14話:書を焼く者へ*4
誰よりも最初に動いたのは……意外なことに、鳥だった。
キョキョン、と声が聞こえたと思ったら、光の剣を構えて突っ込んでくる鳥の姿。僕らがびっくりしている中でもカチカチ放火王は冷静に、鳥を払って墜落させようとする。鳥は大きいけれど、カチカチ放火王はそれを遥かに超える大きさだ。
……でも、この鳥は一筋縄じゃいかない鳥だ。
なんと、鳥はカチカチ放火王の腕をふわりと躱すと、そのまま、ひらり、ひらり、と、空中に舞った木の葉のように、カチカチ放火王の攻撃を避けていく。
「……あいつ、できる奴だったんだなあ」
「うん……」
なんだか不思議な気持ちになりつつも、鳥がひらひらしているのを眺めて……そして、やがて、鳥はふっと急降下すると、カチカチ放火王の膝のあたりを、ちくん、と光の剣で突き刺した!
鳥が一撃入れたぞ、ということは、僕らの気分を高揚させる。わっ、と盛り上がる中、鳥は堂々と胸を張って、ぱたぱた飛んで離脱していった。……とりあえず先陣を切りたかっただけらしい。この後は参加しないつもりかもしれない。まあ、鳥なので……。
「よーし!鳥に続けー!」
けれど確実に、僕らの気持ちには影響した。フェイがそう声をかけると、ぶわり、とレッドドラゴンが翼を広げて飛び立つ。
ひゅ、と息を吸い込んで、吐き出したのは明るい炎。カチカチ放火王も炎だけれど、レッドドラゴンの炎はそれとはなんとなく違って見える。
更に、ぎゃう、と鳴いたレッドドラゴンは勢いよくカチカチ放火王の顔面を爪でひっかいていった。それに怒ったカチカチ放火王がレッドドラゴンの尻尾を炎の手で握ろうとした、その時。
ざっ、と、雨が降ってくる。
唐突に、そしてあまりにも強い雨。バケツをひっくり返したような雨、という表現が正しいような、そういう雨だった。……妖精のバケツリレーが幾千幾万と重なったらこうなるのかもしれない。
上空を見上げてみたら、もくもくと黒い雨雲が空を覆い尽くしていくところで、そして、その雲を龍が引き連れて悠々と空を泳いでいるところだった。その姿の、優美で神々しくて、綺麗なことといったら!
カチカチ放火王が勢いよく火柱を上げて龍を焼き焦がそうとするけれど、龍へ向かった炎の前にレッドドラゴンが飛び出していって、その艶々した緋色の鱗で炎を受け止める。その場でくるりと一回転して大きな翼で炎を振り払うと、また爪でカチカチ放火王を引っ掻きにいった。
龍はレッドドラゴンに庇われたのがちょっと癪だったらしいけれど、それに拗ねる奴だと思われたくもないのか、特に何もせず、ただ、べしり、と尻尾でカチカチ放火王を叩いて通り過ぎていく。
……ばちん、と雷光が弾けたと思ったら、アリコーンが空を飛んでいた。
上空に雨雲が立ち込めた状況はアリコーンにとって都合がいいらしくて、立て続けに数発、雷がカチカチ放火王に向かって落ちていく。炎に雷って効くんだろうか、とも思ったけれど、カチカチ放火王の輪郭が揺らいでいくのを見る限り、効いていないわけじゃなさそうだ。
アリコーンが落とす雷は、カチカチ放火王の視界を奪うのにも役立った。
カチカチ放火王が上空のドラゴン2匹とアリコーンに躍起になっている間に、骨と鎧の騎士団が駆けていって、カチカチ放火王の脚を狙う。
「勇者が一太刀も浴びせなかったとは言われたくないのでな!」
「な、ならば私も同じことです!」
そして、今がチャンス、とばかりにルギュロスさんが骨と鎧の騎士団に混じって駆けていく後ろを、ラージュ姫も慌てて追いかけていく。それを見て慌てて、ラオクレスも駆けていった。
彼らの剣は、通り抜けざまにすぱりと炎を断ち切っていって、揺らめいた炎の切れ端がカチカチ放火王から千切れ飛んでいく。
……そして。なんと。
そうして生まれた炎の欠片は、魔王が食べてしまう!
