石膏像、異世界に立つ*4
ひゅっ、と僕の横を風が横切った。そして次の瞬間、稲妻のように速く鋭く、ラオクレスが動く。
相手を殴るでもなく、ただ正確にナイフを掴んだ手の手首を掴んで、ねじって、ナイフを取り落とさせたらそのまま腕を捻り上げて後ろに回させて……。
「他愛ないな」
冷静にそんな感想を言いつつ、通り魔の人を確保してしまった。流石、名誉石膏像だ!
ということで。
「この世界では捕まえた悪人を兵士詰め所に連れていく、っていう訳にも行かないから面倒よねえ」
僕らは、捕まえた通り魔の人の処理中。何と言っても、このまま警察に連れていってしまうとフェイ達のビザの話とかされてしまいそうなので。異世界人の滞在に関する法律は無いから、別に違法っていうことはないと思うんだけれどね。面倒っていうのは確かなので。
「ということで、あなたには自主的に警察へ行ってもらうことにしましょうか」
なので、この世界のことはこの世界の人の手でなんとかしてもらおう、ということになる。……具体的には、クロアさんの魅了の力の出番だ。
「さあ、私の目を見て……」
クロアさんはラオクレスに取り押さえられて暴れていた女性の前に立つと、女性の目を覗き込んでにっこり笑う。その途端、女性は暴れるのをやめて、じっと、クロアさんの目を見つめ返すようになる。……多分、クロアさんの翠の瞳に吸い寄せられるみたいに目が離せなくなってるんだ。あの感覚は僕も覚えてる。
「じゃあ、早速だけれど話してくれるかしら。あなた、どうしてトウゴ君を刺そうとしたの?」
そしてクロアさんに聞かれた女性は、すぐに話してくれた。
……子供が好きで刺してしまったというような内容だったのだけれど、正直なところあまりよく分からなかった。なんで好きなのに刺しちゃうんだろうか……。
更に色々とクロアさんが聞いては通り魔の女性が話すっていうのが続いたのだけれど、『見たり触ったりしたいし、それらの究極の形が刺すことだと思った。別に殺したいわけじゃない』というとんでもない供述が得られてしまったので、ますます分からなかった。こう考えるとあのストーカーの人はあんまり捻くれてなかったなあ……。
「……碌でもない人間が居たものだな」
そしてラオクレスはとんでもなく険しい表情で仁王立ちしている。いつにも増して石膏像……。
「つくづく、トウゴの身に何か起こる前でよかった」
「うん。ありがとう」
もうラオクレスが拘束していなくても、通り魔の女性は逃げ出さない。クロアさんにすっかり魅了されつつ、今は『刺したくなって刺しちゃったら単なる犯罪者でしょ』とお説教されているところなので。
「ま、これでひとまずは解決、だな!良かったなあ、トウゴぉ」
「うん。ありがとう」
フェイの言う通り、これでひとまずは解決。通学路に通り魔の人が居なくなれば僕は安心できるし、学校の他の人達も安全だし……。
「……む」
と、思っていたら。ラオクレスが一声、唸って……。
「そこか!」
すごい速さで駆けていったと思ったら、物陰に隠れていた人にタックルしながら捕まえていた。
……その人の手に、ギラリと煌めくナイフのようなものが見えた。うわあ。
……ということで。
「このままトウゴ置いといたら、どんどん犯罪者が釣れるなあ」
今、僕らの傍には犯罪者の皆さんが正座している。路地裏に犯罪者の人達が正座して並んでいる様子はとても異様なのだけれど……いや、でも、しょうがない。釣れちゃったんだからしょうがない!
