10話:孤独な魔物*9
「え、ど、どこが?全然、そういうかんじ、しなかった」
思わずそう問うと、ルギュロスさんは彼自身の額を、ちょこん、と指で触って示す。
「角だ。……あの時はまだ、前髪で隠れる程度のものだったがな。それが、日に日に徐々に伸びていくのを見て……急がねば、と、焦った」
……ルギュロスさんにとって、姿が変わってしまうということは、大きな問題だったんだろう。いや、ルギュロスさんじゃなくったって、自分の姿が日に日に怪物めいたものへと変わっていってしまったのなら、それは恐怖以外の何物でもないだろうし。
何となく、納得がいった。
ルギュロスさんがアージェントさんを裏切ったのは、ルギュロスさんが魔物の姿へ変わってしまった原因の1つがアージェントさんだから。
そして、ルギュロスさんが僕らの手を取ってくれたのは、僕らがルギュロスさんを元の姿へ戻せるから。
……それだけ、ルギュロスさんにとってはそれが大切だったんだろうし、だとしたら、彼が魔物の姿に変わってしまったのは彼にとってどれほど辛いことだっただろう、とも思う。
「伯父上は私がこうなることも分かっていたのだろうな。それでいて、あの人は私を魔物へと変じさせたのだ。それが、あの時によく分かった」
ルギュロスさんはちょっと自嘲気味にそう言った。
「私は、『これ以上魔物化が進行したら、私は勇者を名乗って民衆の機嫌取りができない姿になる』と主張した。……何なら、民衆などどうでもよかったが。だが、それに、伯父上は……『それでも構わん。機が整うまで待て』と。そう、言ったのだ」
「それは……アージェントさん、大分、思い切ったわね……いや、大分、切り捨てたわね、っていうことなのかしら」
ライラの言葉を聞いて、ルギュロスさんは深々とため息を吐きつつも若干嬉しそうな顔をした。
「その通りだ。あの人は、私など必要なかったのだ。勇者として使う、などというのも、所詮は私を体よく動かすための口実に過ぎなかったのだろう。ただ、口が堅く、アージェント家の繁栄のため、という利が一致する、使い捨てても問題ない駒として、私が選ばれたのだとあの時分かった」
ルギュロスさんの言葉に何を思ったのか、魔王が、まおん、とちょっとしょんぼり鳴きながら、ルギュロスさんの頭を撫で始めた。魔王はルギュロスさんの頭の上に乗っているので、お腹で頭を撫でているような具合になっているけれど。
「だが、それでも伯父上以外に頼れる者もない。そもそも、魔物のような姿となった私を救おうとする手があるとは思えなかった。結局は仕方なく、そのままアージェント家の別荘に籠って伯父上の連絡を待つ日々を送ることになった」
ルギュロスさんは魔王を頭から引き剥がして地面に下ろしつつ、そう言ってため息を吐いた。魔王は地面に下ろされつつも、ルギュロスさんを気遣うようにふくらはぎのあたりを撫でている。魔王は優しいなあ。
「だったら、俺達の救いの手は中々いいタイミングだった、ってことか?」
「……まあ、そうなるか」
フェイはにこにこ、ルギュロスさんは若干不本意そうな顔。
「それならよかった。まあ、アージェントが何考えてるのかは知らねえけどさ。あんたはぼちぼち、ソレイラに馴染めそうだし。トウゴも新しいモデルが増えて嬉しそうだし。アージェント家の情報も欲しかったし。こっちとしても丁度良かった」
ルギュロスさんは『モデル……?』みたいな顔をしているけれど、僕、まだルギュロスさんを描くつもりだよ。そりゃあ勿論、魔物の姿の時も綺麗だったけれど、今の状態は今の状態で悪くないので……。
お茶菓子をある程度食べて満足したので、僕は早速、スケッチブックを出してルギュロスさんを描き始める。ルギュロスさんに描いていいか許可を貰ったら、『もう好きにしてくれ』みたいな投げやりな返事をもらったので好きにさせてもらうことにした。どうもありがとうございます。今後とも末永くよろしく。
「で、アージェントは結局、何を企んでたんだ?結構、二転三転してるようなかんじがするんだけどよー……」
フェイがお茶のお代わりを魔王に注いでもらいつつそう聞くと、ルギュロスさんはあからさまにむっとした顔をした。
「それはそうだろうな。計画を立ててはどこかの誰かがそれを覆してくれたのだから!」
……あ、うん。それは……ごめん。多分、僕らのせいですね。
