22話:依頼と雷*10
それからカーネリアちゃんは、大切そうに抱えてきたその本を、開いて見せてくれた。
「これ。フェアリーよ。……ね?」
ね、と言われつつ示されたページを覗き込むと……そこには、花の上で寝転ぶ、羽の生えた少年少女、みたいな生き物の絵が描いてあった。
「やっぱりそっくりだわ!」
「……多分、そもそも縮尺が違うんじゃないかな……」
図鑑に一緒に描いてある花が直径2mとかじゃない限り、この『フェアリー』というらしい生き物が身長160cm以上であることは無いと思う。
ただ……言われてみれば、確かに、ちょっとだけ、僕と似ている……かもしれない。うん、偶々、図鑑に描いてある生き物は、女の子の方が金髪の巻き毛で、少年の方は黒髪だった。つまり、その程度なんだけれど。
……僕が図鑑をじっと見ていたら、横からラオクレスも覗き込んできた。
そして、ラオクレスは図鑑をじっと見た後、ちら、と僕を見て、それからまた、図鑑を見つめて、僕を見つめた。
「……似てる?」
「……そうだな」
ラオクレスの反応はそんなかんじだった。うん。……え?似てるの?
「フェアリー以外にも、トウゴに似ている生き物が載っているのよ!」
それからカーネリアちゃんは、また図鑑のページを捲って見せてくれた。
「ほら!この精霊様の絵、トウゴにそっくりだわ!」
開かれた図鑑のページは、『精霊』のページらしい。そこに描いてあるのは、様々な姿のものだった。
綺麗な女の人が杖を持っている姿だったり、老人の姿だったり。それから、真っ白な鹿の姿だったり、ぼんやりした光の玉みたいなものだったり。そうか。精霊って結構色々あるんだなあ。フェイが最初に会った時、言っていたっけ。
そして、その中でカーネリアちゃんが指で示しているのは、泉に下半身だけ浸かっている少年の姿の精霊の絵だ。
「ね!そっくり!」
……そっくり?
白い服を着て、振り向きざまに笑っているように見える図鑑の『精霊』を見る限り、僕にそっくりとは思えない、んだけれど……。
またラオクレスが僕と図鑑を交互に見始めた。そして、何故か、納得したようにゆっくり何度か頷いて下がっていく。
「……これ、似てる?」
「……ああ」
「え……ええと、どこが……?」
「雰囲気、か……?」
うん……複雑な気持ちになる。泉に浸かってたところは、確かに一致してるけれどさ。雰囲気って言われても……。
「他のページも見ていい?」
「いいわ。でも、大事にね。古い本だから、破けやすいの。これ、私の宝物なの」
「うん。大事にする」
カーネリアちゃんから図鑑を借りると、ページを捲ってみる。
……色々な生き物が載っていた。いや、生き物なのかよく分からないのも載っているけれど。角が生えた貝殻みたいなのとか、人魂みたいなのとか。
そしてページを捲っていくと、天馬と一角獣のページもあった。ほとんど2頭だけで、図鑑の見開き1ページを使っている。人気がある生き物なのかもしれない。
「ペガサスとユニコーンね!私、これ好きだわ!とっても綺麗」
どうやらカーネリアちゃんも馬が好きらしい。確かにこいつらは人懐っこくてかわいい。
「昔はね、角と翼が両方ある子も居たんですって。ほら」
それからカーネリアちゃんは、図鑑のそのページの隅の方に書いてある文章を示してくれた。勿論、僕には読めないけれど……その横に小さく描いてあるものは、分かる。
「アリコーン、っていうらしいわ」
カーネリアちゃんの細い指の先にあったのは、角も翼もある馬だ。天馬と一角獣が合わさったような姿だけれど、体がもう少し大きくて、それから、鬣と尻尾が電光のように輝いている、ように見える。古い絵だから詳細は分からないけれど。
「神様のお使いで、雷を運んでいるんですって。……この図鑑を見てから、私、雷が怖くなくなったわ。だってきっと、この子が雷を運んでるんでしょう?なら、怖くないわ!」
「そっか」
はしゃいで解説してくれるカーネリアちゃんの話を聞きながら、森に帰ったら角と羽が両方ある馬が居ないか探してみよう、と思った。案外1匹ぐらい混じっているかもしれない。
「私ね、こっちも好きよ」
それからカーネリアちゃんは、別のページを捲って見せてくれた。どうやらそのページは、彼女のお気に入りらしい。ページの開き方が他のページとは違う。何度も見ているんだろう。
