4話:世界を尋ねて*3
ピンク。牢屋が全部ピンク。鉄格子もピンク。石畳もピンク。壁も天井もピンク。
ついでに牢屋の中の家具もピンク。椅子も小さな机もピンク。あと、干し草のベッドはフリル付きの天蓋に覆われた、パステルピンクのベッドになった。
「なんだこれ!なんだこれ!すげえな!」
フェイが、さっきまでの怒りを放り出して大笑いしている。ライラもけらけら笑っている。クロアさんはにっこり。よし。
「……これは、何、だね?」
そしてアージェントさんは、ただ、唖然としている。
「お互いに落ち着いて話ができるように、と思って。ええと、会議室の壁が全面ピンク色だと、会議が和やかに進むって聞いたことがあるので……」
よいしょ、と座布団に座る。あ、座布団もピンク。フリル付き。まあ、これはこれで……。
「……ええと、じゃあ、続き、話しましょうか」
「……この状態で話す気かね?」
「はい。ええと、アージェントさんは僕を殺そうと思っていたんですよね?」
「話す気、らしいな……」
「嫌ですか?お茶、飲みながらにしますか?」
……アージェントさん、折角ここまで話してくれたんだから、この先も話してほしいんだけれど、駄目だろうか。やっぱり、僕を殺したいんじゃ、僕と話したくはないかな。
そう不安に思いつつ、アージェントさんに聞いてみると……アージェントさんは、深々とため息を吐いて、眉間を揉み始めた。
「……つくづく、貴様らとは、まともに話し合いができないようだ……」
……あ、うん。まあ、まともじゃないけれど話し合い、してくれると嬉しい。
それから僕らは一旦、王城の中庭へ。中庭の隅っこ、ほとんど人が立ち入らない箇所に、フェアリーローズの茂みを生やさせてもらった。ラージュ姫と、偶々中庭に居合わせたオーレウス王子の許可は貰ったから多分大丈夫だ。王様の許可は……まあ、いいや。
「もしもーし」
そこで早速、出来上がったフェアリーローズの茂みに向かって話しかけてみる。すると、妖精達が『なんだなんだ』というように出てきて……僕を見て、ぱっ、と顔を明るくしてくれた。嬉しいことに。
そのまま妖精達と妖精式の握手(妖精が僕の指に全身でぎゅっ、と抱き着いてくるやつ)をやったら、妖精達に『ちょっとお茶とお菓子が欲しいんだけれど……』とお願いしてみる。お礼に喋る花の鉢植えを描いて出したら、妖精達は大層喜んで、お茶デリバリーサービスをやってくれることになった。
……ということで、僕らが地下牢に戻ってちょっとすると、ふわふわと、妖精達が列を成して飛んできては、それぞれにティーポットやティーカップ、ミルクの入った小さなピッチャーや可愛らしい角砂糖の壺なんかを運んできて、更に、お菓子の乗ったケーキスタンドが運ばれてくる。
用意しておいたテーブルにはふんわりとテーブルクロスが掛けられて、そこに次々、お茶やお菓子が乗せられていった。
「地下牢が随分と華やぎましたね!」
「ふふ、そうね」
ラージュ姫が手を叩いて喜ぶ中、妖精達はにこにこと楽し気にお茶を運んで、そして、またふわふわ飛んで帰っていった。どうもありがとう!
