17話:泥棒に花束を*9
すっかり無力化されたルスターさんが鳥の下から顔を出すのに近づいて、クロアさんはしゃがんで声をかける。
「無様ねえ」
開口一番、これ。ばっさりいくなあ……。
「それで?私に用があるんだったかしら?けれどおあいにく様。私、あなたとは宝石の趣味が合わないみたい。私、ガラス玉は宝石だとは思ってないのよ」
更にばっさりやって、クロアさんは冷たい目でルスターさんを見下ろす。
「くそ……ガラス玉なんて、掴ませやがって……」
「掴ませた?あなたが勝手に掴んでいったんでしょうに、被害者ヅラしないでくれる?」
クロアさんの言葉は僕に向けられている訳じゃないのだけれど、それでも鋭さを感じてしまうくらいには冷たくて鋭い。
浮き球の盗難に関しては、被害者は当然、盗んだルスターさんではなく盗まれた僕なのだけれど……もういいよ、と言いたくなってしまう。なんとなく。
「それにしても、よく気づけたわね。あれがガラス玉だって。誰かに教えてもらったのかしら?まさか、売りに出そうとしてやっと気づいたとか?」
ルスターさんは鳥の下からなんとか引っ張り出したらしい手を握ったり開いたりしながら、クロアさんを睨み上げる。……すると。
「私、怒っているのだけれど」
どすり。
……容赦のない音、そして一瞬遅れて、絶叫。
クロアさんのナイフが、ルスターさんの手を貫いて、地面に突き刺さっていた。
「さあ、答えてくれるわね?あなた、どうしてガラス玉を盗んだの?トウゴ君の部屋に入って、一体何がしたかったのか、ちゃんと説明して?」
クロアさんの目は、ただただ、冷たく、暗かった。
「話したくないようなら話すまでやってあげる。次はどこにする?鳥さんの下から出ているのは片手と頭だけみたいだけれど……じゃあ、次は目にしましょうか」
クロアさんは次のナイフを取り出しつつ、ルスターさんを見下ろしている。ルスターさんはぜえぜえと荒い呼吸をしながら、血走った目でクロアさんを見上げて……。
「……クロア」
クロアさんの背後から、ラオクレスが近づいていって、ひょい、と、クロアさんの手のナイフを取り上げた。
「トウゴの前だぞ」
クロアさんは、ちら、とラオクレスを見て、それから、ふう、と息を吐き出す。
「……そうね。ありがとう。ちょっと落ち着いたわ」
「ならいい」
クロアさんはちょっと笑って、僕を見て「もう大丈夫よ」と言った。そっか。大丈夫か。なら、いいんだけれどさ……。
……あの。
クロアさんが落ち着いてくれたなら、それは何よりだけれど。
けれど……その、ラオクレスもクロアさんも、僕を何だと思っているんだろうか!ねえ!
クロアさんは、「鳥さんだって自分の下でこんなのやられたら嫌だったわよね」と鳥を撫でる。鳥は特に気にした様子もなく、キョキョン、と相変わらずの勝利宣言を続けている。まあ、鳥はこういう奴。
「さて。あなた、いい加減に情報を吐いてくれるかしら?殺しておいた方が後腐れが無いのは間違いないけれど、二度と関わらないでくれるなら、今回は情報だけで見逃してあげてもいいわ。お父様への義理もあることだし」
なんとなく、あの『お父様』なら、クロアさんがルスターさんを殺してしまったとしても顔色一つ変えないような気がするのだけれど……一応、ルスターさんは盗みの腕で目を掛けられている人らしいし、そういう意味では『義理もあることだし』っていうことになる、のかな。
「で。どうしてガラス玉を盗んでいったの?ああ、私達がお父様から頂いた宝石と間違えてガラス玉を盗んでいった、っていうことはもう分かってるから話さなくてもいいけれど。どう?」
クロアさんがもう一度、質問する。するとルスターさんはクロアさんを見上げて、傷ついたように表情を歪めた。
「なあ、カレン。俺と……ヨリ戻す気は、無いってことか」
「ねえ、それ、質問の答えになってないけれど。……つまり、ガラス玉を盗んだのは、私をおびき寄せるため、ってこと?はあ、呆れた」
「カレン!答えろ!」
クロアさんが頭の痛そうな顔で首を横に振る中、ルスターさんは必死にクロアさんを昔の名前で呼ぶ。
……けれどクロアさんはクロアさんで、もう、『カレン』じゃないんだと思うよ。
「あなたとどうこうするつもりは無いわ。当然だけれど」
クロアさんは落ち着いた様子で、けれど鋭く、そう言い放った。
「……そうかよ」
ルスターさんは虚ろな目でそう呟いて、それから、のろのろと顔を上げた。
「それは……そいつがいるからか」
ルスターさんの目は、クロアさんの後ろ、ラオクレスへ向けられている。
「あなたには関係のないことね」
クロアさんが視線を遮るようにラオクレスの前へ立つと、ルスターさんは何を思ったのか……笑い出した。
不気味な笑い声が森に響く。ケタケタと、ちょっと常軌を逸したような、というか……正気じゃない、というような。そういう笑い声だ。
……そして、一頻り笑ったルスターさんが、にたり、と、笑う。血走った目が、ぎらり、とクロアさんを見つめる。
「なら、お前にも痛い目見てもらわなきゃいけねえし……そいつらは殺すしか、ねえよなあ」
「……なんですって?」
クロアさんが形のいい眉を顰めた、その時。
