世界を越える本*3
そうして、翌日。
「先生!書けた?」
「ああ、勿論だとも、トーゴ!さあさあ、これだ。よろしく頼むぜ」
「任せて!」
異世界の先生の家へ遊びに行くと、先生は封筒2つと小さな段ボール1つ、タッパー1つを用意していた。小さな段ボールは海外に住む石ノ海さんへの宅配便、っていうことだろう。中に手紙も入っているに違いない。
「蕗味噌、マスターにもお裾分けだ。あの人も実は結構な蕗味噌フリークなんだぜ」
「類は友を呼ぶって本当なんだね……」
僕も蕗味噌好きだし。……ということは編集さんも蕗味噌、好きなんじゃないだろうか。今度聞いてみようかな。
「ということで、君には手間をかけるが……」
「そんなの言いっこなしだよ、先生」
僕は早速、封筒と段ボールとタッパーを託されて、現実の世界の方へ戻る。
さあ、早速お使いを済ませていこう。
最初に向かったのは運送会社さんの集荷所。
……海外への配達っていうことで手続きがちょっと煩雑だったけれど、まあ、一応なんとかなった。あとは、石ノ海さんに荷物を送りましたよ、の連絡だけ入れておく。
蕗味噌と手紙の荷物を預けたら、次に向かうのはカフェ。マスターに蕗味噌と手紙をお届けする。
カランカラン、とベルを鳴らしてカフェに入ると、案の定、閑古鳥が鳴いていた。ここ、本当に利益出てるんだろうか……いや、出てるんだろうけどさ。
「おや、トーゴ君。いらっしゃい」
「こんにちは。ええと……これ、お裾分けです」
マスターに早速、蕗味噌のタッパーが入った袋を渡す。マスターは袋の中を覗いて、タッパーを見て……おや、というような顔をした。
「ええと、変な話なんですけれど……それ、先生からです」
僕がよく分からない説明をしても、マスターは怒ったり叱ったりせず、ふんふん、と頷きながら聞いてくれる。
「それで、これ。お手紙です。預かってきました」
ここでようやく、預かってきた手紙を渡せた。僕はちょっとどきどきしながらマスターが手紙を読むのを待つ。
……手紙の内容を、僕は知らない。先生がマスターに伝えたいことを綴ったものだから、僕が読ませてもらうのは何か違う気がして。
けれど……マスターの反応を見る限り、中々面白い手紙なんじゃないだろうか、という気がしてくる。いや、だってマスター、唐突に吹き出したり笑いだしたりしながら手紙、読んでるんだよ。一体何が書いてあるっていうんだ。気になる。気になる!
「いやあ……すまないね、トーゴ君。待たせてしまって」
「いえ……」
そうしてマスターは先生からの手紙を読み終えて、まだ笑いの残る顔で便箋を畳みつつ、僕にカウンター席を示した。なので僕は、初めて座るそこへ腰を下ろす。
「懐かしいなあ。なんというか、文章があの人っぽいよ。とても」
つまりそれ、面白かったっていうことでしょうか。気になるなあ。気になる……。
「トーゴ君はこの手紙の内容、知っているのかな?」
「いや、僕は読んでいません。人に向けた手紙を読ませてもらうのは何か違う気がして」
僕が首を横に振ると、マスターはそうかそうか、と言うようにのんびり頷いた。
「まあ、宇貫先生の『近況』が書いてありましたよ。異世界に居るんだってね?」
「はい」
「随分とファンタジックですが……あの素晴らしい猫さんを見てしまっているからなあ、否定できないなあ」
あ、うん。そうだね。このカフェはもう何度も魔王のお掃除が入っているのだった。ここのマスターは異世界のものにもう触れてしまっているから、先生が『異世界に来ています!』みたいな手紙を書いていたとしても『そういうものかあ』って思うしかないよね。
「まあ、実際のところがどうなのかはよく分かりませんがね。宇貫先生が元気にやっているっていうのなら、それに越したことはないし……まあ、あの人、殺しても死ななそうだったからなあ、納得していますよ。『死んだ』っていうよりも『実はまだ異世界で生きている』の方が説得力があるとはなあ……やれやれ」
マスターはなんだかくつくつ笑いながら、ふと、何かを思いついた顔をする。
「……じゃあ、そうだなあ、トーゴ君。私からも1つ、お使いを頼まれてくれますか?」
「はい。何でも!」
何だろう、と思いつつも、マスターの手元を見て、概ねのところを察する。そういうこと!
