8話:世界を尋ねて*7
ということで、僕はスケッチを見ながら、『文字』と『模様』を区分し始めた。
模様の中に文字が溶け込むようなデザインになってしまっているので、文字っぽいと推定される線を抽出して、それを描き起こしていく。
……見知らぬ文字を抽出するのって、結構難しいんだよ!
「いやー、なんつーか、これ、本当に文字かぁ?複雑すぎる!」
「うーん……画数だけでいけば漢字、っていうかんじ……」
「『かんじっていうかんじ』とは一体どういう意味だ?」
あ、説明が面倒な言葉を発してしまった……。うーん、でも、本当にそういうかんじ。
僕が見たことのない、ぐにゃぐにゃした線の、捻じれた模様、みたいなもの。線の多さだけで見れば、漢字とひらがな混じり、っていうかんじなんだけれど……まあ、全然、読めない。そんなかんじ。
「一応、骨の騎士団に読んでもらうかぁ……」
「魔物文字だったら彼らに読めるもんね」
あと、妖精の文字だったら妖精に読んでもらってアンジェに通訳してもらえばいいし、古代文字ならフェイが分かるわけだからこれは古代文字じゃないし……。
まあ、一応、駄目元であちこち当たってみよう。何事も、やってみないことには始まらないわけだし。
「……ところで、カチカチ放火王はこの本を燃やしたいんだろうか?」
そして、ふと気になって、僕はそう、口に出してみる。
「あー、ラージュ姫の夢の話かあ」
うん。そう。ラージュ姫の寝坊の原因。
「何の話だ?説明しろ」
「ん?なんかよー、ラージュ姫が、カチカチ放火王によって本が何冊も燃やされていくっていう夢を見たんだってよ」
「ほう」
ライラのブローチに入っていてその辺りの事情を知らなかったルギュロスさんに今朝の話をしてみたら、彼は興味を持ったらしい。
「勇者の血筋の者が見た夢なら、本当に予知夢かもしれんな。確かめるのも簡単だ。魔王に実際にこの本を見せてみればいい」
……まあ、ラージュ姫が勇者の血筋なのかどうかはこの際置いておこう。ルギュロスさんにそのあたりの話をしなきゃいけないのは非常にめんどうくさい。
けれども、まあ、カチカチ放火王にこの本を見せる、っていうのは……いや、いやいやいや、それ、駄目だ!
「それで燃やされちゃったら大変だろーが!」
そう!そう!あいつ、燃やしたくなったものは全部燃やしちゃうと思う!だから、燃やされたくないものは見せちゃ駄目なんだよ!
……ということで、どうしようかな、と僕らが考えていたら。
「なら複製しろ。できるのだろう?」
ルギュロスさんに、呆れた顔でそう言われてしまった。……あ、うん。そうでした。
「そういえば、ルギュロスさんに描いたものが出てくる話ってしてたっけ」
「人の頭に妙な花を生やしておいて何を言っているのだ」
あ、そうだったそうだった。そっか、うーん、ちょっと軽率だったかな、まあいいか。もうルギュロスさん、すっかり森の仲間として馴染んでしまっているし。なんだろうなあ、ちょっとライラっぽいところあるよね、彼。シビアなところとか。いい意味で遠慮が無いところとか。
「本の表紙にイラストが描いてあるような奴じゃなくてよかったかもしれない。描くのが楽だ」
「あー、まあ、金の箔押しの部分以外はただただ真っ白けなだけだもんなあ」
そうしてフェイとルギュロスさんに見守られつつ、折角だから、本を複製しておく。ぽん、と本が出てきて、複製ができちゃった。まあ、いつものことだね。
「……何度見ても奇妙だな。全く、どういう仕組みだ?」
「分からないんだよ、それが」
ルギュロスさんは僕の魔法を見て不可解そうな顔をしているけれど、僕だって不可解なのは不可解だよ。もう諦めて『こういうものか』って納得してしまっただけで、謎は何一つとして解明されていない。
