青色の世界を眺めて*3
それから、翌日。
翌日も学校は入試関係でお休みなので、僕はカフェのマスターにお約束の魔王をお届け。
焦げついた鍋も魔王にかかればあっという間にぴかぴかだ。そのご褒美っていうことでカフェのバスク風チーズケーキをご馳走してもらって、魔王はとってもご機嫌だった。まおんまおん、と嬉しそうに鳴く魔王を撫でつつ、カフェのマスターもにこにこ。
そして魔王と一緒に近所を少し散歩したら、僕はまた向こうの世界へ渡って……。
「あっ、トウゴ!ちょっと見てよ。これ、結構上手く描けたの!」
そこで、泉の前にキャンバスを出していたライラと行き会う。ライラは僕を見つけるとすぐ引っ張っていって、キャンバスを見せてくれた。
……筆遣いが面白い絵だった。筆のタッチで水面の様子が表現されていたり、水面の影が落ちた水底が描いてあったり。
「中々いいね」
「でしょ」
ライラはこういう風に、筆遣いを表現に取り入れるのがすごく上手だ。勿論、デッサンとかもずっと練習していた分、上手なんだけれど。けれどやっぱり、彼女の持ち味は大胆さとか、自然なかんじの美しさなんだよ。
「魔法画だとこういう筆致まで表現するのが結構難しいから……どうしても、変に整ったかんじになっちゃうんだよな」
「あー、分かる分かる。綺麗に滑らかな油彩の表面、みたいなかんじにはできるけど、大胆なかんじって魔法画だとやりにくいのよね」
そうそう。なのでライラのこういう絵にはちょっと憧れるものがある。……ちょっと嫉妬してるかもしれない。
それから僕は魔法画で昨日見た美しい光景を描き続けていたし、ライラは油彩で水の中の光景を描いていた。
「ふふふ……やっぱりいいと思ったのよね。この、水の奥の方の表現には沈殿藍から作った絵の具がいいと思ったの!」
「いいなあ。魔法画が終わったら僕も水彩、出そうかな。ライラに貰った沈殿藍、まだあるからそれ、使いたいな。濃い藍色も、薄めて浅葱色っぽくしても、きっと水の表現にいいと思う」
「そうね。藍の生の葉からとった色みたいなのもいいかも。あー、私もやりたくなってきちゃった。これが終わったら私も水彩にするわ」
描いても描いても描き足りない。描いて描いて、描いてはお互いに見せ合ったり、僕らを見に来た先生に見せてみたり、遊びに来たフェイに見せたり、最近『お姉さん』としてちょっと大人っぽくなってきたカーネリアちゃんに『これ、お家に飾りたいわ!』と言ってもらえたり。
水を通って青色以外が削り落とされた光。水の流れに晒されて凹凸模様がついた砂。しなやかに泳ぐ魚の銀色に光る鱗。……そういったものを思い出しながら描いていくと、昨日の水族館での興奮が蘇ってくる。僕ら、1度で2度美味しい得な性分だなあ、と思う。
……そうして、僕はライラの筆致から存分に学ばせてもらったし、ライラは僕の魔法画を見て記憶を補填していたようだし、お互いに得るものがある一日となった。
そうそう。それから、思い出したものがあったので、ライラに聞いてみる。
「ところで、ライラ。君、美術部に遊びに来ない?」
そういえば重垣さんがそういうことを言っていたなあ、と思い出したので。それに、ライラももしかしたら、美術部に興味があるかもしれないので。
「えっ。部外者が入っていいの?学校って」
「ラオクレスが入った時には『美術部から正式にお招きしたモデルさんです』っていうことで通ったので、ラオクレスかクロアさんと一緒についてくればいけると思う」
僕が答えると、ライラは考え込んで……。
「興味は、あるのよね。いや、あんたの話を聞いてる限り、あんた程絵を描いてる人、居なさそうだけど。それでも、どんなものか見に行ってみたいし……その、あんたがどういう風に生活してるのかも、興味ないわけじゃないのよね。ほら、異世界ってどういう風になってるのか、まるで分からないしさ」
成程。ライラにとっては異世界見学と美術部見学をセットで、っていうことになるのか。『学校』って、こっちの世界からすると結構不思議な場所だろうし。
「そういうことなら是非、行こうよ。それで、一緒にラオクレス写生会、やろう」
「……異世界に行って描くものがラオクレス、ってのもどうかと思うけど、まあ、それはそれで新鮮かもね。いいわ。是非、連れてってよ」
よし。ライラも乗り気なようなので、僕は早速、次の部活の日にライラとラオクレスを連れていくことにした。明日、学校に行ったら美術部の人達に相談してみよう……。
……そして。
