青色の世界を眺めて*1
水族館。
これって、動物園よりも更に『異世界っぽい』かな、と思うんだよ。
透明で頑丈なアクリルの水槽も、数々の魚を飼育する技術も、全ては僕らの世界の研究の賜物だ。こっちの世界では中々再現できないだろうし……そもそも、この世界のこの国って、近場に海の類、無いみたいなので。魚を見て楽しむ、っていう文化もほとんどないみたいだし。
だからこそ水族館。この世界には無い風景を見せたいな、と思ったから、ライラを水族館に誘った。
「水の中の世界を見て、描いてみない?」
「へえ。面白そうじゃない。……それにしてもこの絵、本当にすごいわね」
「絵じゃなくて写真なんだけどね」
ライラは水族館のパンフレットを見ながら、へえ、と目を円くしている。透き通った青色の世界に銀の魚の群れが泳ぐ写真は、ライラから見たらものすごくリアルな絵、っていうことになるのかな。
「でもいいの?誘うの私で。フェイ様あたりも興味を持ちそうだけど」
「うん。フェイはまた今度、別の時に一緒に行こうと思ってる」
ライラは首を傾げていたのだけれど……僕を見て、何かピンときたような、悪戯っぽい顔でにやりと笑う。
「……あ、分かった。あんたさ、描きたいんでしょ」
「うん」
……そう。今回ライラを誘うのは、一緒に絵を描いてくれる人だからだ。
僕、偶々学校に来ていた水族館のパンフレットを見て、描きたい、と思っちゃったんだよ……。
「あーあ。やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ」
ライラは『やれやれ』みたいな顔をしているけれどさ。でも、僕は知ってるんだからな。
「でも、ライラだって描きたいでしょ?」
「……まあね」
僕だってそうだけれど、ライラだって描きたがりなんだよ。この通り!
と、いうことで。
「へー。これがあんたの世界の服なのね」
「うん。ごく普通なかんじ」
ライラは臙脂のスカートに黒のタイツにヒール無しのショートブーツ。あとはオフホワイトのシャツに紺のセーター、そして紺のダッフルコート、という恰好。そして僕も似たり寄ったり。通学に使っている紺のコートとスニーカー、黒いズボンに白いシャツとグレーのセーター。うん。似たり寄ったりだ。
「なんだか2人とも可愛いわねえ」
そしてそんな僕らを見て、クロアさんがなんだか楽しそうにしている。なんでだ。
「あら。ライラはちょっとおめかし?」
「……こういう機会でもないと使わないんだもの」
クロアさんがちょこん、とつついたのは、ライラのポニーテールの結び目にくっついている髪留めだ。刺繍が入ったリボンに銅色の金属細工と藍色の飾り石が付いたやつ。……僕がライラにプレゼントしたやつだ。『これ着けてっても変じゃない?』と事前に聞かれてたので、ライラがこれをつけてくるのは知ってた。
「楽しんでいらっしゃいね」
「ありがとう、クロアさん!いってきまーす!」
「行ってきまーす!」
……ということで僕らは『門』を通って僕の世界へ。先生の家に到着して、そこでライラが『全然明るさが変化しない照明!すごい!これがあったら夜に絵を描く時も安定した視界が得られる!』って大興奮。そこかあ。
そういえばあんまり深く考えたことなかったけれど、照明って絵を描くにはものすごく大事な要素だった。だからライラの家を造る時も、絵を描く部屋は半地下にして、魔石ランプの明かりを備え付けにしておいたけれど……魔石ランプも、蝋燭ほどじゃないけれど多少は明滅するので。特に、質の低い魔石を使うとそう。
「いいなあ、このランプ。欲しいわあ……」
「魔石ランプにいい魔石入れればいいのに」
「それはなんか勿体ないのよ!あんたねえ、平気で宝石を火にくべられるってどういう神経してんの!」
……まあ、ライラの言うことも分からないでもないんだけれどさ。けれど、森の『質のいい魔石』ってつまり、僕が描いて出したものなので。僕からしてみたら、まあ、そんなに大した価値のあるものでもないんだけれどなあ。むしろ、自分で生み出したものがランプの燃料になるのって、ちょっとわくわくしない?
