25話:月白の酒盛り*2
……そのまま少し、僕らの酒盛りは続いた。けれど、少ししたら起きているのは僕とクロアさんだけになってしまった。ライラも寝ちゃったよ。眠くなったと自覚してから『帰ってベッドに入らなければ』みたいな頑張りを見せてくれたんだけれど、ドアに向かっていったところでもう駄目だったらしくて、行き倒れみたいになって寝ている。ちょっとかわいい。
「急に眠くなっちゃうのかな、これ」
「そうねえ、そういう魔法として働いちゃうんだと思うわ。……私としてはさっきからトウゴ君が寝ないのが残念なのだけれど。まあ、精霊様だしね、あなた」
うん。ライラが寝てもフェイが寝てもラオクレスが寝ても、僕は寝ません。僕、精霊なので!
「ふふふ……なんだかふわふわするね」
「……けれど、酔っぱらってるのは確実ね」
うん。なんだかふわふわしている。しっとり落ち着いて、うっとり眠たくて、じっくり物思い。そんなかんじの、いい気分。
そうか。これが酔っぱらいということか。先生、僕も酔っぱらいの気持ちが分かったよ!
「さて、楽しいのはいいけれど、このままだと皆、風邪引いちゃうわね。どうしましょう。私、ラオクレスを運べる自信、無いわ」
「僕も無い」
ラオクレスは相変わらず、石膏像みたいな眠りっぷりだ。うーん、起こしても起きそうにないぞ、これは。
「じゃあせめて、ベッドにライラだけでも運んでおく?……うーん、でも、ここって客間、無いわよね。となると、ラオクレスのベッドしかないから……男臭いベッドに女の子を寝かせるのは可哀相かしら。可哀相ね。止めましょう」
「そういうことなら僕にいい考えがある」
クロアさんがラオクレスにちょっと失礼なことを考えている間に、僕はさっと絵を描いて……ラオクレスの家の居間を全面布団敷きにした。あと、毛布をもふもふと数枚出した。これでよし。……あれ。毛布をもふもふと、って、なんだかおもしろいなあ。もふもふ毛布。もふもふ毛布。なんかこういうの前聞いたことがあった気が……あ、ウキウキ宇貫ととことこトーゴか。今度からそこにもふもふ毛布も混ぜよう。もふもふ毛布。もふもふ毛布。
「……床がお布団になっちゃったわね。これ、どうしようかしら」
「僕はね、ライラに毛布を掛けようと思うんだよ」
「そうね。なら私はフェイ君に掛けておいてあげようかしら。……それにしてもトウゴ君、酔っぱらってるわねえ」
うん。酔っぱらってる。酔っぱらってるなあ。なんだかふわふわして眠くなってきて……でも風邪を引いちゃうと可哀相だから、ライラに毛布を掛ける。ええと、3枚くらい……。あっためてやらないと、人の子はすぐ風邪を引きそうだから……。
それから、フェイにももう1枚毛布を掛けて、しっかり包む。人の子はすぐ風邪を引くから……。
さて、じゃあラオクレスにも掛けてあげよう、と、毛布を持ったところで……ふと、気づく。
クロアさんが、寝ているラオクレスを眺めながら、小さなグラスに夜の国のお酒を注いで、ちびちび飲んでにこにこ笑っている。クロアさん、ラオクレスの寝顔をお酒の肴にしているらしい。
……けれど、ふと、クロアさんの笑顔が寂しげな……いや、寂しいんじゃないけれど、でも、そんなかんじの、静かなものになって……クロアさんの指がラオクレスの頬をそっと撫でた。
その顔が……その、すごく、優しくて、ちょっと寂しくて、綺麗で。……なんというか、届かない月に向かって手を伸ばしているようなかんじがした。
……見ていてちょっと、どきどきする。
「……ねえ、クロアさん」
窓から差し込む月の光に照らされながら、月の光を溶かしたようなお酒を飲むクロアさんは、月の精霊様みたいにも見える。特に、森みたいな翠の瞳が睫毛の影でその色を沈ませていて、彼女の金髪ばかりが月光で煌めいて、そういう印象が強いのかもしれない。
「どうしたの?トウゴ君」
クロアさんは優しく微笑んで、小首を傾げる。さらり、と流れる金髪がまた月光に透けて輝いて、すごく綺麗だ。
「……やっぱり、ちょっと怖かったり、する?」
何が、とも聞かずに、そんなことを聞いてみる。するとクロアさんはきょとん、として、考える。
「そうねえ、トウゴ君の言うところとはちょっと違うのかもしれないけれど……」
……そして、クロアさんはにっこりと、月の女神様みたいな静かで綺麗な笑みを浮かべて、人差し指を唇の前に持ってきた。
「ちょっとだけ、ね。これ、内緒よ?」
……わあ。
なんというか……すごいなあ、と、思う。それと同時に、今、目の前に居るクロアさんがあんまりにも綺麗で、なんだか畏れ多いような、どきどきするような、そんな気分にもなる。
そう、なんだかもう、どきどきしてきて……そしていつの間にか、ぼんやり眠くなってきてしまう。
……あれ?