「本の内容まで、複製できたのか」
「うーん……それはちゃんと確認してみないことには、なんとも」
そして絵に描いた本が本当に元の本と一緒か、っていうのも分からないので……しょうがない、原本と複製を同時にぺらぺら捲っていきつつ、見比べていく。
……まあ、内容は一緒。文字も全部一緒。すごいなあ、本の表紙を描いただけなのに、中身まで複製できちゃうって、改めて考えると僕のこの魔法、一体どういう仕組みなんだろうか……。
「……んっ?」
そんなこんなで、僕は最初のページから半分、フェイは半分から最後に向けてを同時にぺらぺら捲って確認していって……最後に、フェイがふと、素っ頓狂な声を上げた。
「お、おいおいおい。これ。これ!ほら、見てみろよ!」
慌てた様子のフェイに促されて、僕とルギュロスさんはフェイが指さすところを見る。
「……複製の方にはねえのに、原本の方には、あるぞ」
フェイが示したのは、本を捲っていった、最後。……裏表紙の、裏側。そこに、小さく、何かが書いてある。
……サインだ。
僕はすぐ、そう感じた。
「……読めるか?」
逸る気持ちで、フェイが示すサインを見つめてみる。
……まあ、読めない。文字は捻じれて、全く読めない。まあ、サインってそういうものか……?
それでも諦めずに文字を見つめてみる。けれど、見ているとなんだか頭が痛くなってくるというか、そういうような感覚があって……うーん、あんまり長く見つめていられないかんじが、する。
なのでぼんやり、サインの周りも含めたやや広い範囲を眺めるようにして見ることにした。文字らしき部分を注視していたら頭が痛くなってきてしまうので……文字じゃなくて、何かのデザインだ、と思って見る、というか。となると、形よりも先に、色が目に入ってくるようになった。
……そこで気づく。このサイン、ブルーブラックのインクで書いてある。それで、線の太さが大体一定だ。万年筆や羽ペン、筆なんかで描いたものじゃない。
ブルーブラックの、ゲルインクボールペンで書いたみたいな。そういうかんじ。
……そこでふと、ばちり、と脳内で何かが弾けるような感覚があった。
そして、思い出す。
この色のインクのボールペン、先生が、よく、使ってた。
「……トウゴ?読めたのか?」
僕が何も言わないことを不審に思ったらしいフェイが、心配そうに僕を覗き込んでくる。そのフェイの顔もよく見えないまま、僕は、ただサインを眺めている。
「……文字は、読めない」
ばくばくと、鼓動が早い。頭に血が集まっているような感覚で、湧き上がるような期待と得体の知れない恐怖が僕を侵食していった。
「けど、インクに、見覚えが、あって……」
「な、なんだと?インク?何故そのようなものを覚えている?」
「太さが一定で、ゲルインクボールペンっぽい。それに、このブルーブラック。見覚えがあるんだ」
確かめるように口にして、確かめるようにサインを指でなぞって……やっぱり、思う。
よく見たら、線のはじまりの箇所、ちょっと大仰な入り方だ。留めの部分をしっかり留めたんだろう箇所にはインクが溜まって、色が濃くなっている。
僕は、こういう線の集まりを、何度も見てきたんだ。
「……これ、先生のサインだと思う」
「先生?」
「うん」
期待か恐怖か分からないどきどきを抑えて、僕は、口に出した。
「これ、宇貫護のサインだ」
ぐるん。
まるで生き物のように、サインが捻じれた。いや、捻じれていたサインが、戻った、のか。
僕らが驚く中、サインはぐるん、と動いて、ちょっと絡まっていた線が、ぴょこん、と動いて……そして、正しい形に戻る。
……正しい形になった文字は、今度こそはっきりと、見覚えのある形で、そこに並んだ。
『宇貫護』。
先生の名前だ。




