おひさまぽかぽか地区視察記*2
フェイが口元を押さえてそっと逃げていく。多分あれは離れたところで大笑いしてから戻ってくるやつだ。
けれど僕は地面にくっついちゃったかのように動かない足と、アージェントさんにくっついちゃったかのように動かせない視線とを抱えたまま、ぽかんとしているしかなかった。
アージェントさんは多少動きやすそうながら、ちゃんと『貴族の服』っていうかんじの服を着ている。格式は多分、今までよりずっと落ちているんだけれども品のいいデザインだ。多分これはルギュロスさんが『アージェント家当主』として支度してあげたものなんだろうと思う。
それから、荒れ地の中、多少泥に塗れてもいいような、動きやすそうなブーツ。小さな鞄と、そこに入っているらしい帳面とペン。そこまではいい。そこまでは十分、アージェントさんっぽい。いや、この人、自分で荷物を持つっていうイメージがあんまり無かったから、鞄を持っていることに新鮮味があるのだけれど、そんなの誤差だって言えてしまう。
だって、麦藁帽子だよ!?
それも、紐を顎の下で結んでおくことで帽子が風に飛ばされないようにしておくタイプのやつ!アージェントさん達の周りに居る農夫の人達とお揃いの!
帽子以外の恰好とのミスマッチ。そして、麦藁帽子とアージェントさんというミスマッチ。とんでもない違和感がここにある。
「……伯父上。中々、愉快な格好をしておいでだな」
ルギュロスさんが絶句している。ああ、この人がここまで喋れないことって、あるんだなあ!
それから僕らはアージェントさんと一緒に『おひさまぽかぽか地区開発本部』へと移動した。……本部、とは言っても、素朴な木造建築。豪華なところは一切無くて、かつ、侘び寂びっていうほど質素でもない、みたいな。そういうかんじの建物だ。
「こちらの建物が開発本部、兼、アージェント卿の住居です。お二階がアージェント卿の生活の場となっています」
「あー、よくあるよな、1階が商店で2階が住居、っつう建物」
笑い終わって戻ってきたフェイは興味深そうに建物内部を見ている。僕もレネも、普段あまり見ない建物を前にちょっと興奮気味。
「ところでアージェント卿。室内ですし、お帽子を取られては?」
そんな中、ラージュ姫がふと、そう言う。
「お気遣いいただき恐悦だが、お断りする」
そしてアージェントさん、拒否。にべもない。
「では命令です。帽子をとりなさい」
……けれどラージュ姫がそう言うと、渋々、本当に渋々と、アージェントさんは帽子を外して……。
渋っていた理由が、分かった。
「ピンクのたんぽぽだー!」
「たんぽっぽ!せうーてぃたんぽっぽー!」
なんと!そこに生えていたたんぽぽの中に、可愛いピンクや薄紫色のたんぽぽが混ざっていた!
「成程、帽子を被っていたのはたんぽぽ隠しのためかあ」
フェイが納得しながら、アージェントさんの頭のたんぽぽを眺めている。
「可愛い色ですね。最近生えてきた分ですか?」
僕も興味深くたんぽぽを観察させてもらっている。いや、だって僕が描いたのは黄色いたんぽぽだ。ピンクや、薄紫のたんぽぽなんて描いてないんだよ。ということは、このたんぽぽはアージェントさんの頭の上で突然変異したたんぽぽ!
「りり、せうーと!きれーい!」
そしてレネも目をきらきらさせながらアージェントさんの頭を眺めている。
……白髪に近い銀髪の中から生えている、葉っぱはちょっと生白い翡翠色、花はピンクや薄紫、というたんぽぽ。
成程。確かに綺麗だ……。
「……伯父上。帽子を、と所望されたのはこのためだったか」
「……そうだ」
それから。
アージェントさんに構わず勝手にお茶の用意をした僕らは、勝手にテーブルにお菓子とお茶を広げて着席しつつ、同じく着席させられたアージェントさんからピンクたんぽぽの話を聞く。
「全く、このようなもの……奇異にもほどがある。人目に付いたら大事になるだろう。隠すしかあるまい!」
苛立ったようなアージェントさんが首を振ると、頭の上でたんぽぽが、みょん、と揺れる。それを見ているレネがそわそわしている。みょんみょん揺れているかわいいものを見ると触りたくなっちゃうらしい。ドラゴンの性、なのかなあ。
「それならば、きちんとした意匠の帽子を私からお送りしたはずだが」
「ただの帽子では駄目だったのだ」
ルギュロスさんが『それにしてもこの帽子はちょっと』みたいな顔で麦藁帽子を眺めていると、アージェントさんは静かに肩を震わせて……。
「……たんぽぽが伸びて、帽子を押し上げはじめたのでな!」
そう、言った。
フェイが吹き出した。ラージュ姫は『まあ!』と目を輝かせた。ルギュロスさんは愕然としていて、レネは相変わらず素敵なたんぽぽに夢中。
僕は……僕は、自然の力強さにちょっとびっくりしています!