「ちょ、ちょっと。トウゴ君?寝ちゃうの?」
「うん、寝ちゃう……」
クロアさんがちょっとびっくりしつつも慌ててそう聞いてくるけれど、これ、もう駄目だ。どうにも抗えない。眠い。
その場でもそもそやって、自分が丁度持っていた毛布を被って寝心地のいいようにしようとしていたら、クロアさんがころころ笑って、「おやすみなさい!」と挨拶してくれた。うん。おやすみなさい。
……ただ、寝ようと思って体を横たえたその時。ふと見たら、ライラが毛布を全部跳ね除けていることに気付いた。あれ、もしかして暑かったのかな。でも、何も被らず寝たら風邪を引いちゃうよ。
ということで、僕は、被っていた毛布をライラに被せて……あっためて……。
……ぐう。
起きたら多分、朝だった。瞼越しに感じる光が明るい。なんだかぐっすりいい気持ちで眠ってしまったみたいで、とても体の調子がいい。
でも、そのまま目を開けずにもう少し、ふわふわした微睡みの中を揺蕩って、ちょっともぞもぞやって楽な姿勢になって……そういえばなんか暑いぞ、と思って、目を開ける。
「あ、起きた?」
目を開けたら、ライラが居た。
「ひぇっ」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないのよ」
ライラはじっとりした目で僕を見つつ、よいしょ、と……僕の上に毛布を乗せた。よく見たら、既に僕の上には毛布が数枚、重なっている。どうりで暑いわけだよ!
「あの、どうして僕、毛布を乗せられているんだろうか……」
「お返しよ!全く、あんたまで鳥さんみたいなことしなくたっていいでしょうに……」
ライラは何故か怒りつつ、僕に毛布を乗せていく。待って待って、暑い暑い。
ええと……そういえば昨夜、僕、いきなり寝てしまったんだったっけ。よく覚えていないけれど。
記憶が無いのって怖いなあ、と思いつつ、周りを見て……僕は、愕然とする。
……床が全面、布団敷きになっていた。
「……ライラ。これは、一体」
「あんた覚えてないの?どうせこれやったのあんたでしょ?」
……全く覚えていません!