「ここに載ってるのは、全部伝説の生き物なんですって。もう居ないんですって」
そこには、レッドドラゴンの姿もあった。……ただし、フェイのところに居るレッドドラゴンよりも凶暴そうな見た目をしている。あんなに人懐っこそうな顔はしていない。
他に載っている生き物は、さっきのアリコーンというらしい角羽馬だったり、上半身が女性で下半身がヘビで竜の翼を持った宝石の瞳の女性だったり、炎のようなオレンジ色の鳥だったり、長い長い体のヘビみたいな竜だったり、綿菓子みたいな気の抜けた顔の竜だったり……色々だ。
「……すごい」
この図鑑は、凄く魅力的だった。見ているだけで面白い。僕にとっては完全に架空の存在の図鑑だけれど、この世界の人達にとっては、『かつて存在していた』ものの図鑑なんだな。そう考えると、なんだか不思議な気分になる。
「でしょう?私、この本、大好きなの」
カーネリアちゃんはにっこり笑って、それから少し寂しそうに言った。
「私、もっと昔に生まれてたらよかったな。そうしたらこの子達に会えたかもしれないもの。ヴィーブルと一緒に水遊びしてみたいわ」
「いいね。……あ、僕はこのフワフワしてるやつ、触ってみたい」
「ケサランパサランね!私も!私も触ってみたいわ!それからカーバンクルと駆けっこしてみたい!」
「この子、すばしっこそうだね」
「ええ!きっとそうだわ!それでね、それで……夜はフェニックスの羽のお布団で眠るの!」
見た事もない生き物と出会って、交流する。うん、楽しくていいと思う。話しているだけでも少しわくわくする。
特に、フェニックスの布団、というのは……寒い時にはいいんじゃないだろうか。見るからに暖かそうだ。
……いやでも、馬の布団で寝た事はあったけれど、あの時はちょっと、暑かった。ということは、このフェニックスの布団も、案外、暑くて寝心地は悪いんだろうか……?
「……それでね、私、フェニックスに乗ってお家を出て行くの」
フェニックス布団について考えていたら、カーネリアちゃんが唐突にそんなことを言った。
「……お散歩?」
「ううん。家出よ。しゅっぽんよ!」
出奔、なんて難しい言葉を知っているな、と思いながら聞いていたら……。
「私ね、結婚が決まっているの」
衝撃的な一言が続いてしまった。
「……えっ?」
「お相手は30歳年上のおじ様よ。私が16になった時には46歳ね」
「ええ……」
急に始まった話に、僕はなんて言ったらいいのか分からない。
今から結婚が決まっているの、でもないだろうし。30歳も年上なの、でもないだろうし。
「でもそれもね、ホケン、なんですって。どうでもいい結婚だっていうんだから嫌になっちゃうわよね」
どうでもいい、結婚……?どうでもいい結婚なのに、30歳年上の人と、9歳の女の子が……?も、もう本当に、なんて言っていいのか……。
僕だけじゃなくて、ラオクレスも何も言えなくなっている。ちょっと助けを求めようとしたら、彼は露骨に目を逸らしてきた。うん……。
カーネリアちゃんは僕らを見て、ちょっと笑った。
「ごめんなさい。困っちゃうわよね。こんなの言われても。……インターリアもおんなじ顔してたわ」
「……だろうな」
ラオクレスは凄く渋い顔でそう言った。インターリアさんもきっと、こういう顔したんだろうな。
「でもね。もしかしたら『どうでもいい』結婚は無しになるかもしれないの」
そしてカーネリアちゃんは表情を一転させて、ニッコリ笑って言った。
「もしサントスお兄様がお姫様を射止められたら、無しになるかもしれないんだって言ってたわ」
「お姫様?」
「そうよ。この国のお姫様。来月、パーティがあるでしょう?そこでお姫様は婚約者を探すんだそうよ。そこでお姫様を射止められれば、ジオレン家は安泰なんですって。サントスお兄様もお父様も、『ジオレン家の威信にかけて』随分張り切ってるわ。何をやってるのかは教えてくれないけれど」
ああ……それであんなに焦ってるのか。来月のパーティに間に合わせるために、すぐにでもレッドドラゴンみたいな生き物が欲しかった、のかな。
レッドドラゴンって、そんなに凄いものなんだろうか。
……いや、その前に、お姫様は置いておくとして、レッドガルド家の方はどうするつもりだったんだろう?
