天使の彫刻*3
「なんかさ。もう、これって自分の体の一部みたいなもんっていうか……だから消すのがちょっと、抵抗ある、っていうか……」
リアンはぽつりぽつりと話し始めた。自分で自分の気持ちがよく分かっていなくて、とりあえず言葉を外に出すことで頭の中を整理しようっていうかんじの、正にそういう喋り方だ。
「鸞の涙で治せないって分かった時、なんだか嫌だったんだか、ほっとしたんだか、よく分からなかったんだ。なんだろう、何かは、思ったんだろうけれどさ」
「そういうの、あるよね」
頷きながら聞くと、リアンも「そうなんだよ」と頷き返して、それからまた、首を傾げつつ喋る。
「……うん。俺、多分、この傷がそんなに嫌、じゃない、んだと思う。多分」
リアンの指が、また彼の傷をなぞる。彼の傷は概ね、切り傷の痕か火傷の痕だ。……彼のお父さんによるものなのかな、ということは、分かる。
そして、彼はその傷を『そんなに嫌じゃない』と言っている。成程。確かに、リアンの反応を見ているとそんなかんじ、する。
「いや、その、勿論、他の人から見たらなんか嫌なんだろうな、っていうのは分かる。分かるよ。けど、そうじゃなくて……うーんと、自分としては、あんまり気にならない、っていうか……あって当たり前だっていうか、違和感が無い……?うーん、なんて言うんだろうな、これ」
リアンは首を傾げて唸り始めてしまった。行き詰まったかんじだなあ。
「……自分の一部、みたいなかんじ?」
そこでちょっと声を掛けてみると、リアンは目を瞬かせて、考え始めた。……そして。
「あ、うん……うん。多分、そう……なのかな?」
そんなことを言いつつ、納得したように頷いている。成程。傷は、彼の一部……。
「なあ、トウゴはどう思う?やっぱりこの傷、気持ち悪いよな」
それからリアンは、唐突にそんなことを聞いてきた。
「俺はさ、別に、気にならないっていうか。俺自身は、別にどうだっていいと思ってるんだけど……でも、他の人から見て、その人が嫌な気持ちになるのかな、っていう風には、思うからさ……」
「えーと……うーん?」
気持ち悪いよな、と同意を求められて、僕は咄嗟に答えが出せなかった。それは、リアンを気遣って、とか、そういうのじゃなくて……。
「気持ち悪い……とは、思わない、んだよ。うん。そうだ。僕、リアンの傷を見て、気持ち悪いとは、思わない、んだけれど……」
うーん。僕も壁に向かって話しかけたい気分になってきた。いや、でも、今は僕が壁役なので。なので自分の頭の中でなんとか言葉をまとめて……。
「……綺麗だと思う、のかも」
「……は?」
口に出した途端、リアンが呆れたような驚いたような声を上げた。いやいや、僕はちゃんと考えて結論を出したよ。
「なんだろう。滑らかに整えられたものだけが美しいっていうわけじゃないよね」
自分の考えの整理と同時にリアンへの説明を兼ねて、僕はもうちょっと言葉を重ねてみる。
「それから、人体の美しさ、みたいなものがある。うん。そう。彫刻とかを見ている感覚に近いのかも」
「ちょ、彫刻……?」
多分、リアンの頭の中にはラオクレスが居る。いや、彫刻って別に、筋骨隆々の男の人に限らないからね。
「あとね……傷を見て、リアンがどういう人なのか、ちょっと分かるから、かもしれない」
そして最後に、多分これが大きな理由だなあ、と思いながら、話す。
「傷ついても生きてる、強い人だって分かるから。だから、綺麗だと思うのかも」
僕が話すのを聞いて、リアンは目を瞬かせて、それからちょっとそっぽを向いて、そっか、とだけ言った。
ちょっと照れていて、ちょっと考えている。そういう顔だ。そんなリアンの顔をしばらく眺めて、それから、僕はちょっとまとめる。
「ええと……まあ、僕はこういう風に考えている、けれど。でも、リアンがさっき言ったように、気にする人はきっといる、とも思う。僕は気にしないしリアンも気にしないとしても気になる人がいて、そういう人が居るっていうことが気になるのだったら、傷を消すこともできるので……」
「いや、いい」
……けれど、僕が『もう少し考えてゆっくり結論を出せばいいよ』とか言おうと思ったその瞬間、リアンはそう、決断を下してしまった。
「……傷、消さないの?」
「うん。消さない。消さないことにした」
あまりにもあっさりとした決断に、僕としてはちょっと驚いている。けれど同時に、なんとなく『そうだろうなあ』っていう気も、しているんだよ。
「やっぱり俺、傷はこのままにしておくことにした。だって俺はこういう風に生きてきたんだ。それを無かったことになんてできねえし、したくもないしさ」
……リアンならこういう結論になるだろうな、っていう気は、してた。多分。
彼は彼の人生を、恨んではいないんだ。……酷い目に遭って、それでも。それでもきっと、今のリアンがあるのは、そういう経験も乗り越えてきたからなんだと、思うから。
「それに、トウゴは気にしないんだろ?ならいいよ。多分、トウゴが気にしないなら他の人達だって気にしねえよな」
「うん。特に、カーネリアちゃんは気にしないと思うよ」
「……べ、別にカーネリアは……いや、関係あるけどさ、そうじゃなくて……ああもう」
リアンはちょっと照れたような顔で僕の脇腹のあたりを強めにつついてきた。こらこら。
「……ちょっとだけ、アンジェが気にするんだ。それは申し訳ないな、って、思ってる」
「……そっか」
僕をつついていた手がちょっと止まって、ふと、リアンはそう零した。
……そっか。アンジェは確かに、気にしてる、のかもしれない。リアンの傷の中には、アンジェを庇って付いた傷もあるんじゃないかな。だって、ほら。アンジェには傷、特に無いみたいだし。……まじまじと確認したことは無いけれどね。いや、クロアさんやライラからそういう話は聞いたことがないので……!