……妖精達のお茶デリバリーを見ていたアージェントさんは、只々ぽかんとしていた。けれど、僕がお茶のカップを勧めたら、唖然としたままカップを受け取って、唖然としたままお茶を飲んでいた。
「……今のは、一体、何の技術だね?」
「え、技術というか……妖精にお願いしたんです。それだけです」
「妖精に?妖精と交信することができると?」
「妖精語は分からないけれど、妖精は僕の言葉を分かってくれるので……まあ、お願いするくらいなら」
あ、もしかしてアージェントさん、妖精が見えないタイプの人だろうか。森に住んでいる人達はほとんど妖精が見える人達だから、妖精が見えない人もいるってすっかり忘れていた。そっか、つまりアージェントさん、お茶のセットがふわふわ飛んでやってきたように見えたのか……。
「ふむ……実に、有用な技術だ……」
「……あのなー、妖精達って、『有効利用』はできねえからな?あいつら、基本的に面白いと思ったことしかやらねえからな?」
えっ、そうなのか。……まあ、そうか。
美術館の係員も楽しみながらやってくれているみたいだし、妖精洋菓子店も妖精カフェも、楽しそうにやっている姿を見ているから、彼らが楽しいんだって分かる。そしてさっきのも……まあ、驚くアージェントさんを見るのが楽しかったんじゃないかな、という気はした。実際、妖精達にもこのピンク牢、好評だったし。
「……実に残念だ。何故、そのように非合理な価値観で発展を妨げる?」
「僕らにとってはそれが合理的なので。まあ、価値観は多様なんです。こればっかりは、しょうがない」
僕の答えが気にくわないらしいアージェントさんは、顔を顰めながらお茶を飲んだ。ティーポットにお代わりもあるから、安心して沢山飲んでください。
妖精のお菓子を食べて、ぱちぱち弾ける不思議なゼリーに『これ、夜の国のジュースじゃないだろうか』みたいな談義をしつつ……さて。
「それで、僕を殺せばカチカチ放火王が居なくなるんですよね」
心も和んで落ち着いたところで、また話し始めよう。今度は大丈夫だ。フェイもちょっとアージェントさんを睨んでいる程度で、むしろ余裕たっぷりにカップを傾けているし。
「ああ、そうだろうな。魔王がこの世界を狙う理由がなくなる。そうなれば、奴は最早、この世界には居られんらしい。ならば魔王を殺すより、トウゴ・ウエソラを殺す方が簡単かつ確実だ」
成程ね。僕が死ねばこの世界の脅威は無くなるのか。そっか……。
「よくもまあ、そんなこと思いついて、挙句、提案してくれるよなあ」
「ふん。最も確実に魔王を退散させる方法だからな」
「それを実行する日は永遠に来ねえけどな!」
フェイはそんなことを言いつつ、僕の肩に腕を回して、ぎゅ、と引き寄せた。あの、椅子から落ちちゃう。椅子から落ちちゃうから!気持ちは嬉しいけれど!
僕がラオクレスに首根っこをつままれて、ひょい、と椅子の上に戻してもらうのを見ながら、ふと、ラージュ姫が口に出す。
「どうして、カチカチ放火王と手を組んだのですか。外なる世界の知識が欲しいというのなら、トウゴ様と手を組むことだってできたはず。むしろ、その方が余程賢い選択であったのでは?」
すると、アージェントさんは顔を顰める。
「それを拒んだのはそちらだろう。それに……そちらと取引をするにあたって、まあ、こちらが優位な立場に居る必要があったのでな」
……この人、本当にこういうのが好きだよなあ。いや、好きだとも思っていないのかも。彼にとっては、これが普通で当たり前のことなんだろうな。
「トウゴ・ウエソラはこちらとの協力関係を望んでいないらしい。ならば……こちらに与しないのであれば、殺しておいた方がいい。そうは、思わんかね?」
「俺はトウゴよりてめーを殺しておいた方がいいと思ってるけどな」
フェイがそんな口を挟みつつ、アージェントさんが渋い顔でたんぽぽを揺らしつつお茶を飲みつつ……。
「そちらからすれば、確かにトウゴ・ウエソラを殺されるわけにはいかないだろうとも」
そう言って、アージェントさんは僕を睨む。
「トウゴ・ウエソラは1人でこの世界を十分に滅ぼすことができる力を持っている。レッドドラゴンなどより余程、重要かつ危険な『怪物』だ」
「……怪物?」
僕が?いや、確かに、アージェントさんからしてみたらまるで理解できない、怪物みたいな奴かもしれないけれど……。
