たんぽぽが綿毛になるように*2
「で、何考えてたんだよ」
宿の設備でライラが淹れてくれたお茶のカップをそれぞれ持ちながら、ソファにぎゅうぎゅう固まって、お話し再開。……ルギュロスさんが『狭い。暑苦しい。なんだこいつらは』みたいな顔をしているけれど、立ち去ってしまわないところを見ると、別に嫌じゃないんだろうなあ。
「……伯父上について考えていた」
そしてルギュロスさん、色々と諦めたのか、そう話し始めてくれた。
「アージェントさんのこと?」
「ああ、そうだ。……まあ、幼少の頃から知る人だ。このようなことになり、何も思わない、というわけでは、ないのでな」
ルギュロスさんはそう言うと、珍しくちょっと悲し気な、傷ついたような顔をする。
「えーと、お前は分家の子だろ?で、アージェントさんは本家の家長で……まあ、親戚の子なんだから関わりはあるよなあ」
「そうだ。そして数名居るアージェント一族の若手の中で、私は頭一つ二つ飛びぬけた才を発揮していたからな。伯父上にも格別に目を掛けて頂いていた」
そういうことを自分でさらりと言ってしまえるところがルギュロスさんのすごいところだと思う。うん。嫌じゃないよ、こういうの。
「……何なら、伯父上は自分の子よりも私に目を掛けていたのではないかとすら思えることがあった。今思えば、私の思い上がりだったかもしれんが」
「いやー……どーだろ。俺、アージェント家の話を聞くにあたってさあ、アージェント自身の話はよく聞いたけど、その息子の話はほとんど聞いたことなかったんだよなあ。それってつまり、噂にならない程度の人ってことだろ?」
フェイがそう言うと、ルギュロスさんは『その通り』とばかりに頷いた。
「その点私は噂になることが多かったからな」
「あー、うん。学園でもお前の噂はよく聞いてたなあ。アージェントの分家の子息でなんかすげえのが居るってさ」
「お前の噂も聞いていたぞ。レッドガルドの次男はとんだ能無しだ、とな」
……ちょっとフェイが嫌そうな顔をした。珍しく。いや、でもこれはそういう顔になって当然のやつだと思う。ちょっと酷いと思ったので、ルギュロスさんの太腿のあたりをぐりぐりやっておいた。
「……まあ、その、なんだ。話が逸れたが、要は……私がアージェント一族において少々特殊な立ち位置にあったということだ」
ルギュロスさんとしても『言わなきゃよかった』ってちょっと思っているらしくて、気まずげに視線を彷徨わせながら話を戻した。後でちゃんと謝っておきなよ。
「能力はあると自負している。だが、所詮は分家の生まれだ。本家に跡取りが居る以上、私がアージェント家の先頭に立つことは無いはずだった。……だが、伯父上はあのような方だったからな。能力があるのに動く場がないのは惜しいとは思わないか、と、話を持ち掛けてきた」
「それが勇者として名乗りを上げるっていうことだったのか」
「ああ、そうだ」
フェイが口を利いてくれることにちょっと安心した様子のルギュロスさんは頷いて……そして、ため息を吐く。
「……確かに、分家の者にしかできないことではある。次期当主ではないから万一死んでも痛手ではない」
「それって……いや、何でもないわ。貴族の方々にはそういうの、あるものね」
ライラがちょっと口を挟みかけて、でも、やめた。……僕だって、ルギュロスさんが死んでしまうことが『痛手ではない』なんてもう思えないけれど、でも、まあ、彼らは彼らなりの価値観で動いている人達だっていうことは、もう知っているので。
「そうして私は『勇者』になったのだ。伯父上のお墨付きだ。何も問題なく、勇者として活動し、アージェント家の地位を盤石なものとし……王家からの分離か、王家の傀儡化もいずれは、と、考えていた。方策としては……まあ、よくある話だ。勇者と王女の婚姻は然程おかしなことではあるまい」
「ええええっ、ま、マジかぁ!?お前、ラージュ姫との結婚、狙ってたのか!?えええええ!?えええええええ!?」
「うるさい」
フェイがさっきのことなんてすっかり頭からすっぽ抜けてしまった様子で騒ぐと、ルギュロスさんが顔を顰めた。まあ、すぐ隣で騒がれるとうるさいというのは分かるけれども。でも僕も騒ぎたい気分だよ!