……魔王、いつの間にか、がしゃ君の頭に乗っかって、勇ましくもまおんまおんと鳴いていた。そして、骨と鎧の騎士団が切り飛ばしたカチカチ放火王の破片を、ぱくん、ぺろん、と食べていってしまうんだよ。
これにはカチカチ放火王も焦ったらしい。上空の3匹は置いておいて、骨と鎧の騎士団や2人の勇者……そして誰よりも、魔王を倒そうと躍起になる。
……けれど、その頃にはもう骨と鎧の騎士団は撤退済み。またアリコーンが雷を落としてカチカチ放火王の視界を奪って、更に、龍が大きな大きな水の腕を作り上げて、それでカチカチ放火王を叩き潰しにかかった。
その間にがしゃ君に運ばれてきて無事避難した魔王は、けぷ、と小さな火を吐き出しつつ、まおーん、とのんびり鳴いて、お腹をさする。お腹いっぱいらしい。まあ、丁度良かったっていうことかな……。
……こうして、強く美しい生き物達の戦いが続いた。
カチカチ放火王もただやられっぱなしでは居てくれなくて、今までの数倍の力で森を焼こうとしてくる。……そう。カチカチ放火王は、ドラゴン達やアリコーン、そして騎士達を相手にするよりも、森を破壊していく方針に切り替えたらしい。
「お、おい、トウゴ。大丈夫か?」
「うん、大丈夫……ちょっと熱いけど、それだけ」
森の木々が焼かれていく。けれど、大雨と森の結界のおかげで、木の表面が少し熱せられる程度で済んでいる。むしろ、どちらかというと大雨の被害が出そうでちょっと心配になってきたぐらいのものだ。
けれど、炎の拳が木を殴りつけに掛かってくると、流石にちょっと、堪える。
殴りつけられたような感覚があって、ぐわん、と頭が震えて、後から痛みと吐き気がやってくる。
「トウゴ」
「大丈夫」
大丈夫だ。殴られるくらいならなんてことない。多少は殴られて育ってきたし、慣れてるよ、これくらい。
……でも、いくら他の生き物達が攻撃してくれてるからって、やられっぱなしっていうのは、ちょっとな。
丁度、戦いの様子がある程度描けたところだったから、丁度いい。僕はさっと絵を描いて、カチカチ放火王の足元を池に変えた。これくらいならまあ、別に大した負担でもないので。
急に足元が池になって、カチカチ放火王は慌てたらしい。けれど慌てても何でも、カチカチ放火王はもう池の中だ。ジュッ、と音がして、池の水が一気に水蒸気になっていくのと同時にカチカチ放火王は一気に縮む。
池の水が龍に操られてカチカチ放火王を包み込む。そこへ雷が落ちて、更にレッドドラゴンががぶりと噛みついて……そして。
キョキョン。
まあ君だろうな、と思っていたその声が響いて、迫ってきて……。
ぷすり。
……なんだか気の抜けた音と共に、鳥が構えた光の剣が、カチカチ放火王にしっかり突き刺さっていた。
すっかり縮んでヒヨコフェニックスよりも小さくなってしまったカチカチ放火王の上に、鳥が着地する。キョキョン、と勝利宣言。
キョンキョン鳥がうるさい中、僕らはそっと、鳥の足元を覗いて……そこに、蝋燭の炎くらいの大きさになってしまったカチカチ放火王を見つける。
「おお……風前の灯、鳥の下のカチカチ放火王……」
フェイが妙な感心の仕方をしているけれど、それはそれとして、僕はカチカチ放火王へ手を伸ばす。
身を捩るようにして炎が揺らめいたけれど、それだけ。カチカチ放火王は無事、僕の手の中に納まってしまった。
「……熱くない」
最早、カチカチ放火王には周りのものを燃やす力が無いらしい。手の中に包んでいても、ほやほやぬくぬく温かいばかりで、火傷するようなことはなかった。
『無念……』
カチカチ放火王は僕の手の中でそう、嘆いた。嘆く声を聞いた鳥が、自分の下からカチカチ放火王が取り出されていることに気づいて、僕の手の中のカチカチ放火王をつつこうとしてきた。こらこらこら、駄目だよ!
