5話:孤独な魔物*4
今、アージェントさんはアージェント邸に居ない。ルギュロスさんはどこにいるか分からない。
けれど、ルギュロスさんが自力で動ける状況にあるか、或いは、ルギュロスさんがどこに居るのか知っている人がアージェント邸に居るのなら、アージェント邸に出した手紙がルギュロスさんへ届く可能性は大いにある。
少なくとも、『会いたい』っていう内容なら、使用人の人達もひとまずルギュロスさんへ届けることに異論はないと思う。
ということで僕らは、ルギュロスさん宛ての手紙を書くことになった。
ラージュ姫が召使の人にお願いしたら、レターセットが十種類ぐらい届いたので、それを使うことにする。
この場合、最も警戒されないのって誰だろう、と考えた結果……。
「……なんで私が?」
「ラージュ姫の事を知っていそうなトウゴ・ウエソラをよく知っていそうで、かつ、今まで関わったことがねえから判別があんまりつかねえけどクロアさんみたいに裏稼業はしてないってハッキリ分かる人物。ってことで、ライラだ!」
ライラが。ライラが、ルギュロスさん宛てに手紙を書くことになった。
「王家の紋章が入ったレターセットなんて使えねえからな。えーと、ライラっぽいの、このあたりか?」
フェイは召使の人が持ってきてくれたレターセットの中から、藍色のしっかりした紙でできた封筒を手に取る。銅色の箔押しがしてあって、なんだか格好いいやつだ。栗色の髪と藍色の瞳のライラっぽい色合いといえば、確かにそんなかんじ。
「僕はこっちだと思う」
けれど、僕は、その横にあった生成り色の封筒の方がライラっぽいと思う。
箔押しも無いし紙の質も高級感はさほど無い、ちょっと素朴すぎるぐらいの封筒と便箋なのだけれど、便箋にはちょっと透かし模様が入っていて、洒落た印象だ。あと、封筒がいい。普通の封筒とちょっと規格が違うっていうか、若干スリムなかんじなんだよ。白銀比……第2貴金属比って言われるような、ああいうかんじ。
黄金比じゃないところが、若干尖がったライラっぽくていいと思う。
「んー……そうね。私だったら、トウゴの方、選ぶかも」
ライラは僕が手に取った方の、生成りのレターセットを手にして眺めて、ふむふむ、と何か頷いている。
「沈殿藍の絵の具で封筒にちょっと絵を描いたら洒落てていいと思う」
「そうね。この封筒の色なら藍の色が映えそうだわ。んー……だったらこういうかんじかなあ」
ライラは懐から筆箱(文字通り、ライラは絵筆をこうしてしまってるんだよ)を取り出して、そこから面相筆ぐらいの細い筆を取った。そして、水の小瓶を筆箱に備え付けてある白磁の硯みたいなところにちょっと垂らして、そこに筆を浸して、それで、筆箱の隅に流して固めてある沈殿藍を軽くこすって色を筆の水に溶かしこんで……それで、さっ、と、素朴な花の絵を描き上げた。
藍色の濃淡で花びらや葉や茎が表現されていて、素朴ながら洒落た印象だ。こういう藍色の模様がついた白い磁器の皿がよくあるけれど、そういう風情があって中々いいね。
「ふふ、いいかんじじゃなーい」
「うん。中々いい……」
ライラは自分でも満足の行く絵が描けたみたいで、にまにましている。僕も横でライラの手元と完成した絵を見せてもらって、ちょっとうっとりしている。
ライラは僕よりも勢いと思い切りのいい絵を描くから、こういう『ささっ』と描くような絵が、抜群に上手なんだよなあ。ちょっと羨ましい……。
さて。そうして、レターセットの準備ができたところで。
「……なんて書けばいいのよぉ」
ライラが、困っていた。
絵を描く時には怖いものなし、みたいなかんじの勢いで筆を動かすライラが、文字となると、まるで筆が進まないらしい。さっきからペンが動いていない。
「えー、そんなん、『ラージュ姫とトウゴ・ウエソラとアージェントについて話したいことがある。一度会いたい』でいいんじゃねえの?」