「ラズワルドさん!いらっしゃーい!やった、本当に来てくれたんだ!嬉しい!」
「お邪魔します。今日はよろしくね」
「やったー!オリエンスさんも来てくれたんですか!生ける石膏像!生ける石膏像!」
「それはトウゴから聞いた呼称か……?」
僕とライラとラオクレス。その3人で高校の美術室へと入ると、美術部の人達から猛烈な歓迎を受けた。なんだか嬉しい。
そして、ラオクレスにモデルになってもらって、人物デッサンの練習をする。……美術室の箱椅子をぐるりと半円状に並べて、その中心にラオクレスが座る。そのラオクレスを皆で囲んでそれぞれの角度からデッサンする、っていうことになる。
前回、ラオクレスを描かせてもらった時にはコートとジャケットを脱いでもらった状態でだったのだけれど、今回はシャツも脱いでもらった。
ラオクレス自身としては『若い娘達も居るのに、見苦しいものを見せていいのか』と躊躇っていたのだけれど、むしろその若い娘達が『見たい!描きたい!』って主張していたので、シャツも脱いでくれました。あ、当然だけれどズボンはそのままだよ。
ラオクレスがシャツを脱いだ途端、歓声が上がってた。そりゃあそうだろう。見てください、この石膏像ぶり!いや、石膏像より綺麗な凹凸、肌の張り!がっしりした骨格もそこにがっちりと乗った筋肉も、全てが描くにあたって最高のモデルなんだ!
筋肉の様子が分かると、やっぱり描きごたえが全然違う。僕もライラも美術部員の人達も、大興奮の後は真剣だ。そしてラオクレスは見つめられて描かれつつ、じっと動かずにいてくれる。うーん、実にいい石膏像だ……。
……彼がこういう風に全く動かずにいてくれるようになったのは僕がモデルをお願いし続けたからだよな、と思うと、その……な、なんだろう。ちょっとだけ、何か、むくむくと嬉しいような気持ちが湧いてきてしまう。このモデルさんは僕が育てました、みたいな……このモデルさんは僕がモデルさんにしました、みたいな……うん。
そうして完全下校時刻までラオクレスを描いた僕らは、急いで片付け。ラオクレスを描いていると時間を忘れてしまうね。
片付けしつつ、ライラは女子達に囲まれて色々と話しているらしかった。僕はそれを横目に椅子を片付けて、机を戻す。明日もこの教室で授業があるので、このままっていうわけにはいかない。
「なーなー、上空ー」
そうして椅子を運んでいたら、美術部の男子が話しかけてきた。
「ライラさんってお前の彼女?」
……またこの話かあ、と思いつつ、ライラに言われていた通り、きっぱり否定する。
「ええとね、ライラはただの友達なので……」
ひとまずこれで誤解は招かないだろう、という答えを出して……答えてから、その、自分で首を傾げる。あれ、ええと、ちょっと待ってね。
「……いや、ただの、っていうのは、なんか違うか。ええとね……すごく大切な、友達。うん。そんなかんじ」
自分の中で言葉がまとまったのでそう答えると、話しかけてきた男子部員は、ほー、なんて言いつつ、ちら、とライラの方を見る。僕も一緒になってついライラの方を見ると、ライラは僕らの視線に気づいて、軽く手を振ってくれた。僕も振り返す。
そんなやりとりの後、男子部員は僕を見て……何か納得したように頷いてくれた。うん。伝わったみたいでよかったです。
……そうして。僕らは並んで帰る。
「結構楽しかったわ。そっか、こっちの世界の学校って、あんなかんじなのね」
ほくほくしたライラの感想を聞きつつ、僕は頷いて返す。
「うん。あんなかんじ。……向こうの学校はどんなかんじ?」
「まあ、ソレイラの学校と同じようなかんじ。けれど、あんたの齢で学校に行けるのは貴族ぐらいなもんよね。私は高等学校なんて行けなかったからなあ」
……ああ、成程。そっか。ライラは一般教養以上のものを学べる環境になかった、んだもんなあ。……ライラと話していて学が無いと思ったこと、無いから。そういうのすぐ忘れてしまう。
「ま、貴族の家で働いてたからね。色々と学べはしたわよ。家庭教師さんに色々教えてもらってさ。まー、真面目な生徒だったもんだから、その家の子供よりも私の方がかわいがられてたわね!」
あ、成程。まあライラは強かなのでそういう風に学んでいた、と。うーん、流石だ。彼女のこういうところ、格好いいと思うよ。
「ねえ、ラオクレスは?学校とか、行ってた?」
「そんな余裕は無かったな」
そして僕らに挟まれつつ歩くラオクレスは、そう言って思い出すように虚空を見つめる。