「ねえ。この世界のタイトル、あなたは知っているんだろうか」
そこで僕は、カチカチ放火王に聞いてみる。……すると、カチカチ放火王はびっくりしたようにメラリと炎を揺らめかせて、そして、むっとしたような顔をした。
『この世界が偽りのものだと気づいたか。ならば何故、現実に帰ろうとしない』
「……この世界が好きだから。偽りかどうかなんて関係が無いから。それから、そもそも僕、帰り方は知らないよ」
『ならばすぐさまこの世界を燃やすことだ』
「それ以外で方法、無いの?」
折角だから帰り方は聞いておきたい。この世界のタイトル、気になるし。
……と、思ったら。
『この世界に題など、無い。それどころか、この世界には続きすら、無いのだ』
カチカチ放火王は、そう言った。
『締めくくられない物語に続きなど無い。無限と停滞は別のものだ。漫然な停滞に閉じられた惨憺たる世界のなんと多いことか。……だというのに、この世界は続いている。おかしなことだ。だが、既にこの世界は薄氷の上にある。余が何もせずとも、いつ崩れても何らおかしくはない』
「ど、どういうこと?ねえ、この世界はいつ崩れてもおかしくない、って?」
カチカチ放火王が言っていることの意味はよく分からない。けれど、『既にこの世界は薄氷の上にある、いつ崩れても何らおかしくはない』という部分は、聞き流すわけにはいかない。
『分かり切ったことだ。この世界は脆い。『空想』など……それも、停滞が決まり切っている世界など、いつ崩れて消えてもおかしくないのだ。ならば余が燃やしてやってもよいだろうに……』
「停滞?……ええと、それは、この世界の本を読めば、分かること?」
『ふん。この世界は本などではない』
えっ。じゃあ、何……?なんだか次々に、よく分からないことを言われてしまっている。
「……本じゃないの?でも、物語なんだよね?」
『貴様には何を言ってもどうせ伝わらんだろう』
カチカチ放火王は諦めたようにふわふわと炎を揺らす。それがまた、なんとも弱弱しくて、ちょっとかわいそうになる。
「ねえ。僕、あなたの言葉、ちゃんと聞こえたよ。……さっきは、『現実に帰れ』って、言ったよね」
もうすぐ消えてしまいそうなカチカチ放火王に尋ねてみる。ついでに、『僕は大丈夫だよ』とも、伝えたかった。
「もう、『現実』は聞き取れる。それに、僕が聞きとれなくてもそっちの……ええと、ルギュロスさんには聞き取れる可能性が高いので!」
ほら、ほら、とルギュロスさんを示すと、カチカチ放火王は諦めたような顔から呆れたような顔になって、深々と、火の粉交じりのため息を吐きだして……。
『この世界に続きは無い。この世界には、ただ停滞があるだけだ』
じっと、炎でできた目が、僕を見つめる。
『知りたくば、現実へ帰ることだ。この物語は呼び出せぬ。……名付けられなかったのだからな』
「名付けられなかった?」
タイトルが無い物語、っていうこと?それでいて、これは本ではなくて……。
……本ではなくて、物語。それでいて、無限ではなくて、停滞。タイトルが無くて……。
『この世界の滅びを見届けたいのならば、この世界でぬるま湯に浸かっているがいい。そうではないというのなら、現実へ帰るがいい。そして……我らが共存できるというのならば、やってみせよ』
カチカチ放火王はそう言って、ふっ、と、その明るさを一気に落とした。小さく縮んで、いよいよ、小さな火になってしまう。
「……分かった。やってみせるよ」
消えていくカチカチ放火王に聞こえたかどうかは分からないけれど、そう伝えて……そうして、カチカチ放火王は最後に小さく小さく、ぱっと輝いて、そして、消えてしまった。
……最後の火だけは少しだけ熱くて、ほんの少し、手のひらを火傷した。
火傷がじくじくと痛む。
「おーい、トウゴー、大丈夫かー?鳳凰の涙、要るか?」
やがて、僕を心配してフェイが鳳凰片手に駆け寄ってきてくれたのだけれど……ちょっと考えて、首を横に振った。
「ううん。大丈夫。大した怪我じゃないから」
火傷した手のひらを握って、僕はカチカチ放火王が言っていたことを考える。
「……やっぱり僕、現実に帰らなきゃいけないのかもしれない」
この世界が滅びてしまうというのなら、僕はそれを食い止めたい。
そして……確かめたいことが、できてしまった。
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*追記
そして発売初日にして3巻の発売が決定しました。皆様のおかげです。どうもありがとうございます。