「……何故、床が布団に」
そして、家主さんものっそり起きてきて、自分の家の床が全面布団敷きになっているのを見て、ものすごく不可解そうな顔をしている。ごめんね、すぐ戻します……。
それから、何故かフェイがとてもしっかり毛布に包まれているのを見て首を傾げつつフェイを起こしていると、ラオクレスがラオクレスの寝室からクロアさんを連れて戻ってきた。クロアさんは全面布団敷きの居間じゃなくてラオクレスのベッドで寝ていたらしいよ。まあ、布団よりはベッドの方が寝心地がいいよね。ちゃっかりしてるなあ……。
「あー……なんか、よーく寝たなあ。ついでに、なんかいい夢見た気がするぜ」
フェイは大きく伸びをしつつ、すっきりした顔だ。夜の国のお酒を飲むと、ものすごく寝つきがよくなって、ものすごくぐっすり寝てしまって、ものすごくすっきりするらしい。僕もそんなかんじで、体の調子がとてもいい。
「……ところで、何故お前らが居る」
「ラオクレスとクロアさんが酔い潰れて寝てるところを見に来たのよ。まあ、クロアさんは起きてたけれど」
ライラがにやにやしながら答えると、ラオクレスは渋い顔で、そうか、とだけ言った。そうなんです。
「……酒1本で全員酔い潰れられるのだから、安上がりな酒かもしれんな」
ラオクレスは更にそんなことを言いつつ、ため息交じりにお酒の瓶を拾い上げた。薄青のガラスでできたその瓶には、相変わらず読めないラベルが貼ってあって……。
……あ。
「ちょっと待って!捨てる前にそのラベル、読みたい!」
「酒の名前が気になるのか」
ラオクレスが怪訝な顔をするので、そうですそうです、と伝えてみると。
「それならタルクから聞いた。『憧憬』という銘柄らしい」
……ラオクレスは、そう、教えてくれた。
「憧憬……」
……成程。つまり、憧れ。
「綺麗な名前だね」
「そうだな」
ラオクレスは少し笑う。
それを見ながら、僕はふと、なんでか、先生のことを思い出した。
……ラオクレスにこのお酒、似合うと思うけれど。でも、きっと先生にも似合うだろうなあ、と思う。先生は普段は格好悪さ3割面白さ5割格好良さ2割ぐらいの人だけれど、きっと、このお酒のグラスを1人傾けている時なんて、格好良さ8割その他2割ぐらいになるんじゃないかな。なんだか、そんな気がする。……多分、『憧憬』は、大人に似合うんだ。
そんなことを考えて先生が恋しくなっていたら、ふと、思い出す。
前、先生と話していた時、僕、恋とは憧れに似たり、みたいなこと、言った気がするけれど。
……うん。まあ、だからこそ、クロアさん、ああいう顔で飲んでたのかな。
先生。やっぱり、『憧れ』は、恋に似ているみたいですよ。
「ちなみに、ラオクレスがタルクさんに出したお酒って、何ていうお酒だった?」
黙ってしまった僕を不思議そうに見ていたラオクレスに、ちょっと場繋ぎついでに僕はそう聞いてみる。
……すると、僕としてはただの雑談程度のつもりだったのに、途端、ラオクレスは目を逸らした。
「あの……何か、聞いたらまずかっただろうか……」
「いや……」
いや、という割にぎこちないラオクレスを不思議に思いつつ、彼の言葉を待っていると……ラオクレスは、言った。
「……『ふわふわ森の陽だまり』だ」
うん。
「そのお酒、命名者は」
「ラージュ姫に決まっているだろう」
あ、うん。やっぱり?
