16話:依頼と雷*4
「俺は14の時に騎士見習いとしてそこの家の世話になることになった」
ラオクレスはそう、話し始める。
「ここから西の方の領地を治める家だった。それほど大きくない領地だが、善政によってささやかながら栄えていた」
「レッドガルド領みたいなかんじ?」
「どうだろうな。面積だけで考えれば、ここよりずっと小さい。尤も、領地の中心に不可侵の広大な森があるわけではなかったから、参考にならないだろうが」
そういえばそうだった。レッドガルド領は僕が住んでる森のせいで、大分不便なことになってるんだっけ。
「……まあ、そういう領主の家に仕えていた。俺は18で一人前の騎士として認められて……この剣は、その時にお館様から賜ったものだった」
お館様。……領主の人、っていうことだろう。
剣を見るラオクレスは少し懐かしそうで、少し幸せそうで、それで、少し寂しそうだ。……うん。多分、この剣、取り戻せてよかった。
「隕鉄を鍛えた剣だと伺っている。手入れをきちんとしてやれば、ずっと使える。それくらい長く、家に仕えてくれるように、と」
「……うん」
でも、ラオクレスはそうならなかった。
「お館様はいい方だった。領民にも慕われてた。俺もこの人をお守りするんだと、心に決めていた。……だが、お館様には、あまり出来の良くない弟が居た」
僕が何となく、その先を想像してしまいながら続きを待っていると……ラオクレスは、多分、まだ割り切れていないのだろう言葉を口にした。
「そしてお館様は、恐らくはその弟に……殺された」
「……証拠は」
「暗殺者は見つかった。毒を仕込んだらしい。そいつは当然、犯罪者として裁かれた。だが、それだけだ。誰に命じられたのかは最後まで口を割らなかったらしい」
そっか。それは……割り切れないだろうな、と思う。
「貴族の世界では珍しい事じゃないらしい。人の命の重みなんてそんなものだ。揉み消されればそれまでのことで……結局、お館様の跡を継ぐ形で、弟の奴が領主になった。だがこれがまた、中々の愚か者でな」
『愚か者』なんて言うラオクレスは、少し顔が怖い。
「……領地は数年で荒れ果てた。税を搾り取り、逆らう領民が居れば粛清した。若く美しい女が居れば、攫うようにつれてきて妾にした。何度か王城へ訴えを送ったが、一向に返事はなかった」
そっか。……僕は王城とやらが嫌いになった。
「騎士団は領主と領民を守るための存在ではなく、領主の手先となって領民を虐げる存在になった。俺はそこで1人、初めて人を殺した」
「え」
僕の反応を見て、ラオクレスは苦笑する。珍しい表情だけれど、それを見られたことを喜ぶ余裕は、僕には無い。
「そうだ。何の罪も無い領民だった。ただ、領主の愚かさを正そうとしただけの」
少し、呼吸が苦しい。空気を吸えないような、そんな感覚になる。
そんな僕を見てラオクレスは、大丈夫か、と言ってきた。僕は大丈夫だと答えたけれど、僕よりラオクレスの方が心配だった。余計なお世話だとは、思ったけれど。
「……その日の夜だ。俺は領主を殺した。1人殺すのも2人殺すのも、同じだと思った。そして、なら、俺がやるべきだと」
辛くなかったか、と聞きそうになって、止めた。わざわざ辛いのを掘り返すべきじゃないと思った。
「お館様の代から一緒だった同僚達に相談したら、全員が乗った。……領主が新たに雇っていた親衛隊を倒して、俺達は領主の元へ辿り着き……俺は無事、領主を殺した」
殺した、と言う彼に、表情はあまりない。けれどそれはいつもの石膏像らしさとはかけ離れていて、ずっと疲れて見えた。
「当時の領主を殺したことに後悔はない。そうするべきだったしそうするしかなかったと、今も思う」
「うん」
「だが、そのせいで同僚達を巻き込んだのは……申し訳なかったな。相談せず、1人でやっていれば、彼らにまで罪を着せないで済んだかもしれない」
……もし、僕が当時の彼の同僚だったら、何も相談されずに1人で罪を被られるよりは、自分達も同じように、って、思ったような気がする。多分、何も無しで取り残される方が、辛いんじゃないかな。
全部、僕の勝手な想像だけれど。
「晴れて、主人を殺した俺は犯罪奴隷だ。ここ数年、奴隷として生きているという訳だ。何度か売り買いされた。これまで数人の元を転々としたが……俺を『描きたい』という理由で買う奴はお前が初めてだ」
「うん」
だろうね、という思いと、もったいない、という思いが一緒になって僕を深く頷かせた。彼は確かに優秀な戦士なのだろうけれど、同時にとても優秀なモデルだ。描かないなんて、もったいない。
「……経歴を話すのも、お前が初めてだ」
「えっ」
そ、そうなんだ。何というか、それは……それだけ僕を信用してくれたってこと、だろうか?