「だが、当の本人にはまるでその自覚がない。この世界をより良くしていこうという意思がないというわけだ。そして、その力を限定的に……レッドガルド領にのみ、与え始めた。それは、この世界を滅ぼすことだ。魔王と何が違う?」
……僕らが黙る中、魔王がまおーん!と鳴いて、尻尾を僕の手に絡めて嬉しそうにしていた。
いや、あの、そうじゃない、そうじゃない。
「……どこか一か所だけが発展しちゃいけない、っていうことですか?」
一応、と思って聞いてみる。ついでに、友好の握手をしてきた魔王を抱き上げて膝の上に乗せつつ。
「何、どこか一か所だけが発展すべき場合もあるだろう。例えば、それが王家やアージェント領であれば問題はなかった。だが、力を得たのは弱小貴族のレッドガルド領だ。それではこの世界の不均衡は加速していくばかりだ」
成程なあ、と思わないでもない。けれど同時に、部分的にだからこそ、ソレイラは成り立っているんじゃないかと思う。
世界全体がソレイラみたいになってしまうと、それはそれで嫌だ、っていう人が出てくると思う。森の門みたいなテクノロジーも、一歩間違えば簡単に犯罪に使用されるだろう。だから、フェイはコピー機をレッドガルド領の外に普及させていない。
……それを不均衡だって言われてしまうと、まあ、そうとも言えるよな、としか、言えないのだけれど。
「正しい場所が正しく力を扱うべきだ。レッドガルド領主やそもそものトウゴ・ウエソラ自身には、世界を発展させ、より住みやすく、より効率的にしていこうという意思が無い。ソレイラばかりが発展していき、いずれ、生まれた格差はこの世界の歪みとなる。だというのに、お前達はこちらと協力関係にすらなりたくない、というわけだ」
アージェントさんは朗々とそう言って……じっと、僕を覗き込むように見た。
「ならば、滅ぼすしかあるまい。この世界を守るために」
「……こういう状況になるまで話してくれなかったのは、何故ですか?」
「より、我々にとって有益になるよう事を運ぶ必要があったのでね。君の言うような子供の我儘に付き合っていては、この世界の歪みを是正することには繋がらんだろう」
尋ねてみたら、アージェントさんは当然のようにそう言った。
まあ、この人からしてみたら、僕の主張は子供の我儘だし、この世界は歪んでいる、っていうことになるんだろうな。まあ、それはしょうがない。
「……アージェントさん。あなたが滅ぼしたいのは、この世界じゃ、ないんですね?」
「私の望みは、外なる世界の知識を手に入れること。そして、トウゴ・ウエソラというこの世界の害虫が滅ぶことだ」
明確な敵意を向けられて、居心地が悪い。害虫って言われてしまった……。
「恩恵を受けられる者はいいだろう。だが、そうでない者のことは考えたことがあるかね?君はどうして、その力をより普遍的なものにしようとしない?」
「あなたの言う『発展して住みやすくて効率的な世界』っていう世界が上手く回って行かないことを知っているからです」
けれど、すごすご退散するわけにはいかない。僕は僕の主張をさせてもらう。
「普遍的にしたら性質が変わってしまうんです。ソレイラはこの規模、この制限があって初めて上手くいっている例だと思います」
「ソレイラだけが上手くいってよい理由があるのかね?その利益を他の都市にも享受させる義務があるのでは?」
「僕はそうは思いません。そもそも、それを言うならあなたはレッドガルド領や他の領地へ流れる霊脈を潰す動きに反対しなきゃいけなかった。あなたは他者の利益を優先しないのに、こちらには他者の利益を優先しろっていうんですか?」
なんだか喧嘩みたいになってきてしまったので、ちょっとお茶を飲んで落ち着く。こういう時、ピンクの壁の牢屋っていいね。フリルがふわふわ揺れているのを見ると、なんとなく心が落ち着く……気がする。ちょっとだけ。
それから、魔王がピンクのリボンの裾にじゃれて、まおんまおんと遊んでいるのを見るのは、なんとなく落ち着く。中々いい。
「ええと、そもそもの話なんですけれど……僕ら、お互いに目指しているものが違うんですよね」
ちょっと落ち着いたので、また話し始める。さっきの喧嘩は続けるとアージェントさんが追い込まれていくだけで生産的ではないので忘れたことにする。
「僕には、全員が高い収入や効率の良い生活を目指すべきだとは思えない。全員が均一に同じであるべきでもない。でも、アージェントさんは僕みたいな考えを排除したがっているように見えます」
