5話:世界を尋ねて*4
魔王がアージェントさんを叩き終わって満足したらしいので、僕らは撤退することにした。
「じゃあ、お邪魔しました」
「一応、カチカチ放火王を倒したら報告に来てやるからよー、待ってろよなー」
僕らはアージェントさんに挨拶して、牢屋を後に……。
「待て、牢を元に戻していけ!」
……牢屋を後にしようとしたら、アージェントさんの声が聞こえた。ああ、そういえば牢屋、ピンク色にしちゃったの、アージェントさんは気に入っていないんだっけ。
「ラージュ姫ー。戻した方がいいかぁ?」
「いえ、ぜひ、このままで!可愛らしくて大変よろしい改装ですから!」
けれど、牢屋の色の是非をラージュ姫に聞いてみたら、ラージュ姫は目をきらきらさせてにこにこしているので……うん。
「アージェントさん。ラージュ姫がこの牢屋、気に入ったみたいなので、ここはこのまま、ということにしますね……?」
……ああ、アージェントさんがすごい顔をしている!
その日は王城に泊まらせてもらうことになった。
ご飯は皆揃って、王様達も一緒になって食べた。澄んだ琥珀色のスープがものすごく美味しかったので衝撃的だった。あと、手羽先みたいなの。手羽先っぽいけれど手羽先じゃない手羽先みたいなのが出たんだけれど、ものすごく、美味しかった……。
……そうしてたくさん食べて満腹になったら、浴場で温まって、それから客室に案内されて、それぞれの部屋で寝ることになった。
お城のベッドはふわふわだ。ふんわり軽くて、なのに暖かい。寒い冬でもいいかんじ。僕は嬉々としてふわふわベッドの中に潜り込んで……その時だった。
こんこん、と、ドアがノックされる。ちょっと控えめな音だ。
寝ようとしていたけれどしょうがない。レネだろうなあ、なんて思って、ドアを開けると……。
「よお。今、いいか?」
控えめなノックの音からは考えられなかったことに、なんと、フェイが立っていた。
「どうしたの?」
「へへへ、いやー、何つーか……ちょっと夜更かししませんか、っつうお誘い?」
フェイはそう言って笑いつつ、手に持ってきたものを見せてくれる。それは、瓶に入ったジュースらしかった。あと、ちょっとしたおやつが入った籠も持っている。
「いいよ。乗った。どうぞどうぞ」
「あー、よかったぜ。これで『僕、夜更かしはちょっと……』とか言われて追い返されてたら俺はこれ持ってラオクレスんとこに行って自棄酒ならぬ自棄ジュースだった」
「それはそれで楽しそうだけど」
ラオクレス、途中までは付き合ってくれそうだけれど、ある程度のところで『寝ろ』って言って寝かしつけに入りそうだ。まあ、それはそれできっと楽しいよ。
フェイは僕の客室に入って、椅子をずりずり持ってくると、ベッドの横に設置。そこに座った。僕はその向かい側、ベッドに座る。このベッド、寝てもふわふわだし座ってもふわふわだ。
「よーし。んじゃあ……俺達の夜更かしにかんぱーい」
「かんぱーい」
そこで僕らは、瓶のジュースで乾杯。かちん、とガラス瓶同士がぶつかり合う音が響いて、それから僕らはそれぞれに瓶の栓を抜いて中身を飲む。ジュースはよく冷えていて、寒い夜にはちょっと冷たすぎるぐらいだった。けれど、暖炉でほかほか温まっていく室内でなら、まあ、悪くないかな。
「なんか悪いことしてる気分だ」
「へへへ。実際、あんまりお行儀はよくねえよな」
うん。親友と2人で夜更かし。しかも夜なのにジュースとお菓子付き。更に、ベッドの上でジュース飲んでる。……僕、悪いことしてるなあ!
