10話:世界を尋ねて*9
なんだか見覚えのある装丁。シアンブルーの瞳の女の子の絵が描かれた表紙に『戦場の人魚に神様は微笑まない』とタイトルが入っている。
……これ、思案ブルーのちょうちょの本だ!
「思案ブルーのちょうちょの本だ!」
「え!?何!?思案ブルーのちょうちょ!?なんだそれ!?」
慌ててページをめくって確認してみると……冒頭数ページのところに、あった。
『彼女の瞳と同じ思案ブルーの羽を持つ蝶が、ふわりと宙を舞う』。見覚えのある記述。確かにこれ、先生が書いた本だ。誤植までそのままだ!
「お、おいおいおい、トウゴ、これ、どういうことだ!?」
「わ、わかんない……ええと、じゃあ、『星の海を見つめて』」
続いて別のタイトルを呼んでみたら、また、くねくね、もじもじ、ぽよん。今度は星をばら撒いたような背景と、そこに揺蕩う人の絵の表紙。ちょっとSFっぽいかんじかな。タイトルもちゃんと入っているし、作者名も『宇貫護』。
「うーん……じゃあ、『竹取物語』。あ、駄目だ。これは変わらないらしい」
気になって先生が書いたものじゃない本のタイトルを呼んでみても、変化なし。やっぱりこの本、先生のサイン本なだけのことはある!
「これ、中身まで変わってんのかあ……すげえな、どうなってるんだ、この本」
フェイはしげしげと本を見つめては、『読めねえ!』と嘆く。成程ね。まあ、この文字はフェイにとっては異世界の文字だ。
「おい、最初の状態には戻せんのか」
「えっ、あ、そ、そうだった!最初の本、タイトルが無かったから、最初の状態に戻せない!」
ルギュロスさんの指摘を受けて、慌てる。そうだ、僕、取り返しのつかないことをしてしまったのでは!?
「まあいい。複製が残っているからな」
けれどルギュロスさんはそう言って、僕が増やした方の本を手に取る。……あああ、よかった、複製を作っておいて!
「……ふむ」
そしてルギュロスさんは、複製の方の本をぺらぺら捲って、首を傾げる。
「この本は、この世界の文字で書いてあるようだが」
……あっ。
「そういえばそうだ……。この本は、この世界の本、だよね」
複製だけじゃなかった。ちゃんと、原本の方も元々は、ちゃんとこの世界の文字で書かれた『勇者と魔王の物語』だった。
「なんでだ?うーん……おーい、トウゴー、ちょっと片っ端から本のタイトル、呼んでみてくれよ!」
まあ、こうなったら片っ端から試してみるしかないので……。
「分かった。ええと、『人間合格』、『星は眠る』、『ちょっぴり緑色の目玉』、『錆びた心臓』、『NOWHERE』、『セーラー服に口紅は要らない』、『ぽやぽや怪奇譚』、『ハーレムでスローライフって言ったのにゴーレムでスローターライフになった件』……」
呼べば呼んだだけ、くねくね、もじもじ、ぽよん、となって、表紙の箔押しの枠の中に、なんとなく見覚えがある表紙が生まれる。絵があって(ほぼ無地みたいな表紙もあるけれど)、タイトルがある。まあ、変わりがないね。
「ええと……あと、何があったかな」
「思い出せ!思い出すんだトウゴ!」
なんとか思い出さなくては、と思いつつ、1つ1つ、本棚に並んでいたタイトルを呼んでいく。時々、先生の著作じゃない奴を呼んでいるらしくて、そういう時には本に変化が無い。
その内、本棚にあったと思われる本の名前は全部呼びつくしてしまって、あとは無かったかな、と思い出して……ああ、そういえば先生が『タイトル何にしようかな。うーん、率直でいいか』と唸っていたやつがあったな、と思い出して……。
「『ティンダロスのポメラニアン』」
そう、呼んでみたら。
「……あれっ?」
くねくね、もじもじ、ぽよん。
その後に生まれた本は……最初の本によく似た状態。
表紙は無い。ただ、白い表紙に金の箔押しの模様が縁取りになっているだけで……ただ、縁取りの上に、『The Pomeranian of Tindalos』と書いてある。
「……英語だ」
「何だこの文字!?」
「ええと、英語。僕の世界の文字、なんだけれど……うーん?」
ちょっとこれは今までのとは違うぞ、と思いながらページをめくってみる。……あ、これ、ものすごくページ数が少ない。薄い。なんだこれ。すごく雑だなあ。
「あ、中身も英語だね」
「……異世界人は複数の文字を操るのか?既に4か5種類の文字を見ているように思うが」
うーん……まあ、日本に住んでいると、ひらがなカタカナ漢字にアルファベット、ぐらいは使うよね。あと時々ギリシャ文字とかキリル文字とかアラビア文字とか。
「……何と書いてある」
「えーと……『時を超えるとその犬は現れます。白くて可愛い、ティンダロスのポメラニアンです。それはものの角から現れて、我々に襲い掛かってくるでしょう。しかしそのキックは柔らかく、全く危険ではありません。なぜならそれは、ポメラニアンだからです!』」
「意味が分からねえ」
……ティンダロスの犬、っていう犬がどこかの国の神話の中に出てくるのは聞いたことがある。ポメラニアンっていうのが犬種だっていうことも知ってる、ので……これ、そういうジョークだと思う。
「作者名も書いてあるが……」
「……あれ、『Mamoru Unuki』じゃない」
そしてこの本、不思議なことに、作者名が先生じゃない。知らない人の名前だ。日本人の名前でもないな。
「これ、確かに先生が書いてたと思うんだけれど……」
「別の筆名を使ったということか」
「いや、先生、そんなに英語はできない人だしなあ……」
うーん、一体、どういうことだろう。本としては非常に薄っぺらくて雑なかんじ。中身は英語。作者も先生じゃない……。
「まあ、これ、先生が書いた本だとは思うんだよ。サイン本だし。タイトルを呼んだらこの本になったわけだし……」
謎がまるで解けないのだけれど、ひとまず、例外っぽいものが生まれてしまった。最初の本と、この『ティンダロスのポメラニアン』。
「ところで、『ティンダロスのポメラニアン』って呼んでも出てきてくれたけれど、本来なら英語タイトルで呼ぶべきだったんじゃないだろうか……」
「よく分かんねーけど試してみるか?」
うん。試す。
……ということで、一旦他の本を呼んでから、呼んでみる。『The pomeranian of Tindalos』と。できるだけそれっぽい発音で。
すると。
「……あれっ、来ない!?」
正しいタイトルのはずなのに、何故か、本はしーんとしている。
こ、これ、どういうことだ……?
