15話:夢見るだけならタダなので*1
その日の夜、僕はなんだか眠れないまま、ベッドの上でごろごろしていた。
カチカチ放火王は消えた。ルギュロスさんはこれでよし、というようなことを言っていたし、まあ、カチカチ放火王にこの世界が燃やされる心配は無くなった、っていうことでいいんだと思う。
……けれど、カチカチ放火王は言っていた。『既にこの世界は薄氷の上にある。余が何もせずとも、いつ崩れても何らおかしくはない』と。
それが本当なら、カチカチ放火王を倒しただけじゃ、この世界は保てない、っていうことになる、のだけれど……。
……だとしたら僕はやっぱり、現実、に、帰らなきゃいけない。
眠れそうにないから、寝るのは諦める。コートだけ羽織って外に出た。
真冬の森の冷たい空気が、じわり、と僕の服の中に染み込んでくる。一応ランプを提げて来たけれど、月明かりでくっきり影ができるくらいには明るい。これならランプ無しでもよかったかもしれない。
森の土を踏んで、コートのポケットに手を突っ込んで、マフラーを巻き忘れた首を竦めながら、あてもなく歩く。……まあ、森の中は僕の中でもある。あてもなく、といっても、全部自分のよく知る場所だ。なんとなく新鮮味には欠ける。
それでも、なんとなく歩いていたい気分だったから、どんどん歩く。
薄く積もってから融けた雪が森をしっとりと濡らしていた。塗れた落ち葉や小枝、枯れた下草や殻だけになった木の実。そういったものが月明かりをちらちら反射している。
……そんな中を歩いて、歩いて、僕はなんとなく、鳥の巣の方へ来ていた。
鳥の巣がある木の下までやってきて、そこでさく、と土を踏むと、もそもそ、と木の上で気配が動く。
そして、にゅ、とこちらを覗くつぶらな瞳。ちょっと小憎たらしい仕草で傾げられた首。
「ええと……ちょっと、気分転換に散歩に来たんだ」
鳥にそう説明すると鳥は、バサバサ、と巣を飛び立って、僕の傍までやってきて……キョキョン、と鳴くと、僕をガシリと掴んで、ばたばたと飛んでしまった。まあ、こうなる気はしてたよ……。
そうして僕は鳥の巣の中。鳥にちょっとぞんざいに投げられて鳥の巣の中でころころ転がって、それから僕のすぐ横に、もすん、と鳥が着地。狭い。
……狭い鳥の巣の中、鳥と密着するようにして何とか収まる。ふわふわした鳥の羽毛に半分埋もれるみたいになっているのだけれど、まあ、冬の夜には丁度いいかもしれないね。あったかいことはあったかいし。
「……君は相変わらずだなあ」
何となくそう言ってみると、鳥は、キュン、とだけ鳴いた。
「僕は結構悩むけれど、君は悩み無しに見えるね」
更に続けてみると、鳥はまた、キュン、と鳴く。
「……僕、元の世界に帰った方がいいかな、と、悩んでる。僕が元の世界に帰ることでこの世界を助けられるならそうしたい。でも、この世界から出ていきたくなくて……」
そして相談に乗ってもらおうかな、と思って切り出してみたけれど、鳥はやっぱり、キュン、と鳴いた。
……よくよく考えたら、鳥に相談するっていうのも馬鹿らしい気がしてきた。何と言ってもこいつ、鳥だし。返事されても分からないし。
「……ふわふわ」
なのでしょうがない。物事の解決は諦めて、気分転換だけに専念することにした。鳥の羽毛に埋もれると、ふわふわして気持ちいい。何だかいい匂いもするし……あっ、もしかしてこれ、レネの匂いだろうか!?ライラと同じく、鳥もレネをポプリ代わりにし始めたんだろうか!
