魔王の居るお家*1
「……ということで、ええと、4日ぐらい、この子をうちに置いておきたいんだけれど……いい?」
僕がそう説明する中、両親はただただ、ぽかんとしていた。
……いや、悩んだよ。すごく悩んだ。魔王を現実に連れてきちゃっていいのかなあ、っていうのは、すごく悩んだ。
けれど、連れてくるも何も、もう既に、魔王はここに居るわけだし。魔王としても、興味があって、それでこっちに来ちゃったんだろうし。実際、尻尾で器用にカーテンを捲って外を眺める魔王は、目を瞬かせて『まおーん!』と鳴きつつ、なんだか楽し気だったし。
そして……僕の両親に、魔王を見せたかった。なんとなく。
そういうわけで、僕は、魔王を連れて帰る、ということにしちゃったんだよ。
「ご飯は僕の食事をちょっと分けてあげるっていうことにする。そんなにいっぱいは食べなくても平気みたいだし。ええと、それから、基本的には僕の部屋の中に居てもらうようにするから……」
僕が説明する傍ら、魔王はぺこり、とお行儀よくお辞儀をした。如何にも『どうぞよろしくお願いします』みたいな仕草だ。中々可愛い。
「……と、桐吾。ねえ、その生き物……生き物?は、何?」
けれど、僕の両親にはまずそこから、ということらしい。
「……ええと、ちょっと変わった猫」
魔王だよ、なんていう説明をしても彼らはきっと混乱するだけだと思うので、そう説明した。まあ、これでも当然、混乱はし続けているけれどさ。うん。
「どこで拾ってきたんだ、そんなもの……」
「ええと、宇貫護さんの家に居た」
「な、なんですって……?」
魔王の居た場所をちょっと偽造したら、ふと、魔王の境遇についていいかんじの言い訳が思い浮かんできた。よし、いいぞ。
「この子、宇貫護さんの飼い猫みたいなものだったんだけれど、宇貫護さんがお亡くなりになってしまって、寒い家にぽつんと一匹だけなんだ。あと4日すると宇貫護さんの叔父さんが引き取りに来てくれるんだけれど、それまでまたあの家に一匹ぼっちじゃあ、あんまりにも寒そうで、かわいそうで」
僕がそういうことを言ってみると、両親は首を傾げながらひとまず何かは納得したらしい。いや、彼らとしても、何を納得したのかよく分かっていないと思うけれど……。
「この子、僕とは顔見知りなんだよ。人によく慣れていて噛まないし、何ならお手伝いもしてくれるし……賢くて、とってもいい子なんだ。駄目かな」
「だ、駄目、って、いうか……そんな得体の知れないもの……不気味じゃないの」
「不気味?よくよく見ると、ちょっとかわいいよ。ほら」
母親の方に魔王を向けると、魔王はよく分かっていないような顔をしていたけれど、ひとまず、まおーん、とのんびり鳴いて、母親の手に尻尾を絡ませた。
ひっ、と母親は悲鳴を上げていたけれど、魔王は首を傾げつつ、ゆったりゆったり、尻尾を上下に振る。握手、握手。
そうして、ふにふにの尻尾がちょっと絡んで握手して離れていって……という体験をした母親は、混乱しきった顔で魔王を見つめていた。
「……まあ、迷惑を掛けないならいいぞ」
それを見ていた父親は、ため息交じりに許可をくれた。『我関せず』の方針を貫くことにしたらしい。
「ちょっと、あなた!」
「桐吾が世話するならいいだろう。ただし、父さん達に迷惑は掛けるなよ?」
「うん。大丈夫。……とはいっても、何が迷惑になるかがよく分からないので……迷惑だと思ったらすぐ言ってね」
さて、許可が取れたらこれにて退却。『ここに居られるだけで迷惑』なんて身も蓋も無いことを言われてしまう前に、すたこらさっさ。
……と思っていたら、魔王はちゃんと、リビングを出る時に『まおん!』とお辞儀をしてから退室していた。礼儀正しい。
「ええと、ごめんね。うちの両親、あんまり不思議なものに慣れてないんだ」
部屋に魔王を連れて帰った僕は、ベッドの上に魔王を乗せてやりながら謝る。
「君に嫌な思いをさせてるよね」
あまり歓迎されていない家に連れてきてしまうのはやっぱり申し訳なかったなあ、と思いながらそう言うと、魔王はベッドの上でころん、と転がりつつ、まおーん、とのんびりした声を上げた。
……まあ、この調子だと、あんまり両親のことは気にしていない、のかな。そうだといいな。