実演、ということで、フェイがそっと、アージェントさんの頭に帽子を乗せる。するとアージェントさん、全く躊躇なく、ぐりぐりとたんぽぽを押し潰すようにして帽子を深く被った!レネが「たんぽっぽー!」と悲鳴を上げる。
……けれど。
一度、アージェントさんの頭にちゃんと収まった帽子だったのだけれど……5秒後。
みょん、と、帽子が持ち上がった。アージェントさんの頭から15㎝ほど。
……恐る恐る、といった様子でルギュロスさんがそっと、帽子を取ると……。
「……なんということだ」
そこには、ちゃんと復活したたんぽぽが、のびのびと花を咲かせていた。レネが「たんぽっぽー!」と歓声を上げる中、アージェントさんは只々、不機嫌そうな顔をしていた……。
「成程なー、帽子が持ち上がっちまうなら、顎の下で紐かなんか結んでおいて固定しておくしかねえよなー……」
「アージェント卿。帽子を顎で固定しておくと、たんぽぽによって首が絞まってしまったりはしませんか?」
「帽子を突き破られたことならあるが?」
成程。たんぽぽって強いなあ。植物の生命力って本当にバカにできないなあ。……この場合は色々と事情が違う気もするけれど。
「いや、だとしても……だとしてももう少しやりようがあっただろう、伯父上!」
そしてルギュロスさんとしては、アージェントさんのこのファッションが許せないらしい。完全に袂を別った相手とはいえ、一度は尊敬していた相手だからこそ、美意識に反する格好をしているアージェントさんを許せないんだろうなあ。
「こんな帽子を身に着けるほど、美意識が地に落ちたか、伯父上!」
ルギュロスさんが『アージェントさんについて嘆きたいのか、それとも馬鹿にしたいのか、自分でもよく分からない』みたいな大いに混乱した顔でそう叫ぶ。
……すると。
「あああー、すみません、すみません!それならあっしがアージェントさんにお貸ししたもんでさあ!」
ガチャ、とドアが開いて、1人の人が入ってきた。
入ってきた人は、如何にも農夫、という見た目の人だ。動きやすそうな簡素な服。手には農機具。頭は麦藁帽子。日に焼けた肌。ソレイラでもよく見る恰好だ。
「ですから、アージェントさんの美意識に問題があるとかじゃーなくてですね!悪いのはあっしなもんで……ですからどうか、アージェントさんの不名誉と思わないで頂きたく!」
その人は大慌てでアージェントさんの麦藁帽子について弁明し始めた。……ええと。
「あなたは……?」
「ああー、申し遅れました。あっしはおひさまぽかぽか地区農民代表のニムオンと申します。どうも、どうも」
ニムオンさん、というらしい人は、ぺこんぺこん、とお辞儀しつつそう挨拶してくれた。なので僕らもつられてぺこん。
「それで、この帽子を、あなたが?」
「ああー、いや、いや。アージェントさんが『大きな、或いは固定できる帽子は無いか』って仰るもんだからね、探したんですが……何せ、なんもない場所だもんで、俺の予備の麦藁しかなくってですねえ……でも、これでいいって仰るから、お貸ししちょります」
……成程。よかったですね、アージェントさん。帽子を貸してくれるくらい仲の良い人ができて。いや、仲がいい訳じゃないのかもしれないけれど。でも、親切にしてくれる人が身近に居るって、すごくいいことだと思うよ。
「外に出ないわけにもいかんからな……」
「アージェントさんの頭の呪いについて知ってるんは、ここではあっしだけなんですよ。ですから皆さんも、どうぞご内密に!」
あっ、アージェントさん、たんぽぽのことを『呪い』と説明しているのか。まあ、大体合ってるのかもしれないけれどさ。
それから僕らは、ニムオンさんの話を聞くことになった。彼、結構おしゃべり好きみたいだよ。そして僕らも人が話すのを聞いているの、嫌いじゃない人達だし……何より、アージェントさんのここでの様子を聞ける、貴重な機会なので!
「いやあ、アージェントさんが来るまでは無計画に畑ほっくり返しちゃー適当なもん植えてたんが、変わってきましてね!頭のいい人ってのは、すげえもんだってみんなで話してるところで!」
「それまではまるで考えなしに作付けしていたからな……」
「それに、肥料はこれを使ったらいいだとか、こういう魔法で水撒きすりゃあいいだとか、教えてくれるもんが全部、王都仕込みの最新知識だっつうんだから驚きでさあ!いやあ、俺達は恵まれてますねえ!」
……ニムオンさん、それはそれは嬉しそうに、アージェントさんの自慢をしてくる。
言わされている、とは思えない。何故って、どうやら他所の霊脈をちょっと弄ってこっちに向けようとしているだとか、『それはどうなんだ』みたいな内容まで自慢してくれるし、ニムオンさんがにこにこ話している横で、アージェントさんは頭の痛そうな顔をしているし。アージェントさんの頭のたんぽぽばかりが元気。
「アージェントさんをこんなとこに派遣してくださった王家の皆さんにも頭が上がりませんよ!あっはっは」
「あのー、ニムオンさんよお、その『王家の皆さん』の内のお一人がこちらのラージュ姫だからな?」
「ええーっ!?お、お姫様でしたか!こいつぁーご無礼を……!」
……ニムオンさん、なんというか、ちょっと抜けている人らしくて、アージェントさんの眉間の皺がどんどん深くなっていく。あああああ。
けれど……まあ、それって、裏表のない人なんだろうなあ、ということでもあるし。
そして、こういう人と接していると、きっと、アージェントさんにとって今までにない経験になるんだろうな、と思えるので。
未知のものに触れたら、人間ってそれを拒否するか許容するか無視するか……とにかく、何か反応せざるを得ないと思う。そしてアージェントさんはきっと、この、今までに出会ったことが無い程に『使い勝手の悪い人間』を使わなきゃいけない状況において、何かしらかの変容をせざるを得ないんじゃないかな。
それはアージェントさんにはちょっと酷な話かもしれないけれど……きっと、悪いことじゃない、と、思うので。
少なくとも、ニムオンさんみたいな、今までアージェントさんが存在すら知らなかったようなタイプの人のことを知ることは、悪いことじゃないと思うんだよ。きっと。
「……アージェントさん、退屈しなさそうですね」
なのでそう、話しかけてみる。アージェントさんは眉間に深く深く皺を刻み込みつつ、嫌味っぽくため息を吐いた。