森の野郎のお泊り会*4
ふと、夜の途中で目が覚めた。
ふんわり浮き上がってきた意識がとろみのある眠気の上にぷかぷか浮いて、ゆらゆら揺られているような、そんな、緩い緩い覚醒。どうせまたすぐ眠気の波間にとぷんと沈んで、とろとろ眠ってしまうだろうなあ、というかんじの。
「……あんたのそれがトウゴの命を繋いだということも、分かっている」
そんな僕の意識が、引っ張り上げられる。ラオクレスの声が、僕の名前を呼んでいたから。
なんだろう、と思いながら、まだ起きていたらしいラオクレスと先生の話し声に、そっと耳を澄ませる。
「感謝している。俺やこの世界を生み出してくれたこと以上に、トウゴを救ってくれたことについて」
ラオクレスの静かな声を聴いて、僕は、なんだかどうしようもなくむずむずするような、そんな感覚を覚える。
前後の文脈が分からないけれど、でも、ラオクレスと先生が僕のことを、すごく大切に思ってくれているっていうことだけは、今の言葉だけからでも十分に分かるから。
「……そう言ってもらえると嬉しいね。トーゴを救えたっていうのなら、僕は僕の仕事をちゃんとやり遂げてから死ねたってことだ」
先生の言葉が、すごく寂しい。僕のことなんか気にしなくてよかった。僕が死んだって、先生には生きていてほしかった。僕はそう、思ってる。
「ただ、これすらも僕が創り出した都合のいい妄想なのではないかと、思ってしまわないでもない。この世界はあまりにも、僕にとって都合が良すぎる。ついでに僕が生み出した世界だっていうんだからな。まあ……体の芯まで全部、都合のいいファンタジーに染まり切るには、僕は齢をとりすぎたのかもしれない」
それでいて、僕は少しだけ、後悔する。
……先生を描いてしまったのはいけないことだったんじゃないか、って、ふと、そんな思いと罪悪感が胸の中を過ぎった。
倫理がどうこうじゃなくて、先生にとって。
先生にとって、この世界に居ることは……本当に、幸せなことなんだろうか。ふと、それについて考えてしまって、僕は、なんだかとても怖くなってきて……。
「だが……まあ、都合がよければそれはそれで、いいか!」
……けれど、先生がそう言ってけらけらと笑うのを聞いて、すっ、と、自分の中にあった恐怖が溶けて消えていく。
「トーゴは無事。僕はこれからも小説を書ける。この世界は美しくも面白く、そしてどこまでも優しい。……あまりにも自分にとって都合のいい『現実』を割り切って甘えちまえる汚さも図々しさも、この齢まで生きてきて手に入れているからね。もう、思う存分享受しまくってやるさ」
「ああ。そうしろ。あんたにはその方が合っているように思う」
ラオクレスも笑って、2人はのんびりコップの中身を飲んでいく。
「……それで、トウゴを見守ってやればいい。死んだらもう、あいつの面倒は見られないぞ」
更に、ラオクレスはそう言うと、瓶の中身を自分と先生とのコップに分け切った。
「そうだなあ。それが何よりだ。うんうん。トーゴにこっちの世界に生き返らせてもらって、僕はトーゴの成長を今後も見る権利を得た。うーん、都合がよかろうが何だろうが、まあ、幸福なことだよなあ、これは」
先生はくいくいとコップの中身を空けていきながら、また瓶の中身をコップに注ぎ足していく。先生、お酒は弱い方なんじゃなかったっけ。大丈夫なのかな。
「じゃあ、トーゴの今後の成長を祈念して、乾杯!」
先生はくいくいとコップの中身を減らしていく。そして、『美味いなあ、これ』と、美しい宝石を見るみたいな目でお酒の水面を眺めている。
「……そんなに飲んで大丈夫なのか。酒には強くないんだろう」
「ははは。まあね。まあ、そうなんだが……実はね、ラオクレス。トーゴは僕が酒を飲んで寝るところなんて、見たことが無いのさ!」
そう言われてみると、そうだなあ。僕、先生が実際にお酒を飲んでいるところ、初めて見た。
……毛布にすぽりと頭まで入ってしまいながらこっそり覗き見る先生は、ちょっと眠たげで、楽しそうでもありながらどこか寂しい、そんな顔をしている。それに、お酒のせいか顔が赤らんでいて、ついでに浴衣の襟の開けたところから見える首や胸元までなんとなく赤い。
初めて見る先生だ。ああ、先生って大人なんだなあ、というか。僕の知らない部分があるんだよなあ、というか。
……僕が知らなかった、思いもしなかった先生の姿がここに在る以上、ここに居る先生ってきっと、僕が描いた以上の存在なんじゃないかな、とか、思ってみたり、して。
「成程な。『そういうことにしてある』、と」
「そうだ。悪い大人だなあ、僕は」
「はは。違いない」
先生はくすくす笑って、お酒を呷ってコップを空にすると、そのコップをちょっと大仰な仕草でテーブルに戻して……そして。
……ずるり、と、崩れ落ちるようにその場に倒れてしまった。
「先生っ」
一気に怖くなって、僕は布団から飛び出した。それにラオクレスはびっくりした顔をしていたけれど、それよりも何よりも、僕は先生の様子を確認して……。
「ぐう」
……寝ている先生を、確認した。
「……寝ている」
「なんだと……」
先生は、すかー、すかー、と暢気な寝息を立てながら、寝ている。すっかりしっかり寝ている。急に倒れたから、僕、てっきり、先生が……先生が、また、死んでしまったんじゃないかと、思って、すごく怖かった、っていうのに……先生は暢気に寝ている!