「成程。それなら『ラージュ姫とトウゴ君と一緒に、アージェントについて話したい』っていう意味だと言い張ることもできるわね。相手がどう受け取ろうがそれはそれとして」
「あと、ライラもルギュロスさん描かせてもらえるようにお願いしておいてはどうだろうか。あの人、すごく横顔が綺麗だよ。ライラはラージュ姫は描いたけれどルギュロスさんはまだ描いたこと、無かったよね?」
「あーはいはい。なんかトウゴの聞いてたら色々どうでもよくなってきたわ。折角だしそれもお願いしときますか、っと……うーんと、最初は挨拶からよね……」
ライラは慣れない様子で便箋に一文字一文字、手紙をしたためていった。
最初は季節の挨拶から入っているらしい。秋も深まり冬の気配が近づいてきた今日この頃ですが……みたいな書きだし。中々風流。
「で、宛名を『勇者』アージェント様、とかにしておけば完璧だろ。相手は万が一、ライラがトウゴを裏切って自分に着くかも、ぐらいのことは考えるかもしれねえ」
「流石に奴がそこまで楽天家ではないとは思うが……」
「まあ、アージェント家はそもそも、ライラにでも縋りたくなる程度には策が無い状況でしょうし……逆に、ここで出てこなかったら、余程まだ策があるのか、或いは策は無いけれど何が何でもこちらに頼れないかのどちらかってことになるのよねえ。ま、それもルギュロスがアージェントを裏切る気が無い時だけの話だけれど」
「ルギュロスがアージェントと仲違いして、裏切る気満々でいてくれると話は早いんだけどなぁ」
僕らはそんな話をしつつ、ライラを見守って……。
「ライラ。ここ、誤字」
「えっ嘘っ!?」
僕は横から見ていて、ライラの手元で誤字を見つけてしまったので、報告。ライラはちょっと愕然とした様子で便箋を見て……もう一度、別の便箋にやり直し。
「頑張れライラ!」
「すごいぞライラ!」
僕とフェイはその横でライラの応援をする、のだけれど……。
「あー!気が散るからちょっと黙ってて!」
怒られてしまった。
なので僕らは全員で一斉に黙って、静かにライラを見守ることにした。
「……黙って見つめてるのも落ち着かないからあっち向いてて!」
更に怒られてしまった。
なので僕らは全員で一斉に回れ右してライラに背中を向けることにした。
そうしてライラが頑張ってくれたおかげで、無事、ルギュロスさん宛ての手紙が完成。それを僕らはアージェント邸宛てに送る。
「……返事、来るのかしらねえ。よくよく考えたらさ、ルギュロスって貴族じゃない?平民も平民の私からの手紙とか、開封もせずに捨てる気がしてきたわ……」
「あんなに素晴らしい絵が描いてある封筒を捨てられる人はそうは居ないと思う」
「人が皆トウゴみたいなふわふわ君だったらホント苦労しないんだけどね……いや駄目だわ。どう考えてもそれはそれでとんでもなく苦労するやつだわ……」
……まあ、ライラの心配はさておき、まずは結果を待つしかない。
そしてその間、アージェントさんには……。
「すみません、魔王がお腹いっぱいになっちゃったみたいで……」
牢屋に行ってみたら、鳥が牢屋にしっかり詰まっていて、その下にアージェントさんが居て、アージェントさんの頭の上には魔王が乗っていた。けれど、魔王はお腹いっぱいになってしまったらしくて、僕を見るなり、まおん、と鳴いて、ころん、とアージェントさんから転がり落ちる。
「なんだ。私を解放する気になったかね?」
「いえ、魔王の交代要員として……」
「おーい、魔王ー。アージェントにぺったりくっついてやれ。顔というか頭全部よろしくなー」
ということで、ええと……申し訳ないんだけれど。
魔王が、まおん、と鳴いてアージェントさんの顔面にぺったりくっついて目隠ししてくれたところで、僕はスケッチブックを出して、ささ、と絵を……まあ、ライラみたいな手早さと勢いが合わさった筆使いじゃないけれど、まあ、魔法画でささっと絵を描いて……。
「魔王、どいてやれー!」