「まさか指名手配の人まで釣れてしまうとは思わなかった……」
「……欲深く、人の道を外れた者にほど甘く香る、というのは本当だったらしいな」
そして、釣れちゃった中には交番や駅前の張り紙で見たことのある顔の人もいたものだから……その、大変なんだよ。でもそうだよね。ただの通り魔の人だって吸い寄せられてきたんだから、指名手配の人なんてもっと強く引き寄せられてくるよね……。
「……このまま町の治安のためにもう一仕事した方がいいかしら」
「そろそろ魔法を解け!これ以上トウゴが狙われたらたまらん!」
「あなたも結構過保護よねえ……」
適当なところで僕はようやく魔法を解いてもらって、普通の匂いに戻ることができた。よかった。
それから釣れちゃった人達には1人1人聞いて、僕以外の人に危害を加えたことがあるかをちゃんと聴取。もし僕が初犯だったら、魔法に引き寄せられたせいで犯罪に走っちゃったっていうだけだと考えられるので、そのまま釈放。
……逆に、僕以外の人に危害を加えたことがあるような人については。
「……ぞろぞろと交番に入っていく犯罪者達、っつーのはよお、なんか、こう……いい眺めだな!」
「ふふふ。そうねえ」
出頭してもらった。その、自ら交番に行ってくれれば、彼らの罪も多少は軽くなるかもしれないし。それでいて、ちゃんと罪を償うように処置してもらえるだろうし。地域の平和のためにも、申し訳ないけれど出頭してもらうことにしたんだよ。
「クロアさんの魅了ってちょっと怖いね……」
「あら、そう?」
「うん。すごく綺麗で、ちょっと怖い。そして頼もしい。そんなかんじ」
クロアさんの魅了の魔法で彼らは出頭する気になっているので、まあ、つまり、クロアさん様様、っていうことだ。こういうことができちゃうから、彼女の魔法はすごいんだよなあ……。
それから、指名手配犯の人については、僕が直接、別の交番へ連れていくことになった。ええと、その……浅ましいかもしれないけれど、その、指名手配犯の人を連れていくと、賞金が出る、ので。
手に入ったお金はフェイ達がこっちの世界で活動するための資金にさせてもらう予定だ。
そうして。
僕が通う学校がある町は何となく平和になって、僕もラオクレス達の護衛が無くても大丈夫なようになった。
僕は指名手配犯の人を交番に連れていったことで20万円をいただくことができたので、今後、フェイ達がこっちの世界で活動する時には当面、これを資金にさせてもらうことになった。よかった、よかった。魔王に掃除のアルバイトをさせるのも申し訳なかったので……。
「あれ、上空君、今日はお迎えの人、来ないの?」
色々あった数日後。そろそろ春の香りがしてきたかな、なんていうある日。僕が朝、登校すると美術部の子がそう、聞いてきた。
「あ、うん。通り魔の人も出頭したみたいだし、もう大丈夫かな、っていうことで」
「そっか、残念。目の保養だったのになー」
そうだろうなあ、と思いつつ、僕以外の人達もそう思うんだなあ、と思って嬉しくなる。
「特に、あの身長の高い人なんてすごかった!脱いだら筋肉すごいんだろうなー」
更に、美術部だからか、その子はそんなことを言ってくれた!そう!そうなんだよ!ラオクレスはすごいんだよ!
「うん。実際、すごいよ。あれは石膏像並みだよ」
「……見たことあるの!?」
「あ、うん。一緒に温泉に入ったことがあるのと……ええと、デッサンの練習台にさせてもらってるので」
ついつい自慢してしまったけれど、よく考えたら僕、結構不思議なことを言っていないだろうか。どういう繋がりかよく分からない人をデッサンの練習台にさせてもらっているっていうのは……しかも、ヌードデッサンみたいなことまでしている、というのは……こっちの世界からしてみると相当に不思議なことなのでは……!
