10話:絵に描いたような世界を描く*4
日曜日の朝。
朝一番に起きた僕は、またトーストとミルクティーの朝ご飯を食べて、散歩へ行くことにした。
……昨日とは違って、父親も母親も起きてきたから、『要る?』って聞いて、3人分のミルクティーを淹れた。父親は昨日と同じように不思議そうな顔をしながらミルクティーを飲んでいて、母親は『無糖なのね……』とちょっとがっかりしたような声を上げていた。成程。次回から1人分、微糖にします。
わっせわっせと松葉杖を動かして、朝の街並みの中を歩く。寒さが気にならなくなるくらいの早足で、先生の家へ。
そこでピンポン、と呼び鈴を鳴らして、石ノ海さんがにこにこ出迎えてくれて、僕は挨拶して、また僕の部屋へ。
……さて。
いよいよ、最後だ。気合を入れていこう。
本の最後のページは、『めでたしめでたし。』の絵だ。
皆が集まっていて、楽しそうに笑いあっていて、完成した本の最後のページを覗き込んでいるかんじに。
世界はすっかり元通りで、春の訪れを感じさせる森の中、只々平和に穏やかで楽しくて明るくて……そういう絵だ。
そうだ。小さくなってしまったカチカチ放火王もこっそり入れておこう。森の奥の方からこっそり様子を窺っているかんじに。
……そしてその後ろから鳥が見ている。こいつはこういう立ち位置が一番いいと思うよ。
下描きを進めていく。紙の面積は限られているから、そこに何人もの人を詰め込むのは結構大変だ。
フェイはやっぱり真ん中だな。本を覗き込んで、満面の笑み。
ラオクレスは端っこの方。彼なら、皆を見守れる位置に居ると思うから。
クロアさんはフェイの隣あたりかな。後ろから見守る、っていうよりは、最前線で楽しむ、っていう方が彼女らしい。
リアンはカーネリアちゃんに引っ張ってこられて最前列。フェイよりも前で、屈んだ状態で、アンジェと3人揃って絵を見ている。
カーネリアちゃんが見える位置にインターリアさんがいるかな。マーセンさんもそこに居ると思う。
ライラは一歩引いた位置かな。レネがライラの服の裾を掴んでいて、2人並んで一緒に居る。
ラージュ姫は後ろの方からおしとやかに。でも、身を乗り出すみたいに、ちょっと積極的に。
ルギュロスさんは一歩離れたところから呆れたみたいな顔で見ている。そんなかんじ。
……後は、隙間に魔王をにょろんと描き加えたり、空に鳳凰と鸞とフェニックスを飛ばしたり、龍も飛ばしたり、管狐をクロアさんの襟巻きにしてみたり、しれっとレネにタルクさんを着せてみたり、遠くの方で鳥の子達に囲まれているルスターさんを小さく描いてみたり、大福を食べている王様と、同じテーブルでお茶を飲んでいるフェイ一家を描いてみたり……。
……すごくすごく人数を詰め込んだ絵になってしまったので、とにかく、大変だった。下描きだけで昼過ぎになってしまった。まあ、予想はしてたよ。
それからお昼ご飯に、餅を食べる。……先生が冷凍庫に放り込んだっきりになっていたやつ。それを石ノ海さんと一緒に解凍して食べた。『護はどうして餅が嫌いだったんだかなあ』『あんまり味が無いわりにもっちもっちと食感の主張が強くてなかなか飲み込まれてくれないところが嫌いだったみたいです』なんて会話をしつつ。
餅でお腹が膨れたら、いよいよ着彩。
全体的に、光を多く取る。つまり、白く残す部分を多めに取るっていうことで……塗る面積が減る分、うっかり色を塗らないところに塗ってしまわないように、気をつけながら、っていうことになる。うーん、気が抜けない。
けれど、やっぱり着彩は楽しい作業だった。鉛筆で描いた線画の上に、どんどん色がついていって、『ああ、今、世界を創ってる!』っていう実感が持てる、というか。
筆を動かせば、どんどん画面が色づいて、明るく穏やかな森の様子が描き起こされていく。僕の中に沈んで埋もれていたものが掘り起こされていくような、そういう感覚だ。
……同時に、不安もあった。
これは多分、上手くやれているのかな、っていう不安。答え合わせがしたくても、答えはどこにも存在しない。だからこそ、僕は今、すごく不安で……同時に、なんだか自分でもよく分からない種類の不安がある、気がする。
皆が集まっている絵を描いているのに、なんだか、足りない気がする。
もっと、欲張れる気がする、というか……。
……けれど、不安はさて置き、絵は完成させた。完成したらもう、夕方。時間をたっぷりかけただけのことはあって、自分が今まで描いたものの中でも相当に頑張った一枚となった。
満足のいく一枚。あの世界を完結させるのに丁度いい一枚だ。それは、間違いない。僕が描くなら、絶対にこういう一枚になる。これがあの本の最後のページで、あの世界の結末で……。
