2話:世界を尋ねて*1
「いや、そんな身構えるなって……何?お前、ライラにどういう説明されたんだよ」
「何も説明されなかったよ!」
……ということで、ライラに呼ばれてフェイが来た。
フェイはレッドガルド家で会議中だったらしいのだけれど、そっちも行き詰まってしまったらしいので、気分転換がてら、こっちに来たらしい。
「そっかぁ。まあ、大したこと、しねえけどさ」
そう言いつつ、フェイはなんだか楽し気に、何故か手に持っている大きな鳥の羽をふりふりとやっている。いや、本当に何するの!?
「物忘れを解消する魔法はいくつか心当たりがあるからな。折角だし、片っ端から試してみようぜ!」
な、何するの?何するの?……と身構えていたら、ひょい、と、後ろからラオクレスに捕まえられてしまった。羽交い締め、というやつだ。
「……あの、何?」
「……許せ」
ラオクレスの顔を見上げながら聞いてみたら、ラオクレスはそっと僕から視線を逸らした。え、あの、何?許さなきゃいけないようなことを今からされるの?
「ね、ねえ、フェイ。僕、痛いのは嫌だよ」
「あー、大丈夫大丈夫。痛くはしねえから」
そう言いつつ、フェイは赤い絵の具(つまりフェイの血から作ったやつ)を使って地面に模様を描き始めた。ライラはそれを手伝いながら、なんだかわくわくした顔をしている。ものすごく不安だ。不安だよ、これ!
「よーし、ラオクレス。トウゴそこに設置してくれ」
模様が完成すると、ラオクレスに指示が出される。ラオクレスは黙って、模様の上に僕をもっていく。その間も僕は羽交い締めされっぱなし。ちょっと動いてみたけれど、流石は僕らの石膏像。ぴくりともしませんでした。
「じゃ、トウゴ。ちょっと脱がせるわよ」
「え?あ、ちょ、ま、待って!何!?何するの!?」
それから、何故かライラが僕の靴を脱がせ始めた。器用な手つきでするするとブーツが抜き取られて、靴下も取られて、足の裏が外気に触れる。ちょっと寒い。
「……じゃ、フェイ様!私、足を押さえとくから!やっちゃって!」
「おう!じゃー、トウゴ!ちょっとくすぐってえけど、我慢しろよ!」
そして……フェイは何故か、僕の足の裏に、筆を近づけていた。
……えっ。
それから大分、僕は笑うことになったし、体を捩ることになった。
フェイは僕の足の裏に筆と絵の具で模様を描き始めて、それがものすごく、くすぐったかったんだよ。
更に、模様が描き終わって、ああ終わった、と思ったら……今度は、鳥の羽で足の裏をくすぐり始めたんだよ!
「どうだー?何か思いだしたか?」
「な、なにも……ひゃっ!?」
これ、こういう魔法なの!?ねえ、本当に!?
「やだって!ねえ、フェイー!もう駄目!もうやめてー!」
「あー、悪いな、もうちょっと我慢な」
ひ、ひどい!ひどいよ!これ……これ、もうちょっと何とかならなかったのかな!?
……少しして、僕はぐったりしていた。もう、ぐったり。心底、ぐったり。
「どうだ?なんか思い出したか?」
「ちょっと思い出したよ……」
「何っ!?何だ!?何を思い出した!?」
フェイはきらきらした目を僕に向けてくる。うん。まあ、思い出したから。思い出したのは、確か、なんだけれどさ……。
「……夏ごろ、馬の中にハート形の模様があるやつ見つけたこと、思い出した。それ、皆に見せようと思ってたのに忘れてたんだよ」
……まあ、思い出したの、これなので。
「それは……えーと、他は?」
「後は、初代レッドガルドさんがドラゴンとしてうずうずした時に森に来てちょっと火を吹いたり、何故か巣を作っていたなあ、とか」
「初代、巣作りしてたのか……つーかドラゴンって巣作りするのか……」
「そもそもお前の記憶ではなく森の記憶を思い出すな」
他に思い出したことを言ってみたら、フェイにもラオクレスにもそれぞれに複雑そうな顔をされてしまった。まあ、うん。
「あと、クロアさんが……あっ、これ、内緒のやつだった」
「待て、クロアがどうした」
「内緒だから駄目!」
特に、これ、ラオクレスには絶対に内緒のやつだから!夜の国のお酒を飲んでいた時に聞いちゃった奴だから!絶対に言わない!
「まあ、とにかく、元の世界からこっちに来ちまった時のことは思い出さない、ってことだよなあ……」
まあ、結局はそういうことになる。くすぐられ損だった……。
「考えてみりゃ、そうなんだけどな。魔法で封印されてたり、物忘れとかじゃなくて根本的に記憶が消えちまってたり、そういう場合はどうしても、この手の魔法じゃ記憶が戻ってこねえからなあ……。特に、トウゴの場合は森の記憶が混じってたりもするからよお……」
「なら、やらなきゃよかったんじゃないかな……」
「そう?私はよかったと思ってるけど。ほら、くすぐったがってるトウゴって、なんか、いいのよ」
……ああ、そう!