もしかして……その、暴力的な方法で全部解決しようとしてたんだろうか?例えば、『更地にしてしまえば全部関係無い』くらいの勢いで。
そうじゃないとしたら、その『お姫様を射止める』ことでレッドガルド家に攻め入ったことも帳消しにできる、とか、そういう話なんだろうか?お姫様と結婚するんだから罪は王様が揉み消しておこう、みたいな?いや、でもそんなことってあるだろうか?あるとすれば、王様かお姫様自身が、よっぽどレッドドラゴンやレッドドラゴンっぽい生き物を欲しがっている、とか……?
……とりあえず考えれば考えるほど、サントスさんにレッドドラゴンは渡しちゃいけない気がする。
けれど……サントスさんに何か召喚獣が渡って、サントスさんがそれでお姫様を射止めない限り、カーネリアちゃんは30歳年上の人と結婚するのか。
……うーん。
それからもう少し、一緒に図鑑を見ていた。
けれどその内、カーネリアちゃんが欠伸をし始めたので、お開きにすることにした。
「じゃあ、お休みなさい」
「ええ。おやすみなさい、トウゴ。……その、また明日も来て、いい?」
戸口のところで、カーネリアちゃんは少し不安そうな顔をして、そう聞いてきた。
「いいよ。またお喋りしようか」
なんとなく、彼女が少しでも楽しく居てくれたらな、と思うので、僕は一も二も無く了承した。
「本当!?わあ、ありがとう!……じゃあ、また明日!」
「うん。また明日」
カーネリアちゃんは嬉しそうに手を振りながら、扉を開けて出て行った。
僕は彼女を見送りながら……また、悩む。
これは一体、どうしたらいいだろうか、と。
「結局、寝ないのか」
「うん」
そして僕は、またメモ帳に向かい始めた。
けれど、今度はちゃんと、鉛筆がすばやく動いている。……ちゃんと、描きたいものが、あるから。
「……それはアリコーン、だったか」
「うん。角と翼のある馬」
ラオクレスが見ているのは、アリコーンの絵だ。馬はもう描き慣れているから、相当手早く描けた。
後は……着色する時に、光り輝く雷光のような鬣と尻尾をどう表現しようかな、とか、そういうことを考えることになるだろう。できれば翼も角も、他の馬よりも立派なものにしたい。
「何故それを選んだ?」
「あなたに似合うかと思って」
ラオクレスは僕の手元を覗き込みながら尋ねてきたので、僕はそう答えた。
「……俺に?」
「うん。フェイの家の庭で天馬に乗っていた時、すごく格好良かったから」
天馬に乗っていたラオクレスは、神話の中に出てくる騎士のようだった。凄く絵になる、というか。
だから、彼の召喚獣は馬がいいかな、と思ったのだ。雷を運ぶ馬。うん。なんとなくぴったりくる。
「天馬も、あなたが乗っていた時に嬉しそうだった。だから、アリコーンもきっとラオクレスを気に入ると思う。やっぱり馬だって、格好良く乗ってくれる人に懐くんじゃないかな」
「……そうか」
ラオクレスは少し気まずそうな、或いは照れたような顔をして、すぐそっぽを向いた。うん。彼は初めて会った時よりも大分、石膏像っぽくなくなった。僕はそれが嬉しい。
「なら、依頼はアリコーンで済ませる、ということになるのか?」
「うーん……それには2つ、問題があって」
けれど、僕は単純に『アリコーンを描きます』とは、できない。
「2つ?1つは分かるが。契約のことだな」
「うん。ジオレン家の人の前で召喚しなきゃいけない、っていうやつ」
まず、問題の1つ目はそれだ。
ラオクレスがアリコーンを召喚獣にするよりも先にアリコーンが捕まって、ジオレン家の召喚獣にされてしまうと……ちょっと、嫌だな、と思う。
僕はこの世界に来て馬が好きになったので、馬には幸せになってもらいたい。馬はちゃんと可愛がってくれる人の召喚獣になった方がいいと思う。
なんとなく……サントスさんの召喚獣になる生き物はかわいそうなんじゃないか、という気がしてしまう。
……よくない考えだとは、思うんだけれど。
「それから2つ目の問題なんだけれど」
「まだあるのか?」
「うん。カーネリアちゃんのこと」
……そして、2つ目の問題は小さな女の子の未来のことだ。
「カーネリアちゃんが言っていたけれど、サントスさんがお姫様を射止めれば、彼女の結婚は無しになるらしい、って」
「確かに言ってはいたが……」
「彼女、結婚には乗り気じゃないように見えた」
「だろうな」
うん。嫌だろうな。自分の父親と同じくらいの齢の人と結婚って。しかもそれが、9歳の内に決まっているって。……すごく残酷な事だと思う。