「あっはっは、そっかー、そうだったわ。ごめんごめん」
一方のフェイは悪びれる様子が無いので、ルギュロスさんは嫌そうな顔をしている。でもまあ、悪いけれど、襲われたら返り討ちにする、っていうのは、こちら側の正当な権利なので……。
「じゃあ、アージェントの動向、順を追って最初から話してくれよ。内容は俺達で判断する」
フェイがそう言うと、ルギュロスさんは渋々頷いて、思い出すように話し始めた。
「……始めは、お前達も推測できていることだろうが……私が勇者として名乗り出て、魔王を倒し、勇者としての名声を得て、アージェント領を興す。そういった筋書きだった。王家が魔王の復活とやらを危惧している、ということは分かっていたからな」
「元々、アージェント家は王家の乗っ取りを計画していた。あの愚王をのさばらせておくより、アージェント家が統治した方が余程良い国が生まれる」
僕の頭の中でラージュ姫が『確かに父は愚王ですね』と言っている。うん、実の娘からもお墨付きの、愚王……。
「だからこそ、王家よりアージェント家が民衆の支持を得る必要があった。ただ武力のみで王家を打ち倒すことは難しく、また、もしそれが可能だったとしても、民衆の支持無くしては統治が立ち行かんからな」
「成程。それで、勇者として名乗りを上げることになったのかー」
ふんふん、とフェイが頷いていると……ルギュロスさんはじっとりと、ティーテーブルの上によじ登ってきた魔王を睨んだ。
「……だが、夜の国などというふざけた存在が出てきたせいで、我々の計画は頓挫した」
……魔王が、まおん?と首を傾げている。いや、うん。そうだ。確かにそうだった。
僕が寝ている間に起きたことらしいからあんまり詳しくは知らないけれど……夜の国から現れる『魔王』を僕らが処理してまおーんにしてしまったので、勇者として名乗り上げたばかりのルギュロスさんが宙ぶらりんな地位になってしまったんだったっけ。
「それからソレイラがいよいよ力を増し……アージェント家は大きく、その地盤を揺るがされた。ならば最も手っ取り早く権力と名声を得るには、やはり、魔王を私が殺さねばならん。……そこに丁度良く、『魔王』が現れたのだ」
……ここでの『魔王』は、王様のことだ。魔物の姿になって、魔物を生み出してはソレイラを襲わせた。あの時の王様は確かに、『魔王』だったのかもしれない。
「あの愚かなる国王が魔物へと姿を変じたと聞こえたのでな。ならば、その新たに生まれた『魔王』を勇者として討ち取り、その化け物の首を国民へ晒してやればいい。それが真に魔王であったかどうかなど関係ない。民衆は、化け物が国の頂点に立っていたことに恐怖し、その恐怖を取り払った私を信奉する。その程度の拙い芝居で事足りる」
ルギュロスさんはそう言って……顔を顰めた。
「……だが、それすらできなくなった。何故か、魔物と手を組み、魔物の姿に変じたはずの国王が、人間の姿へと戻っていたからな!あれをやったのは、トウゴ・ウエソラ。お前か?」
「はい。そうです」
「だろうな」
ルギュロスさんは複雑そうな顔でため息を吐いた。まあ、あなたのことも戻したので、文句は言いっこなしということで……。
「そういう訳で、我々は国王の首を民衆に晒すことができなくなった。更に悪いことに、何故か、国王がレッドガルド家をはじめとした貴族諸侯の貴族連合との和解を成し遂げた。意味が分からん。我々の見立てでは、少なくとも王家は貴族連合に撃ち滅ぼされる予定だったのだ。そこを『魔王討伐』に入ったアージェント家が民衆を救うように動けば、貴族連合との衝突は避けられずとも、ひとまず王権と広大なる領土がアージェント家のものになるはずだったのだぞ」
「そりゃあ取らぬユニコーンの角算用、ってやつだろ」
「お前達が居なければ何事も不備はなかったはずだ!お前達の周りで、あまりにも不可解なことが起こりすぎるというだけだろう!」
まあ、うん……。不可解なこと、たくさん起こしているので何も言えない。
「……だが、ああまでなったなら、仕方ない。アージェントが戦うべき相手は愚王の治める国ではなく、貴族連合の傀儡となった王家と、その裏で糸を引く貴族連合、ということになった。明らかに分が悪い。それでもここで動かねば、これ以上アージェントが繁栄する道は無い。ソレイラは我々との共存関係を望んでいないようだったからな」
