石膏像、異世界に立つ*3
「最近多いんだってさ。通り魔刺傷事件」
「なんだと」
その日の帰り道。僕はラオクレスとクロアさんに迎えに来てもらいつつ、2人と歩いて帰る。
ちなみにフェイは今日はお休み。『今日中に漢字ドリルを終わらせてやるぜ!』って意気込んでいたので、多分、日本語の勉強中じゃないかな。勉強熱心で頭が下がるのだけれど、それはそれとして、なんとなくフェイから夏休みの宿題に向かう小学生みたいなものを感じてしまうのはなぜだろうか。
「通り魔で刺傷っていうことは、目的はお金なのかしら」
「うーん、そういうのって、刺すこと自体が目的じゃないかな」
僕の印象だと、こういう犯罪って、お金の為とかそういう現実的な目的のために行われない気がしている。なんとなく、とか、人を刺してみたかったから、とか、死にたかったから、とか、そういう抽象的かつ迷惑な事情で行う人が多いと思う。
「……目的もなく人を刺すのか。まるで理解できんな」
「そうだよね。まだ、強盗目的だっていう方が納得がいく」
……まあ、この世界はそういう世界なので。人を殺す目的で人を殺すことがあるので。まあ、そういうわけで。
「そういえば今日は2人とも、ちょっと地味な格好になってくれたんだね」
「ええ。昨日のアレは威嚇には丁度良かったんだけれどね。あんまりにも目立つものだから」
今日のクロアさんの恰好は、昨日の海外セレブではなくなっている。ヒール付きのショートブーツとツイード生地のスカート。リブ編みのセーター。そしてコートとマフラーで、更に長い髪は編み込んでキャスケット帽の中に隠してある。……海外セレブじゃなくなったけれど、『お忍びの海外セレブ』になってる。まあ、色味とかは大分目立たなくなったのだけれど。
そしてラオクレスは、黒のダウンジャケットとジーンズ、という格好になった。昨日の『如何にもボディガード』っていう恰好じゃなくて幾分ラフな恰好になった分、多少、目立たなくなった……いや、目立つけれど。目立つけれどさ!
と、いうことで、そんな2人組と一緒に歩いている僕はちょっと目立つのだろうなあ、と思いつつ、でも、昨日よりは幾分やりやすい。これなら単に、海外からやってきた友人を案内している場面だって言い逃れることができるだろう。
「お家に帰ったらフェイ君の恰好も見てあげてね。彼、面白がってたから」
……そしてどうやら、フェイも何か別の服に着替えているらしい。何だろう。ちょっと楽しみだなあ。
そのまま通り魔もストーカーも無く、無事に先生の家へ到着。……すると。
「お帰り、トウゴー!」
やってきたフェイは……なんと!浴衣に半纏姿だった!
「わ、どうしたの、その恰好」
「へへへ。ウヌキ先生に出してもらった!いいだろ!」
堂々と嬉しそうにしているフェイが着ているのは、生成りに緋色で紋様が染め抜いてある柄の浴衣だ。それに濃い臙脂の帯を締めて、その上に、ほわほわ暖かそうな、半纏。寒くないようにか、浴衣の下にはタートルネックのシャツを着てるらしい。脚も何か履いてるのかな。成程……。
「ウヌキ先生の家で野郎お泊り会やった時にさあ、こういう寝間着、貸してもらっただろ?あれがこの国の伝統的な服だって聞いたからよ、着てみたくってさ」
「成程。いいね。似合う」
「へへへ、そうか?」
フェイがにこにこしているのを見ていると、なんだか僕も嬉しくなってくる。……ついでに描きたくなってきた。
ということで早速、描かせてもらう。スケッチブックを出した瞬間にフェイは気づいて手近なソファに座ってくれたので、なんというか……その、僕は本当にいい親友を持ちました!
そうしてフェイを一頻り描いて、クロアさんとラオクレスも描いて、満足したところで。
「へー、通り魔」
今日聞いてきた話をちょっとしてみることにした。そうなんだよ、通り魔なんだよ。
「そういう奴がこの辺りをうろついているってなると、いよいよトウゴが心配だよなあ」
「当面は俺が護衛する」
「だな。その方がいい。……ったく、碌でもねえ奴はどの世界にも居るんだなあ」
フェイはちょっと悲しそうな顔をしつつ、そう言ってお茶を飲む。浴衣に半纏の姿のフェイが湯飲みの緑茶を飲んでいると、その、結構面白い。
「碌でもない奴、となると、向こうの世界よりこっちの世界の方が多いと思うよ。なんとなく、だけどね」
そして僕としても、この世界にはちょっと嫌気がさしている部分があるので、まあ、こういう感想になってしまう。あんまりよくないかな、とは思うんだけれどね。この世界の好きなところが段々増えていく一方で、やっぱり悲しいことも嫌なことも沢山この世界にあるわけだから。
「……まあ、当面の間、トウゴ君は護衛付きで行き来した方がいいわね。何かあったら本当に大変だわ。……ああ、そうだ。フェニックスの涙、瓶詰にしておいてもらいましょうか。もし怪我をしてもすぐ治療できた方がいいでしょう?」
「そっか。そういえばそうだね」
フェニックスや鸞や鳳凰の涙を貰っておけば、刺されてしまっても治せるから。……刺される前提で行動したくは無いけれど、まあ、念には念を入れる、ということで。
「……或いは、通り魔とやらの犯人をさっさと捕まえてしまうか、だな」
更に、ラオクレスはそう言って難しい顔をする。……まあ、通り魔を捕まえる、って、相当難しいよね。だって、通りすがりに色々やるから通り魔なのであって、どこに出るかもどこに居るかもよく分からないんだから。だから流石に、犯人を捕まえてしまうっていうのは難しい……。
「クロア。何かいい知恵は無いか」
「そうねえ。一番手っ取り早いのは、犯人がどういう目的で通り魔をしているのか、っていうことを調べて……その上で、そういう方面に特化した誘惑の魔法を使いながら町を歩き回る、っていうやり方かしら」
……難しい、のだけれど。けれど、クロアさんにはそういうノウハウがあるらしかった。
「成程な。お前が囮、というわけか」
「そうね。まあ……場合によってはフェイ君やトウゴ君の方がいいかもしれないけれど。ああ、あなただけは絶対にないわ」
「……だろうな」
ラオクレスが囮になる場面がまるで想像できない。ラオクレスに誘惑の魔法をかけたところで、『よし、襲おう』と思う人はいないと思う。居たとしたら多分、とんでもないつわもの……。
「だが、俺はさておき、トウゴを囮にするというのは」
「僕、やってもいいよ」
ラオクレスは更に僕を心配し始めたのだけれど……でも、僕は別に、囮になるくらいならいいかな、と思ってる。
「だって、ラオクレスが護衛、してくれるんでしょう?」
僕の騎士様は、とても優秀なので!