「だからできれば、サントスさんがお姫様を射止められればいいな、と思うんだけれど……」
「……あいつに召喚獣を与えるか?」
「それが嫌だから困ってる」
うん。嫌なんだ。サントスさんに召喚獣をあげるのが。
「……よくないよなあ、これ」
絵を描くことを仕事にするなら、こういう気持ちは絶対に捨てなきゃいけないものだと思う。
仕事の依頼をしてきた人に対して『あなたに召喚獣をあげたくないので描きません』って、そりゃ、ないだろう。
仕事は請けなきゃいけない。どんなに嫌でも、選ぶ権利は無い。
……けれど、僕にはこの気持ちをどうにも捨てる勇気が無い。
『好きなものを好きじゃないことに使う』意気が無い。
『絵』を使って『絵』ではないものを売る度胸が無い。
そうした先で、絵を好きで居続ける自信が無い。そして、絵が好きじゃなくなった時……僕が僕で居られる確証が無い。
そしてもし、そういう気持ちを捨てずに『仕事』をするならもっと高い壁があって、その壁の向こうへ行くには、何度も僕は粉々になるのだろうと想像がついて、そして多分、僕はそれに耐えることができない。耐えたとしたら、きっと、そこに居るのは僕ではない何かで……。
「おい、大丈夫か」
肩を掴んで揺すられた。
我に返ってラオクレスの顔を見上げてみたら、彼はちょっと焦ったような顔をしていた。
「……急に青ざめたぞ」
手がひんやりしていた。いつの間にか握りしめていた手が、白っぽい。けれど、握ったり開いたりしている内に、段々指先に熱が戻っていった。
「……うん。大丈夫」
「……今、お前が何を考えていたのかは分からないが、これを見る限り、答えはもう出ているらしいな」
「え?」
「これはフェニックスか」
ラオクレスはそう言って、僕の手元のメモを指さした。
……そこにあるのは、大きな鳥の絵だ。少女を乗せて運ぶ鳥。或いは、少女のお布団になる鳥だ。どうしても頭から彼女のことが離れなくて、つい描いてしまったやつだ。
けれど、『答えが出ている』って、どういうことだろう?
「契約の穴を掻い潜って依頼を達成する方法だな。『ジオレン家の人間の前で』召喚すればいい。つまり、カーネリアというあの少女1人、ここに置いておけばそれで事足りる」
……うん?
ええと……?
「ちょっと……ちょっと待ってね。ええと……?」
「……まさかお前は何も考えていなかったのか」
「うん」
ただ、カーネリアちゃんがフェニックスに乗って家出できればいいな、と思っただけだ。うん。それ以外は何も考えてなかった。
サントスさんか領主の人の前でアリコーンを描いて出して、それをラオクレスの召喚獣にしてもらう、っていう解決方法しか思いついてなかった。
でもそうか。カーネリアちゃんもジオレン家の人だから、彼女の前で何か描いて出せばいい。アリコーンを出しても、彼女なら無理矢理それを召喚獣にしようとはしないだろうし、それに、もしアリコーンがラオクレスよりカーネリアちゃんを気に入ったとしても、それはそれでうまくいく気がする。
「……まあ、言った通りだ。あの少女の前で何かを出せ。それで事足りる」
「うん、そうか……それ、文句言われない?」
「言われるかもしれないが、契約書はそうなってる。文句を言われる筋合いはない」
「そっか……そういうもんだよね……」
なんというか、この発想は無かった。なので今、突然出てきてしまった解決案に、ちょっと、混乱している。
ええと、僕は結局、何を描けばいいんだ?
「……俺はどちらでも構わん」
ラオクレスは、そう言った。そうか。ええと……。
「アリコーンでもフェニックスでも。好きなものを描け」
……うん。そうか。
そうだ。何かを出すことより、描くことを考えよう。何を描きたいか、考えよう。
そうすれば……自然と答えは決まってくる。
「どっちも描くことにする」
僕は、どっちも描きたい。
鉛筆は、またするすると動いた。メモ用紙の新しいページに、フェニックスと、アリコーンの姿を描いていく。アリコーンのデザインもこれで完成だ。そして、フェニックスは……。
ラオクレスは横から僕の手元を覗き込んで、それから小さく声をあげて笑った。
「そうか。それがお前の描くフェニックスか」
「うん」
……うん。楽しい。
今、僕は楽しい。
楽しいって、描きたいって思えて、よかった。
こう思えているから、まだ僕は僕のままだ。