「じゃあ、宇貫先生にデリバリーをお願いします。あの人の今日の気分、何かなあ。うーん……分からないのでミルクティーとアップルパイにしておきますね。丁度残ってるし」
「そこまで含めて伝えておきますね」
「いやあ、そこは『宇貫先生のためにちゃんと選びました』って言ってくれなきゃあなあ」
笑いながら、マスターはお持ち帰り用の小さな紙箱にアップルパイを2ピース入れて、それから、ミルクティーをお持ち帰り用のカップに入れる。それを全部まとめて紙袋に入れてくれて……それを僕に手渡して、マスターはにっこり笑う。
「じゃあ、これを宇貫先生にお願いしますね。それから……手紙を書こうかな。配達をお願いしてもいいですか?」
それから僕は、マスターが手紙を書くのを待って、それを受け取って帰る。
マスターが案外乗り気だったので、僕としてはちょっと拍子抜け。『頭がおかしくなったんじゃないか』って心配されてもしょうがないよなあ、と思っていたので。
……いや、でも、当たり前なのかもしれない。
だってマスターは、あの先生と仲が良かったんだ。つまりこの人、そういう人なんだよな。そりゃ、唐突に『死んだ人が異世界で生きています!』なんて言われても驚かないわけだよ。
さて。こうして僕はアップルパイとミルクティーの配達を頼まれてしまったので、ここで一旦、向こうの世界へ。
先生の家に帰って、編集さんへメッセージの送信を行ったら、門をくぐって向こう側。まおーん、とのんびりした声とふにふにの感触に出迎えられつつ、ぽかぽか温かい春の森の中を早足で歩いて、先生の家へ。
「お帰りトーゴ!ご苦労様……ん?それは?」
「マスターからだよ。はいどうぞ」
ちょっとそわそわしながら待っていたらしい先生に『どうぞ』と袋を差し出すと、先生は中を見て……ぱっ、と顔を輝かせた。
「こいつは最高だ!なんだ、ミルクティーとアップルパイ、とは恐れ入る!丁度、こういう気分だったんだよ!すごいなあ、マスターは!」
そして興奮気味にそう言う先生を見て、『余ってたので詰めました』という真実はそっと僕の心の底に封印することを決めた。
先生はマスターからの手紙を読んで、成程なあ、なんて言いながらにこにこしていた。
「ふっふっふ、まあ、マスターは魔王を見ている訳だからね。これからも段々、徐々に徐々に、ファンタジーで侵食してやろう。今度、いいかんじの砂糖壺を見つけたら贈ってやろうかなあ。1個、砂糖壺が足りないはずなんだよ。僕が落として割っちまったから」
そのエピソードも添えて、マスターに贈り物してみたら面白いかもしれない。あの人ならきっと面白がってくれるだろう。
……ということで、僕はアップルパイとミルクティーでおやつを楽しませてもらって、マスターには『先生が美味しがってましたよ!』とお伝えして……そして、その週の金曜日。
僕は先生の編集さんと駅前の喫茶店で待ち合わせして、そこで先生からの手紙をお渡しした。
「うわあ……宇貫先生の字だあ……」
編集さん、便箋を開いてすぐ、そう言った。編集さんともなると、そういうのも分かるらしい。まあ、僕もなんとなく、先生の字が先生の字だって分かるけれども。
「うわ、うわ……宇貫先生の文だ」
そして手紙を読み進めていって、編集さん、そんなことも言った。流石は編集さんだなあ。
……そして案の定、マスターの時と同じように、編集さんも手紙を読みながら笑っていた。な、何が書いてあるんだ!気になる!気になる!
