餅も蕎麦も美味い*3
先生が文章を書いている間にも、鳥は僕にちょっかいをかけてくる。
「あ、こらこら。つつかないで、つつかないで。ちゃんとあっためてるよ」
僕が卵をあっためているっていうのに何が不満なのか、僕をつついたり、尾羽でふわふわくすぐったり、何なら僕の上から更に抱卵しようとのしかかってきたりする。やめてやめて、ふわふわする!ふわふわする!
「ははは。鳥もよー、トウゴが居なくって寂しかったのかもなあ」
そんな僕を巣の外から見ながら、フェイがけらけら笑っている。
「……そうなの?」
試しに鳥に聞いてみたけれど、鳥は分かっているんだかいないんだか、首を傾げて、キョキョン、と鳴くばかりだ。まあ、君はそういう奴だよね。
「トウゴ!ちょっと動かないで!あと鳥さん!トウゴの上に乗らないで!描けないでしょ!」
……そしてライラはフェイの隣で、僕の抱卵を描いているらしい。鳥はライラに一喝されると、『キュン……』とちょっとじっとりした不服気な鳴き声を上げつつ、ちょこ、ちょこ、と僕から離れていった。……鳥が人の言うことをまともに聞いたところを初めて見た!
「ふふふ……トウゴが鳥さんの卵あっためてるの、なんかいいわね……」
ああそう……。ライラの『なんかいい』はつくづくよく分からない。うーん。
「……よし。こんなもんかな」
それから少しして、やがて、先生が文章を書き終わった。すると、先生のメモ帳の上で、文字が、もじもじ、くねくね、ぽよん。
……そして、僕のお腹で、卵がもぞもぞ。
「わっ」
「お。どうだい?何か変化はあったかな?」
「卵、動いた!」
なんというか、正に『そろそろ卵から孵ります』っていうかんじの動き方だった!
「ははは。そりゃあよかった。……っと」
先生は笑っていたなあと思ったら、ふと顔を顰めてよろめいた。
「おおっと、危ないぜ、ウヌキせんせー。ここ、木の上なんだからな?」
「ああ、ありがとう、フェイ君。うっかり落っこちるところだった……」
フェイに支えてもらって事なきを得た先生は、鳥の巣の中によいしょ、と座り込みながらため息を吐いた。
「いやあ、魔力の消費、というのかな。やっぱりこの感覚にはまだまだ慣れそうにないね。うーむ……何なら、文章を書いて反映させる、っていうのも、相当頑張って意識しないとできないしなあ」
「僕はむしろ、実体化させないように描くのが大変だったけれどな」
「そこは絵と文、君と僕の違い、ってところかな。いやはや、自分で書いた世界でも、自分で実際に体験してみると勝手が分からんもんだなあ。実に面白いね」
先生は鳥の抜け毛でいっとうふかふかしている場所に陣取ると、そこでくすくす笑う。
「……あ、そうだ。先生。折角なら卵が孵るまでの間、先生も抱卵してみる?」
「ん?僕が抱卵してもいいのかい?おーい、鳥さん。いいなら抱卵させてもらうが……」
折角鳥の巣の中に入ってきたんだから、ちょっとやってみてもいいと思うんだよ。どうだろう、と提案してみると……鳥は、キョキョン、と鳴いて、特に気にしない顔をしている。ならいいか。
……ということで、先生は早速、僕のお腹の辺りから卵を1つころころ持っていって、お腹に抱えてあたため始めた。
「……お母さんの気分ってのはこういうかんじだろうか」
「さあ……」
僕らは卵をそれぞれにあっためて、多分それぞれに違うことに思いを馳せている。……ちなみに僕が考えているのは『2人並んで卵あっためてるのもなんかいいわね!』と絵を描き始めたライラについて。何がいいんだ、一体。
それから少しして、ふと気づくと鳥が居なかった。
あれ、と思ったら……ぱっ、と鳥が戻って来て、そして。
「あ」
「ん?……ああ、例の実かい?」
先生に向かって、ずいずい、と、木の実を押し付けていた。あの、ものすごくまずい上に体調不良を誘発するやつ!
