世界を越える本*2
それから僕は、編集さんから色々な話を聞いた。
実は編集さん、以前僕を見たことがあった、というところから話は始まった。
「宇貫先生との打ち合わせの時には大抵、駅前の喫茶店を使っていたんですけれど、宇貫先生が解散してすぐ、『トーゴ!』と呼びつつ君のところへ走っていくのを見たことがあって」
ああ……成程。確かに僕、駅前でちょっとちゃんとした格好の先生と会ったこと、あったなあ。いつだったかもう、忘れてしまったけれど。
「それから、サイン本をお願いした時、運送会社のミスで段ボールが濡れてサイン本が駄目になってしまった時がありまして……」
「ああ、ありましたね、そんなことも……」
それは覚えてる。ある日、先生の家に行ったら先生が『うおおおわあああああ!』って言いながらサインペンを動かしていた。僕は本の表紙裏と本文との間にインク付着防止の紙を挟むお手伝いをした。懐かしいなあ……。
「ああー、あの時もトーゴ君に手伝ってもらったって言ってたなあ、宇貫先生……あの時はもう、運送会社に頼んでいたら間に合わないところまで来てしまっていたので、僕が直接ここに本を運んできたんですよ。それで、その時に君を見てます」
「そういえば見られた気がします」
車でやってきた編集さんとやり取りをしているところに僕が遊びに行ったこと、あった気がする。そうか、あの時かあ。
「それで、後日打ち上げの時に『あれがトーゴ君ですか』って聞いたら、そうだと仰るものだから」
「……ということは、その前から僕の話、聞いたことがあったんですか?」
「まあ、多少」
編集さんはちょっと苦笑して、少しだけ言い淀んで……けれど、話してくれた。
「……宇貫先生の『人間合格』の中に出てくる小学生の心理描写がとてつもなく、良くて。それで、何か参考にしたものでもあったんですか、と聞いたら、『自殺未遂していた小学生を偶々拾ったので』と返事が……」
……はい。自殺未遂していて拾われた小学生です。それ、僕です。僕でした。
「いやいや、それ犯罪じゃないですか、大丈夫ですか、と聞いてみたら、『一応合法だ!』と弁明してくれまして」
「うん。先生、合法でした。大丈夫です。違法なこと、何もしてませんよ」
「ですよねー、いや、今更宇貫先生のスキャンダルとか僕も嫌だからなあ……」
僕ら、顔を見合わせてちょっとひやひやしつつ……。
「それで時々、トーゴ君のことが話に出てくるようになったんです。『そういえば以前言っていた自殺未遂の小学生、どうなりました?』って聞いたのがその次で、そこで『トーゴのことかい?それなら図書館で時々会うよ』って返事があって」
うん。それなら覚えてる。
僕が中学校に入学してすぐの春。高校受験のためにもう勉強しなきゃいけなかったけれど、第一志望に落ちた手前、なんとなく塾に居辛くて、それで図書館で勉強しようとして……そこで先生と再会したんだ。覚えてるよ。
「それからは『トーゴ君最近どうですか?』とか『あのキャラクターもトーゴ君がモデルですか?』とか聞くようになったので、まあ、君の話が時々出てきていた、というか……」
「えっ、まだ僕がモデルのキャラクターが居たんですか」
「ああ、『人間合格』の小学生はトーゴ君から着想を得たらしいんですけれど、それとは別に『星は眠る』の主人公もトーゴ君を参考にした部分があるらしいですよ」
……な、なんというか、恥ずかしい。恥ずかしいけれど、気になるから後で読んでみよう。その2冊。
「でも、どっちもあんまり幸せな話じゃないから、宇貫先生、『いつか絶対にトーゴが主人公で圧倒的ハッピーエンドの奴を書いてやる……』って言ってましたねえ」