「いや、驚きました。ちょっとまだ信じられない部分が大きいんですけれど、うん……あの不思議な猫みたいな生き物も居たし……」
そして編集さんも、魔王を見てしまっている以上、異世界の存在をなんとなく受け入れてしまっているらしかった。まあ、魔王だもんなあ。しょうがないよ。あのふにふにの不思議な生き物がぽてぽて歩いているのを目撃してしまったらそれは、この世界ならざる存在を認識してしまったということなので……。
「それに、『今日も絵に描いた餅が美味い』を読ませてもらっているので」
「あっ、成程」
そもそも心配無用だったか。あの本、異世界のことが書いてある訳だし。魔王が本の中に出てくる訳だし。
「それで、あの、編集さん。先生の手紙にもあったかもしれないんですが、3つ、ご提案です」
魔王に思いを馳せているらしい編集さんにそっと話しかけると、編集さんは意識を僕の方に戻して頷いてくれた。
「まず、1点目なんですが……『宇貫護』の原稿をできるだけ、出版してくださいませんか、ということで……特に、作者死亡につき打ち切り、っていうのは、先生がすごく嫌みたいなので……遺稿が残っていた、っていうことにして、出せるところまで出してほしい、って」
「それは大丈夫だと思います。ちょっと法務の方とも相談してみますが……『遺稿をご遺族が預かってらっしゃった』っていうことにすれば、まあ、多分なんとか」
よし。1つ目はクリアだ。
よかったよかった。先生、結構気にしてたんだよ、こっちの世界に残してきてしまった、先生が書いたものの今後。
……僕としても、先生が現実の世界に遺したものはちゃんと世に出てほしいな、と思っていたので、嬉しい。
「それで、2つ目です。校正について……その、僕を通じて、先生にやってもらう、っていうわけにはいきませんか?」
「えーと、それは……まあ、それもちょっと法務と相談になりますが、多分、大丈夫だと思います。トーゴ君や宇貫先生の叔父さんに契約書を書いてもらうことになるとは思いますが。……ちょっと楽しみですね、それ」
2つ目も大丈夫らしい。よかった、よかった。そのためなら僕、契約書ぐらい何枚だって書くよ。石ノ海さんには……ええと、エアメールで送って、また海を越えて返信してもらおう。
「それから、3つ目なんですけれど……その」
そして、最後。
「……今後、遺稿が増えても、いいですか?」
「……ま、まあ、はい。遺稿が次々と発見されていく、ということがあっても、問題ないかと……あっ、でもその場合はあくまでも遺稿扱いなので、うっかり時事ネタとかを文中に入れないように気を付けて頂ければ」
成程。昭和で死んでしまった人の遺稿の中に『冥王星は惑星ではない』とか『AO入試』とか『スマートフォン』とか出てきたらちょっとまずい、っていうことだよね。分かる分かる。
「ちなみに、今までおよび新しく生まれる宇貫護の書いたものを異世界で出版してもいいですか?」
「ええー……それ、どうしようかなあ……僕から許可を出せるものでもないんですけれど、でも、まあ、いいんじゃないですかね。やっちゃいましょう」
あっ、こっちもいいのか。……いや、いいっていうか、『悪いとは言えない』っていうだけなんだろうけれど。
「あの、厳密にやろうとすれば、出版によって得られた利益を金塊でお支払いするとか、そういうこともできますけれど……」
「いや、面倒なんでやめておきましょう!」
「そうですね!」
……まあ、うん。
色々と面倒なことも多いし、これはスルーしてもらうのが良さそうだ。どうもありがとうございます、編集さん。
さて。
そうして僕は、先生が異世界に居ることを、3人の人に教えたわけなのだけれど……流石は先生の知り合い達というべきか、僕の頭がおかしくなってしまっている、という風に受け止めた人は居なかったらしい。
ちゃんと異世界というものの存在を信じてくれたので、その……ちょっと予想外だった、というか。
いや、最悪の場合、僕が先生の手紙を捏造している、とか、そういう風に考えられても仕方がないというか……むしろ、そう考えた方が自然な訳だし。でも、『宇貫先生は楽しくやってるんですね。よかった』って言ってもらえたので……とてもとても、ありがたいことだと思う。
こういうことを共有できる人って、決して多くないはずだ。だからこそ、先生の知り合い達がこっち側の人だったことを大いに喜びたい。
「或いは、君のおかげかもね」
僕は魔王をつついてそう言ってみる。カフェのマスターも編集さんも、魔王がまおんまおんしているところを見ているからなあ。異世界の存在を疑わずに受け入れてくれたのは、魔王のおかげでもあるかも。
……そうして。
「よし。これで大手を振って異世界で出版できる」
先生は、嬉々としてフェイ作のコピー機を使っている。
何故って……ようやくこの世界にも、先生の本が出回るからだ!