「おい!聞いてんだろ!取引だ!もう半分くれてやる!だから協力しろ!魔力を全部寄越せ!」
ルスターさんがそう、叫ぶ。
……すると、ぼうっ、と、半透明な何かが、クロアさんの背後に湧き上がった。
「クロア!」
すかさず、ラオクレスがクロアさんを庇うように割って入る。すると、次の瞬間。
ゴウン、と、銅鑼の音を鈍くしたような大きな音がした。
それと同時、ラオクレスの鎧の胸部が、めきり、と……大きく、凹んでいた。
ごぷり、と、ラオクレスの口から血が溢れる。それを見て僕は一気に体温を奪われたような、ぞっとするような寒気を覚えた。
……けれど、ラオクレスはそんな状況なのに、ぎろり、とルスターさんを睨むと、剣を抜いて構えた。
「はは……なんだ、これ、強いじゃねえか」
一方、ルスターさんはそんなことを言いながら、虚空を見つめて笑っている。まるで、自分が放った魔法の威力に驚いているみたいだった。
「うっかりカレンを殺すところだったか。へへへ……」
更に、ルスターさんが何か集中すると、周りに居た骨の騎士達と鳥が吹き飛ばされる。特に、ルスターさんのすぐ上に居た鳥は、ぽーん、と、上空へ跳ね上げられてしまって、キョキョン、キョキョン、と慌てたような鳴き声が遥か上空へと消えていった。
そうして体が自由になったルスターさんは、自分の手を地面に留めていたナイフを躊躇なく引き抜くと、手からぼたぼたと血を流しながら立ち上がって、げらげらと、狂ったように笑い声を上げて……言った。
「舐めんなよ?今の俺は……グリンガルの伝説の魔導士の魔力を、自在に操ってるんだからな!」
そして次の瞬間、凄まじい風が、僕らに襲い掛かってきた。
僕とフェイとグリンガルの精霊様の前に集まった骨の騎士達が、一斉に盾を構える。凄まじい風は骨の騎士達を容赦なく打ち据えていく。時には、騎士達の盾や肋骨が凹んだり折れたりしてしまう。
僕は彼らに庇ってもらいながら、すぐに彼らを治療すべく絵を描く。骨も盾も元通りに描いて……あと、ラオクレスも。鎧の凹みが直った状態で描いてみるけれど、彼の場合、血を吐いていた。内臓が傷ついたっていうことだろうから、ただ描いただけじゃ駄目かもしれない。となると、すぐにでも鳳凰の涙の治療を受けてほしいのだけれど……難しそうだ。
風か衝撃波かよく分からない魔法は、さっきからずっと、ラオクレスを狙っているらしい。コントロールが上手くいっていないのか、ラオクレスに酷い傷を負わせることは無かったけれど……彼の周囲がそんな状態だから、不用意に鳳凰を向かわせるわけにもいかない。
なら……大元をどうにかするしかない。
僕は次の絵の準備をする。それは……ルスターさんが、この場で眠りこけてしまう、という……そういう絵だ。
僕が絵を描いていく間にも、ルスターさんの魔法が暴れまわって、周りのものを攻撃していく。
森の木が折れて倒れて、ハルピュイアが吹き飛ばされて、二足歩行の牛が地面にたたきつけられて、三つ首の犬がひっくり返って……。
どんどん、怪我も増えていく。最初のラオクレスが一番酷かったけれど、今や、ほとんど皆、どこかしらかに怪我をしているような状態だ。
「どうなってんだ、これ……普通の人間の魔力じゃねえぞ」
絵をかく僕の隣で、フェイが青ざめつつ、そう呟く。
「さっき、グリンガルの魔導士の魔力を操ってる、って、言ってたよね。あと、取引、とか」
「ああ……まさか、本当に?グリンガルの魔導士の魔力が、どこかにあって、それを、あいつが使ってる、のか?でも、どうやって……?」
僕らの隣で、グリンガルの精霊様が、怒ったようにシュルシュルと鳴いている。もしかして……グリンガルの精霊様を封印したのって、魔導士、ではなくて、魔導士の魔力を持った、ルスターさん、だったんだろうか。
でも……だとしたら、余計に目的が分からない。一体、誰が、何のために動いて、今、こうなっているんだろうか。
考えるのは後だ。
僕はとにかく絵を完成させて……現実に反映させよう。
初めて描く人の姿を描くのは結構難しい。急ごうにも限界はある。
けれどなんとか、ルスターさんが眠り込んでしまうように、絵を描き進めていって……。
……僕がそうやって絵を仕上げる、その、一瞬前。
ふと、森がざわめいた。
それと同時、グリンガルの精霊様が警戒するように鳴く。
何かが来る、と僕らが身構える中……それは、来た。
ぐ、と、僕の喉が絞まる。
息ができない。頸動脈が圧迫されて、血が流れない。頭が膨れ上がるように熱くなっていくのに、体は酷く寒くなっていく。
そして何より……首に掛けられた手が、ぞっとするほど、冷たい。
「あうっ……」
「ぐっ……な、んだ、これ……!」
僕が呻き声しか上げられない横で、フェイも同じようにされていた。
なんとか横を向いてフェイの首を見てみると……そこに、半透明な手が、あった。
ぞっとするような冷たい手は、半透明な腕へと続いて、腕は僕の背後へと続いて……そして。
なんとか顔を向けて見てみたら、僕らの背後に知らない人が、その姿を半透明に揺らめかせながら立っていた。
僕はなんとなく、理解する。気配が、家の中に残っていた魔力と一緒だったから。
この人……きっと、グリンガルの魔導士の人の、幽霊、だ。




