6話:孤独な魔物*5
シックな黒とグレーの絨毯の上、シルバーグレーの模様の壁紙と水晶細工の小さなシャンデリアに囲まれて、黒檀の机の奥、黒檀の椅子に座って、ルギュロスさんはこちらを見ている。
……そのルギュロスさんは、魔物の姿に近くなっている。かつての王様みたいに、一部分だけ魔物になってしまっている、というか。そういうかんじだ。
「おおー……大分変わったなあ」
そしてルギュロスさんを見るなり第一声、フェイはそう言って、部屋の中へ臆することなく入っていく。
「へー、角に翼に、って、なんつーか、ちょっとドラゴンっぽいなあ。若干羨ましい気もしなくもない」
更に遠慮のない事を言いつつ、いいじゃんいいじゃん、なんて言いつつ、フェイはルギュロスさんの周りをくるくる回ってにこにこしている。
……確かに、今のルギュロスさんはちょっとドラゴンっぽい。
ドラゴンみたいな翼と、額から伸びる1本の角。尻尾はドラゴンのそれというよりは悪魔とかそういうものを想起させるような、矢印をにょろんと伸ばしたようなものだ。あと、手足はドラゴンっぽい。鱗に覆われて、爪が長い。レネのドラゴン形態に似ているところが多いから、やっぱりちょっとドラゴンっぽい気がする。
「……レッドガルド。私を馬鹿にしに来たのか」
「いやいやいや、話しに来ただけだっつの。それともなんだよ、怯えられたかったか?なら残念だったな!お前みてーなのはもう見慣れてんだ!森にはもっと変なのが幾らでもいるからな!トウゴとか!」
……まあ、僕は見た目は羽が生えている以外は普通ですけれど。でも、変な奴、らしいので。はい。どうも、変な奴です。
「えーと、ルギュロスさん、よね?」
フェイがにこにこ、ルギュロスさんがちょっとイライラ、みたいな顔をしている間に、ライラがするりと割り込んでルギュロスさんの方を見た。
「お手紙のお返事、ありがとうございます。ライラ・ラズワルドです」
フェイ相手だとちょっとツンケンする気らしいルギュロスさんだけれど、ライラ相手にはそんなにツンツンしないらしい。ちょっとだけ、表情を和らげた。
「ああ、貴女がライラ・ラズワルドか。こちらこそ、手紙をどうもありがとう」
ルギュロスさんは、すっ、とライラへ手を差し出して……けれど、そこで自分の手が魔物のそれだっていうことを思い出したらしい。さっ、と引っ込めようとしたけれど、その前にもう、ライラがルギュロスさんの手を握ってふりふりやっていた。
「あはは、ごめんなさいね。フェイ様じゃないけど、私もちょっと変わった見た目の生き物には慣れてるものだから」
ライラの言葉に、ルギュロスさんはちょっと困惑気味だった。けれど、ふり、ふり、と握手されて、そっと手が離されると、なんだか不思議そうに手を見つめていた。
「あ、そうだ。失礼ですけれど、私からの手紙でよく、会って頂けたものだな、って思っていて……えーと、理由をお聞かせ頂いてもいいでしょうか」
そんなルギュロスさんに、ライラはそう言って、ちょっと気まずげな顔をする。
ライラ自身、あの手紙に返信があったことにちょっと驚いているようだったから。……まあ、ライラも言っていたけれど、貴族と平民、っていう間柄を考えても、ほぼ初対面の相手だっていうことを考えても、中々不思議ではある。
「……ライラ・ラズワルドがトウゴ・ウエソラと交流の深い絵師であるということは知っていた。なら、トウゴ・ウエソラの差し金、はたまた雇い元のレッドガルド家の差し金だろうということは予想できたとも」
ルギュロスさんは『当たり前だろう』みたいな顔でそう言った。まあ、そうだろうなあ。ライラと僕の展覧会を王都の美術館でやったことは記憶に新しいし、ルギュロスさんはその時に展示された絵のモデルさんだし。知っていて当然といえばその通りだ。
「じゃあ、トウゴやフェイ様、ラージュ姫からのお手紙でも、同じように会談の席を設けて下さった、っていうことかしら」
けれど、ライラのそんな言葉に、ルギュロスさんは黙る。
黙って……少し考えてから、ちょっと迷うように口を開いた。
「いや……どうだろうな。断っていた可能性もある。あれこれ手を尽くしたい事態ではあるが、みすみす罠にかかるほど愚かでもないのでな」
あ、そうなんだ。だとしたら、ライラが手紙を出したのは大正解、っていうことだろうか。フェイの見立ては正しかったらしい。
「そうだな。まあ、少なくとも、貴女は戦えない1人の女性である、ということは既に分かっていてね。要は、貴女が確実に来るのであれば、確実に、戦えない人間が会談の席に着くことになる。それは、こちらとしては好都合だ」
「おいおいおい。そりゃどういう意味だ?」
フェイが少し眉を顰めると……途端。
しゅるん、と、ルギュロスさんの尻尾が伸びる。その先は……ライラだ!