「デッサンの……!」
……と思っていたら、彼女、目をきらきらさせ始めた。
あ、うん。成程ね。そうだよね。同じく美術を愛する者として、やっぱりラオクレスのデッサンには惹かれるものがあるよね。よし……。
「……お願いしてみようか?美術部のモデル、やってくれませんか、って……」
「いいの!?ほんとに!?いいの!?」
提案してみたら、ものすごい勢いで食いついてきたので、ああやっぱり、と嬉しくなる。
……自分と同じもので喜んでくれる人の存在って、いいよね。
そういうわけでラオクレスには一度、僕の高校に来てもらった。そこで美術部員の人達と僕に囲まれてデッサンされるラオクレスは、正に生ける石膏像!美術部の人達は『本職のモデルさんですか?全然動かないからびっくりした!』とか『シャツ越しでも分かるくらいすごい筋肉ですね!スポーツやってらっしゃるんですか?』とか、ラオクレスを質問攻めにしていた。
……ちなみにラオクレスは『職業柄、動かずにいるのは慣れている』とか『ある人の護衛をしている』とか答えていた。彼も彼で、『嘘は吐いていないけれど本当のこと全てを言っている訳じゃない』みたいなのが上手だからなあ。
まあ、こんな具合に、僕はラオクレスを存分に自慢して、美術部の人達は生の人間のデッサンができてほくほくしていて、何なら美術の先生すらいつのまにかデッサン大会に参加していて、一緒にほくほくしていて……。
「……こちらの世界は碌でもない人間ばかりなのかとも思ったが、そうでもないらしいな。まあ、当然なのかもしれないが」
帰り道。ラオクレスはそんなことを言っていた。
「お前のような子供達がたくさん居るのを見ると妙に安心する」
「そっか」
……どうやら、ラオクレスはこっちの世界が犯罪者だらけなんじゃないかと危惧していたらしい。まあ、彼が知っているこっち側の世界のことって、第一に、僕と先生が巻き込まれた事件のことだっただろうし、その次に今回のストーカーの人達の一連のあれこれがあったので……。
「こっちもね、悪いところじゃないんだよ」
「そうだな」
ラオクレスは少し笑って、僕の頭に手を乗せた。もさ、もさ、と撫でられて、ちょっとくすぐったい。
「向こうの世界とはあまりにも異なる場所で、未だに何が何やら分からんが……美しい、と思う」
「うん。僕もそう思うよ。綺麗なもの、たくさんあるよね」
「ああ。例えば……空に渡してあるあれは、何だ。ただの飾りではないだろう?」
「ああ……もしかして、電線と電柱のこと?ええとね、電気を運ぶためのもの。……向こうの世界風に言うと、魔力を伝達するための設備、っていうところだろうか」
どうやら、ラオクレスは電線と電柱が気に入ったらしい。分かる、分かる。僕も好きだよ。真っ黒な線で空が区切られている様子は、何もない空とはまた違って中々良いんだよ。
「実用と美しさが備わったものは好ましい」
「うん。そうだね。僕もそう思う」
実用美、っていうやつなのかな。電線と電柱。
まあ、実用美、というのならば、一番の実用美は僕の隣を歩いているのだけれど。
「……どうした。何か面白いことでもあったか」
「ううん。実用美だなあ、って思って」
ラオクレスの顔を見上げて、なんだか嬉しくなってきて、実用美の塊みたいな腕に掴まってみたりしつつ、僕らはのんびり歩いて、先生の家へと帰るのだった。
……そして、翌週の、ある日のこと。
僕はいつもより早い時間に帰り支度を始めていた。教科書を鞄に詰めて、机の中も横も空っぽにして、学校に置いておきたいものはちゃんとロッカーにしまって……。
何故こんなことをしているかっていうと、明日からこの学校、入試だから。私立高校なので公立よりもちょっと日程が早めなんだ。そういうわけで、僕らは明日、臨時休校。自分が受験生の時には嫌だった入試の日が在校生になった途端に嬉しい日になってしまうっていうのは面白いね。
それに、去年まではなんとなく、入試の日には自分の入試の時のことを思い出して必要もなく緊張したり、嫌な気分になったりしていたので……今回は記念すべき『臨時休校を楽しめるようになってから初めての臨時休校』。なので僕はちょっと、浮かれています。
「上空君!上空君も明日、一緒に来ない?」
「あ、ごめん。今回はパスで」
平日が休日になってしまうわけなので、クラスの人達はそこを狙って遊びに行くらしい。僕も誘われたけれど、詳細を聞くより先にお断りしてしまった。というのも……行きたい場所が、あるので。
……指名手配犯の人を警察に連れて行ったお陰で、僕の手元にはお金が入ってきたので。早速、それを異世界に還元しようと思うんだよ。
「ライラ!」
あっち側の世界に行ってすぐ、泉のほとりで藍染めの布を干していたライラに声を掛ける。
「何よ」
「絶対に君が気に入ると思う場所があるんだけれど。一緒に行かない?」
……僕は水族館のパンフレットを差し出して、ライラをきょとん、とさせることに成功した。




