竜と忘れることなかれ*6
そうしてフェイはしばらくヴィオロンさんを睨んでいたし、ヴィオロンさんは燃える剣と燃えるような瞳とを見て、呆然と固まっていた。
……けれど。
「よーし!勝負あったな!」
フェイは思い出したようにそう言うと、満面の笑みを浮かべた。それを見て、ようやく審判がフェイの勝利を宣言して、やっと時間が動き出す。会場はどよめきと歓声に包まれて、フェイはほっとしたような笑顔を浮かべると、剣を収めて……。
……そこでフェイは、ふらりと倒れてしまった!
「フェイ!」
慌てて鳳凰に掴まって飛んでいく。フェイはちゃんと意識はあった。どうやらちょっと魔力不足、そして貧血、っていうことらしい。どうやら途中から手持ちの絵の具が足りなくなりそうで、自分の血を使っちゃったみたいだ。全く、僕みたいなことするんだもんなあ!
血は分けられないけれど魔力はある程度分けられる。僕は慌てて、フェイに魔力を分ける。ええと、レネにするみたいにやるのは人の目もあるし流石に恥ずかしいので、手をぎゅっと握って。
「へへへ……どうだトウゴ!見たか!」
「うん。見たよ。格好良かったよ」
フェイの所々にできてしまっている切り傷に鳳凰の涙が注がれると、どんどん傷が治って、フェイも元気になっていく。
血に汚れたり斬り裂かれてしまったりしている服は後で直すことにしよう。ここで描くとちょっと面倒なことになりそうだし。
それからフェイは僕に支えられつつ立って、どよめく観客席に手を振って応えていた。観客席もどよめくばかりじゃなくて、ちゃんと歓声を上げてくれる人も居て、そういう人達にはフェイは殊更に笑顔で手を振ってみせる。
けれど。
「不正だ!」
そう叫ぶ人が居た。
……それは、さっきまでフェイに剣を突きつけられていた、ヴィオロンさん。
「レッドガルド!仕組んでいたな!?あのように、魔法陣が一瞬で描ける訳がない!ならば答えは簡単だ、貴様は始めから、この決闘場に魔法陣を仕込んでいた!違うか!?」
決闘場全体へ響くような大声に、また、観客席がどよめく。
そうしているうちに、観客席からはいくつか、『そうだ!不正だ!』『レッドガルドの無能め、恥を知れ!』といったような野次が飛んでくるようになる。
……けれど、フェイはにやりと笑って答えた。
「へへへ……お前らは知らねえか。『魔法画』なんて」
そしてフェイは懐に入れていた小瓶の栓を抜くと、そこに残っていた中身を宙に舞いあげて……宙に、魔法の模様を描いた。
それは、確かな証明だ。フェイが絵の具を操って魔法の模様を描ける、という、証明。空中に赤く赤く示された模様は、観客席からもよく見えることだろう。
「こ、これは……?」
「魔力を使って絵を描くんだ。魔力の伝わりやすい素材を絵の具にすれば、魔力を通して動かせるだろ?」
「それは……そんな、初歩どころか、基本のことだろう。幼児がやるようなことだ。そんなことで……そんなことで、魔法陣を描く、など、聞いたこともない」
「そんなあ……王都の絵描きは結構やってるんだけど……」
ヴィオロンさんは何が何やら、みたいな顔をしている。まあ、そうだろうなあ。
魔法画って、絵を描かない人にとってはあんまり馴染みが無いものなんだと思う。『手があるならそれで絵を描けばいいだろう』って思われてるんじゃないかな。水彩と油彩の違いを良く知らない人だっているし、まあ、そんなものなのかもしれない。
「ま、そうだよな。そういう、初歩の初歩、俺みたいなできそこないにだって、魔力のあるものに働きかけて魔法で物を動かすことくらい、できて当たり前だ。……でもな。それで絵の具を操って精密に絵を描けるようにする、っていうのは、中々やる奴が居ねえ。そんなことできるようになる意味が無いからな」
フェイの言葉を聞いて、ヴィオロンさんは分かったような分からないような、そんな顔をしている。
……なんだろう。僕も今一つこの辺りの感覚がこの世界でどういうものなのかは分からないけれど、フェイが言っていることって多分、『1桁の足し算をものすごく速い速度で計算できるように訓練する奴はそうは居ない』みたいなことなんじゃないかな、と思う。多分。
「ついでに、絵描きならあらゆる絵の具を操れるように訓練する必要がある。だからこそ、自分にとって一番動かしやすい絵の具、なんてもんは追及しねえし、1つの絵の具だけで練習を重ねるなんてこともしねえんだろうな」
うん。そうそう。ライラだって、魔法画の練習をする時に絶対に幾つかの種類の絵の具を使う。1つの絵の具に慣れてしまうわけにはいかないから、って。
……そういうわけで、フェイがやっていたことって、相当特異なこと、なんだ。
「バカみたいだろ?お前にとっては、ただ魔力を自分の中で組み上げて魔法の形にして外に出せばいいだけのものを、俺はこんな回りくどい方法でやってるんだ」
フェイはちょっと自嘲気味にそう言う。その横顔がちょっとやさぐれていて、寂しそうで……僕が見たことのない顔なものだから、なんだか新鮮だ。
「魔力が足りねえ俺がこういう風に魔法を使うためには、この方法しかなかった。……でもそれでなんとかできたんだから、ま、悪くねえだろ?」
「だとしても……このように複雑な魔法陣を、一瞬で描くなどありえん!ただでさえ魔力の少ない者にできるわけがない!」