「ライラっ」
「へ?きゃ、な、なによこれ!」
しゅるしゅる、とライラにルギュロスさんの尻尾が巻きついていく。……ついでに、ライラに思わず駆け寄ってしまった僕にも、巻きつく。
……そうして。
「えっ、と、トウゴ。あんたなにしてんのよ」
「え……何、と言われても……ま、巻かれちゃった……?」
「……そうねえ。巻かれちゃったわねえ」
僕とライラは、一緒になってルギュロスさんの尻尾に巻かれてしまった。
「……ぐ」
ルギュロスさんは尻尾に力を込めて、僕らを持ち上げようとしているらしいんだけれど、ライラ1人ならともかく、僕も一緒になってしまったら、持ちあげられなくなってしまったらしい。動作がもたついている。
「ええと……ルギュロスさん」
そこで僕は、ナイフを抜く。ラオクレスとクロアさんが僕の護身用に、って買ってくれた、あのナイフだ。
「……離してください。じゃなきゃ、僕、あなたの尻尾を切らなきゃいけなくなる」
僕とライラを合わせて束ねるように巻きつく尻尾の一部に、ナイフを軽く押し当てた。すると、ルギュロスさんはじっと、僕を睨む。
……なんとなく、ルギュロスさんの表情に、見覚えがある気がする。
なんだろうな、と思って記憶を手繰ったら……ああ、分かった。
彼の表情は、森の生き物にちょっと似ている。まだ、僕が精霊になる前。生き物の住処に踏み入ってしまうと、動物達は皆、こういう顔をした。
あとは、怪我をしたウサギとか、子供を産んだばかりの鹿とか。皆、こういう風に……怯えて、気を張って、警戒して、こういう顔をしていた。
「あの、ルギュロスさん。大丈夫です。僕ら、あなたが普通に対話しようとしている限り、僕らも普通に対話して帰るつもりでいるので」
だから、彼を落ち着かせたくて、僕はそう、言ってみる。
「ええと、その……具体的には、ちょっと、助けてくれませんか、っていう、そういうお願いで……あなたが僕らを助けてくれるなら、相応の対価は払える、と、思います」
「対価、だと?はっ。こちらはアージェント家だぞ?手に入れたいものは大抵、自分の力で手に入れられる」
ルギュロスさんはこちらを馬鹿にするようにそう言いつつ、額に冷や汗を浮かべている。尻尾にもちゃんと感触があるんだろう。彼には、ナイフを宛がわれる感触がちゃんと伝わっていて、それで余計に緊張しているんだとは、思うけれど……。
「魔物の姿から人間の姿へ戻すこともできます」
……けれど、そう、僕が言った途端。
ルギュロスさんは目を見開いて、大きく動揺したように見えた。
「やっぱり、人間の姿に戻りたいですか?」
確認のためにそう聞いてみたら、ルギュロスさんは動揺を隠すこともせず、少し俯いて、視線を床に彷徨わせた。
「……当然だろう。このような、悍ましい姿に、何故、私が……」
「魔物になったのは、あなたの意思じゃなかった、っていうことかしら」
更にライラがそう尋ねると、ルギュロスさんは肯定も否定もせず、ただ、じっと、ライラを見つめた。
「えーと……それなら、ルギュロスさん。私から提案……っていうのも、おかしな話、なんですけど」
ライラはちょっと笑って、言った。