まあ、レネの場合はふわふわのふりゃふりゃに包まれたら喜ぶだけだろうから、WIN-WINの関係ではある……。
そのままふわふわ羽毛に埋もれて、のんびり空を見上げる。
冬の夜中の空は月が高くて、空気が透き通って、とても綺麗だ。特に今は鳥の巣の中に居るものだから、余計に空がちょっと近くて、周りの木の葉が少し低い位置にあって……月に手が届きそう、っていうかんじ。
まぶしいくらいの月明かりを浴びて、鳥の羽毛もふわふわと輝くようだった。けれどその中に埋もれてしまえば、程よく暗い。
「……今日、ここに泊まってもいい?」
聞いてみたら、鳥はキョキョンとだけ鳴いた。そしてそのまま、とろん、と目を閉じて、うつらうつら眠り始めてしまった。
鳥がこういう風に寝ちゃった、っていうことは、僕も泊まって行っていいだろう。そう思うことにして、僕も鳥に埋もれたまま、月の光を浴びつつ、目を閉じて、うつら、うつら……。
……この世界に来た頃は、なんとなく自分以外の生き物が近くに居ると眠れなかったけれど、今はむしろ逆になっちゃった。
あったかくてふわふわした生き物に埋もれて寝るのは、まあ、これはこれで落ち着く……。
そうして朝が来た。朝陽に照らされて目を開けると、眩しいぐらいに光に輝く羽毛が視界に入ってくる。それからもそもそ動いて確認すると、すうすう寝ている鳥の顔も見えた。
……鳥の寝顔を観察していたら、やがて、ぱち、と鳥の目が開く。鳥は僕の方へ頭を向けると、キョキョン、と挨拶してきた。うん。おはようおはよう。
「……ふわ」
僕も一つ欠伸をしたら、よいしょ、と鳥の羽毛から抜け出す。途端になんだかひんやりした。よくよく考えるとこの鳥の羽毛の保温能力、すごいなあ。冬の森の屋外でもぬくぬく眠れる程度の保温能力なんだから……。
「泊めてくれてどうもありがとう。なんだかちょっと元気になった」
そして、どうしてだか、何となく気分もスッキリ。なんでだろう。鳥に相談しても無意味、っていう諦めのおかげで吹っ切れてきたのか、ぐっすり眠ることで気分もよくなったのか、それとも鳥の羽毛にもやもやした気分がすべて吸い取られてしまったのか……。
「じゃあ行ってくるね」
まあ、何はともあれ、僕は鳥に別れを告げて鳥の巣から飛び立つ。自分に羽が生えているとこういう時便利。
空を飛んで家に帰ると、フェイが僕の家のドアを叩いては首を傾げているところだった。
「ごめん、外出してた」
「うおっびっくりした!」
後ろから声をかけると、フェイは大層びっくりしてしまったらしい。ごめんごめん。
「どこ行ってたんだよー、朝一番にこっち来たのにお前、出てこねえしよー、かと思ったら後ろから飛んでくるしよー……」
「ごめんってば。ええと、鳥の巣にお邪魔してた」
立ち話も何なのでどうぞ、とフェイを部屋に通す。居間の空気はひんやり冷えている。まあ、一晩人が居なかったらこのくらい冷えるか。
暖炉に火を入れてもすぐには部屋が暖まらないので……フェイの召喚獣の力を借りる。火の精を部屋の中でちょっと遊ばせておくと、段々部屋の中がぽかぽかしてくるんだよ。冬には本当にありがたいなあ、火の精。
「で、なんだって鳥の巣なんて行ってたんだ?」
「うん、なんとなく眠れなくてさ。散歩がてらふらふらしてたら、鳥の巣の下まで来たところで鳥に連れていかれてしまった」
そういえば朝ご飯がまだだったのでパンを切りつつ、フェイにはお茶を淹れつつ、僕らは話す。
「で、一晩鳥の巣?それ野宿だよなあ。風邪ひかなかったか?」
「案外あの鳥の羽毛って、あったかいんだよ。本当に。そういう魔法なのかもって思うくらいに」
朝ご飯は切り分けたパンにジャムを塗って、あとはミルクティー、っていう風にいこう。ついでに昨日切ってそのままにしてあったチーズがあったので、それも食べちゃおう。よし、これで朝食の支度は完了。