編集さんはそう言って、なんだか懐かしむような、ちょっと悲しむような顔でお茶を飲む。
……あっ、そうか。編集さんからしてみると、『書きたかったハッピーエンドの話を書く前に死んでしまった先生』と『ハッピーエンドの話を書かれる前に死なれてしまった僕』っていうことになってるのか。それはいけない。そんな悲劇的な話じゃないんだよ、これは。
「あの、それ僕、読みました」
なのでそう、教えてみる。……すると。
「えっ」
編集さん、がばり、と顔を上げた。うわびっくりした。
「ええと……『今日も絵に描いた餅が美味い』っていうやつ、なんですけれど……」
「……構想だけ聞いたことあります、それ。『今日も絵に描いた餅が美味い』にするか、『水に絵を描く絵を描く』にするか、『絵空事でも愛してる!』にするか、タイトルだけ相談されました」
そっか。タイトル候補、結構あったんだなあ。……僕としては、自分が最初に描いたのが餅だったこともあって、今のタイトル、気に入っているけど。
「それにしてもトーゴ君がそれを読んだことがある、ということは……原稿があるんですか?あるんですね!?」
「あ、あるんですけれど、あるんですけれどちょっと待ってください!」
編集さん、目をきらきらさせて迫ってきたので、慌ててストップをかける。待って待って!
「あの、先生に……じゃなかった、先生の叔父さんに、編集さんに読ませてもいいか、聞いてみるので……」
「あ、そうですよね。すみません……」
ストップを掛けたらちゃんとストップしてくれたのでほっとする。この人、話しやすくて良い人だなあ。先生が『編集君はなあ、いい奴だぞ!』って言ってたの、分かる気がする。
「でも、是非読みたいです。許可が下りたらでいいので、読ませてください」
「分かりました。じゃあちょっと聞いてきますのでお待ちください」
……ということで。
「魔王!ちょっとお使い頼んでもいい?」
魔王を呼ぶと、庭を駆けまわっていた魔王が『まおーん!』と返事をしつつ戻ってきた。
そこで僕は、『編集さんが来たよ。『今日も絵に描いた餅が美味い』、渡してもいい?』と書いた紙を魔王に持たせる。魔王は、まおん、と鳴いて胸を張って、尻尾で紙を掴むとぽてぽてと歩いて去っていった。……ちゃんと門から向こうの世界に行ってくれたみたいだ。うーん、やっぱり魔王は賢いなあ。
「えーと、じゃあ僕は電話で確認してきますのでしばらくお待ちください」
「……あ、はい」
編集さんは、僕と魔王のやりとりを見てぽかんとして……それから、首を傾げた。
「……あの猫さん、賢いですね」
「そうなんですよ」
ま、まあ、そういうことで……すみません!魔王の姿を見られたからにはもう、こういうものだと思って受け入れてください!
僕はちょっと席を立って、僕の部屋の前で魔王が戻ってくるのを待つ。
するとぽてぽてと魔王が門から出てきて、まおん、と鳴いて紙を渡してくれた。
『OKだ。ただし、出版にあたってちょっと改稿したいので、一旦引っ込めてくれ!ついでに遺稿、ってことにして、新作を渡してきてくれたまえ!書けてるから!』と書いてある。よし。そういうことなら頼まれます。
僕は魔王が紙と一緒に持ってきていたUSBメモリを片手に、編集さんのところへ戻る。
「許可が取れました。ただ、『改稿版』っていうデータもあって、そっちが今、手元にないので……旧版と、もう1つ別の話が入ってるUSBを持ってきました」
「まだ他にも新作あるんですか!?」
「あ、はい。結構あります」
何ならこれからも増えます、とは言えないけれど……まあ、そういうことで。
編集さんは僕と連絡先を交換して、USBメモリを大切そうに持って帰っていった。読んだら連絡します、って。それから、出版してもいいかご遺族に聞くかもしれない、ということだったので、石ノ海さんにも連絡しなきゃなあ。