にんまり笑ったフェイに対して、ヴィオロンさんは激高する。掴みかからんとする勢いなのだけれど……そんなヴィオロンさんから距離を取って、フェイはまた、誠実に返答する。
「魔力については、自分に合う絵の具さえ見つかればなんとかなるもんだぜ。精度については……ひたすら練習すりゃ何とかなる。何度も練習した。魔法陣の形状を頭の中に叩き込んで、何度も何度も練習した。毎日毎日、ひたすら描いてりゃ数か月で簡単な魔法陣ぐらい描けるようになってくる」
……フェイの口から軽い調子で出てくる言葉は、中々に壮絶なものだった。
練習。練習。練習。
単純で簡単で、だからこそ制御が難しい魔法を完璧に制御する練習。
頭の中に複雑な形を叩き込む練習。
頭の中の複雑な形を正確に再現する練習。
それがどれくらいのものだったのか、僕には分からない。全然知らなかった。フェイがそういう風に練習していただなんて。全然、知らなかった。
……けれど、フェイならできるだろうな、とは思った。そして努力を重ねて今、勝利をおさめたフェイを、誇らしく思う。
「絵描きとは違って、美しさとかセンスとかは気にしなくていいからな。ただひたすら、正確に魔法陣を描けるようにするんだ。後は、どんな状況でも瞬時に描けるように練習した。床でも壁でも空中でも描けるように練習した。自分が走ってても飛んでても描けるようにできれば、まあ、実戦でも使えるくらいにはなる。……それだけのことだ」
更に、『床でも壁でも空中でも』なんて中々に恐ろしいことをさらりと言って、フェイは笑う。
「まあ、そういうの全部無視して、レッドドラゴンに出てきてもらうのが一番手っ取り早くて強いんだけどな!俺が小細工したって、所詮はその程度なんだよなあー……」
「そ、そうだ。レッドドラゴンを所有している者が、何故、そのような練習を」
「いや、でも実際今日、役に立っちまったしなあ。ま、無駄じゃなかっただろ?」
ヴィオロンさんとしてはなんとかフェイの『不正』について言及したいらしいのだけれど、無駄なことだ。いくら探ってみたってそこにあるのはフェイの誠実さと努力だけなんだから。
「ってことで、種明かしはこんなもんでいいか?」
ヴィオロンさんはじっと、フェイを睨んでいた。けれどもう、何も言えないはずだ。……そんなヴィオロンさんを見て、フェイはにんまり笑った。
「じゃあ早速、敗者にはこっちの要求を呑んでもらうかなあ」
そしてフェイがそう言うと、途端にヴィオロンさんは険しい表情を浮かべる。
「おい、レッドガルド」
「んー、そうだなー……」
ヴィオロンさんは緊張しながら、何か、懐に手を入れて身構えて……それを前に、フェイは考えて……考えて……。
「……やっぱいいやあ」
へにゃ、とした顔で、そう言った。
「……な、なんだと」
ヴィオロンさんが懐に手を突っ込んだまま唖然としている前で、フェイは気まずげに頭を掻く。
「なんかよー、俺、お前に勝っちまってもう大分スッキリしちまったもんだから、これ以上なんかする気になれねーみたいだ」
フェイはあっさりとそう言ってしまうものだから、ヴィオロンさんは只々、唖然としている。
……でも、確かにそうかもしれない。ヴィオロンさん、フェイとの戦いのせいであちこち焼け焦げているし、鳳凰が治してくれたけれど火傷もしていたし、その、結構ぼろぼろなんだよ。そういう相手を虐めるっていうのは、その、気が退けるよね……。
「ってことで、皆!なんかごたごたして悪かったな!まあ余興ってことで許してほしい。……じゃ、パーティに戻ってくれ!」
フェイが観客席にそう呼びかけると、観客席の人達はにこやかに、或いは渋々とパーティ会場へ戻っていく。それをフェイは見送って……。
「……馬鹿にしているのか!」
ヴィオロンさんが、背を向けたフェイに掴みかかる。振り向いたフェイの頬にヴィオロンさんの拳がぶつかる。よろめいたフェイに、更にヴィオロンさんが殴りかかって、2人はもみ合いになって……。
「……やめなよ」
なので、僕が間に入った。むぎゅ、と2人の隙間に潜り込むようにして。
僕の顔を間近に見てしまったヴィオロンさんは、なんだか呆気にとられて、それから気が抜けてしまったらしい。フェイを殴ろうとしていた手を、下ろしてくれた。……僕、気の抜ける顔をしていてよかったなあ。
更に、レッドドラゴンも出てきて、フェイを守るように立ちはだかった。ぎゃおう、とレッドドラゴンが吠えて……。
ヴィオロンさんが、動いた。
ヴィオロンさんは懐から手を出すと、その手に何か宝石を握っていた。その宝石を見た時、なんだか気持ちがざわつく。何か、よくないものだっていうことだけは分かった。
ヴィオロンさんはそのまま、フェイのレッドドラゴンに向かって動く。
レッドドラゴンはそれに気づいて炎を吐く。視界全てを焼き尽くすような炎が溢れてヴィオロンさんを阻むのだけれど、ヴィオロンさんは彼の得意技らしい水の魔法を瞬時に繰り出して炎を防いできた。
炎を水で割るようにしてヴィオロンさんはレッドドラゴンへと迫って、その手の宝石を繰り出して……。
「させるかよ!」
フェイが現れた。
ヴィオロンさんに立ち向かう形で……レッドドラゴンの炎の中から。
そして、フェイの拳がヴィオロンさんの横っ面を、思いっきりぶん殴っていた!