でもまあ、ライラが気にするんだったら、LEDのランプか何か、買っていってもいいかもしれない。多分、ライラのことだから小さい奴で十分に満足しちゃうんだろうけれどさ……。
ランプはさて置き、まずはカフェへ。朝ご飯兼昼ご飯、合わせてあひるご飯、を食べてから水族館に行く予定。
「こんにちは」
「いらっしゃい!今日はどんなお友達をつれてきてくれたのかな?」
カフェのマスターはいつもの如く、笑顔で僕らを迎えてくれた。ついこの間までクロアさんとラオクレスがここをよく利用していたなあ。
「ええと、彼女はライラ・ラズワルド。絵描き仲間なんです」
「あの、初めまして……」
ライラは若干人見知りしているのか、ちょっと大人しい。彼女にとっては初めて異世界で出会う異世界人だもんね。
「おや。これは可愛らしいお嬢さんだ。ようこそ、いらっしゃい。いつもの席へどうぞ」
カフェのマスターはにこにこしながらライラと握手して、それから僕らをいつもの席……店の奥の2人席に案内してくれた。
そこで僕らはデミグラスソースのオムライスとバニラのムースっていうお昼ご飯を食べつつ、暇になってやってきたマスターとちょっとお話ししつつ楽しく美味しく過ごして……それから、マスターから『最近またお鍋をやっちゃったので是非あの素敵な猫さんのお力を借りたい』という要請を貰って、明日魔王を連れてくる約束をしつつ……。
「よし!じゃあ行こうか!」
「……で、でんしゃ、っていうんだったわよね?それに乗るのよね?」
妙に緊張しているライラを連れて、僕らは出発。……森の他の皆が結構思い切りのいい人達なので忘れがちだけれど、本来ならライラみたいな反応が正しいんだろうなあ。
ライラが車を見て『うわっ』みたいな顔をするのを見つつ、僕は車道側でできるだけライラを安心させるように歩きつつ……駅へ着いたら着いたで、ライラは駅の人の多さにも驚いていたし、ICカードにもびっくりしていたし、自動改札がパタパタ動くのを見てまたびっくりしていたし……。
……更に電車がやってきてこれまた驚いていたので、何と言うか、僕としても新鮮だ。
というか……フェイもラオクレスもクロアさんも、驚かなさすぎなんだよなあ、あの人達。
驚くばかりのライラだったけれど、電車の中で座席に座ったら『ん!座り心地がいい!しかも足元があったかい!』と、ちょっと落ち着いてきた。そうだね。日本の電車は足元がヒーターであったかいから、すごくいいよね。僕も好きだよ、冬に味わう電車の座席のぬくもり。
電車が駅に到着するたびに『流れる音楽が違うのね』とライラは妙に感心したり、電車の中の広告を見て『すごく綺麗ね……』と見惚れてみたり、車窓の外で流れていく風景を見て異世界情緒を感じていたり……。存分に異世界の電車を楽しんでもらった。
まあ、そういう風にして目的の駅に到着したら、僕らは下車して、またICカードでピッ、とやって自動改札を出て、早速水族館へ。
その途中、ライラが興味を持った点字ブロックについて説明したり、街路樹の名前を説明したりしながら進んで……そして。
「うわあ、ここかあ……」
目の前に現れた水族館に、ライラは、ほう、とため息を吐く。
「……つくづく、この世界って巨大な建造物、多いわよね。全部お城じゃないのよ、これ」
「ああ、そっか。そう言われてみるとそうだなあ……」
……ライラとしては、建造物の大きさが気になるらしい。確かに街中だと高層ビルばかりだし、そうでなくとも大きな建造物、多いよね。向こうの世界とは全然違うか。
「あんたが森のイベント会場を建設した時もびっくりしたけどさ……そっか。あんたにとってはこのくらいの大きさの建造物、結構当たり前なのね」
「まあ、うん」
ライラはまたしても異世界情緒を感じたらしく、なにやらメモを取っている。真面目だなあ、彼女。
館内に入ると途端に暗くなる。美術館みたいね、とライラが感心したように言った。確かにそんなかんじかも。
既に深海を思わせるような静謐さと薄暗さとを漂わせているエントランスホールで僕らはチケットを購入。……高校に割引券が届いていたからそれを使わせてもらって、2人分、安めに入場。ありがたいなあ。
「じゃあ、行こうか」
暗いから足元に気を付けてね、ということでライラを案内しつつ、早速展示スペースへ。
……そして、展示スペースへ進んだ途端、僕らは青色に包まれた。
「わあ……!」
