心配してるみたいだからさ」
「うん。あ、そうだ。これ、果物どうぞ。あとこっちが水。そして竹が集めた森の魔力の蜜だよ」
「え、本当に!?うわ、嬉しい!私、これ大好き!へへへ、ありがとうね、トウゴ」
ライラは早速、竹が集めた蜜をこくり、と飲んで、それはそれは幸せそうな顔をした。お喜びいただけて何よりです。……あ、森の中でルギュロスさんが『力が出てきた』とか言っている。どうやら、ライラが魔力補給したから元気になったらしい。面白いなあ、この人。
その間に僕はレネに『ライラの風邪は大した風邪じゃないらしいので大丈夫ですよ。ゆっくり休めば治ります』と書いて見せて安心させた。レネはひとまずほっとしたらしい。よかったよかった。
そうしてレネが落ち着いて、ライラが森の魔力の蜜でちょっと元気になったところで、クロアさんがお粥を持ってやってきてくれた。
「はい、お待たせ。ゆっくり食べてね」
「わあ、ありがとうクロアさん!ふふ、私、クロアさんが作るお粥、大好き!」
「あらあら、それは嬉しいわ。たくさん作ってあげたくなっちゃう。……でも、お粥が必要にならないでくれる方が嬉しいわ。早く良くなって頂戴ね」
「はーい」
クロアさんがライラの頬をつつくと、ライラはくすぐったそうに返事をした。ライラはいつも、ちょっと大人びているっていうか、僕をちょっと子ども扱いしているところがあるけれど……こういうところを見ると、彼女も僕と同じくらいの齢なんだよなあ、と思う、というか。ちょっと幼く見えて可愛い。
「お粥は……あら、まおーんちゃんが食べさせてあげるの?」
クロアさんが尋ねると、魔王は、まおーん!と元気よく返事をして、クロアさんの手からお粥のお椀を受け取った。更に、尻尾を伸ばしてスプーンを取ると……。
まおん。
そう鳴きつつ、ライラの口元に、お粥のスプーンを運ぶのだった。
「……いつか見た光景だ」
「そうねえ、私とあんたが10か月寝てた後のやつでしょ?あの時もお粥、美味しかったなあ」
ふふ、とライラがにこにこしているのを見つつ、僕も思い出す。あの時は……あの時は、色々と、大変だったけれど。でも、あれで夜の国を救えたんだし、魔王も救えたんだし、やっぱりよかったなあ、と思う。
勿論、ライラも一緒に寝込ませてしまったのは申し訳なかったし、目覚めないライラを見ている時の、あの胸の奥にぽっかり穴が開いて冷風が吹き込んでくるような、恐怖と寂しさが混ざったあのかんじは、もう二度と味わいたくないけれど。
「やっぱり、偶には風邪を引いてみるものね!」
「楽しんでるなあ」
まあ、ライラはこういう状況を楽しんでいるらしいので。僕が心配するのも野暮ってものだろう。
「そりゃあ楽しんでるわよ。風邪引いちゃってつまらないなんて御免だわ!折角ならありとあらゆる全てのことが楽しい方がいいじゃない?」
「まるで先生のようだ……」
先生もこういうところ、あるんだよ。全力で遊んで全力で風邪を引いて、1人で重病人ごっこしつつ風邪を楽しんじゃうような、そういうところ、あるんだよ……。
そうしてライラは風邪引きのご飯を満喫した。魔王もライラへの給餌係を楽しんだらしいし、時々、ライラのお粥をつまみ食いして『まおーん!』と喜んでいたし。美味しかったらしいよ。
そんなライラと魔王を見ながら、僕とレネもご飯を食べた。クロアさんが用意してくれたサンドイッチを食べつつ、『このハムとチーズの奴はもしや、クロアさんじゃなくてラオクレスが作ってくれたやつじゃないだろうか』とか思いつつ、お腹いっぱいになって……さて。
「ってことで、トウゴ、レネ。あんた達、アージェントさんを見てきたんでしょ?どうだったか教えてよ!」
さあ、僕らはライラの風邪引きを楽しませなきゃ。折角、珍しくもライラがちょっと我儘言ってくれてるんだからさ。
「よし。ええと、じゃあまずはアージェントさんが麦藁帽子をかぶっていたところから……」
「最初から大分飛ばしていくわね……何よそれ、面白いじゃないのよ……」
……ということで、僕らは窓の外の雨音をBGMに、のんびりとお喋りを開始したのだった。