27話:ヒヨコ色の希望*2
「フェイ!」
フェイは中庭に居た。夕暮れ時の庭の中、レッドドラゴンと遊んでいたらしい。1人と1匹は夕焼けの色に染まって、元々赤いのにますます赤く見える。
「あの、聞きたいことがあって」
僕は、言う前に、聞かなきゃいけない。
僕がそう言うとフェイは少し不思議そうな顔をして、それから、レッドドラゴンと揃って首を傾げた。仲がいいなあ。
「あの、僕、何を期待されてるんだろうか」
「期待?面白いことだな!お前、他に類を見ねえ奴だからさ。あ、それから俺達の友情に期待している!……で、絵師としては当然、絵を描くこと、だな」
緊張しながらそう聞いてみたら、フェイは、間髪入れずにそう返してくれた。
「……絵を実体化させることじゃなくて?」
「うん。お前が描いた絵、屋敷に飾りてえなって。だから勿論、実体化しねえ奴な!飾っといた絵がいきなり動き出したら困るからな!?」
なんというか、拍子抜けしてしまった。
分かってはいたはずなんだけれど、改めて言われると、こう。力が抜ける、というか。
「あの……変なこと聞くようだけれど、それ、僕を、気に入ってくれたから……?」
「ま、まあ、そう、か……?だって嫌な奴に仕事頼むよりは、いい奴に仕事頼みてえじゃん。あー……でも分かんねえなあ、これ」
フェイはそう言いながら、頭をがしがしやりつつ、虚空を睨んで少し考え込んで……言った。
「ほら、お前が俺の絵、描いただろ?あれ見て、こういう絵、飾りてえなあって思ったんだよな。なんか柔らかくて、楽しそうでさあ」
そう言いながら、フェイは楽しそうに笑って……それから神妙な顔で頷いた。
「だからもしかしたら、お前が嫌な奴でも頼んでたかもしれねえ」
「……そっか」
嬉しかった。すごく。けれど同時に、不安でもある。
「……僕、絵は下手だよ」
「俺はそうは思わねえけどなあ」
「本来なら絵で食べていっちゃいけないと思う。ちゃんと美術大学に通って学んで、それでも絵を職にできない人が沢山いる。僕は彼らより、絶対に実力が不足してる」
美術大学、と言ってしまってから、この世界の人には伝わらないか、と思い直す。けれどなんとなく、意味としてはフェイにも伝わったらしい。フェイは首を傾げて……それから、にやりと笑った。
「正直、俺、絵の良し悪しは分からねえんだよなあ。うん。有名な画家の絵だって言われなきゃ気づかねえのとか、絶対にあるぜ」
うん……なんとなく、彼らしいような気がする。
「でもよ、絵の評価なんてそんなもんだろ?『これはすごいものだ!』ってでけえ声で言ったもん勝ちみたいなとこ、ねえ?」
……とてつもなく衝撃的なことを言われてしまった。けれど……な、なんだか反論できない!
「だから、もしトウゴが『うまく仕事ができるか』しか心配してねえなら、そんなもん放り投げてうちに来いよ!お前の絵の良し悪しは分からねえけど、俺は好きだぜ。そんでもって、『これはすごい絵だ』ってでけえ声で言ってやる準備はできてる!それに、お前の気が向かねえ仕事があったら、断りゃいいだろ?金には困らねえんだしさ。それで食っていけねえようなら前も言ったように、うちで養ってもいい!」
頼もしい。すごく……ええと、頼もしい。
けれど、どうしてそこまで言ってくれるのかが分からない。
養う、って。どういうことなんだ。どうしてここまで言ってくれるんだ。何をここまで気に入ってくれたんだろう。絵か。うん、それも分からない。
どうしよう、一周回って怖くなってきた。なんだこれ。
「……俺には、貴族の感覚は分からん。だが、貴族の感覚では、人間の1人や2人を養うことは特に何でもないことらしいぞ」
僕が混乱していたら、ラオクレスが横から助言してくれた。
「そんなものだと思えばいい。お互いに価値観が違い過ぎる。考えるだけ無駄だ」
……こ、これも衝撃的なことを言われてしまった、けれど、これも反論できない……。
……考えた。考えたけれど、やっぱり僕は、どうにも……この世界に、夢を見てしまっているから。
だから今更、諦められない。もう、遅い。
「僕、失敗すると思う。少なくとも、色んな人が望むような『成功』は、多分、できない。お城の魔法使いになって生きていく気にはなれないし、大金持ちになりたいとも思わない。世界中に認められるような絵を描いて、高い地位に就くようなことはできないだろうし、あなた達の名声を上げる手伝いも、多分、できない」
狡いかな、と思いながら、それでも、これを言わずに絵師になるのはあまりにも不誠実な気がして、結局僕は、言い訳がましく理由を述べる。
「自分の絵を積極的に売り込みに行くことも、多分、苦手だ。もしかしたら、僕の気持ちが向かないせいで上手くやれない仕事もあるかもしれない」
憧れはするけれど、それが簡単にできないことは、分かってる。実力は足りていない。売り込みに行く気概も無い。割り切れる覚悟も多分、足りてない。だから。
「だから僕は、失敗すると思う。成功は、できない」
「おう。いいぜ」