「共存関係を望んでいなかったというよりは、僕ら、互いにあまりにも、目指す世界が違うんだと思いますよ」
アージェントさんが持ちかけてきた取引は、僕らにとっては……その、不信感の拭えないものだった。彼は何かを隠しているのだろうと思ったし、何より、僕らが大切にしているものを、アージェントさんは大切にしてくれないだろうな、と、思った。
『魔王』に『カチカチ放火王』と名付けたり、鳥に好き勝手させておいたり、骨の騎士団の骨ニケーションを楽しんだりすることって、きっと、アージェントさんにとっては全て不要なことで、何なら、無い方がいいことなんだろうから。
……だから、共存したくない、というよりは、共存できない。そういうことだと思う。
「で、結局あんたは王城に攻め入ってきた、ってことかぁ。成程なあ」
フェイがのんびりそう言うと、ルギュロスさんは渋い顔をした。
「……好機ではあった。魔物を王城に集めてパーティなど、ふざけた真似をしていたからな。それを外部に言い触らせば、ある程度は国王の地位を貶めることもできただろう。そして、国王をあの場で殺してしまえたなら、それはそれでよかった。もし私が捕まったとしたら、『保険』を使って脱出しつつ、城内に眷属を残して勇者の剣を盗み出せばいい。そういう算段だったのだ」
「保険、っていうのは……魔物になること?」
僕が尋ねると、ルギュロスさんは小さく頷いて、思いだしたようにお茶を飲み始めた。
お茶を飲んで、お菓子を少し食べて、少し沈黙が続く。ルギュロスさんが気持ちを整理するための時間なんだろうな、と思ったから、僕らもお茶とお菓子を楽しんだり、魔王にお菓子を分けてみたりして、ルギュロスさんを待つ。
「そう……保険、だったのだろうな。伯父上にとっては」
やがて、ルギュロスさんはそう言って、ティーカップをソーサーに置いた。
「国王を討ち取るにあたって、保険はかけておくべきだと、伯父上が主張した。それは即ち、私が謀反を起こした大罪人として処刑されることを防ぐためでもあり、私という手駒を伯父上が失わないためでもあった。だが……その作用を、私は、完全には知らされていなかった」
ルギュロスさんは、ちらり、とライラのブローチを見ながらそう言った。ライラはこのブローチのデザインをちょっと気に入ったらしくて、普段使いのアクセサリーにすることにしたらしい。
「より高度な生物になるための儀式だと、聞いていた。魔物を使役できる、とも聞いていたが、見目の美しい魔物を選んで使役すればよいだろう、と思った。そもそも、召喚獣だと偽ってしまえばさしたる問題ではないだろう、とも。そして……自分の姿が魔物へと変じていくなど、まるで、聞いていなかった」
……アージェントさんは、どういうつもりで、ルギュロスさんを魔物にしたんだろうか。単に、光の剣を盗み出すためだけに、ああしたんだろうか。
だとしたら、随分と……身勝手だな、と思う。
「私は、アージェント家のためにも『勇者』であれと言われていた。私自身、そのつもりでいたのだ。いや……今も、そのつもりだ」
ルギュロスさんは、今も光の剣のレプリカのレプリカを持っている。真面目な人だなあ、と、思う。
「それが、このザマだ。勇者など程遠い。伯父上には捨て駒として扱われていただけだったのだからな。……笑いたければ笑え」
「いや、笑えねえって……うん。よく来た。よく来た!お前はもうこっちの仲間だ!うん!」
フェイはルギュロスさんの言葉に思うところがあったらしくて、ルギュロスさんの背中をばしばし叩きつつ、励ましの言葉を掛けている。ルギュロスさんとしてはそれも嫌みたいだけれど、僕も大体フェイみたいな気分だよ。
「……ということは、アージェントさん自身が何を考えていたのかはサッパリよね」
「そうだな。まるで分からん。伯父上は私にも、計画の全貌を明かすことは無かった」
さて。ここで振出しに戻ってしまったのだけれど、結局、アージェントさんがどういう目的で動いているのかがよく分からなくなってしまった。
「割と最近、アージェントがラージュ姫宛てに手紙出してきてさ。会談の誘いだったんで行ってきたんだけどよ、そこでは『カチカチ放火王の封印の宝石の場所を教えてやるからアージェント領を独立させろ』って言ってきたぞ」
