21話:さよなら絵に描いたような世界*2
朝になったら朝ご飯。ちょっとお高い貰い物のチーズ出しちゃう。秘蔵のハムも出しちゃう。それにサラダ。あとはとろとろのフレンチトーストとミルクティー。
贅沢に森の花の蜜をたっぷりかけたフレンチトーストは、レネをにこにこ笑顔にする。それを見て、僕もライラもにこにこ。
それからライラが『このハム美味しい……』って言うのをちょっと嬉しく思ったり、レネが『このお茶はあったかい味です!』って日向菊のお茶のミルクティーを絶賛するのを聞いてしてやったり、みたいな気分になったり。後は只々下らない話をして、いつもみたいに過ごす。
朝ご飯が終わったら、皆一緒にゴルダへ。
……ゴルダの精霊様に、僕が帰ってしまうことを伝えた。すると、精霊様は随分と悲しんでくれて、花びらで僕を包んで、ぎゅっ、と抱きしめてくれた。それからしばらく、花びらに包まれたままおしべでつつかれたりめしべで撫でられたりして、別れを惜しんで……ある程度のところで、次はグリンガル領へ。
グリンガルの精霊様も随分悲しんでくれるもので、こちらもくるくる巻き付かれてぎゅうぎゅうやられたり、優しく舐められたり、すりすりやられたり……ええと、まあ、こちらもしばらく放してもらえなかったのだけれど、ちゃんとお別れはできたので、まあ、よし……。
その次はジオレン領の琥珀の池。琥珀コカトリスとケルピーのコンビは、何だかんだ楽しそうに生活していたし、水の妖精も何だかんだ馴染んでいた。冬だけれど妖精が育てた花は綺麗に咲いていて、クリスマスローズみたいな花やクロッカスみたいな花がぽやぽやと水辺に生えて、琥珀の池を飾っていた。
彼らともお別れをちゃんとして……ええと、まあ、ケルピーも琥珀コカトリスも『どうでもいい』みたいな顔をしていたけれど。君達、あっさりしてるね……。
精霊様巡りをして、その日は王都に宿泊。宿を取ろうと思っていたのだけれど、ラージュ姫が『折角ですから』と、王城に泊めてくれた。
「よーし!トウゴー!枕投げようぜ!」
「その文化この世界にもあるんだ……」
そして客室で寝ようとしていたら、フェイがやってきた。僕はなんというか、色んな意味で驚いた。この世界でも枕投げがあるらしい、とか、一応貴族なのにフェイもそういうことやるらしい、とか……。
「ま、いいじゃねえかいいじゃねえか。やろうぜやろうぜ」
「ええー……まあいいけどさ」
僕は特に枕投げが好きとかそういうことはないのだけれど、フェイが楽しみにしているようなので、それから数往復分、枕をぽんぽん投げ合ってキャッチボールならぬキャッチ枕をした。……なんか違う気もするけれど、フェイが楽しそうだったから、まあ、いいか。
「よし!んじゃあ次は何する!?」
「寝る……?」
「よし!一緒に寝るか!」
「いや、ベッドもう一台出すから……あの、ちょっと、狭い」
それから更にバタバタしていたら……唐突に、バン、とドアが開く。
「寝ろ」
……ラオクレスが居た。ああ、なんだか安心感がある。やっぱり彼はこうでなくては!