「なんつーか、お前ともそこそこ付き合い長いのによー、こういう風に夜更かししたことってなかったよな、と思って。来ちまった」
「パーティー開いてくれたことはあったけどね」
「あー、お前に羽が生えちまったから人間に戻そうとして開いたやつな?まあ、あの時は……あの時は皆一緒に夜更かしだったしなあ」
思い出してちょっと可笑しく思いつつ、ジュースを飲む。オレンジみたいな香りと桃みたいな甘さの……何のジュースだろう、これ。とりあえず美味しいからいいか。
……しばらく、僕らは黙ってジュースを飲んでいた。おやつも食べた。大根みたいなのの薄切りにドレッシングがかかってるやつとか。ベビーカステラみたいなやつとか。チーズの角切りとか。カットした果物とか。
そうしてジュースとおやつを楽しんでいると……フェイの分のジュースが、早速空になってしまった。早い、早い。
……そんなフェイを見ていて、まあ、流石に、なんとなく、分かる。
「何か、話したいことがあって来たんだよね」
フェイのジュースを描いて出しながらそう言うと、フェイはちょっとぎくりとしたような顔をして……でも、がしがしがし、と頭を掻くと、こくん、と頷いた。
「おう。話したいことがあって、来た」
うん。そうだろうなあって思ったよ。それでいて、話し出せずにジュースばっかり飲んで瓶を空にしちゃうぐらいの話題、ってことだから……うん。
「僕がもう死んでるんじゃないかっていう心配?」
そう聞いてみたら、フェイは、なんだか悔しそうな悲しそうな顔で、黙って頷いた。
フェイはしばらく黙っていたのだけれど、やがて、意を決したようにジュースのお代わりを飲んで、そして、切り出してきた。
「……お前さあ、心配じゃねえの?」
「心配?」
「元の世界で死んじまってるかもしれねえ、って……」
……うーん。
言われて、改めて、考えてみる、けれど……。
「……うーん、もしそうなら、それはそれでいいかな、って思ってるよ。その結果、この世界に来られたなら、それはそれで嬉しいことだし」
結論は、こんな風になってしまう。まあ、我ながらあっさりしたものです。
なんというか……つくづく、僕はやっぱり、この世界に迷い込んじゃうような奴なんだよ。『弱き者』ってカチカチ放火王が言っていたけれど、その通り。
元の世界で生きていくには、なんというか……不向きだった、というか。弱かった、っていうことなのかもしれないけれど、僕はどうにも、元の世界、元の環境では、あんまり上手くやれなかった。
だからこの世界に来られてとても嬉しい。やりたいことに挑戦できるっていうことがこんなに嬉しいことなんだって、僕は初めて知ったんだ。
「……心残りとか、ねえの?」
フェイはそう言って、なんだか悲しそうな顔をする。フェイはいい奴だから、自分のことでもないことを自分のことみたいに悲しんだり悔しがったりしてくれるんだなあ。それがなんだか嬉しくて、くすぐったい。
「先生にお別れを言えなかったことだけは、心残り」
「……そうかぁ」
先生のことは、気になる。先生は……先生は、僕が居なくなって、どういう風に過ごしているだろう。
僕が死んでいたら、先生はきっと、すごく、悲しんでくれるんじゃないかと、思う。思い上がりかもしれないけれど……。
でも……先生は、先生だから。だからきっと、大丈夫だ、とも、思う。
大丈夫だ。だって、僕らは幸福な最強の生き物なので。
「……俺はよぉ」
僕が先生のことを考えていたら、ふと、フェイが目の前で渋い顔をしていた。
「俺は、死んじまったら未練だらけだぜ?今、ちょっと考えただけで滅茶苦茶な数の未練があった。でも、トウゴにはそういうの、無いんだな、って思ったらさあ……」
フェイのこういう渋い顔、初めて見た。ラオクレスの渋い顔は大抵照れている時だけれど、フェイの渋い顔は……泣きそうな時の顔、みたいだ。
「……お前、よく、この世界に来てくれたなあ」
感極まっちゃったらしいフェイに、ぎゅう、とやられつつ、フェイってあったかいやつだなあ、と思う。体温も高いし、心があったかい。ちょっと暑苦しいところもあるけれどそれもまあ、こういう時にはいいぬくさ。一緒に居ると僕までぬくぬくしてくる。
「まあ……そういうわけで、僕は今、案外幸せなので。ご心配には及びませんよ、ということで」
「んー……」
大丈夫だよ、と思いつつフェイの背中をとんとん叩いていると、フェイはやがて、ちょっと気まずげに離れていって、ぼす、と、僕の横、ベッドの縁に腰かけた。