結局、僕のくすぐられ損だった魔法も終わって、僕はなんだかまだムズムズの残るような足の裏を拭いて模様を落として、靴下と靴を履いて、元通り。はあ、やっと落ち着いた。
落ち着いたところで妖精カフェへ。骨ウェイターさんの給仕にお礼を言いつつ、僕らはそれぞれお茶を飲む。
「トウゴに記憶を取り戻させるのって、難しそうだよなあ。もしかしたら本当に、何も知らねえ可能性もある」
「知らないなんてこと、あるだろうか」
「どういう理屈でトウゴがこの世界に来たのかは分からねえけど、本当に何の前触れもなく魔法が発動した、とか、そういう可能性はあるだろ?」
うーん……それ、どうなんだろうな。本当に突然だったとしても、何か、前触れくらいはあっても良さそうだけれど。
「そもそも僕の世界には魔法が無いんだよ。この世界みたいなのは、あり得ない存在であって……物語の中だけの存在、っていうか」
「ホントにかあ?こっそりひっそり、あったりしねえ?」
……まあ、そう言ってしまうと、無いことを証明することはできないので。僕の世界にもあったかもしれないけどさ。魔法。あったらいいなあ、とも思うけどさ。魔法。
「まあ……本当にトウゴの世界に魔法が無かった、とすると、こっちの世界から干渉した、ってことになるんだよなあ。うーん……だったら、こっちの世界で調べてみた方がいいのかもな。親父達とも話してたんだけどさ」
そういえば、フェイはフェイでレッドガルド家の話し合いをしていたんだっけ。……僕がショックを受けている間にも、フェイは頑張ってくれていた。なんだか申し訳ない。
「この世界がトウゴの世界から『迷い込む』奴らの居場所になってるなら、トウゴ以外にも迷い込んできた奴がいるかもしれねえだろ?そういう奴らが見つかれば何か分かるかもしれねえよな」
そうか。僕が何も覚えていなくても、何か覚えている人が居ないとも限らないのか。なら、そっちを当たった方が早い。
……けれど。
「……ちなみに、そういう人って、居るものなの?」
「いや、俺は聞いたことねえ。兄貴も親父も知らなかった。だから、まずは文献調査、ってことになって……親父と兄貴は今、書庫のあれこれ調べてるぜ」
そ、そっか……。うーん、でもなあ、僕の世界から来た人が居たら、その人達によって、もっとこの世界に元の世界の文化が流入していてもいいと思うんだよ。
だから、来ていたとしてもごく少人数がちらほら、っていう具合じゃないかな……。
「何にせよ、復活したカチカチ放火王は倒さねえといけねえんだよな」
「うん」
それから、そっちもある。情報も欲しいけれど、それより先に身と世界の安全。
……カチカチ放火王には和解の意思は無いらしかった。だから、僕らは戦わなきゃいけないんだろう。
この世界が『現実』ではない場所なのだとしたら、カチカチ放火王は『現実』側の存在であって、この世界に迷い込んでしまった僕を引き戻そうとしているんじゃないか、と思う。
尤も、僕の世界にはカチカチ放火王みたいな生き物はいなかった訳だし、魔法なんて無い世界だったわけだから……カチカチ放火王が完全に『現実の存在』っていう訳じゃないことは、分かる。だからこそ余計に色々分からないっていうのはあるんだけれど……。
……カチカチ放火王は、現実の何かが形を変えたもの、なのかもしれない。この世界を滅ぼす者、って言ってたし。
となると、この世界って何なんだろう、という……また、振出しに戻ってしまうのだけれど。
「後は、アージェントか。昨日もちょっと話してたけどよ、やっぱあいつが喋るのが一番早いんだよなあ」
うん……そうだ。アージェントさんは多分、僕らよりも情報を多く持っている、と思う。
彼が目指しているものが何なのかも分かっていない僕らとしては、その辺りを聞きたいところではある。
「じゃあ、文献調査は親父達に任せるとして、こっちはまた、アージェントの方、行くかあ」
行くなら急いだ方がいい。カチカチ放火王が完全に復活するのは、そう遠くないだろう。今度の復活地点が森の中だっていうことだから、多分、復活しそうになったらすぐ分かるとは思うんだけれど……制限時間は設けられてる。すぐ、アージェントさんのところに行こう。
支度をして、すぐに僕らは旅立った。
僕とフェイとルギュロスさん。あと、ルギュロスさんをブローチにしまったライラ。
……ルギュロスさんはライラのブローチに入るの、嫌じゃないのかな、って少し心配だったのだけれど、特に何も言わずにするんとブローチに入っていたから、まあ、多分、彼としてもこの寝床を気に入ってくれているんだと思う。ライラは『これ、いいのかしら……』って複雑そうな顔をしているけれど。
王城へ到着したのは、その日の夜になってからだった。それでも門番の人達は僕らを見てすぐラージュ姫に取り次いでくれたし、ラージュ姫もすぐに出てきてくれたので、スムーズにアージェントさんのところまで辿り着けた。
……地下牢は石造りだけれど、地下にあるからか、少し暖かい。そんな中、石畳をこつこつ踏みながら僕らは進んで……アージェントさんの牢の前へやってきた。
「こんばんは」
僕が挨拶すると、牢の中で目を閉じて座っていたアージェントさんは、片目を開けて僕を見た。
「何の用だ」
そして億劫そうにもう片方の目も開いて、アージェントさんはそう、如何にもそっけない態度で言う。
「ええと……カチカチ放火王から、色々聞いたので、そろそろあなたからも色々聞けたらいいな、と思って、来ました」
アージェントさんがそっけなくたって、僕は彼と話したい。なので正直にそう言うと、アージェントさんは鼻で笑った。
「話すことなど何もない。さっさと帰れ」
「まーまー、そう仰らずに」
僕が困っていたら、横からフェイがずいずいと入ってきて、にっこり笑う。
「そっちだって、聞きたいこと、あるだろ。多分」
不審げな顔をするアージェントさんをじっと見つめて、フェイは笑顔の中、目を細めた。
「目の前におわすのは、『異世界人』だ。……あんたが手を組んだカチカチ放火王の言うところの『現実』から来た奴だぜ」
……そしてフェイがそう言うと、アージェントさんはじっと、僕らを睨んだ。