ということで、ラオクレスも含めて僕ら3人、お泊り会になった。フェイは『男ばっかりってのも色気はねえけどまあ、楽しいし気楽だし、悪くはねえよな!』とはしゃいでいる。ラオクレスは僕らを寝かしつけようとしに来たはずなのにいつの間にかお泊り会に巻き込まれて戸惑っている。まあ、諦めてください。
「なーなー、折角だし色恋の話でもするかぁ?トウゴー、お前、なんかそういうのねえの?」
「特には……」
「じゃあラオクレスは……あっ!ラオクレスはクロアさん!クロアさんとどうなんだよ!なあ!」
「寝ろ」
「僕も気になる」
「寝ろ」
「トウゴが元の世界に帰るかもっつってそわそわしてた時もクロアさんのとこに居ただろ!?なあなあ、どうなんだよー、どうなんだよー!」
「いい加減に寝ろ」
……ただ、やっぱりラオクレスは鋼のラオクレスだった。
僕とフェイの間に挟まれて騒がれても、『寝ろ』の一点張りだった。その内、本格的に僕を寝かしつけに掛かってきて、抵抗空しく僕はそのまま寝かしつけられてしまった。フェイも寝かしつけられていたらしい。ああ、流石は僕らの石膏像……。
翌日は妖精の国に挨拶に行った。いや、まあ、今後はぽんぽんフェアリーローズの茂みを描いて出す人が居なくなってしまう訳だから、その説明も兼ねて。
……妖精達は僕との別れを悲しんでくれて、ぱたぱたすりすり、たくさんの妖精に纏わりつかれた状態で僕はしばらくじっとしていることになってしまった。まあ、これはこれで……。
それから妖精の国を通って行ってサフィールさんの家でご挨拶したり、クロアさんのお父様のところに行って『この間のお約束の絵です』ってライオンの絵をプレゼントしてきたり、夜の国に行ってタルクさんに包まれたり、竜王様と固く握手をしたり、ここでもレネにくっつかれたり、そうしてあちこちを周って……。
……最後はやっぱり、レッドガルド領。
最初に、フェイのお父さんとローゼスさんと、契約解除のお話をした。
……僕はこの人達に雇われた、絵描きだった。職業として絵師をやらせてもらって、絵を売ってお金にするっていう経験をさせてもらえて……幸せだったなあ、と、思う。
「……結局、我々は君を絵師として大成させてやることはできなかったな。それどころか、むしろ絵師ではない仕事ばかり負わせていたような……」
「それも楽しかったですよ」
フェイのお父さんは少し申し訳なさそうな、そして何より寂しそうな顔をしていた。まあ確かに、僕、レッドガルド家からの依頼は絵よりも町長業の方が色々あった気がする。でも、これぐらいで丁度よかったと思うよ。何より、すごく楽しかった。
「君のおかげでレッドガルド領が随分と発展した。その恩返しと言うのもあまりにも身勝手ではあるが……ソレイラと精霊の森は、我々が未来永劫護っていくと約束しよう」
「はい。ありがとうございます。……この森、大事にしてもらえたらすごく嬉しいです。どうか、永く傍においてください」
そういえば、僕は元の世界に帰るけれど、この森はこの世界に在り続けるんだなあ。
……そうだ。僕の一部が、ちゃんと、この世界に残るんだ。森は勿論そうだし……描いてきた絵も。
「君の画廊はそのまま、君の絵を展示する場所にしたい。いいかな?」
「はい。もしよければそうしてください。他に飾りたいものがあったら、なんでも飾ってほしいです。ライラの絵とか、他の人のでも、なんでも」
「成程。それもいいかもなあ。うん、そうだ。折角、トレントという気のいい木も居ることだし、警備はしっかりしているからなあ……色々なことができそうだ」
僕が消えてしまった後も、大好きな世界に残るものがある。そう思うと、なんだか……救われる気がする、というか。うん、そんなかんじ。
一通り、フェイのお父さんとローゼスさんと話をして、それから夕食をご馳走になることになって、その準備が始まった頃。
「なー、トウゴぉ……」
僕が客室でぼーっとしていたら、そわそわしたフェイがそわそわしながらやってきた。
「どうしたの?」
「いや、そのさあ……」
フェイは客室に入ってきて、そこらへんの椅子に座って、そして、落ち着かなげな様子で堰を切ったように話し始めた。
「なんか俺にできること、ねえか?なんでもするぜ?何かしたいこととか、食べたいもんとか、ねえか?一応こちとら貴族だ。大規模なことでも、多少無茶なことでも、叶える準備はある!」
「……どうしたの、本当に」
なんだか唐突にとんでもないことを言い始めたぞ、と思いつつ聞き返してみたら、フェイは、へにゃ、と情けない顔をする。
