9話:泥棒に花束を*1
朝、宿のルームサービスで食事を頼んだところで、僕は昨夜の話をした。つまり、苔玉と浮き球を描いたら出てしまって、それらを置いておいたら何故か、浮き球が消えていた、という話。
……すると、ラオクレスもクロアさんも、一気に緊張した表情になった。
「それって……ねえ、トウゴ君。他に何か、変化はない?あなた自身の怪我とかは?」
「え、無いと思うけれど……」
クロアさんの心配を向けられてちょっと戸惑いつつもそう返事をすると、クロアさんは尚も心配そうに僕の周りをくるくる回って怪我が無いか確認している。なんだなんだ。
一方、ラオクレスは黙って立ち上がって僕の部屋へ入っていくと、少しして戻ってきた。
「他に盗られたものは無さそうだが、もう一度トウゴが確認するべきだろうな」
「……盗られた?」
なんだか物騒なことを言われたなあ、と思いながら、考えて……。
「……もしかして、浮き球、誰かに盗まれたの……?」
とんでもない可能性に思い当たってしまった。即ちそれは、僕の部屋に、僕が寝ている間に泥棒が入った、という可能性、なのだけれど……。
「まあ、そうでしょうねえ……」
「お前自身が寝ぼけて何かして忘れた、という可能性も否定はできんが……」
……どうやら、僕、結構危機一髪だったみたいだ。寝ている間に起きているから、緊張感も何も無かったけれど!
それからルームサービスの朝食が届くまでに、僕は僕の部屋をもう一度確認して、他に盗まれたものが無いか、増えているものが無いかを念入りにチェックした。何なら、僕が何か怪我とかしていないかどうか、ラオクレスにチェックされた。……いや、クロアさんがチェックしようとしていたので、流石に恥ずかしいです、と申告してみたところ、ラオクレスが交代してくれたので、それで。ああよかった。
……まあ、それら念入りなチェックの結果、問題なし。特に何も他には盗られていないし、増えているっていうこともない。僕も極めて健康。
ただ、クロアさんが『鞄の内側に探知の魔法を仕込まれたりしていない?』と聞いてきたので不安になってそういうのも確認したら……紙袋の内側、紙の折り目になって見えない位置に、小さく模様が描き込まれているのが見えた。
「うわ、本当にある……」
「そりゃあね。常套手段だもの」
ちょっと貸してね、とやってきたクロアさんに場所を譲って、紙袋に描き加えられた模様を確認してもらう。
「……あーあ、まあ、予想は付いたことだけれど」
そこでクロアさんは深々とため息を吐いて、言った。
「ルスターだわ」
「……ルスター?」
「ほら、昨日、階段で会った、金髪の男。あいつよ」
なんとも嫌そうなクロアさんは、また深々とため息を吐くのだった。
「……あの人が?」
「そうね。この模様の描き方、覚えがあるわ。魔石から抽出したインクを使うのも奴の手口よね。全く、これじゃあ誰が盗んだのか教えているようなものだけれど……実際、そうなのかもしれないから性質が悪いわね」
苦り切った表情のクロアさんと、その一方、窓の方を見ながら顔を顰めるラオクレス。
「この手の宿に潜り込むのは難しいように思うが。第一、俺もお前も居て気づかないなどということがあるのか?」
ラオクレスはこの宿の防犯設備に意識が行っているらしい。まあ、そうだよね。この宿、『1つの部屋の中に何故か部屋がいくつもある』っていう魔法のお宿なので、窓もちょっと不思議な造りになっている。そんな窓から侵入してくるのって、結構難しい気がするけれど。
「そうね。難しいことは確かよ。私はやりたくないわ。他の奴らが簡単にできるとも思ってない。どんなに腕のいい奴でも、相応のリスクがあるわ。……でも、できないわけじゃないし、やった奴がここに来た、ってことは確かなのよね」
クロアさんはそう言って、珍しくも渋い顔をした。
「……一応、あいつ、こそ泥の腕だけは良いのよ。前より更に良くなってるかも。だからあんな奴でもお父様の側に居られるわけだけれど……ああもう失敗したわね。私ったら、ほんと何やってるのかしら……」