……ということで。翌日。
「じゃあ、いくわよ、トウゴ君」
「よしきた」
昨日同様、校門の前まで迎えに来てくれたクロアさん達と合流したら、ちょっと目立たない路地裏へ入って……そこで、クロアさんに魔法をかけてもらう。
クロアさんは香水瓶を取り出して、ぷしゅ、と僕に向かって一吹きする。それから僕の頬をすり、と撫でると、きらきらした光がぽわ、と浮かんで、僕に擦り込まれていく。なんだかくすぐったい。
「はい、完成」
ちょっとくすぐったい時間が終わると、クロアさんはにっこりして僕の首筋のあたりに顔を寄せて、それから『ばっちり!』と嬉しそうに言った。ええと……?
「……んっ?なんかトウゴ、よーく炒めたたまねぎみてえな匂いするなあ。うまそー。……ん?キャラメルか?これ」
なんだろうなあ、と思っていたら、ふと、フェイがそんなことを言いだした。
「……微かに瑞々しい桃のような香りがするように思うが」
更に、ラオクレスがそんなことを言いつつ首を傾げている。や、やめてやめて。嗅がないで!
「ふふ。ばっちり成功してるみたいね」
「ねえ、クロアさん。これって何の魔法?美味しそうな匂いになる魔法なんだろうか」
「まあ、そうね」
僕を囮にするための魔法、っていうことは聞いているんだけれど、詳細はそういえば聞いていなかった。なので聞いてみると……。
「これはね。離れていても一定の範囲内なら、トウゴ君の匂いが分かる魔法なの。ついでに誘惑されて匂いに引き寄せられちゃう、っていうものよ」
……そ、それってつまり、僕は今、ものすごく臭う、っていうことだろうか!?どうしよう、困った……。
「大丈夫よ。魔法によるものだから。実際に匂いがするわけじゃないわ。匂うように感じるだけ。欲深い者ほど、甘ーく魅力的に、ね?」
クロアさんはそう言いつつ、ちら、とフェイとラオクレスを見て……。
「なのでね。ちょっとキャラメルみたいに感じるフェイ君も、ちょっと桃みたいに感じるラオクレスも、それなりの欲深さ、っていうことよ」
そ、そんなことを言った!な、なんてことを!
「ああ、大丈夫よ。2人とも、我を忘れてトウゴ君に襲い掛かったりしてないでしょう?人の道を外れてしまった者くらいしか誘惑されないように調整しておいたから」
「……成程な」
ラオクレスがものすごく渋い顔をしながら、そっと離れていく。大丈夫だよ、ラオクレスは人の道を外れてなんてないよ!
「もし通り魔さんが居るんだったら、ずっと遠くからでも魅力的な香りを感じ取るはず。抗えないくらいの甘ーい魅力に中てられて、フラフラ出てきてくれるでしょうね。……ふふ。一体、どんな香りに感じるのかしらね」
クロアさんは只々楽しそうにしているけれど……。
「……ちなみにクロアさんにはどういう風に感じるんでしょうか」
気になったので聞いてみると、クロアさんはきょとん、とする。
「私?私はね……」
……そして、とびきり魅力的な、甘い笑顔で言うんだよ。
「……バニラの香りをつけた甘ーいホットミルク、っていうかんじだわ」
な、成程!この中だとクロアさんが一番、欲深い……!
さて。
そういうわけで、妙に甘い匂いがすることになってしまった僕は、適当にその辺りをふらふら歩く。すれ違った人が『あれ、なんだかいい匂い』みたいな顔をするのがいたたまれない。うう、なんだか恥ずかしい……。
そして、そんな僕から離れて、3人もついてくる。3人がずっと一緒に居ると、流石に相手も襲ってこないだろうから、とのことだ。
……この辺りで起きている通り魔刺傷事件の被害者は、主に子供。小中学生がターゲットになっているらしいので、4人の中で一番若い僕が囮になっているんだけれど……本当にこれで、通り魔の人は来てくれるんだろうか。
そうして、夕方6時くらいになって、すっかり暗くなった道をふらふら歩いていたら。
向かいから、息を切らした女性が歩いてくる。……何だろう。電車の時間に間に合わせようとして走っていた、とかだろうか。
なんとなく珍しいような気分でその人をちらり、と見てみたら……。
……ギラリ、と。
その人の手の中で、ナイフが街灯に煌めいた。
……ひえっ。