「どう思う」
その時、ラオクレスはじっと僕を見て、尋ねてきた。
「今の話を聞いて、それで、俺をどう思う」
彼の眼は真剣で、それでいて、少し怯えているようにも見えた。勇敢な戦士が怯えるはずはないとも思うけれど、僕にはどうにも、それが怯えに見えた。その衝撃が、僕の言葉を鈍らせる。
「え……どう、って言われても……」
どう言っていいのか分からず答えあぐねていると、その沈黙をどう思ったのか、ラオクレスは僕から視線を外して、少し俯いた。
これはいけない。多分、何か誤解されている。
そして、誤解されているのなら、早急にその誤解を解くべきだ。
僕はラオクレスのことを軽蔑しない。嫌いにならない。怖いとは思ってない。元気でいてほしい。……けれどそういうのを一言でまとめられないから、しょうがない。
「……これからもよろしくね」
僕は、そう言うことにした。
「……今の話を聞いた結論が、それか」
「うん」
……うん、と言っておいてから考え直すと、さっきの奴、ラオクレスの質問の答えになってないんじゃないだろうか。
そう気づいて慌てて、僕はちゃんとした答えを出すべく口を開いた。別に怖いとは思わなかったとか、大変だったんだなって思ったとか、そういうのをちゃんとまとめて……。
けれどそれより先に、ラオクレスが笑いだしてしまった。
……うん。笑った。
彼が声を上げて笑うところなんて、想像もしなかった。……そっか。ラオクレスも声を上げて笑うことがあるのか。
僕がちょっとびっくりしていると、ラオクレスはそんな僕に気づいて、少し気まずげな顔をして笑い止んだ。
「……お前らしいな」
それからラオクレスはそう言って、ちょっとだけ苦笑いを浮かべる。
「何度目かの質問になる気がするが、お前は人を殺した奴と一緒に居ていいのか?俺より優秀な奴はいくらでもいる。俺を売って別の奴を買えばいい」
「特にあなたを怖いとは思わないし、あなたを売るつもりは無いし……」
「そうか」
「うん」
うん。それしか言うことが無い。
「僕のところに来てくれたのがあなたで本当によかった」
「……2人目だ。お前は」
「うん……うん?」
「2人目の主だな」
さっき数人の間を転々としてたって言ってなかっただろうか。それで、1人も彼をモデルにしなかったって。聞き間違えただろうか。
「……俺の話はこれだけだ。付き合わせて悪かったな」
「ううん、聞けてよかった」
彼がどういう人生を歩んできたのか、教えてもらえてよかった……いや、彼の人生の重みに対して、教えてもらえてよかった、とか、嬉しい、とか思ってしまうのは不謹慎だろうか。
「もう寝ろ」
「うん。おやすみなさい」
とりあえず、寝ろと言われてしまったので寝る。
ベッドに潜り込んだら、何だかいい匂いがしてすぐに眠くなってきた。貴族の家の布団だからいい柔軟剤とか使ってるのかもしれない。
翌日。僕が起きると、ラオクレスはもう起きていた。起きて、窓の外をじっと見ていた。……ええと、まさか、夜通し見張ってた訳じゃないとは思うんだけれど。
「……おはよう」
「ああ、起きたのか」
「ラオクレス、ちゃんと寝た?」
「寝た」
ならいいか。彼がちゃんと寝たっていうなら、僕はそれ以上言わない。僕は自分で昼食を抜くし、好きでめんつゆを啜っている人が居ても止めないし、寝たのか寝てないのか分からない人が居ても文句は言わない。
朝食をご馳走になった後、僕らはちょっと町に出ることにした。