……けれど何か、やっぱり足りない気がするのはなんでだろう。
まだ欲張りたいような、もっとちゃんと救われたいような、そういう気分になるのはなんでだろうか。
夕方になってしまったし、絵は完成したわけだから、僕はもう帰ることにした。
なので最後に、石ノ海さんにご挨拶。
「お世話になりました」
「いやいや。こちらこそ。……護が死んでしまったにしろ、君っていう希望が残っていてくれて、本当によかった。むしろ、君にはその希望の役目を押し付けてしまっていないか、少し申し訳なくも思うんだが……」
「いいえ、とんでもない!僕だって、多分、同じような気持ちだから……」
……なんとなく、だけれど、石ノ海さんは僕を助けることで、先生を助けるような気持ちになれるんじゃないかな、と、思う。時々、僕を通して先生を見ているのかも。勿論、それは僕にとって嫌なことじゃなくて、僕がこうしていることで石ノ海さんの心の支えになれるんだったら、それは喜ばしいことだって思ってる。
それに、僕だって同じだ。僕が先へ進んでいくことで、先生を喪った分を取り戻そうとしている。開いてしまった穴を埋めるために、前へ前へ進もうとしている。だからきっと、石ノ海さんと似ている気分、だと思う。
「まあ、僕が海外に戻ってしまった後も、君には是非、この家を勝手に使ってもらいたい。何なら住み着いてほしい」
「ありがとうございます。鍵まで頂いてしまって……」
「何、護ならきっとそうしたさ」
僕は、石ノ海さんから受け取った鍵をコートのポケットの中で握りしめる。
……この家の合鍵、貰っちゃった。いいのかな、という気持ちが強いけれど、でも、ありがたいことに変わりはない。申し訳なさを全部跳ね除けられるくらいに、いつか、恩返しできたらいいな、って、思ってる。
「ええと、明日もまた、来てもいいですか?放課後、ちょっと絵について悩みたくて」
「どうぞどうぞ。是非来てくれ。今週いっぱいは僕もここに居るからね」
……うん。
恩返しするにしても……今週いっぱい。
今週いっぱいは、ちょっと、悩ませてもらおうかな。
家に帰って、ちょっと味気なくてほかほか温かいご飯を食べて、ゆっくりお風呂に浸かって、ぐっすり眠って……翌朝。
僕は学校に行って、来週のテストに向けて備え始める。
……いつもだったら胃が痛い期間だったけれど、今回は前向きにテストに向かえている。先生が言っていた通りだ。『テストの点数にはそう意味はない』。間違えたところがあったらそこを冬休みにじっくりおさらいしていこう、という、そういう気持ちでいられるから……僕、やっぱりちょっと変われたなあ。
学校の先生達は、事件に巻き込まれて入院していた僕を気遣ってくれて、授業のプリントを持ってきてくれたし、昼休みに分からないところを聞きにいったら快く教えてくれたし、至れり尽くせり。ありがたい、ありがたい。
後は、それを持ち帰って勉強する、のだけれど……まあ、今日の放課後は、まずは先生の家。
完成したはずの絵に納得がいかないこの現象について、悩みたい。
石ノ海さんに挨拶して、家に上がらせてもらう。そして僕の部屋に向かって……絵を、並べていく。
本みたいに束ねた絵を一枚一枚、確認。
焼けてしまった世界がもう一度戻ってくるまでの絵だ。それで最後は、皆で一緒に居て……。
完璧だ。完璧な世界だ。温かくて優しくて穏やかで。……完璧な、世界を描けた。
うん。だからだろう。この絵をどこか不満に思ってしまうのは、きっと、この世界が完璧だからだ。
「……寂しいなあ」
絵の表面に触れながら、ふと、思う。
どんなに絵が完璧に描けたって、僕はそこに居ない。
ファンタジーを生み出すっていうことは、間違いなく僕の心を救ってくれている。絵を描くことで、僕は今、前向きに生きていられる気がする。それは、本当。
でも……所詮はファンタジーだ、なんて、思いたくないけれど。けれど……輝かしい世界の絵を見ていると、眩しくて、なんだか、無性に寂しいんだよ。
どうか幸せであってほしい。先生が生み出した、そして僕の心を育ててくれたあの世界が、どうか、幸せであってほしい。そう思う気持ちは本物なのに、なのに、どうしてか、胸の奥にある冷たい空洞が、じわじわ僕を蝕んでいく。
「先生……」
一番に褒めてほしい人が。一番に認めてほしい人が。……ここに居ない。
もう、どこにも居ない。
……それが、何よりも、寂しい。
「……そっか。僕、やっぱり先生に、死んでほしくなかったんだ」
やっぱり、先生に、居てほしかった。
死なないでほしかった。
……この望みがきっと、僕の一番の望み、なんだと思う。
ファンタジーの世界がどんなに温かくたって、先生が居ない悲しさを埋められない。
そう、気づいてしまった。