そっか。クロアさんも言ってたっけ。昨日のあの場所に居る人はクロアさんと同じ種類の密偵か、はたまた、腕が良くてあそこに居るかのどちらかだ、って。
ということはあの金髪の人、腕がいい人なのか。……そうとは言わないけれど。ものすごく、クロアさんが悔しそうなので。
「下手をすればトウゴに危害が及んでいた。……我ながら情けない」
「そうねえ……何なら一緒に寝るべきだったわね、私達。気が抜けてたわ」
……なんとなく、両脇をラオクレスとクロアさんに挟まれて川の字で寝るのを想像してしまって、ちょっと可笑しくなる。そういうのも案外楽しいかもしれない。
「大丈夫だよ。ええと、僕は全く気付かずぐっすり寝ていたんだけれど、朝起きたら、鳳凰と管狐と風の精が宝石から出て僕のベッドの中に皆で潜り込んでた」
「……主人の危険を察して出てきた、ということか」
「多分ね。だから大丈夫だったよ。……まあ、起き抜けにくすぐったかったけれど」
そんな話をしていたら、呼ばれたと思ったのか、鳳凰と管狐と風の精がぽんぽん出てきて、僕にくっつく。ついでに彼ら、ラオクレスに対して胸を張って、ちょっと自慢げだ。『どうです、すごいでしょう!』っていうかんじ。
「……成程。召喚獣を見て、トウゴに危害を加えずに撤収したのかもしれん。なら……よし。お前達、よくやったな」
するとラオクレスは、皆を順番に撫でていった。こいつら全員、撫でられるのが好きだから、ラオクレスにわしわしと撫でられて、気持ちよさそうに目を細めている。よかったね。
「全く、俺も負けてはいられんな」
ラオクレスはちょっと苦い顔でそう言いつつ、よし、と気合を入れ直して……ちょっと気の抜けた、頭の痛そうな顔で、言った。
「……で、何故そいつは浮き球とやらを盗んでいった」
……うん。そうだよね。僕も気になる。
どうしてわざわざ、浮き球を盗んでいったんだろう。あれ、ただの大きなガラス玉なのに……。
「あら。簡単なことよ」
するとクロアさんは事も無げに答えた。
「封印の宝石と間違えたんでしょう」
……ん?
僕が不思議に思っていると……クロアさんは苦笑いしながら、苔玉とたんぽぽ玉を示した。すっかり観葉植物みたいになっている、それを。
「……まさか、たんぽぽが生えて魔力がめっきり減った玉が例の宝石だなんて、思わなかったんでしょうね。これじゃあ、目利きのできない奴にはまるで分からないわ」
……成程。
どうやら、僕、昨夜の内に封印の宝石をたんぽぽまみれにしておいたのは、大正解だった、みたいだ……。
「そんな間抜けな泥棒が居るのか」
「居るのよ。ええ。びっくりでしょ?」
「ええと、ルスターさんは、目利き、できないの?」
「できないわね。だからこそ、ただのこそ泥なのよ、あいつは」
クロアさんが辛辣だ。いつにも増して辛辣だ。何か思うところがあるんだろうなあ、とは思いつつ、まあ、そっとしておくことにしよう。多分、色々あったんだ。色々。こう、『クロアさん』じゃなくて、『カレンさん』に何かあったんだと思う。
「あと、気になるのは……トウゴ君が寝ぼけて出したガラス玉が、どの程度のガラス玉になったか、っていうところなのよね」
クロアさんはちょっと腕組みしつつ、ため息を吐く。
……うん。
「ねえ、トウゴ君。あなた昨夜、どれぐらい魔力を込めてその大きなガラス玉、出しちゃったのかしら。紅茶缶ぐらい?キャンディ瓶ぐらい?それとも……まさか、戦争が起きそうな奴、っていうことは、ない、わよね?」
クロアさんに言われて、考える。考えて、思いだして……うーん。
「覚えてない……」
……封印の宝石が盗まれるよりはずっとよかったんだろうけれど。でも、これはとても大変なことだ。
もしかしたら僕、とんでもない宝石を、盗まれてしまったかもしれない……。
「……まあ、実体化させるつもりが無かったのに実体化してしまった、ということなら、それほど魔力は籠っていないだろうが」
「そうね。正直、私もそんなに心配してないわ」
僕が心配していたら、ラオクレスもクロアさんも、そんなことを言いだした。あれっ、心配しなくていいんだろうか。
「だってトウゴ君、部屋ごと封印具で魔力を封じてあったもの」
「……へ?」
……封印具?