「でも、まあ、だからこそこのままにしておいた方がいい気がするんだ。俺が怪我したのはアンジェのせいじゃねえし、俺はそれ、もう気にしてないんだって、アンジェにも分かってもらえたらいいな、って、思ってる」
「うん」
……けれど、リアンの傷をこのままにしておくことで、アンジェもいつか、前向きになれるといいな、と思う。彼らの人生、悪いことばっかりじゃなかったと思うから。
と、いうことで。
「ええと……あのな。俺、これは消さないことにした。ええと、今のところは。また気になるようになる時が来たら、その時はまた考えるかもしれないけれど」
リアンは鸞への説明会を開始した。
……対象はリアンの鸞。そしてアンジェの鸞とカーネリアちゃんのフェニックス。あと、僕の鳳凰。リアンの傷を治そうとしたことがある全ての鳥が対象です。
「痛みは無いんだ。ええと、今は。当時は痛かったけどさ、でもそれだけだし。今は元気だし。あ、でも、その、心配してくれたことは嬉しく思ってて……あっ、こらこら、くっつくなってば!」
説明会の途中で鸞がばたばた羽ばたきつつリアンにくっついて、そこにアンジェの鸞もフェニックスも鳳凰もくっついて鳥饅頭が形成されてしまったり、まあ、色々とアクシデントはあったけれど……鳥達はリアンがどういう気持ちでいるのかを聞いて、なんとなく、彼の考えを理解できたらしい。
そうして説明が終わった頃には鳥饅頭も解消されて、鳥4羽がゆったりと、僕のベッドの上でリアンと一緒にのんびりしている状態になった。
リアンの鸞は以前よりずっと大人しいやり方で、すり、とリアンの背中に頬ずりすると、それで満足したようで、もう、背中にぺったりくっつくようなことはしなかった。それを見て、リアンは嬉しそうに笑って、きゅ、と鸞を抱きしめた。鸞の滑らかな羽毛に頬をすり寄せて……お互いにすりすり、とやって満足したらしい。
「よし。トウゴ、ありがとな。すっきりした」
「僕でよければまた壁役をやるからね」
「うん。その時はまたトウゴに頼もうかな!」
リアンはそんなことを言って笑うと、やがて、鸞2羽とフェニックスを連れて帰っていった。鸞もリアンもちょっと元気になったようで、よかった、よかった。
「……という話でした」
「成程ね。そういうことだったの」
ということで、僕はライラに報告に来た。ほら、ライラが鸞の奇行に気づいて報告してくれた人なので、顛末は説明しておいた方がいいかな、と。
「それにしても……あんたにはリアンの傷も彫刻に見えるのねえ」
「だって本当に綺麗なんだもん……」
「へー。ちょっと見てみたいような気もしてくるわね……」
……いや、別に、見に行かなくてもいいとは思うけれど。うん。一応、リアンの肌だからね?うん……。
「それにしても、これでもう鸞がリアンの背中にやたらとすりすりすることは無くなったのね」
「多分ね」
「それはちょっと残念かもしれないなあ……」
更にライラはそんなことを言ってため息を吐いた。……ええと。
「……もしかして、『なんかいいのよ』ってやつだった?」
「そうね。なんかよかったわ。鸞が一生懸命すりすりやってるところ……」
……そ、そっか。ええと……人の背中にすりすりする鳥を描きたくなったら、呼んでほしい。その時には鳳凰をお貸ししますので。存分にすりすりされていいよ。
……そうして。
リアンの鸞のすりすりの謎も解けて、リアン自身は1つ、自分の中で考えがまとまったことが増えて……また森が落ち着いてきた。
僕は現実の方で美術の予備校通いに慣れてきて、美術部の侵入部員と予備校との掛け持ちを頑張り始めて、親もなんだかんだ、美術大学について調べてみてくれたらしくて、ちょっとずつ、美大進学が現実味を帯びてきていて……。
そんな、ある日。
「……トウゴ・ウエソラ。話がある」
予備校でのデッサンの復習を森でやるべく門をくぐってこっちに来た僕は、門の傍で待ち受けていたらしいルギュロスさんに捕まってしまった。
……な、なんだろうか。
まさか……フェイの発明が完成して、ハンコ押し係にされてしまったことについての文句だろうか!?その文句はフェイに言ってほしい!