「なーんだぁ……」
僕はすっかり体の力が抜けてしまって、その場で先生よろしくずるずる、と崩れる。
「酒に弱い、という話は本当だったか……」
「そうみたい。でも、まさかこういう寝方をするなんて」
もう動かないぞ、という気持ちでずるずるしていたら、ラオクレスが僕を持ち上げて、その場に座り直させた。しょうがないから僕は人間の形に戻る。
「……聞いていたのか」
「……ちょっとだけ、ね」
なんだか気まずげなラオクレスの顔を見て、なんだか悪戯が成功したような、そんな気持ちになる。
「初めて見た。こういう先生の姿」
開けてしまっている浴衣の襟をちょっと直してみつつ、直してみても直らないので諦めてほっとくことにしつつ、僕は、ふと、思う。
「僕のことなんて、考えなくっていいのにな。もっと……もっと、何か、先生、やりたいこと、たくさんあるんじゃないか、と、いや、あったんじゃないか、と、思って……ううん」
でも、僕が思うべきことはこういうことじゃない、っていうのも、分かるんだよ。
「そうじゃないね。ええと、『嬉しい』。こんなに思ってもらえるって、幸せなことだ」
「……そうか」
「それで、先生は中々の『悪い大人』。ね。そうだよね」
ラオクレスは僕を優しく見下ろして、ぽふ、と僕の頭に大きな手を乗せた。それがあったかくてくすぐったくて、なんだか堪らないような気持ちになる。
「僕、早く成人したいな。そうしたら先生と一緒に、お酒、飲めるよね」
盗み聞いてしまった先生の言葉を、直接聞ける日が来るだろうか。いつか、僕が、先生を支える側になることができる日が。
……来ると、いいな。折角、先生がまだここに、居てくれるんだから。本来なら成人した僕が一緒に居ることができなかったはずの人が、ここに、居てくれるんだからさ。
「お前も酒には弱そうだがな」
「うん。気を付けるよ。こういう風には寝ちゃわないようにする」
僕がそう答えると、ラオクレスはちょっとくつくつ笑って、ぽふぽふ、と僕の頭を軽く叩くのだった。
もう寝ろ、と言われて、僕は布団に潜る。
そして僕の隣の布団に、先生が運ばれてくる。ラオクレスに運ばれた先生は、僕の隣の布団の上に下ろされて、眼鏡は外してあげて、そして、ぱふん、と掛布団と毛布を被せられる。ラオクレスの寝かしつけ力は先生にも有効。いや、先生、もう寝てるけど。
そうしてラオクレスが先生の隣の布団に横たわって布団を被ったのを見届けて、僕も改めて布団に包まって、寝てしまうことにした。
……明日の朝、先生より早起きできたら、寝ている先生を描こうかな。
翌朝。
「有言実行!」
「朝から元気だなあ、お前……」
ふわ、と眠そうなフェイにぼんやり眺められつつ、僕は早速有言実行。寝ている先生を描くぞ!