「成程なあ、抱卵するならこれを食え、っていうことか。成程」
先生は鳥のずいずいを上手に躱して、ひょい、と鳥のくちばしから実を受け取ると、しげしげと眺め始めた。
「……先生」
「ん?」
「その実の味、書き変えた方がいいと思う」
そんな先生に対して、心の底からアドバイス。それね、体調不良もそうだけれど、あの味がね、酷いと思うから。
……けれど。
先生はきょとん、とした後……特に何もせず、実を口にした。そして。
「……成程、書き変えた方がいい味だ」
「でしょ」
ものすごい顔をしている……。しわしわしてる。顔がしわしわしてる。元気という元気を全て持っていかれてしまった、みたいな、そういう顔をしている……。
「うむ。だが、一度食べてみるとまた、世界が広がるような気がするね。うむ……二度と食べたくはないが」
先生はそう結論付けて顔を『ちょっと渋い顔』ぐらいまでに戻すと、鳥は口直しの果物を持ってきて先生の横にぽとりと落としていった。……あの、その洋梨、僕の家の横のじゃあありませんか?如何にも『探してきてあげましたよ』みたいな顔してるけどさ。ねえ、鳥。ねえ。
それから夕方まで、僕らは卵をあたためていた。その間、ライラは僕らを描いていたし、フェイとは色々話が弾んだ。特に、最近、クラスの女の子によく話しかけられるようになって何を話せばいいか困っている、という話をしたら、何故かものすごく喜んでいた。『ついにトウゴにも春が来るのか!?』だそうだ。来ません。
まあ、そういう雑談をしていたところ……なんと。
「お!動いた!動いたぞぉー!」
「先生、落ち着いて。ちょっと熱が出て浮かれてるの分かるけれど、落ち着いて」
先生が抱っこしていた卵にぴしりと罅が入って、そして、中から元気にコマツグミのヒヨコが顔を出した!
頭に殻を乗っけたまま出てきたヒヨコは、早速、鳥のお腹の下に潜っていって、そこであたためられ始める。鳥は、キュン、と鳴きつつヒヨコを自分のお腹の下に招き入れて……それから、『出てくるのが早くないだろうか』みたいな、そういう顔で、首を傾げ始めた。ええと、まあ、ちょっと早かったかもね。でも気のせいってことにしておかない?どう?
僕が温めていた残り2つの卵もすぐに動き始めて、また元気にヒヨコが生まれた。
「よし。これで僕らはお役御免ってわけだな」
「そうみたいだね」
そうして卵が全部孵ると、鳥はちょっと首を傾げつつも満足したらしくて、僕らを引きとめはしなかった。よし。帰ります。
「はー、描いた描いた。楽しかったわ」
「なんかよぉ、ライラも最近は専らトウゴっぽくなってきてねえか……?」
ライラとフェイもそれぞれに鳥の巣を満喫していたらしくて、フェイは鳥の羽が服にくっついた状態でけらけら笑っているし、ライラはスケッチブックを抱えて満足気だし、魔王はいつの間にやら卵の殻を貰っていたらしくて、お尻と頭に卵の殻を装着して生まれたてみたいな格好になっている。
「晩ご飯、どうしようかな」
「ところでトウゴってさあ、こっちでご飯食べて向こうに帰ったらどうなるの?」
「うーん、食べてもいいけど食べなくても大丈夫、ぐらいのお腹具合になる」
「トーゴの体の栄養が気になるからなあ、できるだけ向こうでもちゃんと飯を食った方がいいぞ」
ご飯についての会話なんてしつつ、僕らは家の方に向かって歩いていく。
……こういう風にごく普通の生活がまたこの世界でできるって幸せなことだなあ、と思いながら。
その日の夜ご飯は、引っ越し蕎麦とキッチンエダマメのお持ち帰りメニューにした。枝豆のペーストと白身魚のすり身を合わせて揚げたさつま揚げっぽいやつとか、枝豆入り肉団子とか。そういう枝豆ばっかりの料理も食べて、美味しい蕎麦も食べて、僕の心は大いに満足しています。
「ところでルギュロスさんは?」
お持ち帰りメニューでご飯、となると、なんとなくルギュロスさんを思い出す。いや、本当になんとなく、だけれどさ。