……それからもうちょっと粘った結果、もう一件、『例外』を見つけた。
『星間共通語辞典』。……こう呼んだ途端、とんでもない物体が出てきてしまった。
「うわっ、これ電子書籍だ」
表紙を開いたら、タブレットみたいなものの画面。そしてそこに……見たこともないような文字が大量に並んでいる!なんだこれ!
「SFチックだ……」
謎の文字の中を見ていったら、一応、『English』の文字があった。なのでそれを選択。すると、タブレット画面に、ばっ、と辞書らしいものの文面が並ぶ。まあ、電子書籍だよね……。
「なんだなんだこれ、すげえ!すっげえ!え!?この薄っぺらいの、本なのか!?」
これを見てフェイは大興奮。まあ、そうだろうなあ。
「これを、その先生とやらが著したのか?」
「……いや、これ、流石に先生が書いたはずは無いと思うんだけれど……」
流石に、僕の先生、謎の言語の辞書を1人で編纂するような時間はなかったと思うんだけれど。というか、星間共通語って、何。何だ。僕、聞いたことないよそんなの!
「だがサインはあるようだぞ」
「うわ、ホントだ……しぶとい。先生みたいだ」
本の中身がタブレットになってしまったというのに、先生のサインはしぶとくそこに居た。ちゃんと、裏表紙の裏側、本の終わりの部分に、ちょこん、とサインが居る。うーん……。
「で、トウゴ!その『星間共通語』っつうのは何だ?」
「文字だけ読むなら、星の間での共通の言葉、だから、宇宙に他の知的生命体が居ると仮定した上での共通言語なんだろうけれど……異星人なんて見つかってないしなあ。人間が地球以外の星に住んでいるでもないし……」
フェイに聞かれて、すごく困る。ちなみにフェイは僕に聞く間も夢中でタブレットを操作して、読めないだろうに英語と『星間共通語』の辞書を見ては「すげえー!」と目をきらきらさせている。元気だなあ。
「では、存在しないはずの言語の辞書、ということか」
「うん。まあ、フィクション、だよね。でもこれ自体は別に小説ってわけじゃないし……」
この辞書の存在自体がフィクション、というよりは、これがある世界がフィクション、っていうか……うーん、でも、こういう表現方法もある、のかなあ。
フィクションの中にある道具を作ってみることで、そのフィクションの世界を表現する、というか……。
……フィクションの、中にある、道具。
……。
あっ。
心臓がばくばく煩い中、僕は必死に、本のページを捲る。フェイには悪いけれど『星間共通語辞典』じゃなくて『星の海を見つめて』に本を変えさせてもらって、それを。どうしてこの本かって言ったら……SFっぽい表紙だったから。
話を読むというよりは、文字をさがしてページを捲る。『人工肉とサプリメントの食事』とか『星間戦争』とか『全ての家電にAIが搭載されている』とか、如何にもSFらしい記述の中、ただただ、必死に目を走らせて……。
「……あった」
そうして、それを見つけてしまった。
『星間共通語辞典』。
……作中で、主人公が貰う電子書籍として登場する、『作中の本』だ。
……それから、僕は『戦場の人魚に神様は微笑まない』を読んで、その中に出てくる『ハンギング』という雑誌を呼んでみた。ちょっと古めかしいかんじのする雑誌が出てきた。
『錆びた心臓』の中に出てくる『経典』を呼んでみたら、何かの宗教の経典らしいものが見知らぬ言語で書かれて出てきた。多分、作中の言語なんだ。
フェイとルギュロスさんも、僕が何を確かめているのか、もう分かっている。それぞれに緊張の面持ちで僕と僕の手元の本を見つめて……そして。
……そして僕は、『ぽやぽや怪奇譚』の中に『ティンダロスのポメラニアン』の存在を見つけて、それが英国人の主人公の友達によって書かれた本であることが分かって……いよいよ、確信せざるを得なくなってしまった。
「……『勇者と魔王の物語』」
僕がそう呼んでみると、本が、くねくね、もじもじ、ぽよん。そうして、最初の本の姿に戻った。
タイトルが無いのは、便宜上の名前しか、この本には無いから。
表紙に絵が無いのは、きっと、表紙の描写が無いから。
そして作者名が無いのも、そこまで『設定』されていないから、だと思う。
……そんな本を手に取って、僕は、理解する。
「多分この本……作中話、なんだ」
……つまり。
つまり、この世界は……この世界は……!
「この世界、先生が書いた小説の世界、なんじゃないだろうか」