「なんつーか、お前より俺の方が悩んでるよなあ、これ」
「うん」
「……ちょっと恥ずかしいなあ、これ!」
まあ、僕も、もし『フェイは既に死んでいるかもしれない』なんて言われてしまったら、動揺するんだろうから。お互い様っていうことで。
「それに、僕、まだ元の世界で死んじゃったって決まったわけじゃないし」
「お、おう。そうだったな。うーん、俺、本当に大分、先走っちまった」
そう。僕、別にまだ、死んだと決まったわけじゃない。ただ、『元の世界で死んじゃった拍子にこっちの世界に来てしまった』ということなら納得がいきやすいよね、という程度のものだ。
ほら、その場合って僕は今、幽霊みたいなものなのかもしれないし。死んだ人間がどうなるのかなんて分からないけれど、体が無くなってしまった結果幽霊みたいになって異世界へ来てしまった、とかだったら、なんとなく納得しやすいというか、異世界に来るハードルが下がる気がするというか。
「だから……僕はどちらかと言うと、死んじゃったこと、よりも、『死んじゃうくらいショックなことがあった』っていうことの方が心配、かな」
だからこそ、それ以外の可能性を考えると、少し不安になってくる。
体の死は、別にいい。どうせそんなものだって思えるし、そもそも、体が死んでしまったところで、今、僕はこうやって異世界に生きているんだから、まあ、死を憂う必要は無いというか。
ただ……もし、心が大打撃を受けてしまった結果、何故か異世界へ来てしまった、ということなら……それはちょっと、困る。
僕はまだまだ未熟なので……受け止めきれないものも、ある、と思う。大抵のことは時間をかけても受け止めて、絵を描く力に変換してしまえると、思うのだけれど……。
「あー、そうだよな。死んじゃうのは体に限らないもんなあ。心が死んじまって、それでこっちに来た、のかもしれねえ、かあ……」
「うん。それで、記憶が無くなっちゃったのかもしれない」
記憶については、そっちの方が説得力があるような気もする。色々忘れちゃうくらいにショックなことがありましたよ、と。
「でも、それはそれだよ。僕は今、この世界で元気に生きてる」
けれども結局のところは、こういう結論になってしまう。
僕は今、とても元気。フェイと一緒にジュースやおやつで夜更かししてしまうくらいには元気。
なので、あんまり元の世界のことを心配してもしょうがないというか。……まあ、心配してもしょうがないことを心配しなくても済むのは、いいことだ。僕はどちらかというと何かにつけて心配性なところがあったから、心配しないでいられる悩みがあるっていうのがちょっと新鮮。
「だから大丈夫。僕は元気に絵を描いてるんだから」
「そっかぁ……うん、なら、いいか。お前が大丈夫っつうんなら、俺が心配したってしょうがねー」
フェイはそう言って、にや、と笑うと、元気に籠の中のおやつをつまみ始めた。それを見て僕もおやつを貰う。
……意外と大根が美味しい。さっぱりしていていいね。こういう夜更かし会なんかに中々合う……。
それからしばらく、2人でおやつ品評会なんかしてみて、それから『アージェントさんの牢屋に桃色のたんぽぽを生やしたらどうだろう』なんて話をして、ついでに『魔王ののんびり加減はやっぱり描いた人の影響だろうか』とか、『ところでルギュロスさんってライラのブローチに入りっぱなしなんじゃないだろうか。彼はそれでいいんだろうか』とか、そういう話をして……そして。
「話、戻るけどよー、お前、不安なこと、無いか?」
フェイはそう言いつつ、3本目(僕が描いて出したんだよ)のジュースを飲む。
「なんつーか、お前の根底と、ついでにこの世界までもが揺るぎそうな情報、結構出てきてるだろ?だからさあ、まあ……なんか、不安なことがあったら教えといて欲しいんだけどよ」
……うん。
ちょっと、迷った。
僕が心配なことって、この世界の人に相談したらその人を不安にさせてしまいそうだから。
だから、1人で抱えておいた方がいいだろうな、と思っていた。けれど……。
「僕自身というよりは、どっちかっていうと……この世界のことの方が、不安」
……多分、僕はフェイと立場が逆だったら、やっぱり、聞いておきたいな、っていう気がするので。だから今は、僕の親友にちょっと甘えさせてもらうことにしよう。
「全部、夢のような気がして」