フェイはそう言って、嬉しそうに笑った。
「お前が王城の魔術師やるなんて、絶対に面白くねえし、勿体ないだろ!な!」
「……勿体ない?」
「おう。勿体ない!」
そっか。僕が王城の魔術師をやるのは、勿体ない、のか。
逆じゃないのか。絵を描くなんて勿体ない、とは、言わないでくれるのか。
そんな無駄なことをするな、とも、そんなものにいつまで拘っているの、とも、言わないでくれるんだ。
……嬉しいなあ。いいんだろうか。こんなことがあって。
「ただ……お前、本当に考えたか?大丈夫か?さっきも言ったけど、うちと契約しても、本当にお前を保護できるかはちょっと自信無くなってきたぜ?」
「保護は無くったっていい。自分の身は自分で守れるようにしていくよ。……ただ、僕が絵を描くことを認めてくれたら、それが一番嬉しい」
「ええー……よ、よく分からねえけど。でもまあいいか。トウゴがそう言うんならそれで」
フェイは、『認める?』と首を傾げている。うん。別に、分かってもらおうとは思ってない。別にいい。だってフェイは、疑問にも思わずに、僕の進路を認めてくれるから。
「それからよ……あんまり言いたくはねえけど、まあ、こんな領地の領主一家風情だからな、俺達。多分、トウゴを絵描きとして成功させてやる手助けはあんまりできねえ。それこそ、絵描きとして大成してえなら、王城の絵描きとかになった方がいいと思うんだけどよ……」
急に自信を失ったようなことを言うフェイが、少しおかしい。さっきまであんなに頼もしかったのに。自分のことになるとこうなっちゃうのか。
……うん、僕も人のことは言えない、のかもしれないけれど。
「……僕は、僕を成功させてくれる人より、失敗をした時に一緒に笑ったり悔しがったりしてくれる人がいい」
僕は、成功に興味が無い。特に嫌う必要は無いのだけれど、苦手だ。だから、成功させてくれなくていい。
ただ、代わりに一緒に居てほしい。失敗した僕を見て、『それ見たことか』『言わんこっちゃない』『絵なんて描いてるからそうなるんだ』なんて言わないでくれれば、もっといい。
……僕が選んで手に入れたものを馬鹿にしないで、がっかりしないで、ただ、笑ったり悔しがったりしてくれたら、最高だ。
「フェイは一緒に失敗してくれるだろうか」
僕は、僕より高い位置にあるフェイの目を見上げて、尋ねた。
「おう!一緒に失敗しようぜ!ってことは、じゃあ今日からお前は俺の親友で、同時にうちのお抱え絵師だ!やったぜ!」
フェイはそう言って満面の笑みを浮かべて、僕の手をぎゅっと握って、ぶんぶん振った。
……なんだか、気が抜けてきた。うん、ラオクレスの言うところの『フワフワしてきた』かもしれない。
たくさん考えて、怖くて、不安で……緊張した、のかもしれない。うん。緊張が解けて、フワフワしてきた。いっそ現実味がない。
「……いいのかな、こんな、夢みたいなことが起きて」
「いいじゃねえか!お前だって夢追いかけろよ!俺は夢、叶えたぜ!お前のお陰でな!だから今度は、お前が夢叶える番だ!夢見るだけならタダだ、とは言っても、叶うならその方がいいだろ?な!」
フェイの後ろからレッドドラゴンが顔を出して、にんまり笑った、気がした。ドラゴンの表情ってよく分からないけれど。多分。
「あ、そうだ。もし断れねえけど嫌な仕事が来たら、またフェニックスをヒヨコで描けばいいんじゃねえの?いや、あの話、滅茶苦茶面白かったからさ。俺、正直そういうのも楽しみだぜ」
……う、うん。そ、そっか……。楽しんでくれるなら、いいんだけれど。
いいんだけれど……。
……うん。いいんだな。これで。
楽しみだ。
絵を描くことを、仕事にしてみるのが……不安で、怖くて、自信も無いけれど。それでも、楽しみ、なんだ。
それから僕は、布団に潜り込んで、眠ろうとした。けれど、目が冴えてしまって眠れなかった。
だって、絵師になってしまった。僕、絵を描くことを仕事にする人になってしまった。
楽しみで、不安で、怖くて、すごく楽しみだ。心臓がずっと早めに動いているのを感じながら……僕はそのまま、朝を迎えた。うん。だって眠れなかった。しょうがない。
窓から差し込む光は、随分と明るい。朝陽に照らされて、全部が金色に、或いは眩しくて柔らかい黄色に染まっていく。
それを見て、僕は……ヒヨコ色だな、と、思った。ヒヨコフェニックスは夕陽みたいなオレンジだけれど、そうじゃない普通のヒヨコの色。
「ヒヨコ色だ……」
僕がそう呟いたら、隣のベッドで寝ていたラオクレスが身じろぎした。
「……起きたのか」
どうやら、起こしてしまったらしい。ごめん。
「ええと、寝てない」
ラオクレスは僕を見て訝し気だったけれど……僕は、少し眠たげなラオクレスの目を見て、思わず笑ってしまった。
起きている時は冬の朝陽の色に見えて、戦う時には雷めいて見えすらしたそれが、少し眠たげな今、どうにも……別の色に見える。
彼の目の中に収まっている色って、朝陽の色で、雷の色で……ヒヨコの色だ!