「その通りだ。個人の感情が社会全体の発展より優先されるべきかね?私は当然、そうは思わん。社会が発展すれば、より死者や貧者は減っていくだろう。彼らの死や飢えを減らすことより、君の感情が大切だと?」
アージェントさんもお茶を飲みつつ、そう言って……ちょっと、視界の端っこの魔王を見た。魔王は見られたのが分かったのか、まおん?と首を傾げながらアージェントさんをじっと見つめる。……アージェントさん、魔王の円盤みたいな目に見つめられて居心地が悪くなっちゃったらしい。また、そっと目を逸らした。
「ええと、『僕の』というより、『僕らの』感情が大切なんです。時に、死ぬより酷いことにだってなるから。……それは、豊かな世界から来た者の傲慢かもしれないけれど」
傲慢かもしれない。そんなものは誰にだって定義できない。あくまでも、僕の、話。けれど、同じように思っている人もいるんだって、僕はこの世界で出会った人達と……先生から、学んだ。
「その通り、それは君の傲慢さであり、我儘だ。自分の思い通りにならないことを厭うあまり、この世界を振り回している」
「そうかもしれません。でも、それならあなたも同じだ」
アージェントさんのカップが空になっていたのでティーポットからお代わりを注ぎつつ、改めてアージェントさんを見てみる。
……濃いグレーの目が、理解できないものを見るように僕を見ていた。まあ、そうだろうなあ。僕ら、互いに理解できない。
「僕にだって信念がある。あなたにだって信念があるように。優劣があるかはこの際置いておきましょう。どうせ平行線だから。……それで、僕らがぶつかり合うんだったら……そうするぐらいなら、お互い、別の場所で別々に生きていた方がいい。違いますか?」
「そうかね。人々は皆、協力して1つの世界を作り上げていくべきだと、私は考えているが。君のような者が居るからこそ、世界の発展も平穏も妨げられるのだ」
アージェントさんが僕を睨む。この人は、僕らが彼らとの間に壁を造ることを許してくれないみたいだ。困った。
「で、出来上がるのはお前が統治する世界、ってことかよ。あのなー、そう上手くはいかねえんだっつの。なんで貴族連合が独立したか分かってるか?なんでも1つにしようとするのは無理がくるからだぞ?」
困っていたら、フェイが横から口を挟んできてくれた。ちょっとやさぐれたような口調が、なんだか妙に頼もしい。
「俺は賢い選択だと思うけどね。互いに一切関わり合いにならねえ、ってのはよ」
「そうして利益を独占しようと考えることに問題があると言っている!」
「いや、いいだろ別に。利益を生んだ奴の好きにしたっていいだろ。んで、そいつの恩恵に与りつつそいつの好きにした世界が好きな奴らが集まってもいいだろ。大体お前だって利益を独占したい癖に何言ってんだ。もっと素直になれ、素直に」
ほらほら、お菓子食うか?とフェイがケーキスタンドをアージェントさんにも触れられるようにぐいぐいと鉄格子の方へ持って行った。アージェントさんはお菓子を取ろうとはしなかったけれど。
「俺はトウゴが好きだ!で、お前はトウゴが嫌い!なら俺はトウゴと一緒に楽しいことすればいいし、お前はトウゴから離れりゃいいだろうが!トウゴは嫌いだけどトウゴの力は好きだなんて勝手にもほどがある!」
「好き嫌いと能力または利益とに関連があるのかね?好き嫌いと善悪や正誤は異なると知らないと?」
「だーから善悪も正誤もお互い基準が違うんだからもうしょうがねえだろっつってんの!まずはその『自分のものは自分のもののまま、トウゴのものも自分のものにしたい』っつう考え方をどうにかしろ!それは俺達からしてみりゃ間違いなく悪であり誤りなんだよ!」
フェイがそう言いつつ拳を握りしめて席を立ちかけたところで、ぐ、とラオクレスがフェイの肩を押さえて立ち上がれなくした。
ついでに、横からクロアさんのほっそりした指が伸びてきて、フェイの口に一口マドレーヌを押し込んで、ついでにフェイの唇をちょこん、とつついていった。
……そうしてフェイは大人しくなってしまった。まあ、大人しくなるよね、これだと……。
それからも、ちょっと話したり、フェイが怒ってクロアさんに宥められたり、ラオクレスが黙って立ち上がったことに危機感を覚えて魔王を顔に貼りつけて止めたり、ライラが『ねえ、こういうのどう?』って提案してきたのでアージェントさんの頭にぴかぴか光る電飾の花輪みたいなものが追加されたりした。