ルギュロスさん、森に定住しているはずなのだけれど、ここには居ない。森に戻ってきた日にすぐ探したのだけれど、見当たらなかったので……。
「ああ、ルギュロスさんならラージュ姫のところに行ってるわ。アージェント領のあれこれがあるんですって」
聞いてみたら、クロアさんがそう教えてくれた。ラージュ姫のところ、というと……王城。なんでまた。
「アージェントがああなっちゃった以上、後継者は誰だ、って話になるでしょ?そこで、王家側としてはもう、ルギュロスさんを次期アージェント領主にしちゃいたいらしいわ。でも本家の子じゃないからね、ちょっと難しいみたい」
成程。それは大変だなあ。
でも、ルギュロスさんには多分、そういう風に権力とか欲望とかが渦巻く世界の方が合ってるんじゃないかな、と思う。だから、彼の思うようにできたらいいのだけれど。
「ふふ、でもね。お城での用事が済んだら、彼、ちゃんと森に帰ってくるのよ。ふふふ……」
「もうすっかりこっちが住処、っていう感覚らしいわね。本人は気づいてないみたいだし、私達だって何も言わないけどさ」
……成程。
そういうことなら……ええと、ルギュロスさんには、ソレイラ在住のアージェント領主、っていう風になってもらう……っていうのは流石に我儘が過ぎるか。まあ、別荘でもいいから、時々森に来てくれると嬉しいな。
そうして皆でご飯を食べて……さて。僕はそろそろ、家に帰らなければ。
こっちで一晩寝て帰っても、多分、現実の世界では1時間も経ってないぐらいだとは思うんだよ。時間の流れが曖昧で、そこのところはすごく都合よくできてくれているみたいなので。
けれど、まあ、一応、メリハリというか。リズムを崩さないようにというか。そういうのも大事だと思うので。
……ということで帰る間際。
「ねえ、ラオクレス。さっきそこで、先生と何の話してたの?」
送ってくれるラオクレスに聞いてみた。ほら、ラオクレスと先生は一体何の話で盛り上がっていたのかな、と。
「……知りたいか?」
「うん」
ラオクレスはちょっと気まずげな顔をしていたけれど、僕が引き下がらないのを見てか……教えてくれた。
「……お前の話をしていた」
……うん?
「こちらの世界でお前がどうだったのか話して、あちらの世界でお前がどうなのかを聞いた。それだけだ」
そっか。まあ、僕って共通の話題として丁度いいか。
……い、いや、僕の話だけでそんなにおしゃべりできるものなのか?う、うーん……なんだか恥ずかしいような呆れるような、そういうちょっと複雑な気持ちだ……。
……と、いうことで。
僕は現実の方へ帰って、そこでちゃんと先生の家の戸締りをして、家に帰る。
家に帰ったら今までよりずっと会話の多い(それでも、ぽつぽつ、ぐらいの会話量の)食卓を囲んで、お風呂に入って、冬休み中の宿題、向こうに持って行って進めたら効率的かなあ、なんて考えつつ就寝して……。
そして、翌日。
冬休みなのをいい事に、僕はまた、先生の家およびあっちの世界へ。
……すると。
「……とうご?」
「れ、レネ?」
『門』を出てすぐ。僕は、レネと行き会った。
レネは、星空みたいな目をぱちり、と瞬かせて……それから、瞳の中の星明りがどんどん滲んで、目が潤んでいって……。
「とうごー!」
わ、わ、レネが飛びついてきた!そしてレネは僕にぎゅうぎゅうしがみついたまま、離れる気配が無い!
とうご、とうご、と名前を呼ばれながら、僕はレネをぎゅっとやり返しつつ、レネが満足するのを待った。ただいま、ただいま。
「とうご……」
潤んだ瞳でうっとりと僕を見つめるレネを見つめ返して、それから更にまたレネがすりすりとやってくるのに付き合って、それで。
ふと、僕は、気づいてしまった。
「……あの、レネ。それは僕の毛布では?」
……レネの手に、何故か僕の毛布が握られているのを見て、僕は首を傾げることになった。
あの、それ、どうしました?