「ライラのように町の学校に行っていたわけでもない。騎士見習いになる前は住み込みで働くか、日雇いで働くか、喧嘩に明け暮れるか……そういった生活だったからな」
……ラオクレスの幼少期ってどんな具合だったんだろう。気になってきた。当時から石膏像だったっていうわけじゃなさそうだけれど、騎士見習いとしてスカウトされるぐらいだったんだから、当時から既に強かったんだろうなあ、と思う。
「まあ、俺も文字の読み書きは先輩方やお館様から教えて頂いていたのでな。最低限のことはできるようになったが。当時からソレイラの学校のような場所があれば、もう少し学のある人間になっていたのかもしれん」
「ラオクレスに学が無いって思ったこと、ないけどなあ……」
ラオクレスは勉強をあまりしてこなかったことをちょっと気にしている、らしい。時々彼からそういうこと、聞く。でもそれを恥ずかしく思うことなんてないと思うんだけどな。学を補って余りあるものが彼にはあるわけだし。
「……まあ、そういうわけで俺は学校については知らん。むしろ、今、ソレイラの学校で『学校とはこういうものか』と俺が学んでいるようなものだ」
「成程」
ラオクレスが子供達に剣術や簡単な計算、文字の読み書きなんかを教えるために開いたソレイラの学校は、今、先生やリアンやカーネリアちゃんの助けもあって、段々学校っぽくなってきているところ、らしいよ。まあ、主に先生。何せ先生はこの森において暇を持て余しているので。
「えーと、向こうの世界の学校の様子、知ってる人は……森に居ないだろうか」
「それならフェイ様は学校にいらっしゃったんじゃなかった?王都の王立学園だっけ。まあ、あそこは貴族の子弟のための学校だし、貴族ならあそこで学んでいて当然、みたいなとこあるみたいだけど」
「それからルギュロスだな。あいつもフェイと同じ学園に居たらしい」
ああ、そういえばそういう話、ちらっと出てきてたなあ。……ルギュロスさんは学校の中でも話題の人だったんだっけ。なんかそういうことを聞いた。
「リアンとアンジェは今、ソレイラの学校に通っているだけよね。カーネリアちゃんは……家庭教師だったのかな。外に出られる環境じゃなかったんでしょ?」
うん。カーネリアちゃんは多分、家庭教師。或いはインターリアさんが家庭教師をやってくれていたか。……ジオレン家の、居ないことになっている子、だったわけだから。学校には通えてないよね。
「ラージュ姫はどうなんだろ。王女様だし、専門の家庭教師がいっぱいついてたかもね」
「クロアは俺と似たようなものだろうな。まあ、あいつは俺とは違って学があるが……」
成程。……ということは、向こうの世界での小中学校にあたるものはソレイラの学校みたいなかんじで、高校は貴族のためのもの、みたいなかんじなのか。中々に興味深い……。
「何?興味あるの?」
「ええと、まあ、ちょっとは」
森の皆がこっちの世界に来てこっちの世界の文化に驚いているのを見ていたら、僕も向こうの世界の文化をもっと知りたくなってきてしまった、というか……うん、そんなかんじ。
「なら、フェイ様に聞いてみたら?ついでに私も聞かせてもらおうかな」
「うん。そうしてみる」
折角だし、フェイに向こうの世界を案内してもらうっていうのもいいかもしれない。向こうの世界も広くて美しいっていうのに、何だかんだ、レッドガルドの町と王都とゴルダぐらいしか観光らしい観光をしていないので……。
……ということで、森に帰ってみたところ。
「……トウゴぉ」
何故か、ちょっとぐったりしたようなフェイが、ハンモックの上で待っていた。
「どうしたの、フェイ」
「んー……」
フェイはのそのそ、と体を起こして……じっ、と僕を見つめる。
「あのよー……お前、パーティ、行かねえ?」
……なんか既視感のある問いだなあ、と思って、思い出す。そうそう、レッドドラゴンのお披露目をしろ、って王様から呼び出されたパーティがあったなあ。あの時には僕もフェイにくっついていって体調不良のふりをしたっけ。ああ、あと、王城に飾ってある絵画を見て感銘を受けた。うん。そんなかんじだった。
「……何の?」
ということでそう聞いてみる。またレッドドラゴンを狙う誰かが居るんだろうか、なんて思いつつ。……すると。
「俺の同窓会……」
そういう答えが返ってきた。
「ど、同窓会……?」
同窓会、っていうと、学友同士の集まり、だよね?……なのに、なんでかフェイが、ものすごく悲壮な顔をしている!な、なんでだ!?