「何?……何を考えているんだ、伯父上は」
折角なので、僕らはルギュロスさんに、アージェントさんとのやりとりも話す。それを聞くと、ルギュロスさんはますます不可解そうな顔になった。
「まあ……このままやり合っていても埒が明かんと考え、持っている限りの交渉材料を出してひとまずアージェント家の地位を貴族連合と同等にまで引き上げる、というつもりだったのかもしれんが……それならそれで、もっと上手くやる方法はあるだろう。わざわざ王城に捕まる意味がない」
「……王城に入ることが目的だったんだろうか」
「可能性はある。私を送り込んで光の剣を盗み出したのと同じようなことを何か、しているのかもしれんが……王城にそれほどまでに欲するものがあるとも思えん」
ルギュロスさんはますます悩みつつ、首を傾げる。
「まさか、本気でこの世界を滅ぼそうとしている訳でもあるまいし……」
……うん。そう、だよね。アージェントさんには、世界を滅ぼす理由がない、と思う。
それとも……彼が世界を滅ぼそうと思う理由がある?いや、無いよなあ……。
「つーか、アージェントは元々、カチカチ放火王を復活させようと本当に思ってたのか?あんたがちょっと先走っちまって復活させちまったっていうだけで、本当は復活させる予定が無かったとか、そういうこと、ねえよな?」
「さあな。私が聞いていたのは『魔王を復活させ、勇者として魔王を倒すことにより、真の勇者としての名声を得て、アージェント家の優位性を高める』ということだけだった。ついでにソレイラや王家が魔王の被害を受ければ……おい、こら。お前のことではない。膝に乗るな」
『魔王』と聞いた魔王が、まおんまおんと鳴きながらルギュロスさんの膝の上によじ登り始めた。そして膝の上で、まおーん、と抗議の声を上げている。ルギュロスさんはこれに辟易しているようだったけれど、しょうがない。こいつは魔王なので。
それからも色々話してみたのだけれど、やっぱりアージェントさんが何を考えているのかは分からなかった。まあ、推測に推測を重ねてもしょうがないことではあるので、僕らはこの話題を置いておくことにして……さて。
「目下の問題は、カチカチ放火王の最後の封印だな。それが見つからねえと、まずいことになる」
「これはクロアさんと相談した方がいいんじゃない?」
「だなあ。ここだけで話し合ってても駄目そうな気がするしよお……」
とりあえず、何はともあれ、最後の封印を見つけなくては。ソレイラがカチカチ放火王の復活の地だっていうなら、ソレイラの守りも固めなくては……。
というか、何故ソレイラなのだろうか。ソレイラが封印の始まりの地だから、っていうなら、どうしてソレイラが始まりの地になってしまったんだろうか。うーん……。
「ま、とりあえず全員呼んでくるかあ……」
「ついでに皆で一緒に夜ご飯にしない?」
「そうすっか?なら、お持ち帰りメニュー頼んどいた方がいいかな」
「ライラ姉ちゃん。だったら俺、行ってくる。ぽかぽか食堂でいい?」
「あ、リアン。ごめんね。私達の昨日の夕食、ぽかぽか食堂だったのよ」
「だったらぬくぬく食堂にするか。俺、あそこのチキンカツ定食、好きなんだ。……あ、これ、トウゴの奢りだよな?」
「いいよ。じゃあこれ、お金預けるね。よろしく」
ということで、ひとまずルギュロスさんからの事情聴取も終わったので、後は他のメンバーとも話し合い、だ。さて、忙しくなるね。
「……おい」
「うん?」
そろそろお茶会はお開きっていうことで片付け始めていたら、ルギュロスさんが何とも言えない顔で僕らを見ていた。
「お前達は……いつも、こんな具合なのか」
……こんな具合、と、いうと。
「そうよ。こんなかんじのふわふわ具合なの」
ライラが堂々と答えると、ルギュロスさんは理解できないものを見るような目を僕に向けた。いや、答えたのはライラですけれど。
「ルギュロスさんも一緒に食べようか。ぬくぬく食堂のチキンカツ定食、美味しいよ」
僕が誘ってみたら、ルギュロスさんは益々理解できないものを見る目で僕を見てきたのだけれど……ひとまず、賛成はしてくれるらしい。否定はしなかったから、多分、そういうことだ。
……こういうところから、ルギュロスさんのことがちょっと分かってきた気がする。