「……名前は名前だが、味はいい。度数は低いが、良い酒をじっくり味わいたい時には丁度いいものだ。ソレイラの銘酒だぞ」
あ、うん。いや、いいから。大丈夫だよ。ラオクレスが『ふわふわ森の陽だまり』を飲んでいても僕、別にがっかりしたりしないよ……。
……そういうわけで元気いっぱいな僕らはお昼過ぎ、妖精カフェで待っている。何故って、ラージュ姫を待つために。
あれ、よく考えたら僕ら、ラオクレスが寝ているところを見に行ったんじゃなくて、ラージュ姫が明日来ますよ、ということを伝えに行ったのではなかっただろうか。すっかり忘れてた。
お酒って怖いな。あんまり飲まないようにしよう……なんてことを考えていたら、その内ラージュ姫がやってきた。
「お久しぶりです!ごめんなさい、お待たせしましたか?」
「いやいや。俺達、駄弁ってただけだからな。気にしないでくれよ。ほら、注文。何にする?」
ラージュ姫は少し疲れているようだったけれど、僕らと妖精カフェのお菓子を見て、ラージュ姫は少し元気になってくれたらしい。目を輝かせて、早速、注文。今は丁度、栗のケーキを出しているから、それ。
ケーキが届いたところでラージュ姫がお茶とケーキを味わって、またもう少し元気になってもらって……さて。
「皆さん、6つの封印を既に処理なさったとか」
早速、ラージュ姫は目を輝かせて、僕らを讃え始めた。
「うん。残り1つです」
「流石ですね。……まさか、被害らしい被害も出さずに、カチカチ放火王をやりこめてしまうとは」
「大体はトウゴとたんぽぽのおかげだなあ」
……まあ、うん。実際、たんぽぽは優秀だ。本当によく根を張って、魔力を吸い上げて、頑張ってくれてる。ありがとう、たんぽぽ。
「7つ目の封印の場所は既にお分かりですか?」
「ええと……それは骨の騎士団が頑張ってる。最後ともなると、やっぱり難しいみたいで」
現在、骨の騎士団絵心部隊は、一生懸命、ああでもない、こうでもない、と絵を描いてくれている。僕らに伝えるために色々描いてくれているらしいのだけれど……生憎、僕らには、それが何を表すものなのかが分からないんだよ。
湖の絵とか、剣の絵とか、色々描いてくれてるんだけれどね。うん、まあ、今のところはさっぱりです。
「それに、今回の例で、もしかすると封印の宝石が移動させられてるかもしれねえっつうことも考えられるようになっちまったしなあ……」
ね。グリンガルから王都まで運ばれてたくらいなんだから、誰かに見つかるような場所の封印があったら、移動してしまっているかもしれない。厄介なことに。
「まあ、封印探知機はある。最悪、国中の空を飛び回って見当つけりゃいいかなー、って思ってる」
フェイの言う方法も、一応は残されている。だから、最悪の事態にはならなくて済むかな、とは思うんだけれど……まあ、できれば、骨の騎士団がくれるヒントを読解したいなあ、とは、思ってるよ。
……という具合に、大体、こちらの報告を終える。ラージュ姫へはフェイがマメに手紙を書いて報告してくれていたらしいけれど、まあ、それで足りなかった部分とか、そもそもの今回のグリンガル行きについては全く報告できていなかったので、その辺りも報告して……。
そして、今度はラージュ姫からの報告を受ける番だ。
「2つ、ご報告があります」
ラージュ姫は最初にそう言って、一冊の本を机の上に出した。
「1つは、これです。……内容は、魔王と勇者の戦いについて記した本、といったところでした」
本は、綺麗な装丁が施されたものだ。絹張りで、金の箔押しがされている。箔押しがところどころ剥げているようなかんじがあったり、表紙の絹が少し擦り切れていたりするから、古いものなんだろうなあ、というかんじ。
「古そうだなあ。これ、どこにあったんだ?」
「……それが」
フェイが本をしげしげ眺めつつ尋ねると、ラージュ姫は途端に表情を曇らせて……言った。
「封印の地、です。……壁の一部が先日、剥落してしまいまして。すると、その奥に空洞があり、この本が収められていたんです」
……うん?
「ただ、綺麗に装丁されているのに……ほら」
ラージュ姫が見せてくれる本は、罫線も何もなく、ただ白紙。自由帳っていうやつだ。
「一応、前の方のページには勇者と魔王の物語であろうものが書き記されてはいるのですが……これだけ白紙が余っている本でしたので、なにやら意味ありげに思えまして」
「書きかけで終わっちゃったっていうことなのかな」
「いやー、普通、書いてから装丁するだろ……」
まあ、そうか。そうだろうなあ。
となると……やっぱりこれ、自由帳とかじゃないだろうか。うーん、絵、描いちゃ駄目かな……。
「そしてもう1つは……これです」
ラージュ姫は、懐から封筒を一通、取り出した。僕は、その封筒を見て、少し驚く。封蝋に見覚えがあったから。
……これ、アージェント家の、紋章だ。
「アージェントから、会談の提案がありました。……どうしましょうか」
アージェントさん、か。……今度は何の用だろうか。
 