ライラが、思わず、といった様子で歓声を上げる。僕らの目の前には、天井まで届くような巨大な水槽。上の方から降り注ぐ光が水面で反射して、見上げればきらきらと眩しい。水底の砂の上、網目のように落ちる水面の影も、青色の中を自由に泳ぎ回る銀の魚の群れも、全てが非日常の光景だ。
水族館、というものの存在を知っている僕からしてみても、この光景は美しい。そして水族館どころか海だってまともに見たことのないライラからしてみたら……とんでもない衝撃だった、らしい。
「……綺麗ね」
じっと水槽の中を見つめて、水を通した薄青い光に照らされて、ライラの横顔もまた、海の底を思わせる静謐さを湛えていた。藍色の瞳が瞬きも忘れて水底の世界へ向けられているのを見て……綺麗だなあ、と思う。
「うん。すごく、綺麗だ……」
なんとなく恥ずかしいような気持ちになりつつ、僕もまた、水槽へ目を向けた。光と影のコントラスト。水の揺らめき。動き回る魚の鱗の煌めきの1つ1つを観察して……そして。
「……描きたい」
「そうね……すごく、すごく描きたいわ、これ……」
……僕らは揃って、そういう結論に達しました。
いや、だって僕ら、絵描きなので……。
入り口近くの水槽の前でずっと立ち止まっていると他のお客さんの迷惑になってしまうので、もうちょっと奥の方へ移動していく。いや、まあ、今日は僕が臨時休校なだけで、普通の平日だからそんなにはお客さん、居ないんだけれどね。
次々に色々な魚が現れる水槽の並びをゆっくりゆっくり眺めて歩いて、『これを描くなら油彩のタッチで描きたい』『ああ、分かる分かる』とか、『水と光って最高のモチーフよね』『分かる分かる』とか、『この魚デッサン狂ってない?』『いや、カレイはこれで合ってます』とか、ひそひそ話しながら進んでいく。
絵を描くのは、もうちょっと先。事前にパンフレットから分かる程度のところまでは調べてあるのだけれど……この先に、開けた場所にある巨大水槽があるらしいので。そこが休憩スペースを兼ねているらしいから、そこで絵を描かせてもらおうかな、と思ってる。
「ちょっとメモだけさせて!」
「分かった。僕も僕も」
……けれど、A5サイズのミニノートにちょっと魚のスケッチをするくらいなら、立ちながらでもできるので。
他のお客さんの邪魔にならないように気をつけながら、ちょこちょこ描きつつ、僕らは進んでいった。
水槽の展示はやがて、深海の方から浅瀬の海へと変わっていく。……そこの水槽の1つが目に入ってきて、僕は思わずライラを引っ張っていく。
「ねえ見て。これちょっとライラっぽい」
……ウニの水槽を見せたら、ライラはちょっと不思議そうな顔をする。いや、つんつんしてるかんじがなんとなく。
「……ツンツンしてるって言いたいの?」
「うん。あと、食事風景がちょっとかわいい」
……そして、水槽の中ではウニが丁度、ご飯を食べているところだった。海藻を食べているウニはなんだか妙に可愛らしい。
「どう?」
「……ちょっと可愛いじゃないのよ」
「でしょ」
なんとなく、こういうところも含めてライラに似てると思う。
「……じゃああんたはこっちかしら」
一頻りウニを観察した後、ライラが指さした先に居るのは、クラゲ。
「……ふわふわしてるって言いたいの?」
「そうよ。あと、ひらひらしてて綺麗よね」
クラゲはライトアップされつつ、ひらひらふわふわ、水槽の中を漂っている。半透明な生き物って、見ていて不思議なかんじだ。
「この色合い、あんたの羽に似てるわよね」
「ああ、成程……」
そっか。色合いは僕っぽいかもしれないなあ。成程。森と海って全然違うと思ったけれど、似ているところも無いわけじゃない……。
「……ちょっと親近感が湧いてきてしまった」
「ふふふ。よかったわね」
うん。まあ、『クラゲみたいな奴』って言われたらたいていの場合悪口だと思うけれど、でも、そういう意図を抜きにすれば、こういう綺麗な生き物に似ているって言われるのは、ちょっと嬉しい、かもしれない。
そうして僕らは展示を見ながら進んでいって、さあ、もうそろそろ絵を描けるスペースだぞ、というところで……。
「あれ?上空君?」
……後ろから声を掛けられて、びっくりして振り返る。
すると……そこには、見覚えのある顔が数名分。ええと、僕のクラスの人達。
……成程。彼らの出かける先も、水族館だったらしい。