何故かと言うと、ハムを買いたかったからだ。
そう。ハム。
……黒いお化けに食べられてしまったので、生ハムの大きい塊を結局食べ損ねている。僕はあれが少し楽しみだったので、もう一回、買いに行くことにした。
ただし、『レッドドラゴンを召喚しろ』の人達が居ないとも限らないので、僕はちゃんとラオクレスの指示に従う。
僕が歩くのは道の建物側。曲がり角を曲がるのはラオクレスが先。狭い道には入らない。前回、ハムを買った肉屋以外には入らない。
町には相変わらず変わったものや不思議なものが沢山あって、見て回りたい気持ちは山々だったけれど……しょうがない。僕らは寄り道せず、ラオクレス曰くの『最適な道』で、ハムを買いに行った。
……のだけれど。
「おや、またお会いしましたな」
会ってしまった……。
僕は買ったばかりのハムをしっかり抱えて、一歩下がる。そしてラオクレスは盾を構えて、剣に手を掛けて、僕の前に出た。
「そ、そのように警戒されずとも」
「失せろ」
ラオクレスの一喝は静かながら鋭く、まるで剣を突きつけるみたいだった。格好いい。
「いや……あの、そのですね。確かに前回はご無礼を働いてしまったと、深く、深く反省しておりまして」
ラオクレスにじっと睨みつけられながらも、ジオレン家の人はあたふたしながらそう言って……後ろに控えていた人達に合図した。
すると、前回よりもたくさんの金貨や沢山の宝石、それからやっぱり杖1本を出して見せるのだ。
「こちらの報酬は、我々がこれだけあなた様を渇望しているという証でございます!お時間を頂ければ、更に上乗せしてお持ちしましょう!」
うーん……期待されるのはちょっと苦しい。渇望されても結構困る。
「どうか、ジオレン家にもレッドガルド家のように、レッドドラゴンをお授けくださいませんか?」
「そんなこと言われても……」
「失せろと言っているのが聞こえないのか?」
ラオクレスがまた凄んで見せると、相手は後ずさりして……そして、『また参ります』と言って去っていった。もう来ないでほしい。
その日は絵を描いて魔力の制御を練習して、翌日は乗馬の練習をした。
天馬に乗って、レッドガルド家のお屋敷の庭をてくてくてくてく、歩く。
お腹をぺったり天馬にくっつけるような乗り方じゃなくて、ちゃんと『馬に乗る人』っていう姿勢で乗っているから、バランスをとるのが大変だ。
でも、中々いい経験になる。うん、ここで乗馬を覚えておけば、後々役に立つかもしれない。主に、馬に乗るラオクレスの絵とか描く時に。
……それから、僕が人前で馬に乗らないといけなくなった時に。うん。恰好はつけられるに越したことはない。
「調子はどうだ」
「少し疲れる」
「だろうな」
姿勢を正しくして座っていなきゃいけないし、馬が歩くのに合わせてバランスをとらなきゃいけない。結構、全身を使うから疲れる。
その一方、僕の横でもう一頭の天馬に乗っているラオクレスは、特に疲れた顔もしないで乗馬している。
「鞍のない裸馬に乗っているのだから、疲れるのは当然だろう。こいつらに鞍をつける気は無いのか」
「うーん……彼らがいいって言うなら、考える」
鞍って、馬からしてみたら着け心地が悪いものじゃないだろうか、という気がする。だからあまり使いたくない気がしていたのだけれど……馬は、ひひん、と鳴いて、頷くように首を振ってくれた。うーん、いい、ってことだろうか?