魔王がフェイの合図で、まおーん、とのんびり鳴きながらアージェントさんの頭を離れる。
「……は?こ、これは……?」
……その頭に、たんぽぽが生えていた。
「あら、可愛い……」
ラージュ姫がなんだかにっこりしていた。ラージュ姫が嬉しそうで僕も嬉しいです。
ということで、アージェントさんの頭にたんぽぽ生やした。これで鳥と魔王を回収して帰っても魔力はたんぽぽが回収してくれるし、アージェントさんから吸い上げられた魔力は綿毛になって飛んでいくので大丈夫。髪の毛は最終的に描いて戻します。
……定期的にアージェントさんを扇いで綿毛を飛ばしてくれるように地下牢の見張りの兵士の人達とラージュ姫にお願いしてから、僕らは一度、森へ帰った。
……ということで、ルギュロスさんに手紙を出して、1週間。僕らはアージェント領をちまちまと歩き回って封印探知機で封印の宝石の在処を探してみたり、ルギュロスさんが駄目だった時の為にちょっと準備しておいたり、ちょっと昼の国の勉強がてら王城に滞在しているらしいレネからアージェントさんの頭のたんぽぽの観察日記が届いたりしていると、遂に。
「トウゴー!ライラー!来たぞー!」
リアンが僕のところに、封筒を持って駆けてきた。
「ライラ宛で!ルギュロス・ゼイル・アージェントから!手紙!」
「えっ来たの!?」
「やった!」
僕とライラは丁度絵を描いていたところだったので、慌てて画材を片付けてリアンに駆け寄って、封筒を受け取る。
真っ白な封筒に金銀の箔押しがされた豪華な封筒で、差出人は確かにルギュロスさんだ。
「……開けるわよ」
「うん」
僕とライラは慎重に、そっと、封を開けて……中の便箋を取り出す。
便箋もきらびやかなもので、すごいなあ、なんて思いつつ、僕らは隣り合って便箋を覗き込んで……。
『貴女の申し出に応じる。そちらの話を聞きたい』
そんな一文を読んで、僕とライラは無言で掌をペチンと打ち合わせた。やったね。
……ということで、皆を呼んで、改めてルギュロスさんの手紙を読んでいる。
「結構条件付けてくるなあ」
フェイが首を傾げているのも分かる。というのも……ルギュロスさんの手紙、結構、条件が書いてあったので。
まず、場所はアージェント領の外れにあるアージェント家の別荘。
ラージュ姫もフェイも連れてきてもいいけれど、ルギュロスさんを武力制圧しようとするなら即座に自決する。
ルギュロスさんが求めるのはあくまでも対話であって、こちらが敵対しないなら敵対するつもりはない、とも書いてあった。
……ここまでは、まあ、いいんだけれど。
最後に……ライラは、ルギュロスさんを描いちゃ駄目、とのことだった。
「……描かれるの、嫌なのかしら」
うーん……なんというか、ちょっと不思議な条件の付け方だけれど、まあ、相手は僕らと話す気があるみたいなので……。
……ということで、翌日。僕らは王都を経由してアージェントさんの牢屋の前でレネと一緒に「たんぽっぽ、きれーい」「綺麗だね」とたんぽぽ鑑賞して、そのまま一晩王都に泊まって、そしてその更に翌日、アージェント家の別荘へ。
「……別荘ね」
「別荘だね」
メンバーは、僕とライラとフェイとラージュ姫。あと、護衛のラオクレス。クロアさんは、今回は最初から別行動。
そして目の前には別荘らしい別荘。アージェント領の湖のほとりに建てられた瀟洒な別荘は、如何にも別荘、といったかんじのこじんまりとした建物だ。
けれども流石に貴族の別荘だけあって、僕らが別荘に近づくと、別荘の扉の前で待っていた召使の人が僕らを早速迎え入れてくれた。
僕らは案内の人に連れられて、別荘の中、そんなに多くは無い部屋の中でも、一番奥にある部屋に通されて……。
「……よく来たな」
そして、部屋の中に居たのは……ルギュロスさん、なの、だろうけれど。
彼は、すっかり人間の姿ではなくなっていた。
成程。ルギュロスさん、これを描かれたくなかったのか……。