「今度俺も鳥野宿、してみるかなあ……」
「冬がいいよ。夏はきっと暑いと思う」
鳥野宿に興味を持ったらしいフェイにそうお勧めしつつ、パンを齧る。お腹にものが入ると、少しずつ力が出るようになってくるというか、元気になってくるというか。
「……ねえ、フェイ」
そうして少し元気になったところで、僕は、フェイに相談させてもらうことにした。
「……やっぱり僕、元の世界に帰らなきゃいけないなあ、と、思う」
僕がそう切り出した途端、フェイは持ち上げかけていたお茶のカップをテーブルに戻して、それから、何か悩むような顔になる。
……でもきっと、フェイもこの話をするためにここへ来たんだと思うんだよ。彼はそういうやつだから。
「……帰っちまうのか?」
へにょ、と元気のない顔をしたフェイの手がミルクティーのカップをぎゅっと握り込む。
「そうしないとこの世界が危ないっていうなら、帰らなきゃ」
「帰りたいわけじゃ、ねえんだろ?」
「そりゃあね」
帰りたいわけじゃ、ない。先生ともう一度話したいとは思うけれど……できることなら、この世界で生きていたい、と思う。
元の世界は、その、ちょっと……僕には窮屈なんだ。
「……行くなよ、って言うことは簡単だけどよ。でも、これ、そういうのだけで決めていいもんじゃねえ、よな……」
フェイの言葉が嬉しい。『行くなよ』って思ってくれてることが嬉しいし、そう簡単なことじゃないから、って悩んでくれるのも嬉しい。
「……僕、やっぱり元の世界に帰るよ」
沢山悩んでいるフェイに、僕はそう、言った。
……僕以上に悩んで困って苦しんでくれる人の存在っていうのは、僕自身の悩みを吹き飛ばしてくれるらしい。フェイのおかげで、なんだか踏ん切りがついた。
「それで……僕、この世界を、ちゃんと、立て直す。本じゃなくて、停滞が間違いなくて、そして、タイトルの無いこの世界を……『未完』の物語を、なんとかするよ」
「多分、先生に何かあったんじゃないかな」
口に出したら、ぞわぞわと心配が背筋を駆けのぼってくる。けれどそれを抑え込んで、それでもなんとなく落ち着かなくて、ジャムを掬ったスプーンを意味も無くふりふりやる。
「だからこの世界は、『本』じゃないんだ。きっと出版されてないんだよ。それから、停滞しちゃう、っていうのは、要は、完結する前に途切れてる、って言うことだと思う。それで、タイトルが無いっていうのも……そういうことなんじゃないかな。世間に出ない本なら、タイトルが付いている必要は無いから」
考えると、心配がどんどん溢れてくる。
先生が物語を未完のままにしておくって、どういう状況だろう。文章を書くどころじゃなくなっちゃった?出版社から契約を打ち切られた?それとも病気?怪我?或いは気分が乗らない?
それとも……もっと悪い何かが、起きた?
「……確かめるのが怖いな、って、思う。先生に何かあったんだとしたら……僕、どうなっちゃうんだろうな。うーん」
今はまだ、想像だけだ。僕の想像で怖いことを考えてしまっているだけだ。けれど、もし、これを本当に確かめてしまったら……僕は、どうなるんだろう。
「でも、このままでいるわけにはいかないっていうのは、分かるんだよ。確かめるのが怖いけれど、確かめなきゃいけないって、思ってる」
「……そうかぁ」
それでも、知らないままではいられない。この不安を抱えたままで楽しく生きていくことはできそうにないし……カチカチ放火王曰く、やっぱりこの世界は、いずれ滅んでしまうらしいので……。
「……いや、でもよお、そう言ったって、どうやって元の世界に帰るんだよ、お前」
それからしばらく俯いて悩んでいたフェイは、ふと、そう言って顔を上げた。
「帰るも帰らねえも何も、そもそも帰る方法が無いんじゃねえのか?」
……うん。
まあ、それは確かに。