「こっちに寝返りませんか?」
「……寝返る、だと?」
「おう。アージェント裏切って、こっちに付かねえか?」
ルギュロスさんは目を見開いて、唖然としていた。けれど、僕らが全員落ち着いているからか、たっぷり数秒後には、ちょっと疑うような目で僕らを睨む。
「伯父上を裏切れ、と?」
「そういうことになりますね」
ラージュ姫があっさりと頷くと、ルギュロスさんは表情を苦いものへと変えた。
「私はルギュロス・ゼイル・アージェントだぞ。アージェント家の一員だ」
「そうですね。ですが、アージェント卿は必ずしも、あなたの利益になるようには動いていないのではありませんか?先程のあなたの言葉からも、それが伺えましたが」
ルギュロスさんの反論はどこか弱々しい。自分に言い聞かせるようなその言葉に、ラージュ姫が追い打ちをかける。
「……伯父上が何か、仰っていたのか」
ルギュロスさんは、ちら、とこちらを見ながら、そう、どこか怯えるように聞いてきた。
「いえ、彼からはふざけた交渉を持ちかけられただけですが」
「つーか、あいつが喋ってくれねえからあんたの所に来たんだよなあ」
ラージュ姫とフェイが顔を見合わせて、『ねー』みたいなかんじに頷き合うのを見て、ルギュロスさんは只々、判断に迷うような顔をしている。
「なあ、どうだ?あんたはあんたの知ってる情報の限りを俺達に提供してくれればいい。ついでにアージェントに協力しないで雲隠れしてくれりゃあもっといいな。……そうしたら、俺達は全力であんたを守る。アージェントにも攻撃させねえし、カチカチ放火王のあれこれが終わったら、ちゃんといい暮らしができるように取り計らう」
そこへ、フェイが詰め寄った。
「損得だけで言えば、絶対に損はさせねえ。このレッドガルドの血に誓って約束する」
……ルギュロスさんの目が、迷うように揺れていた。
……それからしばらく、ルギュロスさんは迷っていた。
「……あのー、ルギュロスさん?」
あんまりにも迷う彼に、ライラが声を掛けた。
「あの、そろそろ放して頂けないかしら。そんなにきつい訳でも、苦しいとか痛いとかでもないんだけれどさ……」
……うん。僕ら、そういえば、尻尾に巻かれっぱなしだった。僕もそろそろ、放してほしい。
「どうしてもっていうんなら、私だけ巻いておけばいいんじゃないかしら。何もトウゴも一緒に巻かなくったってさ……」
「だったら僕だけ巻いておいてもいいと思うんだけれど、どうですか、ルギュロスさん」
僕らがそう声を掛けると、ルギュロスさんは『何を言っているんだ』みたいな顔をする。
「えっ、だったら俺を巻くか?俺はいいぜ?」
「でしたら私も……」
巻かれ役にフェイとラージュ姫も立候補すると……ルギュロスさんは、深々とため息を吐いて、しゅるり、と尻尾を解いてくれた。
そして。
「……取引に応じよう」
ルギュロスさんはそう言って、僕らに向かいの椅子を勧めてきた。
「勿論、言い値で買うつもりはないぞ。条件を詰めたい。交渉しよう」
……どうやら、彼、アージェントさんを裏切ってくれるつもりが、ちょっとはあるらしい。