「ヒヨコ色だ……!」
「ヒヨコ?……何の話だ?」
ラオクレスは訝し気な顔をしていたけれど、僕があんまり楽しそうにしていたからか、そのうちつられて小さく笑い始めた。
徹夜明けの妙に高揚した気分も合わせて、僕はなんだか幸福感でいっぱいになってくる。
窓に近づけば、一面ヒヨコ色の景色が見えた。
多分僕は、この先一生、この景色を忘れないだろう。僕の、出発する日の朝の景色だから。きっと、元の世界に帰らなきゃいけない日が来たとしても、忘れない。ずっと。
ヒヨコ色の朝陽に輝く世界は優しい色合いで、それでいて眩しい。生まれたてのヒヨコみたいな景色だ。
「ヒヨコ色、か。確かに今、お前がヒヨコ色に見える」
そしてどうやら、窓に近づいた僕もまた、朝陽の色に染まってヒヨコ色、らしい。ラオクレスが笑っている。
……ある意味、僕は今、生まれたてのヒヨコみたいなものだから、この色合いは非常に相応しい、のかもしれない。
それから僕は、フェイのお父さんに対して、正式に書類のやり取りをして……レッドガルド家のお抱え絵師、という、大層な役職に就いてしまった。
……緊張する。けれど、やっぱり楽しみでもある。やってやるぞ、と。
「では、トウゴ君。早速、絵を依頼したいのだが」
「はい」
「最初の依頼は、レッドガルド家の肖像画をお願いしたい。一家揃った肖像画が1枚も無いのでね」
……どうやら僕は、早速、好きなものを描かせてもらえるらしい。
幸せなことだ。本当に。
……という依頼を受けたのだけれど、一度、森へ帰ることにした。
画材が森に置きっぱなしだし、それに……こっちのモデルは、期間限定なので。そこはフェイ達に申し訳ないけれど、こっちを先にさせてもらうことにした。
「私達の絵を描いてくれるの!?わあ、すごく楽しみだわ!」
「本当に私も入っていいのか?」
「はい」
……お礼を貰う、ということで、早速インターリアさんとカーネリアちゃんをモデルにさせてもらって、描く。
楽しいなあ。すごく楽しい。
カーネリアちゃんはあまり長い時間じっとしていられないから、適度に休憩を挟みながら描く。
そして、そんなモデル達の休憩中。
「……私は『絵のモデルになれ』と言われた時、裸婦画でも描かれるのかと思ったが」
「えっ」
インターリアさんに、とんでもないことを言われた。
裸婦画。ラフ画じゃなくて、多分、裸婦画。
……駄目だ、考えたら駄目だ。駄目なやつ。
「ははは。その様子では、まるで頭に無かったらしいな!」
「はい……」
ラオクレスを買ってきた時に、そういう女の人達も居たけれど……裸婦画は、うん、ええと、もうちょっと後で……。いつかは練習してみたいけれど、その、うーん、筋肉の方を先回しにさせてほしい……。
「だが、まあ、トウゴ殿がこういった御仁でよかった。鎧も服も脱げ、と言われたら、流石の恩人の言葉でも抵抗があった」
「言いません、そんなこと」
裸婦画のモデルにしていいのは、ヌードモデルさんだけだ。ちゃんとそういう職業の人じゃなきゃ、駄目だと思う。
「そうか。まあ、言われれば抵抗があろうが従うが」
……あの、ええと、そういうこと、言わないでほしい……。
なんだかそんな調子で休憩が明ける頃。
「どうも、王都の方では流行しているらしいな。全く以て意味が分からんが」
「え?流行?」
唐突に言われて、咄嗟に頭が回らない。
そんな僕にインターリアさんは快活に笑って、言った。
「裸婦画が」
……うん。
ええと……その流行、こっちの方にも、来ますか?