「なら鞍を用意してみるか。その方が乗りやすいだろう」
「うん」
恰好が付くならそれに越したことはない。うん。だから鞍も……1回は、使ってみたいな、と、思っていた。
「だが、買いに出るにはあいつらが厄介だな」
「また出くわすかもしれないからね」
……けれど、鞍を町に買いに出るわけにはいかない。何と言っても、またジオレン家の人と会ってしまったら面倒だから。
「じゃあ、描いて出す?……あ、僕、鞍の形が分からない」
「盾と同じか。……なら、レッドガルド家に聞いて使っていないものを借りろ。1つくらいはあるだろう」
「うん。それを元に描く」
「……そのまま使うわけにはいかないのか?」
ということで、僕らは外に出ることなく、ジオレン家の人達と会わないように、レッドガルド家の庭から出ずに乗馬訓練を続けて……。
……けれど。
「トウゴ様!どうかレッドドラゴンを!」
また来た……。
「人の家の庭にまで来ないでほしいんだけれど」
確かに僕は、中庭じゃなくて、中庭よりも広い裏手の庭で乗馬してたよ。でもそこに外からわざわざ声を掛けてくるっていうのはどうなんだろうか。
「我々はあなた様の了承を頂くまで、何度でもお訪ねする覚悟なのです。どうか、ジオレン家の御子息のため、レッドドラゴンを召喚してください」
駄目だ。この人、僕の話を聞いてない。
「……あの、なんでそんなにレッドドラゴンが欲しいの?」
なので試しに、聞いてみた。……そうしたら。
「それは勿論、ジオレン家の御子息に相応しい召喚獣が必要だからですとも」
……よく分からない答えが返ってきてしまった。駄目だ、多分、この人は僕の話を聞いているんだろうけれど、話が通じない。
「伝説のみに名を残すレッドドラゴンがレッドガルド家の持ち物になったのであれば、やはりジオレン家にも同等のものが必要でしょう」
「竜は生き物だよ。飾りじゃない」
「そうですね。その通りです。レッドドラゴンという生きた伝説には、そこらの飾りとは比べ物にならない価値がありましょう」
駄目だ。本当に話が通じない。……なんだか疲れてきてしまった。
僕が困っていると、ラオクレスは1つため息を吐いて、それから、天馬の首のあたりを軽くぽんぽんと叩いた。……何だろう。
「トウゴ。離れていろ」
「え?うん」
僕が天馬に指示を出すと、天馬は僕の指示通りにてくてく歩いて、その場から離れてくれた。
「トウゴ様!もう少しお話しを!」
少し離れた僕を追いかけるように、ジオレン家の人は庭に踏み入りかけて……。
……その瞬間、ラオクレスが乗った天馬が、駆けた。
ばっ、と、天馬が翼を広げて跳ぶ。
ほんの数歩分の加速で十分すぎる程についた速度。迷いのない踏み切り。そして……庭の低い生垣を易々と飛び越えて、その向こうに居たジオレン家の人達に向けて、繰り出される前足の蹄。
……迫力満点だ。
「ひぃ!」
普通の馬を遥かに超える速度で繰り出される蹄だ。蹴られたら、ただじゃ済まないだろう。それが分かったのだろうジオレン家の人は、後ろに控えていた人達も含めて全員で散り散りに逃げていった。
……そして天馬は、誰も蹴ることなく、着地することなく、蹄を繰り出した姿勢のまま、ラオクレスを乗せたまま……滞空していた。
「今のすごくよかった」
天馬で突っ込んでいって、蹴ると見せかけて、滞空。……すごいな。ラオクレスは僕より馬との付き合いが浅いはずなのに、もう僕より乗りこなしている。
天馬も『悪くない』みたいな顔してる。うん、多分、僕を乗せておくよりもラオクレスを乗せた方が格好良く乗ってもらえるって分かったんだろう。その通りだよ。
「……あいつらは逃げたか」
「うん」
ラオクレスは、ジオレン家の人達が逃げていった方を睨んでいる。
「対抗しているであろう貴族の家の庭に入り込もうとするとは良い度胸だな」
対抗してる……んだろうな、とは思う。要は、レッドガルド家に張り合いたいからドラゴンを出せって言ってるんだろうし。でも、対抗していなくても、相手の家が貴族の家じゃなくても、そもそも他所の家の庭に勝手に踏み込もうとしちゃいけないし、嫌がっている相手を追いかけ回すべきじゃない。
「これ……どうしよう?その内、部屋まで押しかけてくる気がする」
「そうだな」
ラオクレスは天馬から降りつつ、渋い顔をして……それから、僕に言った。
「フェイ・ブラード・レッドガルドの所へ連れていけ。話がある」
……ラオクレスがフェイに話?何だろうか。
「相手から隠れていても、相手を避けていても、事態は好転しない。こちらから攻めに行くべきだ」
そっか。
……つまり、喧嘩?