「魔王はこっちの世界に来たかったんだよね?」
そもそも魔王はこっちの世界を見に来たかった、んだろうか。たまたま来ちゃっただけかなあ……。まあ、確認してみても、魔王は『まおーん?』と首を傾げているばかりなのだけれど。
「観光はあんまりできないだろうけれど……ええと、色んな食べ物、食べようか。向こうとはまた色々違う食べ物があるから」
でも、美味しいものは魔王も大好きだ。せめて色々、美味しい食べ物を食べさせてあげよう。ついでに、ちょっとだけ、人通りの少ない時間帯に街並みを見たりするくらいは、きっとできるよね。
ということで、早速、晩御飯。
「……椅子に座るのね」
「あ、うん。お行儀がいいんだよ」
魔王は向こうの世界でいつもそうしているように、ちゃんと椅子に座ってお行儀よくしている。人間達の姿を真似した結果が、この妙にお行儀のよい魔王です。
「はい。魔王の分ね」
それから、僕の分の食事をちょっと取り分けて魔王の前に置く。すると、魔王は、まおーん!と嬉しそうに鳴いて……そして。
『まおおおおん!』。……『いただきます』のように、ちゃんと両手を合わせて、ぺこん、とお辞儀してから、器用にスプーンを持って食事に向かい始めた。
……僕と魔王が食事をしている様子を見て、向かい側の両親は只々、ぽかん、としていた。魔王が焼き鮭を一欠片口に入れて、もむもむ、と口を動かして、そして『まおーん!』と嬉しそうに鳴くのを見て、また更に、両親はぽかんとする。
魔王は焼き鮭が気に入ったみたいだ。鮭をもう一欠片口に運んで、また、まおーん。
「……これは、何?喜んでるの?」
「うん。美味しいみたい」
僕らが見守る中、魔王は続いてご飯をスプーンで掬って、食べて……まおん?と首を傾げた。多分、『予想と違った味だ』みたいなかんじ、なのかな。でも、魔王は餅は好きだし、もむもむと口を動かしている間に米の味がちゃんとしてきたみたいで、これもまた、食べ終わって機嫌よく、まおーん。
……ただ。
ご飯の上に、ご飯のお供として乗っていた梅干しを、食べた途端。
『まおんっ!?』と魔王はびっくりして、にゅっ、と、体が縦に伸び上がった。……多分、梅干しの酸っぱさに魔王はびっくりしている。そして急に伸びた魔王に、両親はびっくりしている!
「……酸っぱかったね」
よしよし、と魔王を撫でてみると、やがて魔王はゆるゆると戻ってきて、ぱちぱち、と瞬きして……まおーん、と、幾分静かな声を上げた。まあ、びっくりした後って誰しもこういうかんじになるよね。
「ね、ねえ、桐吾。これ、本当に何なの……?」
「ええと……猫……?」
母親は『意味が分からない』みたいな顔をしているけれど、まあ、この世には色々と、よく分からないものがあるんだよ、ということでお一つ……。
魔王はお行儀よく食事を終えた。小鉢に取り分けた味噌汁を綺麗に飲み干してフィニッシュ。手を合わせて、『ごちそうさまでした』をちゃんとやって、そして。
まおーん、と鳴きながら、魔王は僕らの食器を集めていく。僕は慣れたものだから、魔王に重ねた食器を預ける。
「食器貸して」
「あ、ああ……」
両親の分の食器もさっと重ねて、魔王へパス。すると魔王は全員分の食器を受け取って、そのまま流しの方へとまおまお運んでいった。
「……あれは、何?何をしているの?」
「あの猫は賢いから。食器の片づけ、してくれるんだよ」
魔王は流しに食器を入れると、そこに自分も入って食器を飲み込んで、食器の汚れだけ綺麗に食べてしまって、残った食器だけにゅるんと出して、流しの横に積み上げていく。
「あ、魔王、ちょっと待って」
……あの食器洗い風景を両親に見せてしまうと何かと問題がありそうな気がしたので、僕も流しの方に行って、ちょっと無駄に水を出してみたり、スポンジを出してみたりしてカモフラージュすることにした。
魔王は『まおん?』と不思議そうな顔をしていたけれど、これが異世界のやり方だっていうことは分かったらしい。両親が恐る恐る様子を見に来た頃には、僕がゆすいだ食器を魔王が布巾できゅっきゅっと拭いている、という光景が出来上がっていた。偽装工作、偽装工作……。
「……この猫、食器を拭くの……?」