「……勘違いしないで貰おうか。私が言っているのは、政略としての婚姻だ。好意があるかと言われれば無いと答えよう。そもそも、第三王女を娶る必要もない。第二王女でも、何なら傍系でも何でもよかったのだぞ」
「うわあー……つくづくお前とラージュ姫が結婚するようなことにならなくてよか……いや、結婚してたらしてたで面白かったかもなあ」
「ラージュ姫のお尻に敷かれるルギュロスさんがなんとなく想像できるわ」
「描きたい」
……ルギュロスさんは言い訳した割に僕らの反応が反応だったからか、ぶすっとした顔になってしまった。まあ、あなたは人に失礼なことをよく言うので、その分くらいはちょっと失礼なことを言われて丁度いいと思うよ。
「……また話が逸れたが」
さて。一頻り『ルギュロスさんがいかにして尻に敷かれるか』の話をして盛り上がった僕らは、ルギュロスさんの話に戻された。ごめんごめん、つい盛り上がってしまった。
「まあ……私としては、伯父上個人に対して、まだ、その、割り切れない部分が、ある、らしい」
「そっかー。ま、そうだよなあ」
ルギュロスさんとしては口にするのに結構な勇気の要る言葉だっただろうなあ、というのが分かる。分かるからフェイはルギュロスさんの肩に腕を回しつつ頷いているし、ライラはルギュロスさんのカップにお茶を注ぎ足しているし、僕はできることは少ないけれど、とりあえずちゃんと、話を聞く。
「無論、今の伯父上に対して何を思っているかと問われれば、それは『裏切り者への感情に他ならない』ということになるがな。全く、人をよくもまあ、あっさりと捨て駒にしてくれたものだ」
ちょっとやさぐれたようなことを言って、ルギュロスさんはお茶のお礼を言ってからお茶のお代わりを飲み始めて……それからまた、複雑そうな顔をする。
「だが……少なくともそれまではずっと、実の子と同じように……或いは、実の子以上に目を掛けて頂いていたのだ。幼少のころからの思いがあるからか、その……」
「まあ、そうだよなあ。本当にアージェントのこと信頼してたから、一緒に行動してたんだもんなあ」
「……そうだな」
ルギュロスさんはそう言って、小さくため息を吐いた。
「おかしな話だ。奴はその行動を以てして、私のことなど捨て駒としか思っていないと証明した。にもかかわらず……私はどうにも、割り切れん。割り切れんようだと気づいたのも、つい最近だ」
そして、ちら、と僕とライラを見て、反対側のフェイも見て……ルギュロスさんは、深々と、ため息を吐いた。
「……ソレイラに来てから、私はおかしくなったらしい」
「つまり、ルギュロスさんは森っぽくなったということか」
「あー、最近、俺も思ってた。なんか森っぽくなったよなあ、お前」
「そうね。偶にみると表情がちょっと柔らかくなってきたなあ、ってかんじがしてたのよ」
僕ら3人、揃って納得。それにルギュロスさんは納得がいかないような顔をしていたけれど、でも、そうなんだよ。あなた、もう大分森っぽくなっているんだよ。
「……私としてはソレイラへ来たことを多少、後悔しないでもないのだが?」
「えー、そういうこと言うなよお。よかったじゃん。結果としてはそう悪くねえだろ?な?」
フェイはそう言いつつなんだか嬉しそうにルギュロスさんの肩に腕を回して、にこにこ。
「ソレイラに来て、俺達と出会えてさ。美味いもの食って、のんびりして……お前も結局は森暮らしになったし!な、悪いことばっかりじゃなかった!」
「……傲慢なことだな、レッドガルド。何故、お前達と出会えたことが『よかった』ことだなどと」
「だってそうだろー、俺達と一緒に居るの楽しいくせによぉー」
ぐりぐりぐり、とフェイがルギュロスさんを押す。ルギュロスさんは『狭い!』と文句を言ったけれど、反対側には僕が控えています。僕もぐりぐりぐり、とやって、押しくらまんじゅうの様相を呈してきたソファの上。
しばらく押しくらまんじゅうをして楽しんでから、ふと、気づいたことがあって僕はルギュロスさんの顔を見上げる。