それに……何よりも先に、先生に会いに行かなきゃ。
ということで、異世界。フキノトウを持って先生の家へ。
「せんせーい!」
「おおー!トーゴ!君、編集君に会ったって!?」
「うん!良い人だったよ!」
「そうだろうそうだろう!何と言っても自慢の編集君だ!僕が自慢することでもないが!」
先生はいつにも増して元気だ。多分、魔王が運んだ手紙を読んで『ひゃっほう!』とか言ってたに違いない。
「それで、改稿版を作らなきゃいけないわけだな。うーん、それはいいが、校正はどうするかなあ……遺族がやる、っていう体で僕のところにゲラを持ってきてもらうのがいいだろうか……」
「或いは、僕が任されたっていうことにして原稿をお預かりする?」
「うん……更に或いは、編集君には本当のことを教えちゃうか、だなあ」
……うん。
「それ、いいと思うよ。なんとなく、石ノ海さんあたりはもう気づいていそうだけれど」
僕としては、その……わがままのような気もするのだけれど、先生が死んでしまった体で色々な人と話すのが、ちょっと心苦しいので。
「そうだな。折角だ。叔父上にも手紙を出したいしな。カフェのマスターにも……いや、マスターは何となくもう気づいてる気がするが。それに編集君、か。うん。僕の存在を知っている人がトーゴ含めて4人ぐらいいても、まあ、大丈夫だろう。よしよし」
先生はそう言うと、早速、と言わんばかりに便箋を書き始めて(要は、『書き心地がものすごくいい100枚綴りのシンプルな便箋と封筒のセット』の描写を文字でやり始めて)……それからはた、と手を止めて、魔王へ目を向けた。
魔王はフキノトウを机の上に並べて遊び始めている。こらこら、食べ物で遊んじゃいけません。
「まあ、それはまた編集君から連絡が来てから考えてもいいな。捕らぬ狸の皮算用、採られぬ原稿の印税算用、だ。ひとまず今日のところはこの可愛いフキノトウを食べちゃうことにしよう。そうしよう」
先生がフキノトウを1つつまみ上げると、魔王がまおーん、と鳴く。折角並べてたのに!っていう抗議だろうか。それとも食欲と期待だろうか……。
「さっき魔王が1個食べてびっくりしてたよ」
「だろうなあ。これ、このまま食べて美味しいお味じゃあないんだよなあ……小さくて丸っこくて可愛い癖して、大人顔負けの苦み走りっぷりだからなあ……」
先生はフキノトウを袋に戻して、よいしょ、と立ち上がると台所の方へてくてく歩き始めた。その後ろを魔王がぽてぽて追いかけていくので、僕もとことこ追いかけていく。
フキノトウ料理、楽しみだなあ。僕も久しぶりに食べるよ、フキノトウ。
そうしてフキノトウを調理して、僕らは春の香りのご飯を食べた。
フキノトウの他、タケノコや白身魚もてんぷらにして、それがメイン。それにタケノコの味噌汁と菜っ葉のお浸しと漬物を添えて白いご飯に蕗味噌を乗っけてできあがり。
「美味しいねえ」
「そうだなあ。年に一度は食べたい味だよなあ」
僕と先生と魔王とで囲む食卓に訪れている春の香りの清々しいことといったら。魔王も『まおーん!』と機嫌良さそうに鳴いている。どうやら蕗味噌は魔王のお気に召したらしい。
「……蕗味噌、毎年叔父上に送ってたんだよ。海外だとフキノトウは中々手に入らないだろ?」
ご飯を食べつつ、先生はふと、にんまり笑う。
「ちょっと悪いが、トーゴ。海外への宅配便って形で頼むぜ」
「うん。きっと石ノ海さん、面白がると思う」
僕らはそんな悪だくみをしつつ、早めの晩御飯をのんびり食べて、のびのびと春を満喫した。楽しみだなあ、先生の手紙を読んだ人達の反応……。