「うん」
母親が卒倒しそうな顔をしていたけれど、魔王は、まおん!と胸を張って自慢げだ。お手伝いできて偉いね、と撫でると、まおんまおん、と嬉しそうに鳴く。
「ね?いい子でしょう?」
両親に同意を求めると、両親はなんというか……『考えることをやめました』みたいな顔をしていた。
まあ……一つの正解、だと思う。考えずに、とりあえず受け入れてもらえたら、嬉しいな。
それから僕と魔王はお風呂に入った。
魔王は現代の浴室に興味津々な様子だったけれど、くるくる体を洗ってシャワーで流して、湯船に浸けてしまったらもうお風呂モードだ。まおん、まおん、とご機嫌な様子になりながら、あったかいお湯の中でとろけかけている。
僕も頭と体を洗って湯船に浸かって……魔王と一緒にあったまる。
「いい湯だねえ」
「まおーん」
……浴室の扉の向こうに人影が見える。多分、心配した両親が聞き耳を立てているのだろうけれど……こっちは魔王がご機嫌で、まおん、まおん、と歌うように鳴いているばかりなので特に何もありません。
「ほら、魔王、そろそろ出……あっ、掃除始めてる」
と思ったら、魔王は、にゅるん、と尻尾だけ湯船から出して、目に着いたらしい浴室の汚れを消し始めてしまった。要は、ぴとっ、と尻尾を這わせて、そこにあったものを全て吸収して消してしまっている、というか。
「あの、それ、結構汚いと思うけれど……いいのかなあ」
いや、まあ、魔王は今までにも、石を食べたり金属を食べたり、たんすの後ろのホコリを食べて綺麗にしたり、ラオクレスの鎧をぺろんと飲み込んで汚れを全部落としてにゅるんと吐き出したり……色々やっているから今更ではあるんだけれど……何なら、『ちょっと、まおーんちゃん!それ食べちゃったの!?』ってクロアさんが焦るような毒物の染みも食べて染み抜きしたりしているのだけれど……。
それでも、魔王、すこぶる元気なので。まあ、お風呂場のタイルの目地が真っ白になったとしても、魔王の健康には影響がない、ということで……。
……まあ、元々よく分からない生き物だしなあ。こんなものか。うん。
「いいお湯でした」
「お湯、抜いてきた?」
「あ、うん。ついでに湯船と……浴室の掃除も、してきちゃった、というか……魔王がしてくれた、というか……」
やがて、お風呂から出た僕らは、僕はなんだかちょっと疲れ気味、魔王はすこぶる元気で自慢げ、という状態だった。僕の言葉を不審に思ったらしい母親は浴室を見に行って……感嘆の声を上げていた。まあ、そりゃあね。お風呂のタイルの目地は真っ白、浴槽はつるんとぴかぴか。汚れはどこにも見当たらない、という様子なものだから……。
「……桐吾。一体、何をしたんだ?」
「ええと、この猫、すごく綺麗好きなので……」
魔王はクロアさんやライラを手伝ってあちこち掃除している内に、『掃除すると褒めてもらえる』と学習してしまったらしくて、今やすっかり、森一番の綺麗好きなんだよ。
「どうか、褒めてあげてほしい。この子は褒められるのが大好きなんだ」
僕が魔王を撫でていると、魔王は嬉しそうにまおーんと鳴きつつ、ちょっと期待の籠った目で父親を見ている。父親は魔王の円い目に見つめられて固まっていたのだけれど……恐る恐る、手を伸ばして、そっと、魔王の頭に触れた。
ふに。
……ふにふにと柔らかい不思議な感触に慄いていたけれど、父親はひとまず、なで、なで、と魔王を撫でてくれていた。魔王も撫でられていることが分かって、まおーん、と嬉しそうな鳴き声。
そして。
「……その猫ちゃん、優秀ね」
母親も浴室から戻ってきて、すっ、と、手を出すと……魔王を撫で始めた。
魔王は、それはそれは喜んで、まおんまおん、と尻尾をぱたぱたさせている。
「……ちょっと可愛いわね」
「でしょ」
ひとまず、魔王の正体について考えることをやめた両親は、魔王を受け入れることに決めたらしい。もう考えてもしょうがないし、有益だし、みたいな、そういうかんじだと思う。けれど……。
まおん、まおん。
魔王が嬉しそうにしているので、僕としてもとても嬉しい。
……僕の両親が魔王を見て、こういう風によく分からないものに対して慣れる……というか、その、より寛容になってくれたら、嬉しいな。