「この世界の為に、トウゴは帰るだろ?でもよ、トウゴは、それを望んでねえんだろ?」
「望んでいない、というわけではない、と思うけれど……」
フェイの問いに考える。僕は……うん。大丈夫だ。ちゃんと自分の意思で、この世界を守りたくて、元の世界に帰りたい。
「でもこの世界、好きなんだろ?元の世界も好き、って訳じゃあねえみてえだし……」
けれど、まあ、フェイがいう事も確かではある。できることならずっとここに居たいよ。けれど、まあ、やりたくないことをやらずには、本当にやりたいことや大切にしたいものを失うことになるんだっていうことくらいは分かるし。
「トウゴだけが割を食うみたいで、絶対に納得できなくてさ……だからよ、せめて、この世界の人間として、お前の親友として、埋め合わせにできること、何かねえかな、って……」
……僕は、割を食ってる、なんて思ってないけれど。むしろ、自分にもできることがあってよかったな、とも、思ってるくらいだけれど。それはそれとして……フェイの言葉を聞いて、ああ、本当にフェイはいい奴だなあ、と思う。
こういう風に、身を尽くすように人を思いやれる人って、貴重だよ。彼が政治に携わるレッドガルド領は、今後も安泰だろうなあ、と思う。
「そうだ!モデルやるか!?俺、5時間ぐらいモデルやってもいいぜ?」
「へ」
……そして、唐突に元気を取り戻したフェイの唐突な申し出に、なんというか、びっくりする。いや、あの、なんで、モデル。
「いや、その、な?お前、元気ねえから、どうやったらお前が元気になるかなあ、って考えてよお……絵を描かせるぐらいしか、思いつかなかったんだよぉ……」
しゅん、としながらフェイがそう言うのを聞いて、なんだか……新鮮な気がした。
……そうだった。うん。そうだった、そうだった。
僕、絵を描くのが好きなんだった。
そうだよ。どうして忘れてたんだろう。僕にとって、これは、一番大切なことだっていうのに。
……先生を描いても上手くいかなかったから、描くことを何となく厭に思っていた、のかも。
でも……僕には描くことが、必要だった。そうだった。そうなんだよ。僕は、描かなきゃいけない。先生が、書かなきゃいけなかったのと同じで。
「うん。帰る前に、絵、描こうかな。先生なら、死ぬほど書いてたと、思うし」
どんなに悲しいことがあったって、どんなに悲しいことに待ち受けられていたって、僕は絵を描くことができる。絵を描くことで、大切なものを、『無駄』にしなくて済む。
「死んでも、描くのをやめない。僕が死ぬのだって、先生が死ぬのだって、同じだ。死んでも、描くよ。描かなきゃ、そうしなきゃ……何のために、こんなことがあるのか、分からなくなってしまうから。僕ら、描かなきゃ生きていけないから」
……思い出したから、もう大丈夫だ。
どんなことがあっても、僕は乗り越えていける。先生が死んだって、僕は描くのをやめない。
ふと、窓の外を見たら、夕焼けの端っこが一欠片だけ残った夜空が広がっていた。それから、明りの灯る町並み。きっとそこに広がる人々の笑い声。楽しいことを沢山内包しているはずの町の景色は、なんだか綺麗で、少し寂しい。悲しい時に見える風景は、いつもより綺麗だ。
そうだ。描きたい。描きたいなあ。こんなに綺麗なんだ。描かなきゃ、いけない。
そして……描いている限りは、僕は、幸福な最強の生き物なんだ。
「……ねえ、フェイ。描かせてほしい。いい?」
「勿論!好きなだけ描けよ!な!」
僕がお願いしたら、フェイはぱっと表情を明るくして、それから、ばしばし僕の肩を叩いて喜ぶ。僕が喜んでいることを喜んでくれる。それが嬉しくて、じんわり温かい。
「皆の集合した絵、描こうかなあ。1人ずつの方がいいかな。うーん……」
「どっちも描いちまえばいいんじゃねえかなあ」
「うん。そうしようかな」
そんな話をしながら、じんわり温かくてじんわりわくわくした気持ちになってきた。絵を描くことは、こんなにも楽しい。悲しくても寂しくても辛くても、楽しい。絵を描くことは無駄じゃない。少なくとも、僕にとっては。
……そうだ。全部、無駄じゃない。
絵を描くことも、勉強することも、空が綺麗だと思うことも、雨に見惚れることも。
僕がこの世界に来たことも。皆と出会えたことも。……先生が、死んでしまったことだって。
全部、無駄じゃないから。僕が絵を描き続ける限り、それらは全て、僕の絵のためにあるものだから。
……だから僕は、死んでも描くのをやめない。
無駄にしたくないから。無駄だったことに、したくないから。