「僕、つけてないけど……」
「あら、つけてるわよ。ほら」
何のことだろう、と思っていたら、クロアさんが僕の部屋の隅っこを指さした。そこには綺麗な飾りがある。僕にも見覚えのあるやつだ。これ、昨夜、苔玉とたんぽぽ玉を飾った棚の端に置いてあったやつだ。
……えっ、これ、封印具だったのか。宿の備品か装飾だと思っていたけれど、どうやらこれ、クロアさんの仕込みによるものだったらしい。
「ごめんなさいね。トウゴ君がお風呂に入っている間に、ちょっと仕込んじゃった。だってそうでもなきゃ、別の部屋で寝かせるなんて、怖くてできないわ。トウゴ君の魔力は量が多いし、なんだかいい匂いがするものだから、少し鼻が利くなら辿れちゃうんだもの」
……『いい匂い』って、その、比喩表現だよね?自分が臭うんだったら、その、すごく気になるよ!
「だから、昨夜のトウゴ君はお部屋の中ではあんまり魔力が出ていなかったはずよ。実体化させるつもりがなかったものが実体化しちゃった、っていうのもきっと、封印のせいで今一つ加減が分からなかったんじゃないかしら」
そんなことがあったのか。成程……。
「ということで、トウゴ君が出したガラス玉は、ものすごく大きい、ただのガラス玉の可能性が高いわね。なら……」
クロアさんは、晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「正直、このまま放っておいてもいいと思うわ」
浮き球っぽい薄いブルーグリーンの、大きなガラス玉。ガラスらしい歪みはあるものの、失敗して中身がしっかり詰まった球になってしまったもの。人間の頭サイズ。籠っている魔力はほぼ無いと推測できる。
……確かに、放っておいても実害が無い気がする!
「どう見てもこれは、追いかけてきてほしい、っていうメッセージでしょうね。こっちに私が居ることを知っていながら探知の魔法をこんな風に雑に仕込むなんて、それ以外に考えられないわ」
クロアさんはそういって、嫌そうな顔をした。……本当に何かあったんだろうなあ。
「だからこそ、追いかけてやるのは止めにしましょう。放っておけば、ただの大きなガラス玉を抱えた間抜けな泥棒が1人、っていうだけだわ」
愉快な提案に、僕は一も二もなく賛成。ラオクレスも肩を震わせてちょっと笑っているので賛成だろう。
「僕もそれでいいと思う。正直なところ、うっかりガラスの塊を実体化させてしまって、処分に困っていたので……」
「あら。それなら丁度良かったわね」
「うん」
泥棒さん……ええと、ルスターさんには申し訳ないけれど、その、廃品回収をどうもありがとうございます、ということで。
「……苔玉はどうするんだ」
「それは僕の家に飾ろうかな。あ、でも、あまり場所が無いか。ええと……」
「なら、俺が貰おう。俺の家に飾る。いいか」
「……気に入ったの?」
「……気に入った」
そ、そっか。なら、苔玉も行き先が決まってよかった。ガラスの塊は最悪の場合、熔かして別のものにしてしまえるけれど、苔は生き物だし、森の一部みたいなものだし、捨ててしまうのは忍びなかったんだ。よかった!
「よし。そうと決まったら、ご飯を食べましょうか。しっかり腹ごしらえしたら……のんびり王都見学でもして、それから帰りましょうか。あ、その紙袋はこの宿で処分しておいてもらいましょうね」
「うん!」
これで解決、とばかりに動き出したクロアさんに続いて、僕らも僕の部屋を出る。丁度、ルームサービスのワゴンが運ばれてくるところだったらしくてベルがなって、僕らはワゴンを喜んで受け取った。
朝食はパンにバターにスクランブルエッグ、茹でたソーセージにサラダ、果物のジュース、というかんじ。いい香りがしてお腹が空いてくる。
ということで、僕らはひとまず、朝食を食べることにした。バターの香りのとろける卵は、なんだか平和な朝の味がした。