「ねえ、ルギュロスさん。アージェントさんのことが割り切れなくなったっていうのはきっと、あなたが弱くなってしまったからとか、そういうことじゃなくて……ソレイラで色々と新しいことを知った結果、あなたに見える世界の解像度が上がったっていうことじゃないかな」
僕がそう言うと、ルギュロスさんは怪訝な顔をして、僕を見下ろして……。
「……かいぞうど、とは何だ?」
あ、今の、ラオクレスっぽいなあ……。いや、まあいいや。ええと、解説、解説。
「ええと、より細かく世界が見えるようになったんじゃないですか、っていうこと」
解像度、という言葉についてすごく簡単な説明をすると、ルギュロスさんは少し頷いて、続けろ、みたいな顔をした。なので続ける。
「知らないものは見えないんだ。雑草の名前を知らなければそれはただ、雑草としてしか目に映らないけれど、名前を知った途端、雑草の1つ1つがオオイヌノフグリやアメリカフウロになるし、鳥で言うならただの小鳥がスズメやオナガやコマツグミになるんだよ」
先生の受け売りだけれどね。でも、本当にそうなんだよ。存在を知っていれば世界が広がっていくっていうあの感覚。絵の知識があれば絵がより詳しく細かく見えてくるし、彫刻の知識があればやっぱりより詳しく細かく彫刻が見えてくるし……。
「ええと、だから……ルギュロスさんはソレイラで人と話すことが多くなって、その分、人の気持ちがよく見えるようになったのかな、って。そう思ったのだけれど……どう?」
いかがでしょう、とルギュロスさんに聞いてみると、ルギュロスさんは渋い顔で何やら考え込んで……答えた。
「……考えが読めなくなった。勘が鈍ったような、自分が愚鈍になったような……そんな感覚がある。ソレイラに来て少しした頃から、そうだ」
ぐ、ぐどん。……それは大変だ。いや、でも、そんなに愚鈍、っていうかんじ、ないけれどな。むしろ、ソレイラに来て少しした頃から、ルギュロスさんは少し丸くなってきた、というか、ええと……。
「ねえ、あのさ。それももしかしたら、能力より感性がちょっと先行しちゃってるってことなのかも」
僕が困っていたら、ライラがそう、言葉を挟んできた。
「私、絵を練習していて、定期的に『自分は絵が下手なんじゃないか』ってなることがあるのよ。伸び悩む、っていうか、腕が落ちたように思う、というか……うーん、上手く説明できないんだけれど」
ああ、それ、僕も分かる。時々、なることがあるよ。
「でもそれって、絵が下手になってるわけじゃなくて、絵を見る能力が絵を描く能力よりちょっと先行して成長しちゃってる、ってことなんだって。母さんが言ってたわ」
ライラはにっこり笑ってそう言って、ルギュロスさんを見つめる。……ルギュロスさんは大人しく頷きつつ聞いている。なんでか、ルギュロスさんはライラの言葉は割と素直に聞く気になるらしい。
「絵を見る能力が無ければ、自分の絵がそんなに下手じゃないように見えるのよね。でも実際はそうでもないわけでさ。だから……まあ、いいことなんじゃないかと思うのよね。自分が『下手になった』って感じるようになるのって、要は成長してるってことなんだからさ」
「そういうものか」
「ええ。私にとっては、ね。あなたにとってどうかは知らないけど」
ルギュロスさんは、成程な、なんて言いながらのんびりお茶を飲む。……やっぱりこの人、ライラの言うことは素直に聞く……あっ、もしかしてこれ、召喚獣として板についてきているっていうことじゃないだろうか!?
「……まあ、そういうわけで、もしかしたらアージェントさんに会いに行ったら、前とは違う感想になるかもよ」
「……そうだな」
結局、ルギュロスさんは何となく落ち着いたらしくて、お茶を飲みつつソファにもふんと沈み込んで、長く息を吐いた。
「明日、ちょっと楽しみだね」
「楽しみ、か。全く、暢気なものだな……」
「でもよー、そう思った方がよくねえ?緊張する、って思うよりも、楽しみ!って思ってた方が上手くいくだろ、色々と」
「……つくづく暢気だな、お前達は!」
そうです。僕ら、暢気です!……まあ、ルギュロスさんが緊張しているみたいだからさ。僕達が暢気でいることで、ちょっとバランスをとろうかと思うんだよ。どう?