そして、まあ……結論は、すごく、単純。
「俺達はトウゴを死なせるつもりはねえし、こいつが望まねえなら元の世界に帰したくねえ。で、なんでもかんでも一緒にしようとも思ってねえ!よって俺達はカチカチ放火王を倒すし、この世界も滅ぼさせねえ!トウゴも渡さねえ!はい、交渉決裂!」
フェイがそう、堂々と言った。……堂々具合が鳥に似ている気がする。
「ふん、愚かな……魔王と戦わずとも済む方法があるというのに」
「大体、トウゴを元の世界に帰すんじゃなくて殺すって発想になるなよなあ、最初にさあ」
「異世界へ異世界人を戻す手段など、我々の手には余る。それならば、より確実で、かつ代償の期待値が最小限である手段を選ぶべきだろう?」
「俺は代償が限りなく無に近くなる可能性がある道を選ぶね!」
……まあ、こういう風に、僕らはまるで反りが合わないらしいので。
多分、アージェントさんはアージェントさんなりにこの世界を上手く回していく方法を選ぼうとしているのだろうし、僕らは僕らで、理想の世界がある、っていう、それだけのことなんだ。
けれど……僕らは分かり合えない。なら、無理に分かり合おうとしなくてもいいだろう。そこは諦めるべきだって、分かってるよ。
「ああ、そうだ。最後に確認なんですが……」
それから最後に、一番確認しなきゃいけないことを確認する。
「『外なる世界』へ行く方法、ご存じないですか?或いは、『外なる世界』からどういう風に人が来るのか、とか……」
「教えるよな?トウゴを殺せなくなった以上、お前は俺達がカチカチ放火王を倒す可能性に賭けるしかなくなったんだから、教えるよな?な?」
僕らが尋ねると、アージェントさんはものすごく嫌そうな顔をしつつ、もう隠すべきことでもない、と思ったのか、話してくれた。
「それはむしろ、君が知っているものと思っていたのだがな」
「僕、記憶が無いんです。この世界に来た時の記憶が無くて……」
僕がそう答えると、アージェントさんは少し、訝し気な顔をした。
「……まあ、考えられない話ではないな」
何か、思い当たる節があるんだろうか。僕らは期待しながらアージェントさんを見つめると……アージェントさんは、やっぱり少し嫌そうな顔で話す。
「そもそも、『外なる世界』からこの世界に迷い込んだという時点で、それは相当なことだ。外なる世界の者からしてみれば幻想の1つに過ぎないであろう創られたこの世界へ迷い込むのなら、それ相応の何かがあったと考えられる」
「その何かとは」
「……その程度は自分で考えろ、と言いたいところだが。まあ、相応の衝撃、が考えられるか。存在が揺らぎ、世界を超えてしまうような……例えば、死に瀕するような事態に陥った、とでも考えられるのではないかね?」
……僕以外の人達が、皆、何とも言えない顔で僕を見つめている。気遣うような、困惑しているような。
でも、僕はそんなに、衝撃を受けなかった。『死にかけたから世界規模の迷子になってしまったのではないか』って言われて、むしろ、納得している。
そうか、僕、死にかけたのかもしれない。いや、まだ分からないけれど……。
まあいいや。アージェントさんもあんまり詳しくは元の世界のことを知らないみたいだし、これ以上は話してもしょうがなさそうだ。
「そうですか。ありがとうございました。……えーと、では、最後に」
ということで、僕はそう、前置きする。
「まだ、何かあるのかね?」
アージェントさんは訝し気な顔をする。『さっきも最後に、と言っていただろう』みたいな。まあ、さっきのは僕にとっての最後だったんだけれど、こっちは僕じゃない最後、僕ら全体での最後なので……。
「カチカチ放火王が散々魔王と呼ばれ続けていたことについて、物申したいみたいなので……」
ライラが、抱き上げていた魔王を、ほらどうぞ、と床に下ろす。
すると、魔王は、まおーん!と雄叫びを上げながら牢屋の中へするんと潜り込んで……。
……ぺちぺちぺちぺち、と、アージェントさんの肩のあたりが、叩かれている。
まおんまおん、と、魔王が両手に両足、尻尾まで使って、よじ登った先のアージェントさんの肩や背中をぺちぺち叩いている。
……アージェントさんが何とも言えない顔をしている。
僕らも何とも言えない気持ちで見守っている。
でも、まあ……魔王がこうしたいみたいだから、ただ、見守ることにした。
……ピンク色の牢屋の中、まおーん、という気の抜けた声が、のんびり木霊していた。
ああ、平和。