布団の少し張りのある布の質感と、先生が着ている浴衣のいかにも柔らかそうで皺になっている様子とを描き分けつつ、静かにすやすや寝ている先生を描いていく。ちょっと憎らしくなるくらいの穏やかな寝顔だ。
「ウヌキせんせーの寝顔描いてんのかあ?」
「うん」
フェイは少しぼーっとしてたらだんだん目が覚めてきたみたいで、僕の近くに寄ってきて、僕の手元を眺め始めた。
「あー、やっぱ、前に描いてたのと違うなあ」
「え?」
そしてフェイが何やら納得したように頷いているので、思わずフェイの方を振り向く。すると、なんだかじんわり嬉しそうな顔をしたフェイが居た。
「ほら、ウヌキせんせーがさあ、棺桶の中、入ってた時。あの時も、トウゴが描いてただろ?」
……うん。
「でもやっぱり、死んでるのを描いてた時と、今、寝てるのを描いてるのとじゃあ、全然、絵の雰囲気が違うんだよなあ」
「そうだね。僕の気持ちも、そんなかんじ」
フェイが『だよなあ』とにこにこする横で、僕もまた、にこにこ。嬉しくなりつつ、鉛筆を動かしていく。
寝ている先生は、死んでいる先生とは全然違う顔。もっと穏やかで、もっと騒がしいんだ。『すぴー、すぴ……っぴ』みたいな寝息が微かに聞こえるのが先生っぽくていいと思う。あと、なんというか……生活感があるよね。半開きの口とか。寝ている間にもっと開けてしまったらしい襟とか。皺になった浴衣とか。捲れた布団とか。
僕の絵も、自然とそういうかんじになる。要は、生きている人の絵、っていう具合に。
それが嬉しくて、僕はどんどん鉛筆を動かしていった。
……先生が生きてる。僕、それがすごくすごく、嬉しいんだよ。
やっと、そういう実感が、できたなあ。
それから少しして、ラオクレスがのっそり起きてきた。僕とフェイが起きているのを見て『寝過ごしたか』とか言っていたけれど、そういうわけじゃないよ。
それからちょっとしてリアンが起きて、もそもそしている内に先生も起きた。先生は僕の絵を見て『なんということだ!寝顔をまじまじと観察されていたとは!いやん!トーゴのえっち!』とよく分からないことを言っていた。別にえっちじゃないよ!
そして一番のねぼすけは、意外にもルギュロスさん。ルギュロスさんは僕らが起こしても、喉の奥で鳴くように声を漏らして、布団に抱き着くみたいにしてそっぽを向いてしまうんだよ。成程。ルギュロスさんはどうやら、朝に弱いらしい。
しょうがないから丁度、先生の家の前を散歩していた魔王を拾ってきて、ルギュロスさんの顔の上に乗せた。ルギュロスさんは呼吸した拍子に魔王を吸い込んでしまって、大慌てで起きていた。『殺す気か!』と怒っていたけれど、僕らは魔王の『ルギュロスさんを起こした功績』を称えるのに忙しかったのでルギュロスさんの抗議は聞き流した。
それから昨夜の残り物を調理し直したりして食べて朝ご飯にして……。
「さて、片付けるか……」
「野郎だらけのお泊り会っていうのは、こう、片付けるときのやるせなさがすごいなあ」
「ま、皆でやればそうでもないって。な?な?」
空き瓶とか、お菓子の包みとか、そういうのを皆で片付けていく。まあ、後片付けの寂しさはあるけれど、でも、みんなでやればそれなりに楽しいよね。
「ついでに大掃除もしようかな。いや、新築だしなあ。今年はさぼらせてもらおうかな」
「来年からは掃除の時には魔王にお願いするといいよ。魔王にかかればゴミも汚れも全部するんと一瞬で綺麗になってしまうから」
先生とそんな話をしながら、僕らの話を聞きに来たフェイやリアンにも『僕の家のお風呂場や台所は魔王によってつるつるピカピカになりました』っていう話をして……。
「……なあ、トウゴ。今のこの片付けも、魔王に頼んだらイッパツだったんじゃねえの?」
「……うん」
まあ……なんでもかんでも魔王に頼るのはよくない。うん。そういうことにしよう。
……さて。
そうして僕らは解散して……クロアさんのところへ行く。何故かって?それはね、今回のお泊り会の開催にあたって、クロアさん、『あら、いいんじゃない?でもちょっと羨ましいわね。まあ、終わったら報告して頂戴。それまではお邪魔しないようにしますから』と言っていたので。終わったから報告、っていうことで。
クロアさんが居るのは妖精カフェだろうな、っていう想像がついた。なので、僕らは開店前の妖精カフェに向かって……。
「クロアさん!結婚してください!」
……そこで僕らは、知らない男の人が花束を手にプロポーズをする場面に、行き会ってしまったのだった。